「――神城さん!」咲が立ち上がり、追おうとした。が、前に静香が立ち塞がる。


「……咲ちゃん。神城は放っておいて、私達は話を続けましょう」静香が安心させるように、微笑んだ。




「で、でもっ…!」
「――大丈夫ですよ。神城のことは、心配しないで下さい。少し、動揺してるだけですから、その内、戻ってきます」桔梗がやんわりと制した。静香が手を伸ばして、咲の肩を優しく叩く。



悩むようにうつ向いていた咲がきっと何かを決意したように顔を上げて、開け放した戸に手をかける。




「……咲ちゃ…、」


「――事情を知らないお前が、行ったところでどうにもならないだろ」冷たく突き放すような声に咲は静かに振り返った。鈴鳴がじっと見つめていた。



「いたずらに、神城を傷つけるだけだ」
「……分かってます」
それでも、咲は戸から手をはなさない。



鈴鳴が眉間に皺を寄せた。
「――咲、いい加減に…」


「……神城さんは、私を助けてくれました。心配してくれました」
「……」




……自分と向き合うのが怖くて、逃げ出した私を責めもしないで、話を聞こうとしてくれた。





『――大丈夫。逃げ出したことは言わねーよ』


『一体、何があった?』





……本当に、彼に救われたから。





「……今度は、私が話を聞く番ですから」戸から手をはなして、咲は廊下を駆けていってしまった。
鈴鳴は一旦、立ち上がりかけたが、そのまま座り直した。




「――へえ、」その様子を見ていた玄が面白そうに瞬きをした。
「追いかけないの?」
「……ああ」鈴鳴が腕組みをして、苦笑した。



「……止めたところで、聞くようなヤツじゃないからな」
「まあ、そうだね…」
玄は微笑んで、小さく呟いた。




……



今更だけど、僕がどうして、彼女に話そうと思ったのか分かるような気がするよ。





「―――さて、と…」
狼が困ったように、頭をかいた。
「残念ながら、事情を知ってるヤツが両方ともいなくなっちまったな…」
「「あ。」」
部屋にいる全員が固まった。問題の現場にいた神城と咲がこの場にすでにいない。……ということは、話を進めようがないということだ。




「「……」」


「仕方ない…。暫し待つとするか…」



咲と神城が消えていった先を見やって、狼は呟いた。



……



そろそろ向き合う時が来たのかもしれないな。


俺もお前も――――




忌まわしい、己の愚かな過去と、決別する為にもな……










……


忘れようとしていたわけじゃなかった。




姫乃のことも、己の償うべき罪も―――



逃げられないことは、とうの昔に分かっていたから。




……なら、どうして俺は逃げてんだ?




足はただ、この場から逃げ出すことを第一に前へ前へと進んでいく。




……



静香の追及から、


咲の泣き出しそうな顔から、


一歩でも多く離れようと。





………情けねェ…、




一番、向き合うことを恐れているのは咲ではない。



……自分だ―――







「――――神城…、さんっ!」遠く、後ろから声がした。息でも切らしているのか、途切れ途切れだ。



……ついさっきと立場がまるっきり逆だな、と呟いて、足を止め、不愉快そうに振り返った。




「――なんだよ?」


「……っはぁ…、だ、」咲は息を苦しげに吐き出した。



「……だ、大丈夫で、すか?」
「……余計なお世話。さっさと部屋に戻れっての」顔をそむけて、再び歩き出そうとする神城の半纏を掴んだ。




「……だから、何だっつーの?」呆れたように神城はうつ向き加減の咲の顔を覗き込んだ。また泣きそうな顔だったら、振り払ってでも即刻、逃げ出すつもりで。





………ところが…、













「――でえええええええ!?て、てめっ…」




なななななんで、泣いてっ!?





泣き出しそう、どころか、咲は完璧に泣いていた。ぱたぱた、と次から次へと溢れだす涙が頬を伝っては落ちる。



予想外だった神城は見るからにうろたえた。
「―――な…、ななななんで、泣くんだよ!?俺まだ、何も…」そこまで言って、はたと神城は我に返った。





『……余計なお世話』





……確かに、数秒前に自分は咲に言った。





もしかして…、



         これか?





「――いや、あれは……。そ、その、そんなつもりじゃな……くねェけど…、そうじゃな、」
「? 何やってるんですか?神城隊長?」
「うおっ!?」
焦る神城の後ろから、鉄がひょっこりと顔を出した。




「お、おまっ」
「そんなに、驚かなくても……」鉄がきょとんとして、首を傾げた後、咲に気づいた。




「あれっ?咲さん……って…、もしかして、泣いてるんですか?」
「ば、馬鹿!違ェよ!………あ。」神城がぽん、と手を打つ。




……



とりあえず、鉄に任せるってのも、アリか。




「――鉄くーん。ちょっと、頼み事聞いてくれ。つか、聞け」
「拒否権なし!?はぁ……。――で、何ですか?」
「じ、実はさー、こいつ、目にゴミが入っちまったらしくて、狼達の部屋に連れてってやってくんねェか?俺、ちょっとこれから、出るからさ…」
「は、はあ…」鉄が少し戸惑いながら、了承した。




「―――よし!じゃ、俺は…」意気揚々と踵を返そうとした神城が何かに袖を引かれていることに気づき、視線を向けると咲がまだ掴んでいた。




「………さーくー?」


「……」


「あのさ…。悪ィんだけど、」




離してくんねェ?と言いかけて、神城は言葉を飲み込んだ。己の半纏を指の節や爪が白くなるほど必死に掴んでいる。



……無論、神城にはそれをむげに振り払えるはずはなかった。




額に手を当て、「……だああああ!分かったよ、分かりました!」と盛大にぶつぶつ言うと、咲の腕を掴み、勢いよく歩き出した。



「――た、隊長?」鉄の情けない声が響く廊下を、さっさと二人はいってしまった。





一人、そこに残された鉄、――綾都は妖しく微笑んだ。
「―――残念…。まあ、急がなくても大丈夫だけどね…」踵を返して、綾都は狼達のいる部屋へと向かった。













………………………………



「―――というわけで、神城隊長が咲さんをどこかに引っ張ってっちゃいましたよ?」鉄が正座をし、静香に出してもらった茶をすすった。静香が額に手をやる。



「――ったく…、あの馬鹿…」
「この危ない時に外へ…?流石に、不味いですよね?」桔梗が狼に同意を求めると、狼は能天気に笑みを浮かべた。



「まあ…、大丈夫だろ。いくら神城でも咲を連れて、裏通りにいくわけはないと思うしな」
「………、そういう問題か…?」低い呟きに目をやると、鈴鳴が眉間に皺を寄せていた。



「――ん? なんだ、心配なのか?」
「……一応…、な」鈴鳴が珍しく素直に頷いた。少しばかり、狼が目を丸くする。



「――? なんだ?」鈴鳴が怪訝そうな目を狼に向けた。



「いやいや、熱でもあるんじゃないかと思ってな」
「……なんだ、それ」
「べっつにー」




その二人の様子を無関心に見ていた玄は布団を引き上げて、悔しそうに呟いた。




「………なかなかやるね、神城も」




……その呟きは、運よく、誰にも聞かれることなく空気に溶けていった。







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