鼻孔を擽る焼き魚の香ばしい匂い


小刻みに奏でる包丁とまな板のハーモニー



なんて家庭的な香りだろう。

家族なんてとうに捨ててきた臨也だが、この無機質な部屋に不釣り合いな家庭臭さは嫌いでなかった。



(はら、減ったな)



重たい瞼を気怠げに擦りながら、のそり、とソファから上半身を起こした。



「あ、臨也さん。起きたんすか?」



こちらに気づいた紀田正臣がシンプルな黄色いエプロンで両手を拭いながら近づいて来る。

きょとんとしたあどけない顔。

いたいげな中学生を自分の元まで堕とそうとしている自分は、我ながら悪い大人だなぁと思わず口端を上げてしまう。



「っ」



いきなりの額への衝撃。

それが正臣からのでこぴんだと気づいた時には、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。

思わず心の中を読まれたのではと若干焦ったが、どうやらそうではないらしい。



「何日寝てないんです?この分だと飯もきちんとしたもん食ってないっしょ」



ああ、どこまで間抜けで愛しい自分の人間。

思わず漏れた穏やかな笑みを見られないよう、頬にキスを送った。


「……俺が惰性を貪るのは、君に世話されたいからかもしれないなぁ」

「なっ」

「あ、正臣くん照れてるの?」



にやにやと肘をついて微笑むと、正臣は顔を真っ赤にして台所へ戻っていく。



「へ、変なこと言ってないでさっさと食べちゃって下さいよ」



(案外嘘でもない気もするけど)



そんなことを思いながら、いつの間にかかけられていた毛布をするりと端に寄せ、正臣の後を追う。

そこには懸命に味噌汁に入れるであろう大根と格闘している背中。
ぴくぴくと震える肩甲骨がやけに愛しくて、思わず後ろから抱き締めていた。



「ちょ、……邪魔しないで下さい」

「……危ないなぁ」



正臣の右手から向けられた鋭い刃先に冗談っぽく両手を上げる。



「次やったら刺しますよ」


「………刺してごらんよ」



そう言ってまな板へと向き直した正臣の両脇から腕を差し込み、左手を押さえる。



「!!」



隙を逃さず、得意の早業で絆創膏が巻かれた指に、ポケットから取り出したあるものを通した。

そのまま耳元で甘く囁く。




「……はっぴーばーすでぃ」




薬指に輝くは、シンプルなシルバーリング。

臨也の人差し指に付けているものとお揃いだ。


正臣の左手は包丁による刺し傷がいっぱいで。

自分のために料理の勉強をしている、なんて自惚れではないはず。



「いざやさん…これ…」

「お守り」

「おまもり…?」

「これを装備した正臣くんは3つの魔法がかかります」

「3つ?」



くるり、とこちらに身体を反転させ、正臣の腰を抱く。

頬を赤く染めた琥珀色の大きな瞳を見つめながら指を突き立てた。



「ひとーつ、これで相手を殴れば攻撃力が増します」

「……そ、そりゃあそうですけど…」



いきなり何を言い出すかと思えば、と呆れ顔の正臣が続きを促す。



「ふたーつ、これは俺とお揃。つまり……」

「ある程度知識のある奴なら、臨也さんがバックにいることがわかる」

「そ。そしてみっつめは…」

「…っ」



二つの指輪を重ねて恭しくそこに口づけた。

やんわり香る銀の独特な匂いに口を開く。





「君は俺を忘れられなくなる」





「……っ、」


「さ、ご飯にしようか」







そう、

この時は

このまま穏やかな時間が続いてもいいと思ったんだ―――…












「もう、いりません」




同じ部屋、同じ空間なのに



俯いて見えない顔


泣きそうに震える声



わかってた


はずなのに




「君にあげたものだよ。返されても困るなぁ。」



ブルースクエアとの一件後、正臣はすぐさま臨也の部屋に飛び込んできた。


別れの言葉を持って。


頭をかきながら渡されたシルバーリングを指で弄る。



(返されてもなぁ)



「いらないなら自分で…」

「いりま、せん…っ」



正臣は涙を零しまいと眉を寄せて睨みつけながら指輪ごと臨也の手を払う。



予想外、だった



結局、捨てられないのだ




正臣も




自分も







「……三つめの魔法はまだかかったままだよ……」






二つの指輪は未だ



人差し指に輝いたまま―――…








そのだけが知っている
これを見るたび思い出して







HAPPY BIRTHDAY 正臣!!


企画提出作品です。
愛しの将軍様


題名は友人に薦められた某書からお借りしました。




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