息がかかるほど近くに、あの綺麗な男の顔がある。その右頬はすっかり赤くなっていた。
装いの派手な男はぎろりと私を睨んだ。顔が整っている分、余計に凄味を帯びて迫力がある。
「てめえ…、俺の商売道具になんてことしてくれんだ?」
「ご、ごめんなさい! 叩くつもりはな、」
「助けてやった礼がこれか?」
目が剣呑に細められる。私はぐっと言葉に詰まった。事故だったにせよ、助けてもらったことは事実だ。
顔が商売道具というからには、役者か何かなのだろう。瓦版で見かけたことはないが、この羽振りのいい小奇麗な感じはよほどの売れっ子なのかもしれない。その男の顔を殴ったとなれば…。そう考えるだけで血の気が引いた。
「――おい、聞いてんのか?」
「き、ききき聞いてます!」
「――っ、 長! ど、 に、…くつもりで !?」
「ん、 ? ち、 っとそこ、…で」
足音と共に、話し声がこちらに近づいてくるのが分かった。派手な男の肩が小さく跳ねる。
――今なら、逃げられるかもしれない。
私は僅かに首をもたげる期待にほっと息をついた。――が。
「残念だったな。世の中、そんな甘くねえ」
「――へ?」
「おとしまえはきっちりつけてもらう」
間抜けな私の声と共に、視界が陰った。グイッと何かに体を引き寄せられる。
――たくさんの花に囲まれているかのような、この香り。そして、肌触りのいい、夕暮れ色の布。
私はこの派手な男に肩を引き寄せられ、はたから見れば、まるで仲の睦まじい何かのような風情で呆然と立ちすくんでいた。そしてそのまま、派手な男にずるずると引きずられていく。
なんて、あっけないんだろう。声の主たちが近くにいるのに、私は声を上げることすら出来なかった。
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「ちょっと、狼隊長! いい加減にして下さい! こんな脇道に何の用があるっていうんですか!」
「……気のせい、か…?」
後ろからぜえぜえと息をつく鉄に、狼は辺りを見回して首を傾げた。確かに、先程まで不穏な気配があったのだが。
「隊長?」
「いや、なんでもない。鉄くん、帰りにちょっと寄り道…」
「――却下です」
「梅屋っていう酒饅頭の有名なお菓子屋さんがあ、」
「却下っていったら、却下です!!」
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