「御内証?」




黒子が見たてた真っ黒な裃。

大広間を埋め尽くす色鮮やかな裃達の中、将軍桃井はそれを目に止めると、迷いもせずつかつかと黄瀬の前へと歩み寄って荘厳に口を開いた。



『其方、名は何と申す』

『………恐れながら、黄瀬と申します』

『しかと聞いたな、赤司』

『はっ』



名を問われること、それは夜伽のお相手をしろとの合図。

しかし桃井の言葉は行為の甘さどころか憎しみすら篭ったかのような低い声で発せられた。



(どうして?)



どたどたどた。

普段の彼なら考えられないほど大きな足音と共にその障子が開く。



「あ、赤司くん、黄瀬くんが御内証って…ッ」



青褪めて息を切らせる黒子に対し、赤司は「頭が高い」とその揺れる瞳を厳しい視線で射抜いた。



「ああ、そうだ」

「そんな平然と…っ、止めさせることは出来ないんですか?!」

「勘違いするな。決めたのは桃井だ」

「じゃあ桃井さんに…」

「身分を弁えろ。お前自ら会うことは叶わない。今まではあいつ自身が望んでいたからこそ実現したまでの事」



全く取り合おうとしない赤司を黒子が唇を戦慄かせながら睨みつける。

赤司の恐ろしいまでの先を見通し、人を動かす力。
黒子の中で真実が一本の糸に収束してゆく。



「君は非道だ…! 解ってて黄瀬くんを御中臈に昇格させたんですね…!」

「桃井は最初からお前を望んでいた。けれどそれが出来ない理由、お前が一番知っているだろう?」



出逢った時から黒子のことが大好きだった将軍桃井さつきが、決して夜伽の相手に彼を選ばなかった理由。


御内証が決まった後、やって来た黄瀬に赤司は淡々とその真実を告げた。
 


『―――――――内々に、お前は打ち首となる』

『……え…………?』

『御内証の方は初めて上様に夜伽を手解きするという重要な御役目であると同時に、お床で上様を破瓜し、そのお身体に傷をつける大罪人でもある。よって御内証の方は死なねばならない。何か申し立てたい言はあるか?』



衝撃的な事実だった。


でも何処かで、やはり幸せな時間なんかそう永くは続かないと冷めた目で見る自分がいて。



『…………いえ。………黒子っちに、いや他の人に俺の死は何と伝えられるんでしょうか』

『病死だ』

『………重ねて、大罪人の家として遊郭に類が及ぶということは万が一にも…』

『ない。遊郭には十分な見舞金が届けられることになるだろう。その事については僕が請け負う』



(だから、俺は)



「もう一つ、理由が出来たっスね」



声の先、黄瀬の存在に気づいた黒子がはっと顔を上げる。


先程より、何と無く清々しい気分でもあった。


俺の進むべき道。


愛しい人を守るためならば。



「きせ、くん……」

「俺が御内証になれば黒子っちは晴れて将軍の側室、次期将軍の父親になれるってことっスよね?」

「……ああ」

「赤司くん!!!!」

「やっと恩返しが出来る。この御役目、黄瀬が慎んでお受けする所存」



深々と頭を下げると、赤司は「今生の別れを済ますがいい」と言って部屋を静かに後にした。

二人だけが静まり返った部屋に残される。



「黄瀬くん、今ならまだ」

「それ以上言わないで。もういいんだよ、黒子っち」


「そんな顔をして笑うな!!!!」



必死に黄瀬に詰め寄る黒子。

やっぱり、彼の顔を真正面から見ると決心が鈍る。

緊迫した状況なのに自分のためにこんなにも感情を顕にしてくれることが嬉しくて、哀しい。



「黒子っち……」

「?」

「おもいでを……俺に、思い出をくれないっスか……?」



下男に施した頬への口づけなどではない。


(最後の、最後だから)


彼が拒めないのを知っていて、俺は最低な『お願い』をした。




「………ッ、…」



数年前、遊郭時代に与えれた輝かしい宝石達の中で、俺は一番それを気に入っていた。

小さいのに、持つとずっしりと掌に残る重み。

蕩けたべっこうのように甘い色をしているのに、実際に口に含むと硬くて冷たくて全然美味しくない。

自分が生まれる遥か遠い昔を懸命に生きていた生物を、当時の姿のまま永遠に閉じ込め続ける結晶。


その澄んだ琥珀色に、ちっぽけな俺という虫を中に留めておいて欲しかった。



「きせ、くん…ぁ、っ……」




人の唇に触られるという感触に慣れていないのだろう。

黄瀬が少しはだけた白い首筋に這わせると黒子は驚く程身体を震わせた。

その一回り小さな身体を自身の下敷きにして逃がさないよう縫い止める。

彼は怯えているに違いないのに、耐えるように歯を食いしばって以前のように突き放そうとはせず、背に腕すら絡めてくれて。



「くろこっち……」



彼が熱い吐息を零す間にも、黄瀬の唇は帯を緩め、袴を脱がし、下へ下へと下がってゆく。

鎖骨、乳首、肋、脇腹、臍の緒―――――――…

小さな灯火をその肌に残して。

生温かく柔らかい産毛の生えたその皮膚に、この行き場のない狂おしい程の気持ちが浸透すればいいのにと唇で食んだ。



「きせ、くん」



唇の愛撫だけで煽情的に紅く染まったその目元に、ぞくぞくと下半身に熱い痺れが広がってゆく。

愛しい人との触れ合いが、肉体に、心に、こんなにも快感を呼び覚起こすことを、俺は今まで知らなかった。


このまま彼を抱いて、抱き潰して、俺だけでいっぱいにして、息の根を止めてしまいたい―――――――…もう、自分以外の誰の目にも触れさせぬよう。


そんな、狂気にも似た。



けれど




現実の俺は、震える彼の綺麗な額に口づけをするのが精一杯だった。



「………ありがと、」



死にゆく自分の思い出に、なんて。

思い出が残るのは生きている人間だけだ。

彼を守るために引き受けた御役目。

それなのに、そんな重荷を彼に背負わす訳にはいかない。




「黄瀬くん!!!!!!」




彼の悲鳴に似た叫び声も、もはや自分の足を止める事は出来なかった。




(おれを、わすれないで)















大奥
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