「……い、て…ぇ…」




散らかっているのは野菜の皮だったりファーストフードの残骸。

路地に隠れた腐臭漂うゴミ捨て場で、紀田正臣は自分の痛む身体を半透明な袋の塊に預けていた。


(こんなにヤられたのは、久しぶりか…)


口の中は切れて血の味しかしない。胃液を吐き出した喉はひりひりとして水を求めるも身体はぴくりとも動く様子はなかった。

力の限り撲られた腹では息をするだけでも歯を食いしばる程の辛さで、正臣は機械的に浅い呼吸を繰り返す。



「は、…はっ、はぁ、…は、はは…ッ」



自然と笑みが零れた。

こんな仕打ちを受けたのにどこか清々しい気分なのは、あいつを守りたいという自分の信念を貫き通せたからなのか。





「……ひっどい怪我だねぇ」




この目の前の男から少しだけ解放された気がしたからなのか――…



「や」

「………どーも」



折原臨也は相も変わらずにこにこと笑いながら正臣の顎を掴んで傷を眺めた。



「意外。俺に助けを求めると思ったのに」



心底不思議そうな顔をする臨也を他所に、正臣はその手を振り落とす。

今彼の戯れに付き合える心境ではなかった。



「…俺は、あのときとは違う」



臨也を見据えるその眼差しに、迷いはない。



「あんたに助けなんか求めない」




パシッ



頬を張られて乾いた音が人のいない路地に響いた。

『彼』に、言葉以外の暴力を奮われたのは初めてだった。



「生意気なこと言うね。言っとくけど2月の寒空、朝まで放置されたら凍死だよ?……それに俺は今君に水をかけて凍えさせることも出来るし、ゴミ収集車を来ないように情報操作だって出来る」

「……そんなことしたら臨也さん殺人犯ですね。ざまぁみろ」



喋るだけでも苦しいのに話し掛けてくるなよ。

別にこのまま死んでしまう可能性なんて考えてもいなかったが、だからと言って臨也の手を借りる気は毛頭無かった。


誰が、同じ轍を踏むものか。



「なに、その目。気に食わないなぁ」



臨也の切れ長の瞳が更に細くなって機嫌の悪化を示す。

しかもいつもへらへら浮雲のように掴み所のない彼が今放つ空気は、剣呑。



「…ッ、ちょ…」



先に動いたのは臨也だった。

正臣のフードの首根っこを掴んで乱暴に引きずる。
立つことも出来ず首の圧迫感に咳込みながら正臣はされるがままに引きずられた。
この人にこんな腕力があったことに驚きだ。


着いた先は公衆便所。



「ちょ、あんた…何考えてんすか…ッ」

「……なんだろうね。俺、今酷く暴力的な気持ちなんだ」

「は、ぁ…ッ…!」



無理矢理個室に押し込められる。

その言葉の指す意味。

目の前には大便用の便器が。



(まさか…)



頭を過ぎった一つの予想は期待を裏切ることなく正臣に現実として襲い掛かった。



「はぁ、…ぁく、ぶッッッッ」



顔面が便器の中の水に落とし込まれる。


(なんだ?!)


なんで、どうして、なんて。思考回路は生命の危機に直ぐ様途絶えた。

いきなりのことに上手く息を止められず水を思いっ切り飲み込む。


口からも、鼻からも。


便所の中の水を飲んでると思っただけで吐き気が増した。


(苦しい苦しいくるしいくるしいクルシイ!!!!!!!!!!!)


身体の傷を負わせた奴らならこんなこともしそうなものだけれど。

明らかにしそうで無かった彼にされるのとでは正臣も覚悟が違った。


余りの苦しさに無我夢中で暴れるも、器用に頭を押さえられ、もう駄目かと思うと水から顔を離すことを許される。



「ぐ…ッ…、ぁ、げほォ、げほッッ、ぐぇ」



しかし少し息を吸っただけでまた元のように沈められての繰り返しだ。


水責め、と言うのだろうか。

古代太古から行われてきた拷問の一種。

彼は経験したことがあるかのように正臣を気絶させない程度に息が続くギリギリで出し入れを行った。

数十秒、いや、果てしなく長く感じた時間の中で、俺は知っていたはずの呼吸を止められるという苦しさを嫌という程味わった。



「…は、ッ、げぇ、けほ…ッ、ッ…」



咳が止まらない。なんとか酸素を取り込もうとして嗚咽だけが漏れた。

身体が痛いことなんて既に頭は忘れ切っていて、体力は限界。

髪はシャワー上がりのようにびしょびしょで、心臓だけが異様に鼓動を鳴らし、身体は徐々に底冷えしていく。

それでも惜し気もなく正臣は便所の床に身体を預けた。



「な、んで…?」



やっと呼吸らしい呼吸が出来るようになり、相手に尋ねる。

涙と水と身体に残る恐怖で自分を襲った臨也の顔が上手く見れない。

お喋りの得意な彼が、行為の時は一度も言葉を発しなかった。


「あんたは、こんなことして…ッ、俺にどうして欲しいんだ……一度放り捨てたくせに何求めてんだよ…!」




泣きたいのはこっちの方なのに。




「……さぁ、何だろう…」



何も言えなくなってしまったのは彼がほんの一瞬、見過ごしそうなその一時に、どこか泣きそうな顔をしたから。


24にもなって


置いてかれた迷子のような



(このひとは、)


(かわいそうなひとだ)



そんな憐れみを見透かされたのか、またもや躊躇なく汚水に顔を深く沈められるのであった。






愛、哀、アイ
帰ったら、二人で熱いお風呂に入ろう

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