ハッと目を覚ます。突然浮上した意識に、ぼやけている視界。混乱しながら目を擦ると、徐々にピントが合っていく瞳は見慣れない部屋の景色を映し出した。ここは何処だ、と慌てて上体を起こせば、左肩に激痛が走る。ぐらりと目眩がして思わず右手をつくと、ふかっとしたマットレスの感触がした。白いシーツに驚きながら、さらりと撫でる。ナマエは、見知らぬベッドに寝かされていた。
 そっと肩を伺い見れば包帯が巻かれていて、そこからじわりと血が滲み出ている。クッソ痛ぇ! と思いながら辺りをキョロキョロと見回すも、トモダチの姿がない。不安に駆られた彼女は急いで床に降り、痛む肩を庇いながら必死に親友の姿を探した。ドアらしき物を発見し、ナマエはパニックに陥りそうになりながら外へ出る。
 勢いよく扉を開けた彼女は、自身に集まる視線の多さにドキリとした。居心地悪く辺りを見回していると呆然としている親友と目が合い、次いでトモダチは泣きそうな顔でナマエに駆け寄ってくる。

「ナマエ!!」
「ちょ、トモダチストップ!」

 抱き付いてきそうな彼女を手で制し、今抱き付かれたら死ぬから、と左肩を庇いながら告げた。そんな彼女たちの元へ老齢の男と屈強な男が近付いてくる。彼らを見て、ナマエは気を失う前のことを思い出した。記憶は途中からぷっつりと途切れていたが、手当てされた自分と無事な姿のトモダチを見れば彼らが助けてくれたことが分かる。ナマエは慌ててぺこりと頭を下げた。

「あ、えーと、助ける…は、ヘルプだから……助けてくれて、とっても、ありがとう」
「いや、もう大丈夫、か?」
「あー……大丈夫、問題ない」
「そうか。良かった。俺は、シェーン。こっちは、デールだ」

 気を使ってゆっくりと話してくれる男にもう一度ぺこりと頭を下げ、老齢の男から差し出された手を握った。シェイクハンド。こちらの挨拶だ。アメリカに来てから実は初めてするシェイクハンドにナマエは少し感動した。

「トモダチから聞いたが、男たちに襲われてここまで逃げてきたそうだな」
「ぱ、パードゥン?」
「あー…男たち、襲われた、逃げた、オーケー?」
「イエス! イエス!」

 トモダチを見ると、彼女も首を傾げていた。きっと拙い英語でなんとか説明をしてくれたのだろう。ナマエはトモダチに感謝しながら、シェーンがみんなを紹介すると言うので痛む左肩を悟られないよう気を付けながら彼に付いて行った。血を流しすぎたせいか、足元が覚束ずふらりとすれば、彼女の右肩にトモダチが手を添えてくれる。

「ナマエ、マジで大丈夫? 一日寝てたんだよ?」
「死にそう。超グロッキー」
「よし、大丈夫そうだね」
「おい」

 シェーンにキャンプのメンバーを順に紹介をされ、ナマエは絶対覚えらんないわーと思いつつ一人一人と挨拶を交わした。最後に連れて来られたのは、まるで野生児…いや、ワイルドな見た目をした二人組の男の所だった。

「彼らはディクソン兄弟だ」
「よぉ、イエローモンキー。歳はいくつだ? もしかしてハイスクールガールか?」
「やめろ、メルル。気にするな。兄のメルルと弟のダリルだ」

 オッケー、とりあえず罵倒されたことだけは分かった。こいつらには絶対近付かないでおこうと思いながら、ナマエはぺこりと頭を下げた。頭を下げる彼女に笑い出した兄とその弟がまた何かを言っていたがナマエは無視し、シェーンにここに来るまで使っていた車まで連れて行ってもらう。

「トモダチ、カギ持ってる?」
「あ、うん。開けるね」

 トモダチに車のトランクを開けてもらい、ナマエはそこからバックパックを一つ取り出す。そしてそれをシェーンに渡した。

「お礼。食料、衣服、入ってる」
「ん、ああ、助かる! ローリ!」

 シェーンはローリという女性を呼び、バックパックを手渡す。綺麗な人だな〜と思いながらなんとなくローリを眺めていると、パチっと目が合いナマエは慌てて顔を伏せた。しかし、そんな彼女にローリは突然お礼の言葉を告げる。ナマエは驚いて、勢いよく右手を振った。

「私が、お礼! ええと、とっても、ありがとう!」
「あなたが無事で良かったわ。トモダチがすごく心配そうにしていたの。目を覚まして良かったわね、トモダチ」
「ぱ、パードゥン?」

 流暢な英語に聞き返すと、ローリは笑ってウィンクをした。アメリカ人の生ウィンク! とナマエが人知れず興奮していると、トモダチが彼女の頭を叩いた。

「痛い。私、怪我人。何をする」
「なんで日本語までカタコトなんだよ。お腹空いたでしょ? ご飯食べよう」
「ああ、うん」

 トモダチに連れて行かれ、ナマエはみんなが集まっているところまで歩いていく。左肩が尋常ではないほど痛かったが、親友を心配させるまいと彼女は必死に平静を装った。早速渡したバックパックの中の缶詰が出され、ナマエはあんまりお腹空いてないなーと思いながら皿に盛られた魚の肉らしきものを咀嚼する。一口食べたら一気に空き始めたお腹に我ながらゲンキンだわと思いつつ、痛む肩から気を逸らそうと夢中になって食べ進める。あっという間に平らげた彼女を見て、先ほどアンドレアと名乗った女性がクスクスと笑った。

「すごい食欲ね。私たちこの缶詰をもらっちゃって良かったのかしら?」
「え?」
「ああ、えーっと、缶詰、ありがとう」
「オッケー! オッケー!」
「ナマエ、そういう時は「どういたしまして」じゃない?」

 言葉がわからず慌てるナマエを、トモダチが肘でつつく。

「あ、そっか! ユーアーウェルカム!」

 慣れない英語でなんとなく会話を続け、さらには激痛の走る左肩を庇い続けた結果、ナマエはとても疲れた。顔色が悪く、滝のような汗をかいている彼女にローリが気付いてギョッとする。「大丈夫、大丈夫」と繰り返す彼女は既に朦朧としており、とてもじゃないが大丈夫だとは言えない様子だった。今日はもう休むように言われ、ナマエは赤く染まった包帯をデールに替えてもらってから、トモダチに付き添われて自分たちの車まで戻る。後部座席へ横になり、心配する親友をよそに目を瞑ると、すぐに睡魔に襲われた。

 翌日、彼女は雑音で目を覚ました。車のトランクがガチャガチャと響き、何事だと飛び起きる。慌てて外へ出ると、昨日紹介されたディクソン兄弟とやらがトランクを無理やり抉じ開けようとしていた。

「な、ちょ、ストップ! プリーズ!」

 驚いて大声を上げるナマエに、起き抜けの人々がなんだなんだと集まってくる。メルル、という兄が舌打ちを落としナマエにずんずんと近付いてきた。左肩を突き飛ばされ、うわ! と声を上げながら彼女は開きっぱなしだったドアに身体をぶつける。先日撃たれたばかりの左肩は、嫌でもナマエの身体に激痛を走らせた。そんな彼女にはお構いなしに、メルルは自分より何倍も小さな日本人を見下ろしながら、早口の英語で捲し立てる。

「助けてやったんだ、見返りがバックパック一つだけってことはねぇだろ? この中には一体どんなお宝が眠ってんだ、ハニー?」
「ぱ、パードゥン?」
「チッ。ここを開けろって言ってんだよ! 他にも物資があるなら差し出せ! それが礼儀っつーもんだろ?」

 何言ってるのか全然わかんないけど、なんか怒ってる。とナマエは思った。どうしよう、と焦って周りを見るも助けてくれそうなシェーンはまだ起きてないのか居なかった。そこへ、用を足しに行っていたらしいトモダチが戻ってくる。彼女は大きな白人男性に追い詰められているナマエを見て、慌てて駆け出した。そして無謀にもメルルの腕を引いて親友を傷付けさせまいとする。

「やめて! ナマエに何するの!? やめて!」
「うるせぇ! 俺に触るなイエローモンキーが!」

 ガッ、とメルルが勢いよく腕を振り払う。身長が低く細身のトモダチは簡単に投げ飛ばされ、地面に突っ伏した。その時、ナマエの中で何かがキレた。なんだこいつ。なんでこんなことするの。なんの権限があってトモダチを傷付けるの。マジなんなの。何様だてめぇ。ふざけんなクソが! ぶっ殺すぞ! ナマエはぎろりと男を睨み付ける。痛みは既に、忘れていた。

「あ? なんだその目は。まさか俺様に刃向かおうってか? イエローモンキーが」
「シャットアップ! ホワイトトラッシュ!!」
「なんだと!?」

 伸びてくるメルルの腕を身を屈めて躱し、跳躍したナマエは自身の両足を彼の首に巻き付ける。続いて地面についた両手を軸にぐるんと身体を捻り、その反動で男の巨体をいとも簡単に地に叩きつけた。それから日本語で怒鳴るように悪態をつく。

「てめぇ! トモダチに手ぇ出したらぶっ殺すぞ!! 両目くり抜いて鳥の餌にしてやろうか!? あぁん!?」
「兄貴に何すんだてめぇ!」
「ああ!?」

 尚もメルルに襲いかかろうとする彼女に、今度は弟のダリルが拳を振り上げる。白人男性の屈強な筋肉から繰り出されたパンチはナマエの顔面にクリーンヒットし、彼女は見事に吹っ飛んだ。

「ナマエ!!」

 トモダチが悲痛な声で叫ぶ。地面にズザザッと転がったナマエは、ゆらりと立ち上がった。傷が開いたのか、彼女の肩からは血が滲み出て、新しくした筈の包帯は赤く染まっていく。

「ぶっ殺す!!」

 ナマエは日本語で咆哮し、ダリルに向かって走り出した。真空飛び膝蹴りをお見舞いし、今度は男の顔面に的中した。鼻血を出しながら倒れたダリルの上に馬乗りになったナマエは、尚も彼を殴り付ける。しかし起き上がったメルルに思いっきり横腹を蹴り上けられ、彼女の身体はまた吹っ飛んだ。

「痛ッ、てめぇら! マジで殺す!」

 ガバリと起き上がって対峙するナマエに、いつの間にかメルルが銃口を向けていた。

「ぶっ殺すぞこのクソガキ!!」

 英語で言われた脅し文句。もちろん何を言っているか分からない。けれどナマエはニヤリと笑って、男を睨み付けた。

「やれるもんならやってみろよこのタマなしが!」
「ナマエ! ナマエ、やめて! お願い! 私は大丈夫だから!」

 トモダチが叫ぶが、ナマエはペッと口に溜まった血を吐き出して、自身の銃へ手を添える。一触即発なその空気を制したのは、シェーンの怒鳴り声だった。

「何してるんだ! やめろ!! Tドッグ、グレン! 見てないでメルルを止めろ! ナマエも何してるんだ!?」

 メルルはTドッグとグレンに後ろから羽交い締めにされ、ナマエは近付いてくるシェーンを見て正気に戻った。途端、左肩を痛みが襲う。

「なんだってんだ一体! 何があった!?」
「あー…彼、私を、襲った。トモダチ、傷付けた。殺す」

 左肩を庇いながら、ナマエは苛々したように英単語を口にする。彼女の言葉を理解したのか、シェーンは大きな溜め息をついた。

「メルルが? はぁ〜…ったく、あいつには俺からよく言っておく。頼むから、問題は起こさないでくれ」
「……トモダチ、傷付けない、約束して、あの男」
「わかった、わかったから!」

 尚もメルルを睨み付けるナマエを見て、シェーンは今起きたばかりだというのに、頭を抱えて再度深い溜め息をついた。

 ナマエとメルルは引き離され、お互いに干渉しないことを約束させられた。彼女はシェーンに謝り、それから開いてしまった傷口をデールに手当てしてもらう。お礼を言うと、彼はナマエに何かを言おうとして、やめた。不思議に思いながら、それでも今は何も聞く気になれなかった彼女は一言謝罪を口にしてその場を後にする。心配するトモダチに大丈夫だから、と断ってナマエは怯えさせてしまった人々に謝って回った。ローリのところへ来ると、彼女はビクビクとしながらも「もう大丈夫なの?」と労わる言葉をかけてくれた。それにヘラリと笑って返せば、ローリの足にひっついていた少年が自分のことをキラキラとした目で見上げているのに気が付く。

「ナマエ、すごいね! 僕びっくりした!」
「あー…カール?」
「そう! カール! どうやってメルルをぶっ飛ばしたの!? あの技、何!?」
「カール、やめなさい」
「どうしてママ! ナマエったらすごかったよ! 僕本当に驚いちゃった!」

 何言ってるか全然わかんねぇ…と思いながら、ナマエはハシャいでいるカールの頭を撫でようとして、ローリを見た。「May I ?」と訊ねればローリがぎこちなく頷いたので、彼女はカールの頭を撫でた。

「あれは、私の父が、教えてくれた」
「パパ? ナマエのパパってすごいんだね! でも僕のパパもすごいんだよ! 保安官ですごく強いんだ!」

 聞き取れたのは「マイ ダッド」と「アメージング」のみだった。ナマエはカールの頭をぐしゃぐしゃと撫で、ローリにぺこりと頭を下げてその場を後にした。

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