ダークナイト。
それがマリアの呼び名になった。女だからと言う差別無く、皇帝マティウスは片腕として常にマリアを使った。しかし、周りの人間はあまり良く思っていなかった。「女の癖に」、そういう目でしか見ていないのだ。特に、元カシュオーンの伯爵、ボーゲンはそれが顕著だった。帝国に寝返った時点で自分と同等、大差はない。が、ボーゲン自身はそう思っていないようだった。ねちねちと、まるで嫁をいびる姑かのような悪態が絶えない。
それは我慢出来た。しかし一番厄介だったのは女性特有の症状だった。月に一度のそれは、酷いと立っているのさえ辛い。いつも誤魔化しに軽くスタンを唱えている。何と煩わしいのだろう。マリアの苛立ちは症状と混濁していた。
今日もスタンを唱えていたが、運悪く任務報告の最中に切れてしまい、痛みに耐え兼ねているのをマティウスに知られてしまった。
「も、申し訳ございません。直ぐに」
腹を手で押さえ込み、慌ててスタンをかけ直した。御前で見苦しいところを見せてしまった焦りが生じる。
マティウスは失態を嫌う。管理がなっていないと詰られても仕方がない。そう覚悟していたのだが、マティウスは何も言わず、その冷めた目を向けるだけだった。何故? そう問える筈もなく、語る筈もない。麻痺した体はもう何も感じない。心まで縛った。
もう一度頭を下げ、報告を続けた。
自室に戻ったマリアは椅子に座り込んだ。何もない部屋。必要なものは今更ない。窓から射す光が自身の影を落とす。
(馬鹿な事だ)
マティウスが欲したのは力に飢えた自分。ギラギラと憎しみを剥き出しにした双眸。服従した殺意。
従うだけの存在に、こんな浅ましい女の部分は初めから意義を成さない。
マリアはぼんやりと両手を見下ろした。女に似つかわしいと言えない強固な漆黒の鎧に全身を包み、剣を握る手は柔らかさを失っていた。強く在ろうと顧みなかった。いっそ男であったらと、何度思った事だろうか。
(私は、女にも男にもなれない)
ただ、この痛みだけが虚しく主張している。愚かな、望みは叶わない。
バフスクで大戦艦の建造の指揮。それが今マリアの任務であったが、何故か隣にはボーゲン。勝手に来たのかと思えば、一応マティウスに言われて来たのだと騒ぐ。
町は帝国軍が占拠していたが、司令部の建物一角以外は人々を自由にしていた。それもボーゲンは気に食わないようで御託を並べる。貴様の管轄ではないと怒鳴りたいのを堪え、設計図を手に技師と相談しながら指示を出した。
何をするにも口出しするボーゲンと、戻るまで一緒に過ごさなければならないとは不快だった。
一ヶ月後、マティウスに進行状況を報告しに行かなければならないのに、マリアはチョコボを前に足止めされた。呼び止めたのはボーゲンで、ニヤニヤといけ好かない顔を更に嫌悪させる。
「卿。卿は経水が辛いのであろう? 陛下へのご報告は私がしよう」
どうやら運悪くスタンを唱えているところを見られてしまったらしくバレていた。明らかに見下す態度。マリアは込み上げる憤怒を表情には出さなかった。
「……問題ない。私が報告しに行く」
それでも少し睨みをきかせ、ボーゲンをの顔を見たくない一心でチョコボに飛び乗り、付きの部下と共に走らせた。
未だに信用されていないのか。それも致し方ないと自暴自棄になる前に、ボーゲンが此処へ来た理由を知りたい。曇り空が自分の心の内を映しているようで、重苦しい。マリアは憎たらしくマティウスを思った。
「……以上、滞りなく進んでおります」
主君は玉座で顔色一つ変えずに報告を聞いていた。帰って来た労いもつれない一言で終わり。何か期待していた訳ではなかったが、マリアは虚しく思った。
何を思う、その心底を見極められない。女を捨て、男にもなれず、何者でもない。ダークナイトとして生きる。この思いに偽りはない。必要とされるのがその仮借ない闘争心なら、一生燻り続ける。だから、答えが欲しい。
「……陛下」
「何だ」
「一つ、お伺いしても宜しいでしょうか」
「言ってみろ」
「ボーゲン伯爵を派遣したのは何故です?」
覚悟して尋ねた顔は、僅かに眉根を寄せた。鋭い視線がマリアを射抜いた。
「貴様が女だからだ。それだけだ」
それだけ。
女だから。
所詮、弱い存在でしかない。
意識は冷たく暗い底へ落ちていく。
「それはどういう……」
分かっていた筈なのに、それでも縋るような眼差しを向けてしまう。愚行だ。
「と、でも言えば、貴様は納得するのか?」
「えっ」
急に一変したかと思えば、マティウスは僅かに声を荒らげて言った。
「痛いのなら素直に痛がれ。女が男になれる訳がない。貴様は貴様のままで良いのだ。貴様の代わりはいないのだからな」
思ってもみない言葉に、マリアの内心はすっかり狼狽していた。
「へ、陛下……」
「それに、あれ(ボーゲン)は後任だ。貴様には黒騎士団の指揮を任せる」
「っ、はっ」
一気に肩の荷が下り、体の力が抜けた。確かにマティウスは求めていた。しかしそれは己という存在自体であって、自分が思っていたより容易い事だった。
何者でも良い。主君に仕えるダークナイトは自分だけなのだ。
マリアは初めてマティウスの前で笑って見せた。