サクリファイス



たぶん、二日酔いのせいだと俺は思った。昨夜は本当に浴びるほど飲んだから、自業自得だとも思った。だから、何気なく服の袖で額を拭おうとして、手に濡れた嫌な感触があっても危うく流すところだった。

ぬるりとした不愉快な手に付いたそれを、俺は頭の鈍痛と戦いながら確認した。


――紛れもない、それは血だ。


その瞬間、一気に目が冴えた。無意識に体に巻きつけていた布団を引き剥がし、慌てて洗面所へ向かう。それと同時に、気が付く。


――腕が、いや、体のどこと言わず、全てが痛い。関節が軋むというか、何というか。


俺は特に痛む左足を引きずりながら、何とか鏡の前に立った。そして、絶句する。

赤く腫れた頬に、目の青痣、至る所に打ち身がある。そして、極めつけは血のにじんだ無数の切り傷と擦り傷。……俺の手に付いた血は、まず、俺自身の物で間違いなさそうだ。

俺は必死に昨日の記憶を呼び起こした。一体、昨夜、俺はどこにいて、何をしたんだ? ところが、鈍い痛みに思考が邪魔され、なかなか思い出せない。――非常に不愉快だ。


苛々した俺は、とりあえず手当てをしようとリビングに戻って、そのまま文字通り固まった。


――コソドロが荒したんじゃないかというほど物が散乱したリビングの中央の隅のソファに、ありえないものが座っていた。

「……だ、」

俺は口をパクパクさせて、瞠目した。


――ぐしゃりと丸まったタオルケットから覗く、白い、人間の手足。


それもまた、俺と同じように傷ついて可哀想なほどに腫れていたが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。俺は慎重に、だが、素早くタオルケットをそのなにかから引き剥がした。

大柄で割と鍛えている俺と比べるしかないせいか、そいつは酷く小柄で痩せて見えた。子どもというには酷く大人びているが、大人というにはまだ早い、そんな微妙な年頃の少年だ。

完全にその場に立ちすくんだ俺の前で、少年の目がうっすら開いた。俺をとらえる深い青色の目が苦痛を訴えていた。


俺は反射的に屈みこみ、少年の白銀の前髪をかき上げて額に手を乗せた。ぎくりと怯えたように少年の体が震えたが、抵抗する力もないのだろう。苦しげに息を吐くだけだ。

少年は、酷い熱を出していた。よく見れば、体の傷も俺と比べ物にならないくらい酷い状態だ。


「……はあ…」

俺はため息をついて、テーブルに投げ出してあった傷だらけの電話を手に取った。何が何だか全く整理出来ないが、まさか追い出すどころか、見殺しにすることも出来ない。

俺は電話帳から知り合いの闇医者の番号を呼び出すと、躊躇いつつもそこへかけた。

ワンコール、ツーコール。


「――やあ、久しぶりだねー!」

やや間が合って、笑みを含んだ声が耳朶を撫でた。癇に障る、こいつの声が俺は嫌いだ。


「……診てもらいたいやつがいる」

「えー? ボク、高いよ?」

「さっさと来い」

俺は一方的に通話を切った。元々、闇医者の治療代は法外ではあるが、あいつはまだ安い方だし、ヤブに診られるずっといい。


「……さて、」

棚から救急箱を出し、小さな傷に消毒液をかけながら、俺は少年を見下ろした。先程まで開いていた目は固く閉じられている。意識を失ったのかもしれない。


未だ昨夜の記憶ははっきりしない。断片すら思い出せないのがこれまた情けない。

俺はやれやれと頭を掻いて、ため息をついた。







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