まだ寒さが身に染みる3月の夜だった。ようやくたどり着いた町で宿を探していると、民家の前に小さな少年が膝を抱えて座り込んでいた。よく見ると粗末な薄い服に裸足である。これでは当然寒さを凌げる訳もなく、震えていた。ただ事ではない。居た堪れなくなった戦士は、制止するモンクを振り払い、少年に声をかけた。
「どうした、坊主」
すると少年はビクリと肩を揺らした。まるで怯えている。俯いてちっとも顔を上げない。
「風邪を引きますよ」
仕方なくモンクも声をかける。
何故戦士が少年に声をかけたかは、モンクが一番よく知っている。弟を、この少年と同じぐらいの歳で亡くしていた。流行り病だった。どうする事も出来ず、無力な自分を呪った。だから、放っておけなかった。
なかなか返事がなかったが、それでも戦士が待っていると、暫くして警戒心が解けたのか少年は顔を上げた。
「……だぁれ?」
黒く大きな丸い目が二人を捕らえる。その顔はまだ幼く、5歳にも満たないものに見えた。
途端にモンクは顔をしかめた。
あまりにも似ている、と。
横目に戦士を見ると、僅かに動揺が見られた。弟にそっくりな少年を、もはや他人だとは思えなくなっていた。
「此処で何してるんだ?」
「お父さん、が、良いって言うまで、待ってるの」
「?」
モンクと戦士は顔を見合わせた。どういう意味だろうか、推測するに、何か悪い事でも仕出かしたのだろうかと思った。お仕置きにしては少しやり過ぎではないだろうかと、疑惑が生じる。
「モンク、もしかして……」
「確証は持てませんが」
虐待。
そう思った方が合点がいく。
「君、名前は?」
「黒魔」
このまま放ってはおけず、戦士は黒魔を説得して一緒に宿に連れて行く事にした。
黒魔はなかなか首を縦に振らない。それはそうだ。いきなり知らない人に声をかけられて一緒に行こうと言うのは、逆に掠おうと犯罪にも近い。そこでモンクが機転を利かせた。父親の知り合いだからとの嘘に、やっと黒魔は信用した。
知り合いじゃないだろうと戦士に耳打ちされたが、モンクはこれから知り合いになればいいと戦士の不安を跳ね退けた。それに戦士も納得し、急いで宿を探した。
直ぐに宿が見つかり、何とか部屋をとれた。腹が減っていたが、食事にする前にまず黒魔のなりをどうにかしなければと二人は思った。
「風呂が先だな」
汚れを洗い流して温まらせなければ。戦士が湯を沸かし、モンクが黒魔の服を脱がせようとした途端、拒まれた。
「あ、ダメ……ッ!」
「ん?」
それでも構わずに脱がせ、肌が露になった途端目に入ったのは、無数の痣だった。
これで虐待は決定的となった。
愚かな……。
モンクは溜息をついた。
「おーい、お湯沸いた……」
備え付けの浴場からひょっこり顔を覗かせた戦士は、一気に凍り付いた。哀れむ顔のモンクと目が合う。
「……クソッ! 何て親だ!」
戦士は行き場の無い怒りを必死に堪えていた。
次の日、黒魔を連れ立って父親の元へ向かった。黒魔の家は夜見た時と違い、随分立派な家だった。
黒魔は自分の家だと言うのに、怖ず怖ずと中へ入った。外見とは裏腹に、あまり掃除されていない室内は居心地が良くない。
「お、お父さん……」
ソファーで眠りこけている父親は朝間から酒を飲んでいてだらしのない姿だった。黒魔の呼び掛けに目が覚めた途端、父親は起き上がるなり黒魔をぶん殴った。
「てめぇ、今まで何処ほっつき歩いてやがった!」
怒りの形相であった父親が、また黒魔を殴ろうとしたので戦士は止めに入った。振りかざそうとした腕を握る手に力が入る。
「あんた、自分の子供に暴力振るうなよ」
それで父親はようやく黒魔の他に知らない男二人がいたのに気付いた。
「ああん? 誰だてめぇら」
訝し気に戦士とモンクを見ていたが、血相を変えて喚き散らした。
「てめぇらこそ、人ん家に勝手に上がり込んで何様だ!」
「それが子供に接する態度かよ」
「自分の子供に何しようがカンケーねーだろ!」
戦士が父親と言い合っている間、黒魔は泣きそうになりながらモンクに支えられていた。やがて父親の怒りは再び黒魔に向けられた。
「黒魔ぁ! 変な奴ら連れて来やがって、どういうつもりだぁ! そんなに俺が憎いのかこの野郎ッ」
黒魔に向かって行こうとした父親の胸倉を戦士は掴んで押し倒し、思い切り殴ろうとした。もう殴ってやらなければ気が済まなかった。
「違うの、ぼくが悪いの!」
いきなり黒魔が叫んだ。
「ぼくが悪い子だから、お父さん怒っただけなの」
父親を庇うように戦士を止めた。
何故止めるのか分からない戦士はただ困惑していた。それが当たり前の正義だと信じて疑わなかった。
沸々とモンクは怒りを感じていた。暴力を振るわれながら、あくまでも黒魔は父親を信じていた。自分を愛していると。そんな優しい健気な黒魔が不憫でならない。
父親もまさか黒魔が自分を庇うとは思わず、信じられない顔をしていた。ずっと殴っていた張本人だと言うのに。
「っ、出てけ! おまえなんかもう知らねぇ!」
父親は黒魔を突き放した。
黒魔はショックを隠しきれなかった。まだ信じていた、信じたかった父親に裏切られた。
「お、父さ」
「何処でも勝手に好きなトコに行きやがれ。二度と帰ってくんな!」
「おうおう、こっちこそ好きにさせてもらうぜ」
気を取り直した戦士は震える黒魔を抱き上げ家から出て行った。
赤魔は項垂れる父親を見下ろした。
「……あなたは人として恥ずべきです。あなたに黒魔の父親でいる資格などありません。ですが……人としての優しさを全て失ってはいなかったのですね」
黒魔に庇われた事で、父親の中で意識が変わった。これからも自分と一緒にいては暴力を振い続けてしまう。決して幸せになどなれない。それならいっそ手放した方がお互いの為だと、それが父親としての最後の愛情だった。
「……うるせぇ。テメーもさっさと失せな」
「黒魔は私達が立派に育て上げてみせます。では」
不器用な父親の愛情表現が暴力だったのかも知れないと、皮肉にも思いながらモンクは一礼して外に出た。
「何してたんだ?」
モンクを待っていた戦士は泣きじゃくる黒魔をどう慰めようか困り果てていた。
「いいえ何も。さあ行きましょう」
モンクはニコニコしながら黒魔の頭を撫でた。
「今日から君は私達の仲間です」
「なか、ま……?」
俯いていた黒魔はモンクを見上げた。顔は真っ赤で涙でぐじゃぐじゃであった。成り行きな出会いであったが、それもまた運命。立派なパーティの一員だ。もうこんな悲しい思いをさせたくはない。
「私も戦士も黒魔と一緒に旅をしたいのです。一緒に来てくれますか?」
黒魔は必要とされる嬉しさを感じた。暫くして黒魔は決意し頷いた。断ち切らなければならないと幼いながら悟っていた。
「良かった」
「んじゃ、ほら」
戦士がおぶされと屈むと、黒魔は泣き腫らした目を丸くした。
黒魔の記憶が蘇る。
優しかった、父。
笑顔でおんぶしてくれた。
一緒に遊んでくれた。
母が亡くなる前の温かな思い出。
戦士が父とダブる。
また、涙が止まらなくなった。
「そろそろお昼ですね」
「そういや腹減ったな」
思い出したように言う二人。黒魔も腹ぺこだった。
「黒魔は何が食べたいですか?」
「え……っと、ね」
「遠慮すんなよ」
大好きなおんぶで戦士の温もりに揺れながら、黒魔は初めての笑顔を見せていた。