華麗なる獣と復讐も兼ねた日常生活 | ナノ


▼ if future:向日葵と林檎(リクエストNo.4)

 


「す、好きですっ! つきあってくださいっ」

 夕暮れの図書館。
 窓側二番目の席。こげ茶色の椅子はまだ新しくて、木目調の床と机によく合う。
 空は茜色で雲はオレンジ色。夏に近づいた今日は暑くて、少しだけ気だるい。
 冷房が完備されて涼しい図書館でも、窓の外から見える景色は、どことなく蒸し暑い。
 私は、静かに目を閉じた。
 今目の前にいるのが、頭に思い浮かべた人だったら、きっと、夢なんだろう。
 あの人は、林檎を食べないだろ$うから。

「ありがとうございます ―――」

 声はきっと、冷たい。思うほど低い自身の声に驚きながら、目線を合わせる。
 小さな音を立てて閉じられた、扉の奥にいるひとに気づく余裕はなかった。




 中等部から高等部に上がって2か月。
 6月上旬の、初夏へと片足をいれたような、そんな蒸し暑さを感じる今日。
 有名私立校なだけあって、我が校の冷房設備に余念はない。廊下に冷房完備は、うん、贅沢すぎだなって思った。
 さすが金持ち校と呼ばれるだけあるな、と内心感心。ここの約8割は裕福層の家庭出身が占めている。
 私や高橋さんのように、特待生制度を利用して入ってきたひと以外は、裕福層のさらに上層部にいるようなとこの出身なわけで。
 まるで冷房があるのが当たり前のように、平然とした顔で廊下を歩く。一般層出身の私たちにとっては、規格外の学園だ。
 そんな我が校の図書館も、当たり前のように冷房完備。机は柔らかな自然を意識して、床同様の木目調だ。
 椅子はこげ茶色の肘掛け椅子(アームチェア)で、底には柔らかいクッションが付けられている。机の上には、区切りをつけるために観葉植物が置かれ、天井からも植物が垂れ下がっている。
 これで虫が寄ってこないのか、と最初は思ったけど、そこらへんの対策もできているらしい。
 ちなみに窓は防音性のもので、冷房や暖房を外に漏らさないようにもしてある。
 この防音性の窓は図書館以外でも使われている。というか、全ての窓が防音性だと言ってもいい。
 ただ、その防音性のレベルが少し違うだけ。図書館がレベル5だったら、教室はレベル2だ。
 廊下の窓は大きいので、レベル3。教師棟は生徒の声が聴こえるようにレベル1。運動棟は室内に限りレベル6。レベル4は資料館で、各資料館ごとに大きさが違う。
 窓の防音性レベルの違いは、その部屋の用途によって変わってくる。
 教室がレベル2なのは、何かがあった時に教室内からも外から聞こえるように。防音にしているのは、教室内だけで決め事をする際に漏れることがないためだ。
 廊下の窓は校舎外からみて、校舎内の騒音が聴こえないため。窓が縦に長く、フルで見えているため、かなりいい眺めだったりする。
 まあ、それが2階、3階と上がっていくと少しずつ怖くなっていくけどね。緑の景色がとてもきれいなんだよね。
 運動棟の室内だけレベル6なのは、室内での騒音が響かないようにするためで、各運動部によっての声が邪魔にならなようにする配慮だ。
 資料館はみんなが利用する共通の場所で、資料が置いてあるところ以外は個室なんだ。それぞれ必要な書類を持って、予約した個室で勉強するんだ。
 だからこそのレベル4。他のところも、個室でレベル4なのはここだけだろう。寮室の個室はすべてレベル7だけどね。
 蒸し暑い外の渡り廊下を歩く。透明なガラスで囲まれたここも、防音性のものが使用されている。
 それに使われるお金は、一体どこから捻出しているんだろうか。いや、怖いから聞くのはやめよう。

 移り変わる緑の景色を、透明なガラス越しに眺めた。
 こんな緑、どこにあったんだろうか、と疑問に思うほどの大自然。初夏に差し掛かろうとする今日(こんにち)には、色とりどりの花も咲いている。


「うた」

 長い渡り廊下を歩いているとき、不意に自分を呼ぶ声が聴こえた。
 その声の調子はいたって平坦で、まるで当たり前のような感じ。ごく自然に出てきた、そんな様子。
 大自然へと向けていた視線を、渡り廊下の最終地点に向ける。
 格式ばったグレーのスーツじゃなくて、あの人好みの黒いスーツ。紺色のシャツに、淡い、それも白に近い水色のネクタイ。
 髪は半分撫で上げていて、どこか虚ろ気な姿をしていた。でも、私を呼んだその口は、当然のように開かれていて、その目は確かに私をうつしている。
 少しだけ鋭くて、少しだけ強面な、あの人が私を見ている。
 防音で外の音は聞こえないはずなのに、静かな風の音がした。
 私は頭を横に振った。ぽやっとしているなんて、なんだか自分らしくないと思ったから。そもそも、自分らしさの欠片もないんだけど。

「こんにちわ、学園長」
「……ああ」

 お腹に力を入れる。本当は、ハキハキした声なんて、苦手なんだ。
 ひとつ瞬きして、やっぱり疲れたような、いや、どこか苛立たし気な声色を混ぜた返事。
 それに首を傾げた。学園長のその苛立ちは、今まで聞いてきた苛立ちの声色とは、どこか違う気がした。
 そう、まるで周りにではなくて、自分に苛立っているような、そんな声色だった。
 学園長は一度だけ瞬きをした。

「出張から帰られたんですか?」
「ああ、昨日の、午後に。おまえは、どうした」
「私は、今日は午前の授業だけですので。これから図書館へと向かおうとしていたところです。学園長、昨日帰られたなら声を掛けて下さればよかったのに」

 まったく、と拗ねたように唇を尖らせた。あ、子供っぽかったかな。
 ちらりと学園長を見る。やはり声に覇気がないし、目線も、こっちを見ているのに、別のところを見ているように虚ろだ。
 先ほど含まれていた苛立ちでさえも、終わりのない疲れに変わっている。
 諦めたような、そんな気配。
 昨日のうちに帰ってきたなら、ひとこと声を掛けてもらえれば、愚痴もずっと聞いたのに。
 学園長から視線を外す。息を吐いたような、そんな音。

「……疲れていたからな」

 ああ、帰ってきたばかりなのだから、疲れていて当然か。
 ……別に、早く会いたかったとかそういう意味ではない。ただ、純粋に愚痴が面白いと思っているだけで、それを聴くのが楽しみなだけだ。
 何故か学園長の目が見れない。恥ずかしいとか、決してそういうのではない。

「お仕事、お疲れ様です。まだお疲れのようですし、今日は愚痴どうします?」

 ちらっとだけ視線を合わせる。
 学園長の目は私を見ているけど、やっぱり、どこか別の場所を見ているような気もした。
 しばらく静かな時間が流れた。恥ずかしさも引いて、やっとまともに学園長の顔がみれた。
 精悍な顔に、疲れと苛立ちと、悲哀が混じっていた。どこか、置いてけぼりにされた子供の様な顔をして。
 なぜか、こっちが泣きそうになってきた。
 学園長は何度か頭を横に振って、すっと私の方を向いた。目は、真剣さと、覚悟と、その奥に潜んだ寂しさが滲んでいた。

「――― やめよう」
「え?」

 4文字。
 たったの4文字だ。その言葉を学園長の唇が紡ぐ。
 なんて言っているのかわからなかった。
 思わず出した声は、震えていなかっただろうか。
 学園長は横を向いた。一房だけおろされた髪は学園長の目を半分、見えないように覆い隠していた。

 赤い実が落ちた。
 持っているはずもない、燃えるような赤い果実が、音も立てずに崩れ落ちたような、そんな気が。
 転がる赤い果実。渡り廊下には、私だけしかいなかった。



 その次の日も、その次の日も、何度も学園長を見かけた。
 そのたびに声を掛けて、一度はこちらに顔を向けるけど、足早にその場を去っていく。
 それを数日繰り返して、ようやく、学園長が立ち止まってこちらを向いた。

「学園長、どうして、私を避けるんですか?」

 その疑問は当然だと思う。
 私は何かしてしまったんだろうか。
 学園長は私と視線を合わせることはなく、背中を向けたまま、ぽつりとつぶやいた。

「迷惑なんだ。もう、近づかないでくれ」

 特別小さくもなく、大きくもない、平坦な声。
 だからこそ、余計、胸に突き刺さった。


 その後どうやって寮室に帰ったかはわからない。
 気づいたら自室のベッドのなかにいた。制服は習慣で脱いでいたみたいだけど、結んだ髪の毛を解き忘れたみたいだ。
 初夏に近づいて蒸し暑くなり、髪の毛が鬱陶しなってきたから、昨日は珍しく結んでいたんだ。
 それをすっかり忘れていて、ねじれたゴムをとるのに手間取った。髪はクセが強くついて、短時間でとれるような気がしなかった。
 仕方がない、とゴムを引きちぎる。数本抜けた気がして、一瞬の痛みが走った。
 なんでか、それだけで瞼の裏が熱くなってしまった。ちぎれたゴムはゴミ箱に捨てて、洗面台で顔を洗う。
 いつもの手順で素早く。タオルで顔を拭いて鏡を見た。

「はは、ひどいかお」

 今にも泣きそうな、終わりを前にした子供のような、いやな顔。
 目じりが少し赤くて、そこを撫で上げた。ひりひりとした感覚。
 洗面台についた雫に、ひとつぶ、ぽたりと落ちた。





「珠城(たまき)、どーした。顔色わりぃぞ」

 クセを一緒にまとめて結んだ髪型。制服はいつも通りに着こなして、ソックスは黒を着用。
 天板は普通の学校よりも広く、脚は左右前覆い隠されたタイプの机に教科書を置いた。
 鞄は専用のロッカーに入れて、引き出しのなかには必要最低限のものだけ。
 顔はできるだけ上げて、HRを行う教師の方を向いた。だけど、昨日の疲れは抜けなかったらしい。
 少しだけ心配そうな教師にそういわれて、曖昧に返すほかなかった。
 涼やかな、オルゴール調のチャイムが鳴る。心配そうな教師はもう一度私に尋ねて、でも私は首を横にふった。
 1限目の授業は、なんだっけな。
 落としそうになった教科書を、隣の高橋さんが拾い上げてくれた。
 教師同様、心配そうな高橋さんにも曖昧な笑みを返す。大丈夫だよ、と答えた声は、たぶん、バレてない。


「たまちゃん、やっぱり顔色悪いって! 保健室で休んできなよ」
「え、いや、ううん。いいよ、大丈夫」

 あの透明なガラスの渡り廊下を、次の授業へと向かうために歩く。
 私と高橋さんに千鳥さん、男子3名だ。班活動のためにグループでの行動が決められている授業では、始まる前から一緒に行動するのが暗黙の了解なのだ。
 女子は女子で、男子は男子で、それぞれの話で盛り上がっていた。だけど、私の顔色の悪さが伝わったのか、高橋さんがまた心配そうな顔で尋ねてきた。
 そんな高橋さんの言葉を皮切りに、千鳥さんや他の男子たちも心配そうな顔で私を見る。
 中等部の頃からずっと一緒のメンバーだ。余程のことが無い限り変わることのないメンバー構成なため、みんな顔見知り。
 大丈夫だ、と言っても、みんなが引き下がってくれなかった。

「全然大丈夫じゃないじゃん! 学校きたときもだけど、すっごいフラフラしてるし。顔もビミョーに赤いし、ときどき咳きこんでたよね」
「そーだよ。よく見ると目の下にうっすら隈があるしさぁ。たまちゃん、保健室いこーよ」

 高橋さんの次に千鳥さんが続いた。
 私の額に手をあてた高橋さんは、ビミョーにあつい、とぽつり呟いて、千鳥さん同様保健室行きを進める。
 目の下の隈は、まあ、うまく眠れなかったから、仕方がない。
 目の下にうっすらとできた隈を撫でてみる。私は、少し困った様に笑った。
 すると、男子のほうからも心配そうな声が上がった。

「あのさ、珠城。もうすぐ試験あるから、頑張るのもわかるぜ? でも、こうやって不調のまま試験むかえても、倒れるのがオチだ」
「そうそう! 今日くらい、ゆっくり休んでもいいんじゃねーかな。今日の実験は、なんとか俺たちでやってみるよ!」

 だから、と二人は続けた。
 クラスの男子の中でも中心核の二人だ。一方はアシンメトリーの髪を耳にかけながら、もう一方腕を組みながら、でも心配そうに言う。
 中等部から一緒に過ごしてきたこの男子たちのうち、社交的で物腰柔らかい男子が困ったように笑った。
 アシンメトリーにした髪をもう一度耳にかけなおして、私のほうをまっすぐ向いた。

「なにかさ、悩んでることあるんじゃねぇの?」
「え?」

 彼のそんな言葉に、私は思わず猫の被り物を半分ずらしてしまった。
 静かな、でもまっすぐな目が私を射抜く。

「珠城はさ、もうちょっと甘えてもいーと思うんだよな。お前にとっちゃ、そりゃあ大事な試験だよ。ま、悩んでることは別のことかもしれねぇけどさ」

 そうあっけらかんとしたように、彼は笑った。
 高橋さんも千鳥さんも、他の二人も、そんな彼に同意するように頷く。
 透明なガラス張りの廊下で、私たちだけ時間の流れが緩やかな気がした。

「俺たちは、少なくても俺はさ、今日はお前には休んでてほしいんだよな。お前は気づいてねぇのかもしれねぇんだけど、他のヤツらだってそうだぜ」

 手に持った教科書を、落ち着きがなく弄る。
 彼は、照れ臭そうに頬を掻いた。

「お前が悩んでること、俺にはわかんねぇけどさ、それが人間相手だとしたら、待ってちゃ駄目だと思うんだ」
「待ってちゃ駄目、って……」
「うん、あのさ、口にしなきゃ駄目なんじゃねぇかな。行動しなきゃ駄目なんじゃねぇかな。人間ってさ、魔法は使えねぇから、言葉にしなきゃ何もわからねーじゃん」

 彼のそんな言葉に、瞬間すべての音がなりを潜めた。
 突っかかっていた何かが、小さく氷解していくような、そんな感覚。
 オルゴール調のチャイムが涼やかに鳴り響いた。
 固まった私以外のみんなは、慌てたように扉へと走っていく。
 アシンメトリーの彼がこちらを振り返った。

「とにかくさ、今日は休めよ! 俺たち、センセーに言っとくからさっ! ゆっくりしろよー!」

 高橋さんや他のみんなも手を振りながら、口ぐちに休むようにと叫ぶ。
 終始声を発することが無かったもう一人の男子は、表情を変えることなく小さく会釈をした。
 キィ、と閉じられた扉の奥で、大慌てする彼らの声だけが聞こえた。




 それから固まっていた思考を動かす。
 無意識に足が動いて、向かおうとしていた教室の反対側へと走りだした。
 廊下は走っちゃいけませんって、中等部まででいいと思うんだ。
 長距離は無理だけど、短距離だけなら速度は速い。
 過ぎていく緑の景色に目もくれず、あがっていく息と五月蠅い心臓がリズムを刻む。
 冷房が完備されているはずの廊下なのに、なんでかな、すごく暑い。
 あてなんて正直ない。
 だっていつも、あの人の方から声を掛けられていたから。
 私自身が声をかけたことなんて、たぶんない。だからあの人がいそうな場所も、好みの場所もわからない。
 辿り着いた向日葵畑は、まだ、つぼみのままだった。


 小刻みに息を吐き出す。
 走り出したはいいけど、まったくわかりゃしない。
 頻繁にあう図書館にも、資料室にも、噴水周辺にもいない。
 長距離の走り込みや、足を酷使することに慣れていない私の足は、もうガクガクだ。
 足首が特に痛くて、もしかしたらどこかで捻ったかもしれない。
 へたりとその場に座り込んだ。両足を抱えこんで、膝に頭をのせる。

 ――― 私、なにも知らないんだ

 何も知らないという事実を深く受け止めた。
 2年だ。もうすぐ、2年になる。
 あの人と出会って、私はいろいろと変わった。
 この猫かぶりがここまで強度を増したのは、単に彼の好みのタイプになりたかったからだ。
 偶然耳にした、あの人と他の教師との会話で、あの人は淑やかで控えめな良妻賢母の様なひと、って言ってたから。
 だから、なるべくそうなるようにって、それに近くなりたくて、でも、私はあの人の目に映らなかったのかな。
 あの人は私の行く場所を知ってたみたいだけど、私は何も知らない。
 プライベートについてはあまり話さないひとだ。好みのタイプだって、偶然耳にしたことで、直接聞いたわけじゃないんだから。
 好きな食べ物も、嫌いな食べ物も、趣味や特技だって何も知らない。
 私はね、向日葵が好き。あの人はなにが好きなんだろう。
 私はね、アップルパイが好き。あの人はなにが好きなんだろう。
 私はね、散歩をするのが好き。あの人はなにが好きなんだろう。
 何も知らない。何もわからない。
 何も教えてくれなかったなんて、ただの言い訳だ。私が知ろうとしなかっただけ。
 それでも、胸に刺さる棘は痛くて、砂漠のように乾いていくのが苦しくて、止まることのない涙が溢れる。

 ほんとはね、ほんとはねって、明かしたいことが山ほどあるんだよ。
 何十にも被った猫を、ズレないようにするのに必死で、何時の間にか本当の自分が解らなくなっていたこともあるんだ。
 嘘つき、なんて言われたら、それでおしまいなんだと思う。全部全部、おしまいなんだと思う。
 だって私は嘘をついている。猫かぶりだって、限度によってはただの嘘つきなのかもしれない。
 私ね、あの人に嫌われるのが、どうしようもなく怖いんだ。
 たぶん死ぬことよりも、なによりも、あの人から嫌われることが一番怖いんだよ。

 勝手に溢れる涙が膝を濡らす。
 穿いていたスカートはきっとずぶ濡れだ。
 なんとかして涙を止めようとするけど、ハンカチを取る気にも涙を拭う気にもなれない。
 涙はずっとずっと流れてて、スカートはどんどん濡れていく。
 でも心はずっとずっと渇いてて、苦しいんだ。怖いんだ。溢れる涙と比べるように、いつか壊れてしまいそうなんだ。
 苦しいよ。
 悲しいよ。
 怖いんだよ。

 好きになんてならなければよかった。
 誰かを好きになることが、こんなに苦しいなんて知らなかったから。
 こんなに怖くなるなんて知らなかったから。
 もっとキラキラしてたんだ。少女漫画や、小説の中の人たちはいつも輝いていて、楽しそうだった。
 恋愛小説を読み始めたのはちょっとした興味からで、キラキラした彼女らに憧れを抱いていたのも事実だ。
 自分が恋愛なんてしないって思ってたから、それらは”物語”として読んでいた。恋愛じゃなくて、そう、物語として。
 キラキラした恋愛をするひとは、それにふさわしい人じゃなきゃいけない。
 シンデレラだって美少女だし、白雪姫なんて鏡に一番美しいって言われていて、どれも容姿が煌びやかな子たち。
 平凡だなんだって言われている子だって、惹きつけるだけの良い性格や特技、「ナニカ」を持っていた。
 でもね、私は何も持っていない。しいて言うなら学力くらいで、それ以外は全部ニセモノ。
 そんな私を、誰が好きになるっていうの。

 ――― きらい。きらい。だいきらい。

 そう言えたら、どんなに楽なんだろう。
 好きにならなければどんなに楽なんだろう。
 こんな気持ち、いらなかった。

 引き攣ったような声がもれた。
 ザリ、と砂を踏む音が聞こえた。
 それと同時に、荒い息も聞こえる。ザリ、ザリ、と砂利を踏み鳴らしながら歩くひと。
 スカートはびしょ濡れで、顔は見せられたものじゃない。
 膝を抱えこむ腕、その手に掴まされていたのは、赤い果実。

「……探したぞ、うた」

 荒い吐息がまぜられた、心底安心したような声。
 何時振りかの、そんな声に、余計涙があふれてくる。

 ――― なんで、なんでいまさら、くるの

 迷惑なんでしょ?
 近づくなっていったくせに。
 なのになんで、なんで今更、そんな優しい声で呼ぶんだ。

「こんな暑い日に、外にいたら駄目だろ」

 なんで。
 なんで。
 やめてよ。そんな優しい声しないでよ。
 もうちょっとなんだ。
 もうちょっとしたら諦められるんだ。
 だからやめてよ。優しい声で優しい言葉なんてかけるの。

「……どうした? 具合、悪くなったか?」

 やめてってば。
 もう、やだ。
 やめてよ。とめてよ。

「うた、」
「なんのようですか、学園長」

 上ずった声。
 喉が痛くて、引き攣ったような声になった。
 その声を学園長の言葉にかぶせる。
 学園長が息をのんだ気がした。

「具合が、悪いと聞いた。生徒からお前が保健室にも行ってなくて、帰ってもこないと言われて、探してたんだ。無事でよかった」

 ――― なにそれ。

 なにそれ、なにそれ。
 意味が解らない。
 理解できない。
 だから、なんで、いまさら、いまさらっ!
 とまらない。とまらない。
 涙があふれて止まらなくて、もう心もズタボロなのに、どうすればいいの。
 どうすれば諦められるの。
 どうすれば勘違いしないですむの。

「うた、なんともないか?」

 やめて。

「立てるか? 立てなければ抱き上げるぞ」

 やめて。

「ほら、うた、」

 やだ。
 やだ、やだ、やだ。
 迷惑だって言ったくせに。近づくなって言ったくせに。
 ほんと、いまさらだ。
 優しくするのか、突き放すのか、どっちかにしてよ。
 お願いだから、ほっておいてよ。

「いい、です」
「うた?」

 ぎゅ、と手を握る。
 ガクガクした足を奮い立たせて、力をいれた。

「手助けなんて、いりません」

 上ずった声はそれでも、あの人の耳には届いたらしい。
 背中を向けたままだから、あの人の顔は見えない。

「だが、具合が悪いんだろう?」
「いいんです」

 ほっておいてください。

「保健室までは、」
「いりません。大丈夫ですから」

 だから、

「でもな、」
「本当に、大丈夫なんです。学園長はお仕事に戻ってください」

 だから、

「俺はお前が心配なんだよ」
「ッ心配には、およびません」

 期待なんてさせないで。

 ぐっと立ち上がった。
 じわり、熱を持った痛みが足首から広がる。
 それでも、まっすぐとたった。
 自分と同じくらいの向日葵が、目を覆った指の隙間から見える。

「迷惑、なんでしょう」
「っうた、」
「近づかないでほしいのでしょう」
「はなしを、」

 震える声。
 息を小さく吸った。

「なら、ほっておいてください」

 学園長が息をのむような、そんな気がした。
 私の声は上ずっていて、震えていて、泣き出しそうだった。
 覆った手はどんどん湿っていって、べとべとに濡れていく。

 ――― ほおっておかないで
 そんな本心をひた隠しにして、小さく、小さく息を吐いた。

「なんなんですか。迷惑だって、近づくなって言ったくせに、なんで今更、こんな、優しくするんですか」

 ――― いまさら
 本当は縋り付きたい。

「これ以上優しくしないでください。勘違いさせたり、期待させたりしないでください」

 ――― 好きになって
 言えない本音を飲み込んだ。
 感情が高ぶってくる。
 止まらない涙と一緒に、全部全部言ってしまいたい。

 すぅ、と大きな息を吸った。

「――― 好きなんです」

 見なくてもわかる。
 学園長は凄く驚いてるんだろうな。
 そりゃそうだ。対象にもなっていない女に、好きだなんだって言われたって、どうしようもないんだから。
 どうせ、もうそばにいられないなら、全部言ってしまおう。
 全部全部、言ってしまおう。
 赤い果実はまだ、手に持ったまま。

「好きです。すき、すきなんです」

 口から止めなく言葉が溢れる。
 足首から伝わる熱は、全身にまで広がっていた。

「すき」

 2文字。そう、たったの2文字。
 単純だけど重い言葉。
 何度も零れるこの2文字が、空中に浮かんでは消えていく。
 ざわり、風が揺れた。

「うた、」

 やだ。
 聞きたくない。

 震えてるし、痛いし、走れない。
 そんな足を動かして、地面を強く蹴った。
 後ろで学園長の引き留める声がした。
 握っていた赤い果実は、もうどこにもなかった。


 砂利の多い地面を走るのには、痛い足では少し辛くて、でも必死に走った。
 シャリシャリと鳴る砂利の音に耳を貸す暇なんてなくて、目の前の階段を見つめた。
 地面のタイルを一枚一枚踏む。
 あと5m、4m、3m、2・1m、30p、10p、とんっと右足を一段目に着けた時に ―――
 ぐにゃ、と音を立てるように、右足の足首に力がかかって体勢が崩れた。
 長い階段から落ちそうになる。
 ぎゅっと目を閉じた。地面が迫り気て、全身に痛みが ――― 

「うたッ!」

 くることは無かった。

 腰回りに手を入れられて、ぐっと抱き寄せられる。
 微かな衝撃は合ったけれど、痛みを感じることはなかった。
 その代り、背中越しに伝わる火傷しそうなほどの熱が、誰なのかを伝えていた。

「うたッ、無事か!?」

 身体を反転させられて、大きくてゴツゴツとした手が私の頬に触れた。
 高い熱を持ったその手は、俯かせていた私の顔を持ち上げた。
 泣いた痕が酷い、見せるのもおこがましい顔が、学園長の目に映った。

「……目が、赤い。ないてたのか?」

 するりと頬を撫でられた。
 妙に心配げな、柔らかい顔で言われる。
 途端に、体温が上がった。
 今の体勢を思い出してもがいた。
 恥ずかしい。
 すごく、恥ずかしい!

「こら、暴れんな。大人しくしてろ」

 必死の抵抗も虚しく、体格も身長も、力も強い学園長にとっては、私の抵抗なんて赤子同然だ。
 実際に、子供のように膝に乗せられる。
 右の黒いソックスを脱がせられた。足首部分は赤くなっていて、少しだけ腫れている。
 やっぱり捻ったらしい。捻挫だな、と学園長が呟いた。

「は、はなしてくださいっ」
「離さん。保健室行くぞ」
「自分で行けます!」
「この足で歩けるとでも思ってんのかお前は。いいから、おとなしく俺に抱かれてろ」

 ぎゅ、と力強く抱きかかえられた。
 学園長の唇がちょうど耳にあたって、喋るたびにこそばゆい。
 正直言うと、耳は弱いんだ。さらには、学園長の声は毒だ。
 甘い、とかすような毒。所謂美声ってやつだ。
 遠のきそうな意識をなんとか戻して、学園長の肩をたたいた。

「おろしてくださいっ! セクハラで訴えますよ!?」

 訴えるつもりなんて、もちろんない。
 ただ、こういう他何も術がなかった。
 学園長は私を強く抱えて、顔を覗き込んできた。

「うるせぇっ! セクハラでもパワハラでもなんにでも訴えやがれ! とにかく、俺はお前を手放す気はねぇ!」

 ――― もう、やだ。

 なんなの、この人。
 やめてって言ったのに。
 勘違いさせないでって、期待させないでって言ったのに。
 なんでこんなに勘違いさせたり、期待させたりすること言うの。
 恥ずかしくなって両手で顔を覆った。



 1階の第2保健室についた。
 1番近い保健室が第2だったから、だと思う。
 学園長は簡素な、でも意外としっかりした扉を開く。
 中には誰もいなかった。

「おい、糸川ァ? アイツ、第2に誰も来ねぇからって、サボりやがったな。……うた、ん」

 白いシーツが敷かれた簡易ベッドに降ろされた。
 足を乗せるための台に、右足を乗せられた。
 第2保健室はめったなことが無い限り人が来ない。それを暇に感じたここの保険医は、頻繁に第1のほうに顔をだしているんだ。
 ここはほぼ無人で、保健委員が使ってると言ってもいい。自分たちで勝手に直しているのだ。
 学園長はガチャガチャと棚を漁ると、救急箱を取り出した。
 中から湿布と包帯、そして医療用テープをベッドの上に置いた。

「ちょっと冷てぇけど、我慢な」

 腫れた部分を撫でられて、白い湿布を貼られる。
 そして白い包帯で丁寧に巻かれた。
 学園長は私を奥側に座らせて、自分は道を塞ぐかのように扉側に座った。
 まるで逃がさんとばかりに、左手もがっしりと掴まれている。
 左手を引き離そうと、何度も動かしたけどビクリともしない。
 やがて学園長から放たれる強い眼力に耐え切れず、もがくのを止めた。
 そして静かな時間が流れた。

「あ、うた。目、冷やすか?」

 暫くの沈黙を破ったのは、沈黙を始めた学園長だった。
 もう片方の手で目じりを撫でられて、頭も撫でられた。
 私は早口でいらないことを伝えると、頭を横に振った。
 学園長はそうか、とひとこと呟いてまた前を向いた。
 そして、ぽつりと、話始めた。

「……さっき、なんで優しくするかって聞いたよな。教えてやる」

 私の左手を引いて、ぽすん、とベッドに押し倒した。
 正直、何が起きたのかわからなかった。
 ただ少し硬いベッドの感触と、上から覗き込む学園長の目が、柔らかいということ以外は何もわからない。
 学園長は真剣な表情で、話し始めた。

「お前だからだ」

 ――― 言っている意味が、何もわからなかった。

 学園長の目は至って真面目で、私を射抜いている。
 するりと頬を撫でる手は止まらず、それは時々私の首元も撫で上げていた。

「お前は、俺のことを優しいだとかなんだとか言うよな? ――― そんなもの、お前限定に決まってるだろう」

 そもそも気に入った女以外、触れさせやしない。
 そう耳元でささやかれた。
 この時点でもう、学園長が何を言っているのかわからなかった。
 学園長との距離は近くて、所謂キスする5秒前的な近さだ。
 影がかかっていてもわかる。綺麗な目が私を見つめていて、私もそれを見つめ返している。
 空気の味が解らなくなった。
 学園長は私の前髪をかきあげて、髪の毛を撫で上げる。

「探しに来たのだって、お前の具合が悪いって、お前のクラスメイトが教えてくれたからだ。まあ、もともと探してたんだけどな。昨日の、件でな」

 昨日の件、そう学園長が言って、ああ、アレか、と自身の中で納得する。
 迷惑だとか、近づくなだとかの、アレだ。
 学園長のあの言葉を思い出すたびに、胸の中に何かが刺さるような気がした。
 じわり、また涙が溢れだしそうになって、必死に押し込める。可笑しいな、ここまで涙もろくはなかったはずなんだけど。
 学園長が口を開く前に、私が先に口を開けた。

「なんで、避けてたんですか」

 どうしても聞きたかった。
 嫌いならきらいと、聞きたくないけど言ってほしかった。
 いきなり避ける理由を、どうしても、この耳で聞くまでは、想いを断ち切るなんて無理だ。
 思わずずらした目線。学園長は私の顎を掴んで、視線を向けさせた。

 そしてハッと息をのんだ。
 真剣なまでの眼差しの中に、苛烈なまでの怒りと、悲哀と、寂しさと、懺悔があった。
 その目にくぎづけになった。表情もどこか悲し気で、寂しげで、恐れているようで。
 激しい感情を宿したその目に、心情に、惹かれずにはいられないのだ。

「……出張から帰って、お前に会うために図書館に行ったらアレだ。お前に会うのだけを励みに頑張ったっていうのに、帰って早々のアレだぞ。その場の勢いでお前を押し倒さなかっただけマシだと思え」

 苦し気に吐き出された台詞(ことば)。
 彼は小さな声で続けた。

「しかもオーケーするとか、ふざけんなよ。俺の”囲い”が無意味だってことか、って、そんな怒りが溜まってた」

 ギリ、と学園長の爪が首の横に食い込んだ。
 痛みを訴えると、慌てたように離してくれた。少しだけひりひりする。
 私は痛みをこらえながら、学園長に質問した。

「な、んで、学園長が怒るんですか?」

 そう聞くと、そこだそこ、と学園長が眉を顰めながら答えた。

 ――― あ、学園長が言ってるのって、もしかして図書館での、アレ

 そこまで考えて、さらに首を傾げた。
 学園長のさっきの言い方だと、まるで私が告白を受け取ったようなものいいだ。
 私は慌てて首を横に振った。

「あの、一応言っておきますけど私、告白のオーケーなんてしてない、ですよ?」

 そう言った途端、学園長が間抜けに口を開けた。
 学園長のファンたちが見たら、間違いなく絶叫ものの間抜け顔だ。
 目を丸くして、どこか混乱しているようだ。

「は、いや、だっておまえ、あの時に『ありがとうございます』って……」

 『ありがとうございます』?
 ああ、確かに言ったような気がする。
 そうだ、言った。言ったは言ったけど、そう言う意味じゃなくて、って。
 今更だけど、学園長ってアレ、聞いてたんだ。
 そう改めて知って、羞恥で顔が赤くなってしまいそうだ。

「はい、確かにありがとうございますって言いましたけど」
「ほら言ったんじゃねぇか」
「言ったは言ったのですが、オーケー的な意味じゃなくて、別の意味です」

 オーケーなんてしてない、と答えると、また学園長が間抜けに口を開けた。

 図書館のあの時、確かに私は『ありがとうございます』とは言った。
 でもこの言葉には続きがあった。
 私はこの後に『ですがすみません。好きなひとがいるので』と答えたのだ。
 自分には決めたひとがいるから貴方とは付き合えません、は結構告白関連では使いやすい断りかただ。
 ちなみに嘘はひとつも含んでない。
 好きな人がいるのは本当なのだから。

「は、なに、つまり、俺の空回り?」

 どんな空回りかはわからなかったけど、とにかく頷いておいた。
 学園長は疲れたような顔をして、私に覆いかぶさった。
 全体重をかけているわけではないから、全く苦しくはない。

「つまり、アレか。青二才にお前を奪われたと思ったのも、それに凄く嫉妬したのも、醜い苛立ちでお前を突き放したのも、まったく意味がなかったっていうことか」

 俺の時間を返せ、と学園長が呟いた。
 そして続けざまに『疲れた』やら『恋しかった』やら『時間の無駄遣い』やらと愚痴をこぼしていく。
 学園長の愚痴は久し振りに聞いた、と気づいたら泣いていた。
 学園長は酷く驚きながら、その大きな手のひらで優しく涙を拭ってくれた。
 何を言いたかったのか、伝えたかったのかさっぱりわからないけど、元の学園長に戻ったことだけははっきりとわかった。
 出張前と変わらない、柔らかくて温かみのある声。
 全身を駆け巡る、痛みとは違う熱。悲しいわけじゃないのに、止めなく溢れる熱い涙が学園長の手を濡らしていく。
 滲んだ視界の中の学園長は、笑っていた。

「ったく、なんだよお前、実は泣き虫かよ」
「ち、ちがっ、ぅ」

 っはは、と笑う学園長。
 昨日まで目線すらあわせなかったくせに、私が目線を逸らすと強制的に合わせようとする。
 溢れ出す涙は学園長がどんどん拭いていく。でもやっぱり、止まらない。

「なぁ、うた」
「ぅ、はッい」
「っくく、裏返ってるぞ」

 うるさい。
 涙が止まらないせいで、上手く声も出せない。
 滲んでいる視界のなか、影が濃くなって学園長とギリギリの近距離。

 ちゅ。生暖かくて、少しだけかさついたそれ。

「ぁ、」

 驚きのあまり涙がぴたりと止まった。
 学園長がまた笑う。
 私はというと、内心パニックが外に出そうになっていた。

「#$@%&+*#&$%¥〜〜!?」
「おっと、暴れんなよ。あー、セクハラでもパワハラでも、ロリコンとでも罵ればいい。けどお前に誓って言うが、お前以外の女を好きになったことはねぇからな」

 お前限定のロリコンとでも思ってろ、と学園長は吐き捨てた。
 ちゃかすように言ってるけど、その目はなによりも真剣だった。
 私の両頬を掴むと、どちらにも軽くキスをした。
 パンク寸前の頭は処理を拒否していて、引っ込んだ涙がぶり返しそうだ。

「あ、そいういや言ってなかったな」

 まだ何かあるのか、とパンク一歩手前の頭が問い返す。
 耳元に唇を寄せられて、囁かれた。

「好きだ」

 お前に先越されたから言いそびれたけど、と。
 ああ、まだ、夢をみているのか。都合のいい、学園長が私を好きになるなんて夢。
 だって、だって、学園長は林檎が食べれないんだよ。
 自分でも無意識に『嘘だ』と呟いていた。

「嘘じゃない。なんなら、お前が信じるまで何度も言おうか」

 もう一度耳元に唇を寄せられた。
 真剣みを帯びた声が震えている。

「好きだ、好きだ、お前が好きだ。この世の何よりも、好きだ。愛してる」

 ――― ああもう、やめてよ

 砂漠のように渇いていたアレが、どんどん潤っていく。
 涙を流すたびに涸れていた心が、優しさを含んで潤っていくんだ。

「あと2年たてば、手に入ると我慢してきた。それが仇になったな」

 くつくつと笑いながら、押し倒された状態から学園長の膝の上へと座らされる。
 むかえ合う形の私たちは、互いの温度が高いせいで、少し蒸し暑い。

「なぁ、もう1回言ってくれないか」
「……なにを、ですか」

 もう1回、と学園長が言う。
 何を、と聞くと、好き、と学園長が返答した。
 カッと身体が熱くなった。
 思わず覗き込んだ学園長の目には、甘ったるい何かが、蜘蛛の糸をはるようにそこにあった。
 早く、とせかされて、恥ずかしくて顔があげられなかった。
 顔は俯いたまま、学園長にだけ聴こえるような声で呟いた。

「……すき、です」
「ああ、俺もだ。俺は、お前のことを愛してる」

 真っ赤になった顔を隠すために学園長の胸元に抱き付いた。

 学園長の片手には、赤い果実が握られていた。
 ここに来る前に落としてしまった林檎の果実だった。


 赤い果実。
 ――― 禁断の実
 私が落としてしまった果実だろう。
 私はぎゅっと目を閉じた。



 向日葵はまだつぼみで、でもいずれ花開く。
 満面の笑顔で、太陽をずっと追いかけているんだ。
 林檎はまだまだ先で、ゆっくりと大きくなっていった実を見るのが楽しみだ。

 林檎は禁断。
 向日葵は変わらず一途な愛。

 珍しく咲き誇った向日葵を眺める。
 一番背丈の長い向日葵は、精一杯太陽を見ていた。
 そして誰もがそれは当然であるかのように気にも留めていないのだ。

 赤と黄色が綺麗に混じり合う。
 囁かれた愛は、たぶん、強情。

prev / next

[ back to top ]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -