それは本当に偶然であった。
宮廷魔導師ミンウは、フィン城御用達の城下町にある茶屋へ向かっていた。主君ヒルダは毎日茶を嗜む。お茶会も頻繁な為、すぐに茶葉が切れてしまう。いつもなら店が届けてくれるようになっているのだが、その前に茶葉が無くなってしまった。それで急遽、調達する事となり散歩がてらな気分でのんびりと店に着くと、気立ての良い店主に茶葉の注文を告げる。茶葉の袋詰めを待っていると、また別に客が来たらしく店主の声が響いた。少しして茶葉のたっぷり入った袋を受け取った。
「ミンウ、さん?」
もう帰ろうと言う時に、ミンウの名前を呼ぶ声があった。確信が持てず自信なさ気なその声の方に振り向くと、見覚えのある女性が立っていた。
「良かった。やっぱりミンウさんね」
「あ、あなたは……!」
安心の笑みを浮かべる女性に、ミンウは少し困惑した。
親友の妻と、偶然会った。
のんびりと船に揺られるなど久しくなかった。ミンウはいつもの慌ただしさから肩の力が抜け、心地好い潮風と日差しを受けリラックスしていた。
主君から暇を貰ったのは三日前だった。きっかけは、先日会った親友シドの妻だった。シドは家族を捨てたくせに、離婚はしていなかった。シドにとっては別居に近い形らしく、また夫人もそれを受け入れているのか、何も言わない。
そんな関係の中にミンウは友人として身を置いている。
夫人は尋ねた。「あの人は、元気でやっているかしら」と。ミンウは頷いた。多分、と付け足す事なく。
思えば忙しさの中ですっかり親友の事など忘れていた。そう思うと、急に顔が見たくなった。シドは相変わらず機体いじり夢中になっているのだろうかと。
主君は暇を快く受け入れてくれた。それが友人に会いに行きたいとの事だと分かると、クスリと笑いながら、宜しく伝えてくれと言った。いつでも帰って来ていいのだと。それ程騎士としてのシドの才能を惜しんでいた。ミンウもそうであった。
やがて船乗り達の声と共に、ポフトが見えた。
シドはだいたいパブかドックにいるので探すのは安易いと思っていたが、今日に限ってパブにはいない。仕方なくドックまで足を運ぶ。案の定、シドは熱気の中作業に激を飛ばしていた。
「やあ」
シドはいきなり現れたミンウに、喜びもせずやや不満そうな顔をした。作業が中断してしまったせいだとミンウにも知れた。それでも歩み寄り、懐かしさに綻びながらミンウは見合った。
「何の用だ」
「親友に会いに来てはいけないのか?」
そう言われ、シドは額に手を当て呆れた。言い返せないのだ、親友などと言われては。まだそんな風に思っていてくれる事が嬉しい。
シドは仕方なく休憩にする事にした。こんな所で立ち話も何なのでパブへ行った。と言っても店の中には入らず、店先の堤防から海が眺められるのでそこに腰掛けた。
揺らめく海面を見ながら、当てつけのように言った。
「たまには空より船旅もいいぞ」
「お前、船で来たのか?」
シドは意外な顔をした。わざわざ船で来なくてもミンウには空間転移が使えるのだから、当然だとてっきりと思っていた。
「あれは負担が大きいし、嫌いなんだ。それに、乱用していては本当に魔法を必要とした時に使えなくなってしまう」
こちらを向いたミンウに、そんなものか、とシドは納得した。ミンウはまた遠くを眺めるように海を見た。
「……偶然、夫人に会ったんだ」
「へえ、あいつと。それで?」
「あなたが元気かと聞かれたんだ」
「おい、まさかそれで俺が息災か確かめに来たとか言うんじゃないだろうな」
シドはミンウなら有り得なくもないと思ったが、ミンウは首を横に振る。
「いや。私は『シドは元気でやっている』と言ったんだ。最後にあなたに会ったのが半年も前だったのに」
そう言われれば、そんなに前だったかと気付かされる。その時は空間転移でやって来たミンウだが、先程の話しから疲れていたんだろうなと思い返した。
「別にいいじゃねえか。嘘じゃないし」
「ああ。でも、それでも夫人より安否に詳しいなんて、淋しいなと思ったんだ」
それは家を出てから一度も会っていない妻と比べれば、十分な付き合いもあるし当たり前だが、ミンウは違った。
「シドは淋しく思ったりした事はないのか?」
その顔は縒りを戻してもいいんじゃないかと言いたげで、シドは煩わしく思えた。
「淋しかったらこんなトコにいねえよ」
「何があなたをこんなにも動かすのか……」
ミンウには理解出来なかった。すべてを捨ててまでの価値があったのかと、問い詰めたい。シドは何も言ってはくれないと分かっているので、答えは一生分からない。
シド夫妻を見ていて、自分にはない温かさが、亡くした両親を思わせて切なかった。
「あなた達を見ていたら、結婚もいいなと思えたのにな」
「結婚なんて止しとけ。面倒臭えだけだからよ」
ミンウの理想がそこにあったかのように、シドにはなかった。
視線を海からシドへ戻したミンウは、肝心な事を忘れていたと言った。
「そうだ。ヒルダ様が宜しく伝えてくれと」
シドは顔を反らした。
「……そうか。ま、俺はもう戻る気はねえよ」
家族の元にも、白騎士団にも。
今は技師のシドしかいない。
気が付けば、昼を過ぎていた。二人はパブで腹拵えをし、シドはまた仕事に戻った。ミンウは邪魔にならない所で、初めて作業を見学する事にした。
見ているうちに、シドの飛空艇に対する凄まじい熱意を感じられずにはいられなかった。真剣さの中にも、歓楽が溢れている。こんな顔は、白騎士団の隊長を務めていた時すら見た事がない。常に生死を脅かされ張り詰めた怖い顔のシドはもういないのだ。
(あなたは、ずっと解放されたかったのか)
ミンウはそう思えてならなかった。途端に羨ましくなった。決して運命から逃れられない自分を憐れんで。涙が滲むのを滑稽だと拭った。
シドに会いに来ると必ず彼の家に一泊していくミンウは、代わりに夕食を作る。シーザーサラダにオニオンスープ、焼きたてのコーンブレッドなどを用意した。が、美味いともマズイとも言わず料理を平らげるシドに、少し不満になる。
「何とか言ってくれないと不安じゃないか」
きっと夫人も何も言わないシドに苦労したのではないかと思える。しかしシドは意外な事を口にした。
「美味いから食ってんだ。まずかったら食わねえよ」
「そ、そうか」
呆気に、確かにそれもそうだと、納得した。夫人もそうだと分かっていたのかも知れない。すべてを寛容に受け入れていなければ、今頃自分から離れて行ったに違いない。
翌日、ミンウは名残惜しむ事なくフィンに帰った。シドに飛空艇で送って行こうかと言われたが、商売の邪魔をしては悪いと断った。
出港までの間、見送りに来ていたシドは何処か落ち着かない様子でいた。ミンウは気にも止めなかったが、やがて出港の時間になった。
「じゃあ、また……」
別れ際、シドはきまりが悪そうに言った。
「まあ、何だその……あいつに会ったら今更気に病むなって言っといてくれ」
その言葉に驚きながら、二人の愛は友情に似た紲を帯びながら、冷めてはいないと確信出来た。
「ああ!」
ミンウは嬉しそうに頷いた。
これからは暇の許す限り、もっと頻繁にシドに会いに行こう。そして、夫人に伝えよう。
シドは、相変わらずだ、と。