お洒落の方程式 | ナノ

「着てみた?見せてくれる?」

「う、ん」

「少し色が濃すぎたね、もっとダルトーン系にした方がいいかも。これなんてどうかな」

「氷室さんがそう言うなら、私それにするわ」

「じゃあ、これで決まりだね。信頼してくれてありがとう」



後輩ちゃんの結婚式に出るために旧友の氷室さんへどのドレスを着ていくか決めてもらっていた。なかなかのセンスを持つ彼に私は舌を巻いた。選んでくれたドレスを着てみて鏡を見てみる。鏡に映る私の姿は、どこかあどけないような感じがした。落ち着いた色のパーティードレスを着用してみたはいいが、髪の毛と化粧をしていないので見窄らしい。

ベッドの上に散乱している様々な色のドレス、煌びやかなアクセサリーにピンヒール。どこから出したのかわからない雑誌も重なっていた。あれ、私の物だっけ?今は夜中、私たちは一体昼から何をやっていたのかを物語っている。


椅子にかけていた彼は徐に立ち上がり、私の肩に手を置いて鏡越しに笑いかける。端正な顔立ちの彼が笑うと釣られて笑顔になってしまう。口角が上がるのを抑えて私は鏡のむこうにいる彼の瞳を見た。


「化粧、してあげる。座って」

「うん」

「…相変わらず、口数少ないね。それとも久しぶりに会ったから緊張してる?」


返答に困っている私を見かねて、彼は苦笑を浮かべ「まあ、いいや」と言った。本当は、彼は私に何と答えて欲しかったんだろう。胸に痼りを残して促されるままに座って待っていると彼は、片手にストロー付きの飲み物を持ってきた。
喉が渇いたと一度も言っていないのに、それとも、彼自身のため?


「あれ、オレンジジュース嫌いだった?」


目の前に差し出して、首を傾けている彼は私の返事を待っていた。これは、私に言っているんだ、そのことに気づいたのは後から。この場所にいるのは私と彼だけなのに、何故か忘れてしまう。それほど、彼と一緒にいることが心地いいらしい。

焦りながら私は首を横に振って、平気だと伝える。


「ううん」

「じゃあ飲んでて、ドレス片付けておくから」

「っそんなこと」


そんなことをさせては悪いと思って、私は立ち上がって彼の手首を掴む。うわ、細い。私より細いと思う、折れちゃいそう。顔を上げると彼は、少しだけ驚いたように目を見開いて顔を徐々に赤く染め上げる。何を恥ずかしがることがあるんだろう、話を聞こうともう少し顔を近づけてみるが、彼から後ろへ一歩引いている。気持ち悪かったかな、私。


「いいの、座ってて。俺も俺で、落ち着きたいから」


落ち着きたいって…今日に限って氷室さん、変だな。

座ってもやることがないから、彼の動きをオレンジジュースを飲みながら見ていると何度か彼と目が合う。高校時代と変わらない、華奢な背中。もう、いい年した男なのにどうしてこんなに若々しいんだろうか。
まあ、恋愛に対して彼の方が充実してそうだからな。納得納得。私はもう壊滅的。そろそろ考えたほうがいいかもしれない。後輩が結婚するのに、結婚前提に付き合っている男性もいないって、これは結構…辛い。


はあ、っとため息を付いてオレンジジュースをすする。同時に、いきなり動きを止めた彼は私と向き合う。


「ねえ、そんなに見られるとやりづらいんだけど」


気分を害したわけでもない彼の表情に合わない言葉に、どう、反応するべきかわからなくなった。子供っぽい後輩と違ってわかりにくいところが多い。取り敢えず、彼に謝っておこう、そう思って小さく頭を下げる。


「ごめん」

「謝るのは君じゃないよ、ただ」

「?」


何か言いかけた氷室さんは悲しそうに笑った。時折見せるその泣き出しそうな顔、懐かしいと思ったら失礼だな。

でも、昔からよくあったこと。

儚げで、どこか遠くの一点を見つめている彼はきっと心の中で誰かを思っている。
私はじっと彼の瞳を離さないように見ていたら、首を横に振って、私の部屋の中を熟知している彼はクローゼットの中にドレスをしまいこんだ。


「…ううん、なんでもないよ、ドレス一通りクローゼットの中に入れておいたから。じゃあ早速、化粧しようか」

「よろしく」


椅子に座り直して、彼は近くにあったもうひとつの椅子に座ってひとつ、化粧道具を取り出した。繊細な手つきで、きっと彼は私の顔を変えてくれると、思っていると、ぽつりと隣で彼はつぶやいた。こんなにも近くにいるから、それくらい聞き取れる。

「ううん、平気」と、言ってみたら彼はまた、ひとつ悲しい顔をする。私と一緒にいるのがそんなに嫌なら、やめてしまえばいいのに。心の中で毒づいた。そういや、旧友なのにどうしてこんなに親身になってくれるんだろう?


「俺にとっては、そこは恥ずかしいって言って欲しかったな」

「…そう?」

「うん、こっち向いて。そうそう、そのままじっとして、動かないで」


そっと私の頬に手を添えてはれもののように扱う彼は、どこか、寂しそう。私に、埋められないもの、それは彼の寂しさ。悲しさ。どうしていいかわからない。氷室さんはそのまま吸い込むように頬から目の横まで。何度も優しく撫でつける。こんなに距離が縮まったのって初めてかも。それなのに動揺しない自分がおかしい。


「氷室、さん?」

「このままチークを施してしてしまうと、君はもう、俺のものになった気分だよ」

「氷室、さん、どうしたの?お酒でも飲んだの?」

「お月様のように無垢で、綺麗なその頬を、手に入れたい」


「片思いでもいいから、もう俺のこと好きになってよ」そう何度も私に言う。そうか、彼は今まで私を見ていたんだ。気づかない私も図太い神経してる。お月様とチークのおかげで私は彼の気持ちを知ることができたけれど、いい答えを返すことはできなかった。