「正臣、身請けが決まったよ」
なんのことはない。
いつも通り客を取った後部屋に入ってきた臨也は、その決定を業務連絡のようにあっさり告げた。
「え…?」
湯浴みをする前の精液や香油まみれの正臣は、腰の痛みも忘れて唖然とする。
「身請けって…」
身請けとは男娼が客に一定の額で買われることだ。
勿論その金額は法外だが、若い頃ならまだしも、いつまでも遊郭にいられるはずもなく、大抵の男娼は身請けされると喜んで出て行った。
しかし、それとはほど遠い表情で、正臣は唇をわななかせている。
「だれ、が?」
「四木さん。どうやら君を気に入ったらしいよ。よかったじゃない。借金も肩代わりしてくれるって」
臨也はご満悦だとばかりに猫のように喉を鳴らした。
四木はよく臨也を訪ねて来る粟楠組の幹部だ。
つり目で爬虫類。
敵は容赦なく排除する一方で、ただ意味も無く暴力を奮うような男ではなく、理性的で狡猾。
そして大人だ。
正臣を買うには何か利用価値があるということで、おそらく今までの生活とは大差ないだろう。
けれど、正臣にとって相手は誰だろうと関係なかった。
そう。
喜ばしいはずなのにこの脱力感は何だ。
「明日には引き取りに来るみたいだから、用意しといてよ」
そう言って正臣の肩を軽く叩くと、臨也は静かに部屋を出て行った。
バシィッ
思わずその襖に向かって枕を投げつける。
(なんだよ…ッ)
悔しい
虚しい
暗い海の中を一人漂うような絶望と孤独に苛まれる。
何処かでプライドを持っていた。
この職業に。
いや、鷹を括っていたのかもしれない。
この職に就いている限りは、彼が自分を売るはずがないと。
彼にとって少しは特別な存在ではないかと。
それがどうだ。
あっさり俺は捨てられた。
捨てられる存在だった。
(殺してやる)
お湯が一気に沸騰するように沸き上がる殺意。
俺をこの道に引きずり込んだくせにあっさり見捨てるなんて許さない。
そうだ、俺はあいつを殺してやるために今まで生きてきた。
懐に入った短刀の形を右手でぎゅっと掴んで確認すると、正臣も部屋を後にする。
向かう先は一つ。
紅の剥がれ落ちた唇を噛み締めると、赤い鮮血が新しい紅のようだった。
三日月の夜に