乱気流

 主が見下げたのか、従が見下げたのか。絡む視線は離れた。

 窓から午後の陽気が差す、穏やかな書斎の空気が一変した。主はいつものように書類に目を通し終えた後だった。
「今、何と申した……?」
 見上げる鋭い視線が、マリアを貫く。今にもブチ切れて理性を失いそうなほど、マティウスは憤怒している。だがマリアはものともせず、視線を反らさず見上げた。
「君主がいつまでも独り身でいるのはいかがか、と」
 マティウスが皇帝の座についてからもう随分経つ。そろそろ身を固めてもいい頃だとマリアは思った。縁談の話は、いくらでもある。それをマティウスはいつも、つまらなさそうに退けるばかり。これにはマリアだけではなく周りも心配でやきもきしていたので焦りは尚更だった。暴君といえども国の繁栄、滅ぼさぬ為に世継ぎが必要である。
「私に指図するな。子なぞ、そのうち誰か孕む」
 そう、確かに相手は何人かいた。頻繁ではないものの夜伽はしており、マティウスも分かってはいるが、はっきり言って今の自分が良ければ後の事などどうでも良く、知ったこっちゃない。
 そんな事とは露とも知らず、世継ぎは正妻の子でなければと大臣らは口煩い。
「そうかも知れませんが、形だけでも、婚姻しては」
 何とかその気にさせようとするが、マティウスは鼻で笑う。
「私に相応しい相手もいないのに、結婚出来るか。……それとも、おまえがするか?」
「……は?」
 マリアは心臓が飛び出るのではないかというぐらい、動揺した。
「おまえが、私の相手をするか? それも一興だな」
 どこか含みを持たせ、マリアを見上げる。
 本気の訳がない。そう思うも、困惑した体は強張って言う事をきかない。
「ご、ご冗談、を」
「おまえならば、面倒が減る、な」
 マティウスがいきなり立ち上がった。勢いで椅子はガタンと音を立てて倒れた。
(──ッ!)
 引き寄せられ、頤を掴まれる。
 近付く顔。唇が、重なってしまう。
 キスされる。
 マリアは強張った。
 しかし、寸前の所で唇はすり抜け、耳元で止まった。
「……随分大人しいな。おまえなら、もっと抵抗してみせると思ったが」
 本気にしたか?
 吐息が漏れ、耳元で囁いたマティウスの顔は嘲っていた。
 しまった。
 マリアは血の気が引いた。どこかで本気だと思った自分がいたのかも知れない。マティウスの顔が離れたが、俯いてしまう。
「はっ、その気を姫君達へ向けて下されば良いものを」
「おまえは、女だな、やはり」
 どこか呟くように遮った言葉は、マリアを激情させるには訳無い。完全ではない、その身を削ってきたのを馬鹿に、否定されたかのような怒り。他の誰でもない、マティウスの為だと言うのに。
 思わずねめつけ顔を上げた。それを捕らえるかのように、マティウスは……。
「!」
 唇を重ねていた。
 頭の中が真っ白になった。無意味に、言葉が駆け巡る。
(本当に、して……。陛下は何を考え……私を、試しているの、か)
 悪戯に舌を潜り込まれ、我に返ったかのように押し退けた。
 馬鹿げている、馬鹿げている!
 マリアはいつになく取り乱した。
「私の役目は、陛下をお守りする事。こんな事ではありませんが……!」
 私の忠誠は、取るに足りないのですか。これ以上、何を尽くせと。
 忠犬のように、どんな事にも従ってきたが、犬にも意地がある。牙を剥いた飼い犬に、主は怒り狂うだろうか。切り捨てられるならそれまでしかなかった。
「そう、だったな。気が向いたら、お前の忠告を心に止めておいてやる」
 ああ、また嘲笑している。
 マティウスには、誰でも一緒なのだと。
 胸中など、読めやしない。
 力無く下がったマリアの背中を、どんな目でマティウスが見ていたかなど、また知るよしもなかった。

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