緑間真太郎は猫を飼いはじめた。
「テツヤ、テーツヤ。ほら、これが俺のテツヤっす!」
「わんっ」
眉をひそめる緑間に、やっとこさコミニュケーションが取れるようになったばかりの愛犬テツヤを両手で抱えて見せつける。
テツヤも返事をするかのようにわんとひと吠えすると、緑間は露骨に嫌悪感を顕にしてしっしっと手を振って追いやった。
「ちょ、うちのテツヤに何するんスかー」
「犬はリアカーに小便するから嫌いなのだよ」
「…………………」
「……………なんだ?」
「じゃあ、その頭の上の生き物はなんなのかなぁって…」
おそるおそる指をさした先の緑間の頭の上には、何故かテツヤと同じくらいの大きさをした可愛らしい黒猫がぶら下がっていた。
「にゃー」
尖った琥珀色の瞳に、しなやかな身体を覆う思わず触りたくなるような艶やかな漆黒の毛並み。
黄瀬と視線が合うと、黒猫は不思議の国のアリスのチャシャ猫を思い出させるようなにんまりとした笑みをこちらに向けた。
…………どことなく彼の相方に似ている気がする。
「いきなり家に入りこんできて、居候しているのだよ」
げんなりとしつつも可愛がっているのだろう。
何かと不可解なラッキーアイテムを身につけている彼だったが、今その手には『猫のしつけ』と書かれた本がちゃっかり握られていた。
どうやら彼も最近猫を飼いはじめたらしい。
「あれ、高尾くんと同棲し始めたとか言ってなかったっけ?」
「同居だ、ルームシェア!!………ちなみにあの馬鹿は喧嘩して家をとびたしたっきり帰って来ない」
「え…それってまずくないっスか?」
「お、俺にはこいつだけいればそれでいいのだよ!」
ぎゅーと腕の中で抱き締められた猫が苦しそうに手足をバタつかせているが、緑間は全く気づいていないようだ。
「ふん。お前こそなんなのだ、その犬の名前は。ドン引きなのだよ」
眼鏡を指先で押し上げながら軽蔑した眼差しを浮かべる緑間に、便乗したように黒猫も「なーう」と鳴き声をあげる。
なんだこの息の合ったコンビは。
「仕方ないじゃないっスか…この名前しか反応してくれないんだから」
まず名前を決めようと試行錯誤して人気な犬の名前ランキングを順々にで呼んでみた結果。
『どれにしよっかなー。えっと。チョコ、ラッキー、ココ、マロン、レオ、モカ、ポチ』
『……………』
『………………………テツヤ』
『わんっ』
どの呼び名にも全く反応を見せなかったのに、冗談のようにその名前だけにテツヤは返事をした。
運命というかなんというか。
呼びたくても呼べなかったその名前を日常で連呼するようになるとは本当に不思議な因果だ。
報われない可哀想な自分に対する、神様からのプレゼントだと思うことにした。
「ほお、お前にしては珍しいな。こいつをダシに黒子の奴に会いに行ってると思ったが」
緑間が腕から猫を下ろすと、猫は離れがたいように彼の足元に頭を擦り寄わせる。
その光景が今の黄瀬にとっては微笑ましくも恨めしい。
「………緑間っちはどうしてそうわざわざ俺の傷を抉るっスかね?」
テツヤは緑間が連れてきた猫と意気投合したのか、じゃれあいながらどこかへ行ってしまった。
猫と犬でも仲良くなることがあるのか。文字通り犬猿ではないし?
「振られたという話は本当だったのか」
「わーわーわー! 聞きたくない!! いーんスよ。俺にはテツヤがいるから」
「寂しさを犬で紛らわそうとするとは。悲しい奴め」
(ものすっごく同じ言葉をそのまま言い返してやりたいんスけど…!)
すました顔に飛び出しそうになった拳を、なんとか総動員させた理性によって抑えた。
まぁ、人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られてなんとやらだ。
「ほんとに黒子っちに似てるんスよ…俺に冷たいし、体力ないし、バニラシェイク好きだし、俺に冷たいし」
「犬にそんなもの飲ませていいのか…?」
「つっこむとこそこ?!」
「というかそもそもあいつはオスなのか? 」
「あー、ちんこついてたっスよ。見ようとしたらここ一番噛みつかれた」
ほらすごい噛み跡っしょ、と捲った黄瀬の腕には、それは綺麗な歯型がくっきりと残されていた。
「トイレだって………」
『あれ、テツヤ?』
『そこじゃ出来ないから、ここだよ』
何度犬用のトイレに案内しても人間が使用するトイレの前に立ってガリガリと扉を引っ掻いて開けようとする。
仕方なしに扉を開けば、テツヤは人間を真似てか便器で用を足そうと身体を乗り上げているのだから笑ってしまった。
もちろん上手くできるわけがなく、ぼちゃんと派手に水の中に落ちてしまい。
結局便器の横にテツヤ用のトイレを設置した。
扉を少し開けておけば自分で入って用を足す優秀っぷりだ。
「なんか、俺が見てると嫌がるみたいなんスよねー」
「………まるでメスみたいだな」
「そうなんスよ。俺か家に女連れて来たときなんか三日も無視され続けたんだから」
「……………」
「嫉妬? 愛されてるっていうの? もうテツヤにとっては俺が全てなんだなぁって考えるのが幸せ過ぎて」
ーーーーーーがぶ。
「いたッ」
そこまで惚気たところで、やめろと言わんばかりにテツヤが黄瀬の足に噛みついていた。
全く、本当に彼のように影が薄いのだから。
「おい、カズ。カズ! そろそろ帰るぞ」
(か、カズゥ………?!)
緑間がそう呼ぶと、黒猫ならぬカズが呼ばれた名前を誇るように優雅に尻尾を揺らしながら後に続いた。
「…………………」
「……………なんなのだよ」
「………いや、高尾くんとはやく仲直りしなよ」
「…………余計な世話だ」
そうして緑間とカズは帰って行った。
(いいなぁ………)
同じように動物にアニマルセラピーを求める二人だが、緑間は黄瀬とは根本的に状況が異なる。
緑間が素直に手を伸ばせば、いつでもその腕に愛しい人を抱きしめることが出来るのに。
「くーん」
黄瀬の負の感情を悟ったのか、珍しくテツヤの方から黄瀬の足元に近づいてきてくれた。
「………慰めてくれる?」
黄瀬は寂しく笑いながら、あたたかくやわらかい生き物を腕に収めると、テツヤはぺろりとその頬をひと舐めした。
「………失恋ってどうやったら癒えるのかな」
ーーーーーーーーもちろん犬は答えない。
優等生とにゃんこ