眩暈がする。



「ちょっと、黄瀬くんきてください」

「なにー? おかえりのちゅう?」



酔っ払ってやがる。

的外れな質問をするへらへらした顔を引っ叩いてやりたい衝動を抑えて、腕をきつく掴んで風呂場まで連れてゆく。



(匂いが)


(不快だ)



嗅覚は記憶を刺激しやすいと聞くけれど。

この食道器官をせり上がってくる気持ち悪さは、もうパブロフの犬のそれに近いのではないだろうか。



「いった、うお、つめたッっ」



タイルに巨体を突き飛ばし、シャワーヘッドを掴むと迷いなく冷水を浴びせかけた。

彼は服を着たままだったが、そんなのは関係無い。

ただ勘に障るその甘ったるい匂いを洗い流したかっただけ。



「な、なにす、ぶっっ」



慌てる彼の反論を防止すべく顔面にそのまま勢い良く押しつける。

気の済むまで水をかけ終わると、やっとコルクを捻った。



「なに、どうしたんスかッ!?」



ワックスで整った髪は萎びて、濡れそぼった服からはぼたぼたと水が滴り落ちている。

戸惑ったように此方を見上げる彼には、僕が怒る理由なんて全く検討もつかないようで、腹立たしさは一向に収りそうにない。



「べつに、理由なんてありません」

「…………黒子っちは理由無しに恋人に冷水ぶっかけるんスか?」

「嫌ならべつに別れてくれて構いませんよ」

「………………」



普段の彼からは想像もつかないような重い沈黙。

言ってはいけないことを言ってしまっただろうか。

それでも知らなかったんだ。


こんなに嫉妬深く、醜い自分。


―――――――知りたくなんて、なかったのに。



「はぁ」

「………ッ」



大きくつかれた溜息に身体をビクつかせる間もなくひんやりとした冷た空気が全身を包む。

彼がそのまま自分を引き込んで自らの腕の中に収めていた。



「ちょ、」

「 ………言ってよ。俺はエスパーじゃないから黒子っちの怒ってる理由なんてわからない。酒飲んで来たのが嫌だった?」

「………………」



引き締まった胸板に額を寄せ、顔が見えないように首を振る。

流石にこの時期に冷水はまずかっただろうか。

包み込む身体は驚くほど冷たく、少しだけ震えていた。



「じゃあ、な、ん…ッっ」



理由を口に出来る訳もなく、そのまま言及してこようとする唇を己のそれで下から塞ぐ。



「……ッ、ふ……」



歯列を舌先でなぞって、くすぐったさに開いた中にさらに深く差し込んで。

触れ合う湿った粘膜だけがやけに熱くて、少しだけ酒臭が鼻を抜けた。



「んん…ッ、ちょ、誤魔化すなってば!」



(キス、好きなくせに)


名残惜しくも肩を押され強引に身体を引き離された。

今までの彼だった此処で流されてくれたのに。
幸か不幸か今の彼は鋭利な視線でこちらを射抜き、どうやら見逃してくれそうにない。





「………モデル、僕のために辞められますか?」





仕事と自分どっちが大事、なんて煩わしい女のような台詞。

自分のこの口を針で縫い合わせてしまいたい。


『はぁ? 何言っての?』


そう怒って欲しかったのに。



「ーーーー辞めればいいんスか?」

「………ッ、」



淡々とした低い声色にはっと息を詰める。

慌てて視線を逸らそうとするも、両手で頬を挟まれ、顔を固定されてしまって。

彼はもう僕から目を逸らさないし、怯まない。



「黒子っちのためなら辞める覚悟なんていつでも出来てるけど、そんな風に言われて辞める俺なんか、あんた望んでないだろ?」



じっと真剣な瞳で見つめられると、なんだか無性に泣きたくなって、でも今度こそこくんと素直に頷くことが出来た。

その動作にやっと彼の表情が和らぐ。



「だいたい知ってるんスからねー、黒子っちがモデルの俺好きなの。雑誌の切り抜き、こっそり全部集めてるっしょ」

「…………」

「俺があげるって言ってるのに自分でこっそり買うしさ。……嬉しいケド」



どうやら全てお見通しだったらしい。

なんだよ。急に一人だけ大人びた顔するようになって。


カッコよすぎて


―――――なんか、すごくむかつく。



「……信じられないなら、俺を閉じ込めてもいいっスよ。『一生捧げる』って寝物語で言ったんじゃないし、」

「んむ…ッ」



今度は彼の方から後頭部をしっかり押さえ、仕掛けてきた。

先程の口づけが子供騙しのように唇を強引にこじ開け、縮こまった舌をきつく吸い上げられる。



「は、…っん、やめ、…くる、し…っ」



これでもかと喉奥まで蠢く舌が中を蹂躙して。
呼吸を奪われ、えずいているのにさらに流し込まれる生温かい唾液。

そういえば彼は大量に酒を飲んでいとんだと気づいた時には既に遅く、毒つく余裕も無く腰が砕けた。



「…あ、も…ッ、わかった…から! ゆ、る…」



音を上げると、やっとしつこいぐらい舐めまわしていた唇が離れ、最後にお仕置きとばかりに鼻をがぶりと噛まれた。



「……怒ってるんですか?」

「…………黒子っちは知らないんだ」



先程の強引さとはうって変わって、泣きそうな声で今度は彼の方が頭を胸に埋めてきて。



「俺の覚悟がどんなものかなんて」



ぎゅうと力一杯抱きしめられて骨が軋む。

が、甘えられて、悪い気はしない。


しっとり冷たくなった髪に自分の頬を乗せ、互いの体温を分け合うように暫くそのままでいた。



(お風呂に熱いお湯張って)


(二人で入って)


(そしたら冷蔵庫に残ってるオニオングラタンスープでも温めよう)



――――――歩み寄る努力は必要だ。




なに、今度彼が知らない匂いを纏ってきたら




(首輪でも買って、本当に閉じ込めてやる)


















ふたりぼっち















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