………………………………



深く息をつき、玄は目を閉じた。


咲は黙ったまま、寂しげな玄の横顔を見ていた。




「――父は、夜のうちに死んだよ。朝に駆けつけてきた猪三郎様に会うことなくね」




……



何度も何度も謝りながら、


何度も何度も源能斎に近づくなと念を押して。





「――だけど僕は、父の忠告を無視して、先生の弟子になった。猪三郎様も止めたけど、」




……


僕は仇を討ちたかったんだ。




……



守る剣では人を殺せない。


……家族の仇は討てない。



だから…、




「自分で選んだ。修羅の道を」





……


血塗られた、道を。





「――僕は、先生から紅天鬼進流の全てを叩き込まれた。そして、あの人と同じように…、導かれでもしたかのように」





……


僕は人斬りになった。





咲が息を呑む気配がした。玄は構わず、続ける。



「――いつの間にか、僕も先生や父、あの人と同じように人を殺めていた…」




……



何も思わず、


何も感じることなく、


血で染まった両手と我が身を見ていた。




「……馬鹿みたいに、綺麗事を並べてね。死んだ方が世の中の為だ、なんて」




……


愚かで浅ましいのは、僕だったのに。




「――そんなある日、僕はあの人……、兄弟子の信太郎さんに会ったんだ」




自分が道場に入門してすぐに、剣術修行に出た一度会ったきりの兄弟子が源能斎の住まいを訪れていた。




「僕はすっかり忘れていたから、先生の客人だろうと思って会釈だけして、通り過ぎようとしたら、」




……



『血の臭いがする』




信太郎は小さく呟いて、足元に落としていた目を上げた。



肌は青白く、頬はすっかり痩けてやつれてしまっていた。
それでも、落ち窪んだ目はぎらぎらと獣のように光る。




……


異様だった。




死にかけの病人のような体をしながら、目だけに正気をともす彼はにたり、と嗤った。




ぞくり、と肌が粟立つ。




骸骨が嗤っているような、そんな気味の悪さがあった。




『君は、僕と同じだ』


『とうとう化物に喰われてしまったのか。可哀想に…』


『可哀想に』


『真実を知らぬまま、』


『君はすがり続ける』


『可笑しいな』


『可笑しい、可笑しい』






狂ったように笑いながら、彼は最期に一つ言い放った。



泣き出しそうな、そんな顔をして――





『……ごめんね、玄之助くん』





その瞬間、玄の中で何かがぱちり、とはまった。




……


          声、この声…



僕は…、  知っている





玄は、彼に歩み寄ろうとした。



だが、叶わなかった。





信太郎は笑う。


疲れたように、……ほっとしたように。



唇が動く。




『 さ よ な ら 』




首筋に小刀を当てると、静かに迷いなく引いた。





……


兄弟子は自刃した。





玄の目の前での出来事だった。












玄は再び目を閉じた。



「――僕は、先生を問い詰めた。でも、先生はとぼけるだけだった。僕は釈然としないまま、また人を斬りに出かけた」





……



今回の暗殺は、


反政府の人間…。





政府からの、命令だった。




「――僕はいつもの通り、刀を振るった。簡単な仕事だった。簡単…、な……」



玄はそっと肩から下がない右腕に目をやった。





――ない、僕の右腕。





「最後の一人となった時…、僕は油断した――」





……



いつもの通りの憐れな命請いと、断末魔の叫びを聞きながら、無情に刀を振り下ろす…。




……それだけだった。




なのに、今日ばかりは出来なかった。




……


涙を流し、恐怖に怯え、叶いもしない命請いをしている、憐れな男。




昔の自分に重なった。




怯えた男のその目が、


そして、自らは恨んでいたはずのあの人に、



……よく似ていると思った。




「、僕は出来なかった」




刀を鞘にしまい、背を向けた。





……迷いはいらぬと知っていた。


……同情はいらぬ、と知っていた。





なのに…、




「男は、背を向けた僕に斬りかかった」




……



神速に敵うはずがない。




昔の玄と同じだった。



玄は即座に察し刀を抜いたものの、一瞬迷う。
その隙を見逃さなかった男の刃が玄の肩に深く突き刺さり、右腕を飛ばしていた。



ぐらり、と体がバランスを失って傾いた。
右手に持っていた刀が落ちる。
血が吹き出し、肩をじっとりと濡らした。




片膝を地面につき、肩を押さえ見上げた。
激痛が体を貫き、止まらぬ血が着物を濡らす。




男はあらんかぎりの悪態をついた。
せせ笑い、刃を玄の目の前でちらつかせ反応を楽しみながら、いたぶる。




「殺そうってやつに同情するなんざ、馬鹿だよなぁ。神速の人斬りの名が泣いてるぜ?」
刃に自分の顔が写っていた。
額に汗を浮かばせながら、痛みに耐えている己の顔。




……



痛み?


苦しみ?




それは、なんだ…?


一体…、なんだった?




「――さて、と…。そろそろ…」男が呟く。




その時、


鋭い風が吹いた。




……


玄には感じ馴れた、静かな殺気を纏った風。





「――賀…、竜?」


「……酷い様だな、鬼風」




……



屋根に突如として現れた、闇夜に溶け込んだ一団。




顔を布で覆い、目だけをかろうじて除かせた一人が地面に降り立つ。




「な、なんだ、てめえ…」
「……名乗る必要はない」




賀竜は、右手を微かに動かした。



小さな、風を斬る音が響く。




「ぐ……ああ…」
男の体に複数の刃が深く刺さっていた。



「――死ぬ貴様に、名乗る名などないからだ」



間を置いて、男は倒れた。



賀竜は屈んで、脈を確かめると玄の方に向き直った。




「――同情とは…、貴様らしくもない」
未だに血の止まらぬ右腕に目をやった。



「俺様が来ていなければ、貴様は死んでいたな。……死にたかったのか?」
「…」
玄は、黙ったまま答えない。




「ふん、…余計なことをしたな」賀竜は、懐から布を取り出し玄の傷口に当て縛った。



「…っ!」



「一先ず、ここから離れる。――源能斎の元に連れていけ。俺様は上に報告しなければならないからな」
「――はっ」



政府直属の忍集団"影武者"に助けられた玄は、深手を負いながらも命だけは助かった。




……



剣士として、大事な利腕を失いながらも。







「――一週間後、僕は先生に呼び出された」




……



人斬り"鬼風"を引退するようにと政府から正式に下ったことが伝えられた。





「――先生は、僕に向かって吐き捨てたよ」




……



刀を持つ資格などお前にはない。


お前もまた…、




『平祐や信太郎と同じ、鬼の器ではなく、ただの"出来損ない"じゃったか…』





……



僕は、確信した。




「この人なんだ」と。




……全てを奪ったのは、この人だったんだと。





「そう尋ねた僕に、先生はあっさり肯定したよ」




『……いかにもそうじゃよ。とんだ儂の見込み違いじゃったが…』




……



悲しみか、それとも憤りなのか…。





「――僕が刀に手を伸ばしかけた時、猪三郎様が飛び込んできてね…」




『……本当なのか?源能斎』




その目は、ただかなしく揺れていた。




『……人は鬼にはなれない。お前だってそうだ』




その言葉に初めて、先生は激昂し、叫んだ。




『――お前に…、何が分かる…!』




猪三郎をふりきり、源能斎は闇夜に消えた。




その行方は知れず…。



先生はいなくなった。










「なのに、今になって僕の目の前に現れた。きっと…、けりをつける時が来たんだろうね。――ねぇ、咲」
玄が茶化すように軽い口調で聞いた。




……



君は、僕が怖い?




そうかすれた声で言った後、玄は眩しそうに咲を見上げた。




……僕は、操り師と変わらない人殺しだよ?



……なのに、




「――どうして、泣いてるの?」
「、……わか…りません…」




――同情、じゃない。




ただ、哀しくて、



   、苦しくて


何かを失う哀しみが、




   私には分かるから――




咲の脳裏に響く声が前よりもはっきりと囁いた。




……



『俺は守りたいんだ。ただそれだけなんだよ』



『刀は使う人によって、形を変える。でも、人を守る刀もあるって信じたいんだ』





……


貴方は……、





咲は消えていく声に問いかけた。




『……、兄上?』







咲はそっと息を吸い込んだ。
涙を拭い、玄の目を見つめた。
「……、私…っ」
「――ん?」
「、……怖くありませんからっ!」




……



記憶喪失なんて、どうせ嘘でしょ?




……



君のこと、信じるなんて本当に思うわけないよ。





――最初は貴方が怖かった。そして、ただ、悲しかった。



でも、本当は憎まれ役をかって出ただけなんでしょう?




………だって、貴方は、






『……良かった。小娘が無事で』






――こんなにも優しい…。




玄は、きょとんとして目を見開いた。



そして――、






「、ふ……、くくっ…」




「 ? げ、玄の字さん?」
咲が具合でも悪いのかと覗き込んだ。



すると、玄は肩を震わせ、大口を開いて笑い始めた。


咲がどうしたものかと戸惑った。
「あ、あの…」
「――…っ、あのねぇ…っ、く、く……」



いたた、と傷に手をやりながら笑いを堪えている。
「った…く、小娘は…。とんだお人好しらしいね、はははっ」
「?」



いやいや、と玄は額に手をやり、起き上がった。



「! 玄の字さん!だ…」咲が慌てて止めようと手を伸ばしたその時、玄がその手を捕えて自分の方に引いた。
ぐらり、と体勢を崩した咲が玄の胸にもたれる恰好になる。



「――わ…!」


「……ありがとう、咲」



手を咲の背中に回し、優しく叩いた後、何事もなかったかのようにそっと離れた。




ところが、二人が離れるか離れないかの内に、運悪く襖が開く。




「…」
鈴鳴が険しい顔で立っていた。手に持っているものは、水さしだろうか。



その後ろに、神城、桔梗、静香、狼が続いており、四人共、口をあんぐり開けた状態で硬直していた。



それを知ってか知らずか、玄が呑気にいった。
「あ、水?水を持ってくるのに、そんなに人数はいるの?」
「…いや、」
「それに、立ち聞きは頂けないよね」
「あ、ああ…、」
なんとなく、鈴鳴の歯切れが悪い。



神城が鈴鳴を押し退けて、玄の胸ぐらを掴んだ。
「ちょっと…、何?」
「ててて、テメエ…!怪我人だからってやっていいことと悪いことの区別もつかないのかァ?!」
「……あれに君達の許可がいるのかな?」
「…は!?おおおおっ、お前ーっ!!」




「……なーに一人で突っ走ってんだか」
ま、びっくりしたけどね。静香が苦笑した。



「なななっ!だ、だだ抱き…」
桔梗が顔を真っ赤にして、壁に手をつきぜーはーやっている。



「…。桔梗…、芝居でやったことあるでしょ…」
「ば、馬鹿言うな!!ほ、本気で、だ、抱き締めたことはない!!」
「? ちょっと…、何言ってんの?」



「――免疫ないな…、ウチの男共は…」狼は苦笑し、肩の荷が下りたかのように柔らかい表情になった玄に目をやった。




……



やっと、一歩前に進めたんだな、玄…。







……



、過去は戻せない。



消えぬ罪を負っているのだとしても、


俺逹は前へ進むしかない。


明日があると信じて――









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