「……俺は…っ、」



――必死に振り払おうとしても、しつこいほどに脳裏に響く…。




『……しのは、オメエが火消しをやめることを望んでた』


『……ここを逃したら、オメエはずっとこのままだ。――それだけはあっちゃならねェ』




―――今日をもって、オメエには火消しを辞めてもらう。




しの姉が死んだ。
――だからこそ、神城は弥兵衛の側にいなければならないと思ったのだ。



……しの姉の代わりに。




どん、と正面から誰かとぶつかった。勢いよく、後ろ側へひっくり返る。
「い、ってえ…!」
「あ、悪か……、って、神城じゃねェか」こんなところで何してるんだ、と聞き覚えのある声に顔を上げた。目を丸くして立っているのは、あの右頬に傷のある男だ。確か…、狼といったか。


「べ、別に…」口ごもりながら急いで立ち上がり、服についた埃を叩いて落としていると狼がにやりと笑った。それに気付いた神城が怪訝そうな顔をする。


「……な、なんだよ…」
「いや、なんでもないなんでもない。――で、いつ顔を見せに来るんだ?」
「はァ?」神城の声が裏返ったのを見て、狼が首を傾げた。


「ん?弥兵衛さんから、聞いてないのか?」
「……頭から?」ピン、ときた。まさかとは思うが…。――恐らく、弥兵衛はこの男に自分のことを頼んだのだろう。


とりあえず、面倒なことになりそうだと思った神城が逃げ出そうと構えたのを見て、狼がぽん、と手を打った。
「――ああ、成程。そういうことか」



言い終わらない内に、素早く神城の腕を掴む。そして、後ろに呼びかけた。
「さて、と…ちょっと、鈴鳴くーん」
「なっ!は、離せよ!おいっ!」じたばたと腕をがむしゃらに振り回しても、全く効果がない。ため息まじりの声がする。
「こらこら、暴れてくれるなよ…。――お。鈴鳴。悪ィが黙らせてくれ」
「……分かった」
「――は?」何が?と振り向きそうになった瞬間、



――長いため息と、

共に風を斬る音が響いた。



――ガツン、と首の後ろに衝撃が走る。ぐらり、と視界が歪んで暗転した。


おいおい…、少しは加減しろよ、という呆れた声を聞きながら……







『――あんたは、』

『運が良かっただけ』




……生きてていいの。


あんたは、ちゃあんとまっとうに生きてるんだから。




そう言って、いつも自分の隣にいてくれたしの姉は、――優しい自分の義姉は、


もういない……














………………………………………



「ただいま。――で、意識は戻ったか?」と小さな風呂敷包みを手に散歩から戻った狼が、戸を背に板間の上に座っている鈴鳴の傍らに立った。それを不機嫌そうに見上げた鈴鳴はため息まじりに答える。


「まだだ。……あいつ、大分うなされてるみたいだな」鈴鳴が戸を見やった。部屋の奥で気絶した神城を転がしてある。最初は、罪人よろしく、す巻きにしていたのだが、今は半纏を上にかけてやってある。


「ま!誰かさんが加減もなしにぶん殴ったからなー、うなされもするさ」
「……、それは…」
「嘘。冗談だ」狼がにやりと笑うと、鈴鳴が渋い顔をした。一応、反省しているらしい。



小さく笑いながら、狼が戸に手をかけ、呟いた。
「ま…、うなされもするか…」
「?」


鈴鳴に向き直り、戻ってくれと狼は告げた。
「見張り、ご苦労だったな。後は俺に任せとけ」
「……ああ、わかった」怪訝そうに首を傾げながらも、鈴鳴は後にした。それを見送り、狼は息をつく。風呂敷包みを持ち直し、そっと戸を開けた。





――掛け軸も何もない、薄暗く殺風景な部屋の真ん中。


身体の左側を下にして、神城は畳の上に転がっていた。時々、何かを呟いては身体を揺らし、びくり、と手足を痙攣させている。戸の隙間から射し込む光が、神城の汗ばんだ額を照らす。頬が濡れていた。


「……」




……゙あの日゙の悪夢か。


それとも、義姉を失った哀しみか。




どちらにしろ、神城にとっては酷な話か…。




後ろ手に戸を閉め、狼は静かに神城を見下ろした。



……狼は、知っている。



黄泉の大火の事の次第も、最近起きた、かの不幸も、全て。




狼は苦笑まじりで、呟いた。
「――やれやれ。頼まれちまったからなぁ、」……お前の頭に。襟足をかいて、風呂敷包みを脇に置いた。





しのが死んだ後すぐ、弥兵衛が疾風隊の本部を訪れていた。いきなり、どうしたんだと呑気に尋ねた狼に、弥兵衛はすっかり窶れた顔で頭を下げたのだ。




『もうあいつは、俺達といるべきじゃねェんだ』


『これを逃したら、一生あいつはこのままだから』


『あんたにしか、頼めねェ…、いや、あんただからこそ頼む…』



真っ直ぐに見つめる彼の目から、ぽとり、と滴が落ちた。





―――あいつを…、゙自由゙にしてやってくれ。






「………ま!約束したからには、俺はやる男だからな…」狼は肩をすくめ低く笑うと、足先で神城の腹を小さく小突いた。
「…んにしても、そろそろ起きてもらわなきゃ始まらないし、と。――神城くーん、起・き・ろ」数回腹を小突くと、神城の手足がぴくり、と動いた。口からうめきが漏れる。もぞもぞと半纏の中で見じろきすると、突然、がばり、と勢いよく飛び起きた。


「よ、おはよう」元気かい、と狼が手を上げ挨拶すると神城がその胸ぐらを掴んだ。慌てて濡れた頬を拭うと、ヒクヒクと顔が引きつらせた。まあ、かどわかしまがいに連れてこられたわけだから、当然といえば当然だ。



「……テメエ…、……ぁあり…?」こてん、と神城がひっくり返った。額に手を当て、何かに耐えるように眉間に皺を寄せている。乱れた襟を正しながら、いっそ涼しげに狼は言った。
「んん?目眩でもおきたか?ま!自業自得だな。鈴鳴の手加減なしを受けて気絶してたっていうのに、いきなり暴れるからだ」
「……う、うっせえ…」今度はゆっくり起き上がって、神城は胡座をかいた。手首に違和感があるのか、ぐるりと手首を回している。



「――で、あんた、何なんだよ?」
「かどわかしまがいな真似をしてすまなかったな。俺は、疾風隊隊長、狼だ」
「……それは前に聞いた。そうじゃなくてさ、」神城ががしがしと頭をかく。そして、聞いた。



「――あんた、頭に俺のことを頼むって言われてんだろ?」
「まあ、そうなるか。…意外と鋭いな」
「…そりゃあ、どうも。つーことは、諸々の事情も?」
「ああ、勿論だ」隠す必要はないと判断して、狼はあっさり白状した。神城はやっぱりな、とため息をついた。


「あんたが、頭に何を言われたのか知らねェけど、火消しを辞めないのは俺の意志だ」はっきりと言い切る神城に狼はふうん、と気の抜けた返事を返した。


「な、なんだよ?」
「火消しを辞めないってのは、お前の意志なんかじゃないだろ」襟足をかいて、狼は言った。



「゙ただの゙罪滅ぼしだ」



「!」
「生きたいように生きれない。やりたいようにやれない。やれないじゃなく、やらない……、か?お前の場合は」狼は足を崩し、ひた、と神城を見つめた。



「弥兵衛さんも、伊東さんも、…しのさんだって、お前が罪滅ぼしみたいな真似をするのを望んでると思うのか?」
「っ…!勝手な事ばっか言うんじゃねェよ!――俺は…、」
「……お前だけが苦しんでたわけじゃないだろ」
「!」




……全ての罪を背負う神城に、俺達は何をしてやれる?

一体、何が出来る?




火に向かう貴方の背を、


命を抱える貴方の両腕を、



『見ていることしか、出来ないのか?』


『支えることも、許されないのか?』


『分かち合うことも、出来ないのか?』




……せめて半分にしてあげられたら、


いいのに。






「お前が苦しむのを見て同じように…、それ以上に、苦しんだはずだ。お前が解放されなければ、まわりも一生解放されない。――わかってるのか?」狼の厳しい目から目を反らし、神城はうめくように声を絞り出した。
「……それでも…、俺は…っ、自分を許せねェ…!!」
「なら、」狼が少し目を和ませて、言った。




許さなくて、いい。




「その代わり、これから先、お前はお前を通せ」




……



罪滅ぼしなんかじゃなく、


己の決めた道を行け。




狼は扇子を懐から取り出し、ぴしり、と畳を叩いた。
「―――…俺はお前を、疾風隊一番隊隊長に命じる。これは、俺と…」傍らの風呂敷包みを開け、神城に押しやった。



「お前の親父さんからの餞別だ」



中身は、背に壱の一文字、黒の石畳模様の半纏に、神城のトレードマークともいえる真新しい赤のハチマキ。額の当たる部分に゙神゙の一文字が縫い付けてあった。


神城は震える手でハチマキを取り上げ、神の字を手でなぞった。最初は丁寧に縫い付けられているが、後半は乱雑でぼこぼこしている。しのが縫いかけで終えてしまったのを、弥兵衛が馴れぬ裁縫を施したのだろう。最後は、伊東にでもやってもらったのか。


神城はハチマキを握りしめた。そして、ありがとう、と繰り返した。




こんな己を愛してくれた、皆に届くように……











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