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『ぎゃあああああああ』
迂闊だった。今は夏だということをすっかり忘れていた。夏は奴がいるということを…。
照りつける太陽と高湿度で蒸し風呂状態の日本はその暑さで思考能力もどんどん奪わせる。どんな生き物も活動能力が低下し動きが鈍くなるのはゆうまでもない。私もそんなひとりだ。とはいえ、やらなきゃならないことは存在するので、汗でびっしょりと濡れた体を鞭打って動かし、外に干していた洗濯物を取り入れた。しかし迂闊にも私はやつの存在を忘れていたのだ。夜中ということもあり、真っ暗で何も見えないから洗濯物に奴が張り付いていたことがわからなかった。
「ジジッ……ミーンミンミンミンミンジー…ミーン…」
『(勘弁してくれ!!!)』
そう、奴とは正に蝉のこと。私は虫なら大抵どんなものも叩き潰せる。それは台所に生息する黒いフェアリーでさえ例外ではない。ただし、こいつだけは、蝉だけはどうしてもダメなのだ。無駄にツヤツヤとしていて、死んでいるのかと思えば生きており、突如狂ったように鳴きだしその存在を体全体で主張する蝉が。
『いや、大丈夫だおちつけ私。まだこいつは洗濯物に張り付いている。このまま気付かれないようにそーっと外に放り出せば飛んでってくれる。…よし、慎重に洗濯物をつまんで…』
この時私は大きなミスを犯した。私は目の前の蝉で頭がいっぱいでそこにしか目を向けていなかったのだ。入ってきた蝉が実は2匹いてそのうちの1匹が私に向かって飛んできていることなど予測できなかった。
ぱたぱたぱた
「ジジッ…ジー」
『…………』
見なくてもわかる。今蝉が私の首元をよじ登っている感覚がした。何かを引っ掛けるような独特な足の棘が肌を刺激する感覚がリアルで怖気が全身に走る。気を失わないだけでも褒めてもらいたい。本来ならここで助けを呼ぶところなのだが、余りの気持ち悪さに声が出ない。もしや一生このままか?と思っていたところに扉を開ける音がした。
正に救世主!誰でもいいからこれをとってくれとすがる思いで扉を見つめると、入ってきたのは恋人であるカルラだった。
「うるさいぞ、貴様一体何が……」
『カルラッ……お願いこれ、とって』
「………」
黙ったままのカルラ。私としては一刻も早くとってほしので黙ってる暇があるならとれや!と思ってしまうがお願いをする手前、そんな大口は叩けなかった。
「貴様、それが苦手なのか?」
それはもう近年稀にみる真っ黒な笑だった。まずい、カルラがこういう顔をしている時は大抵ろくなことが起きない。
徐々に上に登ってくる蝉が私の恐怖ボルテージをどんどんあげていく。もーなんだってやるからはやくこれとって!!!!
「貴様随分とイイ顔をしているぞ。そんなにこれが好きか?」
これと言われて突き出されたのは洗濯物についていたもう1匹の蝉。カルラに掴まれて足をバタつかせるその姿がもう耐えられないほどに嫌。というかそれもってどうするの!?
カルラによって掴まれた蝉はぴとっと私の鎖骨部分に置かれた。
『カルラ!?なんの恨みが私にあるのっ!!』
「恨みなどないが、貴様が恐怖に顔を歪めているところがとても可愛いらしくてな」
『ドS』
「ほう、まだそんな口をきける余裕があるか…ならこれはどうだ?」
鎖骨にあった蝉は私の耳の横へと移動され、足でよじよじと登ってくる。
『ごごめんカルラ。私が悪かったからやめてっ』
ぽたぽたとついに溢れ出る涙。今気を失えたらどんなにいいだろうか。本当にもうこれが限界で、もうこれ以上はというところまで来てようやくセミの呪縛が解放された。二匹の蝉を手で掴んで窓から投げ捨てる。窓の外からジジジッとうるさくなくセミの声が聞こえた。
『ありがとう、カルラ。にしても嫌がる彼女に蝉さらにくっつけるって酷すぎない?』
蝉を頬り投げたカルラはその後無言でつかつかと私のところへ来た。なんの感情を読み取れないその表情に若干不審に思いながら見ていると突然深いキスをし始めた。なんでだ!!
カルラが私の口内を舌で犯していく。卑猥な水音が耳に届きどんどんいやらしい気分になっていく。
「んっ…ちゅっ…」
『ちゅっ……ちょっ…カルラ!』
「んっー。なんだ?」
『なんだ?じゃないよ!!急にどうしたの!?』
「貴様が私に蝉をつけられて無様に涙を零しながら縋る姿が愛らしく、興奮したから欲望のままにキスをしただけのこと」
『………。』
これをドSと言わずになんという。かなり本気で嫌だったのに(いや、多分本気で嫌がってたからこそ興奮したんだと思うけど)、そんな言葉で片付けられては私の腹の虫が収まらない。
『ひどい!!私ホントに嫌だったのに!!』
「知っている。そう機嫌を損ねるな名前。詫びに今日は貴様が1番感じるところを攻めてやろう。念入りにな」
『いやいやいや、いらないです!大丈夫です!結構です!』
「そう遠慮するな」
『してないってばーーーーーーー!!』
混ぜるな危険(ドSに弱みを握らせるとろくなことにならないと学んだ夜だった)
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