※セドリックが生きてます


 その日、僕は久しぶりにホグズミートへと訪れていた。はじめは対抗試合が終わったばかりの僕に気を使ってか、友人たち数人がゾンコや雑貨屋へと誘ってくれたり、別段甘いものが好きなわけではなかったがハニーデュークスへも行ったりした。そこでこれまた特別好きなわけではなかったが、星型のミルクチョコレートを二つとピンクとイエローのマカロンを買った。食べたいと思って買ったわけじゃないから、誰かにお世話になった時にでもお礼としてあげようと思う。ああ、でもマカロンは日持ちしないかもしれないなあと考えていると、三本の箒が目に入った。どうやら友人たちとは逸れてしまったようで、しょうがなく僕は店の中へ入ることにした。

「いらっしゃい、ご注文は?」
「バタービールを一つ」

 適当に空いている席に座り、注文を告げる。店員は軽く頷くとカウンターの方へと戻っていった。上着を脱いでから巻いていたマフラーをゆっくりと外し、無造作にテーブルの端に置く。同じように手袋も外してマフラーの上にぽんっと投げた。すると、ガタリと音がして向かいの椅子が動くのを目の端で捉える。店員がバタービールを持ってきたのかと顔を上げれば、そこには見知らぬ女の子が立っていた。

「こんにちは」

 にこりと微笑んで「ここ空いてる?」と彼女は向かいの席を指し示した。突然のことに驚いたが、僕は「どうぞ」と同じように微笑みを返す。彼女は嬉しそうな、それでいて悲しそうな表情を浮かべてから「ありがとう」と言って僕の向かい側に腰を降ろした。

「お嬢さん、ご注文は?」
「あ、バタービールを」

 先程の店員がやって来て僕にバタービールを渡すのと同時に彼女に尋ねた。彼女は慌てたようにちらりと僕を見てから、同じものを注文した。

「あの、名前を聞いても良いかな?」

 店員がまたカウンターへ引っ込んでいくのを確認してから彼女に訊く。まずは名前を尋ねなければ。いきなり話をし出すのは、失礼だと思ったのだ。

「まあまあ、名前なんて良いじゃない。それより貴方、あのセドリック・ディゴリーよね?」
「え? ああ、僕のことを知ってるのかい?」
「もちろん。対抗試合の優勝者だもの知らない方がおかしいわ」

 そう言って彼女はふわりと笑った。なんだか懐かしい香りが辺りを漂う。その微笑みに流されるように、彼女の名前を知らないまま僕らは他愛もない会話を延々と交わした。


 何故だろう。なんだか初めて会ったような気がしない。


「ふーん、じゃあタマゴはお風呂の中で開けたんだ?」
「うん、それは綺麗な歌声だったよ。陸地で聴くと凄まじい金切り声なんだけど」
「ほんっとあれは酷かったよね…」
「え?」
「いや、ハリーが、ハリーがそう言ってたから!」

 彼女は慌てたように言った。ハリーとは、恐らく対抗試合で僕の好敵手だったハリー・ポッターのことだろう。最後の課題で、彼は気絶していた僕をポートキーでホグワーツへと連れ帰ってくれた。彼女はそのハリーと面識があるのだろうか、なんだか少し気にくわなかった。

「ねえ、チョコレートは好き?」
「え、」
「さっきハニーデュークスで買ったんだ。良かったら要る?」
「え、いいの? あ、ありがとう!」

 胃に溜まった嫌な思いを打ち消すように、僕は先程ハニーデュークスで買った星型のミルクチョコレートとマカロンを取り出す。彼女は一瞬目を丸くしたかと思うと、嬉しそうに顔を綻ばせた。

「甘いもの好きなの?」
「うん! 特にこれは私の大好物!」

 目をキラキラとさせる彼女に、へぇ偶然だ、と僕も嬉しくなって笑みを浮かべる。彼女は星型のチョコレートを一粒手に取り、口の中へ放り込んだ。

「美味しい?」
「もちろん! あなたは食べないの?」
「僕はいいよ、そんなに喜んでもらえるなら君に全部あげる」
「え、いいの!?」

 口をもごもごとさせながら目を輝かせる女の子がなんだか可笑しくて、ハニーデュークスの袋ごと手渡した。僕は食べないからね、と言うと彼女は大きな声でありがとう! と言い、同時に僕の頬にリップノイズを立ててキスを落とす。突然のことに、僕は僅かに驚いた。

「ねぇ、嬉しかった?」
「え、」
「あなたは優勝して、嬉しかった?」

 先程運ばれてきた二杯目のバタービールを一口飲んで、彼女は話題の転換を促した。チョコレートが口の端を微かに汚している。それを目で追いながら、僕は数日前のことを思い出した。
 自ら志願して挑んだ対抗試合だ、例え優勝者が異例の二人となっても嬉しいのに変わりはない。けれど、何かがおかしい。何かが足りないような気がした。頭の中に白いモヤが掛かったように、それは僕を記憶の扉の中へ押し止める。ああ、この堪らない虚無感は一体なんだ? 医務室で目を覚ました時からずっと続いているこの感覚。だが、原因は分からなかった。

「……僕、実は最後の課題のことをまったく覚えていないんだ」
「ふぅん」
「どうやって優勝したのかも分からなくて、気が付いたらハリーに抱えられてホグワーツにいた」
「それで?」
「だからかな、優勝したのは嬉しいけど何だかすっきりしないんだよね」

 僕は、初めて会ったような子に何を話しているんだろう。自分でも分からない。けれど、誰にも言えなかったこの真実を、彼女になら話しても良いと思ったんだ。

「でも、ハリーから聞いたけどあなたは素晴らしい活躍をしたって」
「…うん」
「優勝はあなた一人に譲りたいって、彼そう言ってた」
「はは、それは光栄だね」

 実際、ハリー本人からそう言われたから知っている。けれど僕はそれを断った。覚えてもいないのに勝ちを譲られたって嬉しくもなんともない。それなら、と僕はもう一度違う課題をこなして決着をつけたいとダンブルドアに申し出た。しかしそれは、ハリーの言う例のあの人が復活したという話で立ち消えてしまった。

「ごめんね、いきなり変なこと聞いて」
「…いや、」
「でもね、私はあなたが満身創痍で帰って来た時、生きていただけで嬉しかった」

 彼女の言葉に驚き、僕は思わず顔を上げた。そこには、瞳に溜めた涙を零さないように必死に耐える女の子がいた。

「なっ、え…?」

 どういうこと、と言葉を発する前に瞳を濡らす彼女は僕の手を上からそっと握り締める。また懐かしい香りが辺りを包み、久しく忘れていた感触が僕の心を包み込んだ。

「セドリック」

 ドキリ、ドキリ、彼女が紡いだ僕の名前がなぜか甘美を帯びているような気がした。ああ、僕は前にもそうやって彼女に呼ばれたことが、どこかで、あるような。

 彼女の瞳を覗き込み、その手を握り返す。何故だろう。何故、彼女に対してこんなにも懐かしさを感じるのだろう。彼女とは今日はじめて会った、初対面のはずなのに。……初対面? いや、違う、よく思い出すんだ。

「……君は、僕のことを知っている?」
「どうしてそう思うの?」
「だって僕は、君のことを知っている気がする」

 ふぅん、と彼女は口角を上げた。何かの確信を得たような、そんな表情。僕はそっと彼女の頬に手を添えた。温かくて、柔らかくて、懐かしくて、何故だか安心する。

 カチ、カチ、と音を立てて脳みその一部分が正解へと導かれていくのが分かった。頭の中を覆っていた白いモヤが拡散していき、その一部分がゆっくりと顕わになる。そして、


 カチリ、ピースが嵌まった。


「……なまえ、どうやら僕は君のことが好きだったようだね」
「やっと思い出したのね、チョコレートでも一つどう?」

 ペロリ、彼女の口端についた甘いチョコレートを舐め取った。


101211
セドリック生きてたバージョンやっちまった。死ぬ代わりに愛する人の記憶を失ってたよ!みたいな。反省。

×