華麗なる獣と復讐も兼ねた日常生活 | ナノ


▼ Recollections:向日葵が望んだこと(リクエストNo.3)

 

 人が溢れかえる廊下。
 俺は、すれ違いざまに受け取った書類を鞄の中に潜めた。
 すれ違ったヤツとは何もなかったかのように、目線すら合わせないまま通り過ぎる。
 書類を潜めた鞄を大事にもって、左手に着けたリストバンドを軽く撫ぜた。

 寮の二階左の角部屋。そこが俺の部屋。
 寮室に着くと素早く扉を閉めた。
 持っていたスクールバッグを降ろして、手に持っていた鞄から書類を出す。
 ポケットから取り出した携帯も一緒に取り出して、器用に片手でロックボタンを押した。
 なれた動作で携帯を操作すると、新着メールが1件。
 それを流し読みして、ふと、一番最初のメールを思い出した。
 今から幾月か前の、初めのメールだ。


 from:高橋
           20×× 06/01 18:06
  sub:なし
 ―――――――――――――――――――
 3388899911
 4444777774444455
 19992



 意味不明に思えるだろう数字の羅列も、今は気づけば見慣れてきた。
 だけど最初の頃は、渡された説明書と読み合わせながら、1行ずつ解読していった記憶がある。こういうのには疎かった。
 そういつかのことを思い出しながら、画面をタッチして送り主へと返信する。
 もちろん、送り主と同じ手法で、今は打ち慣れた数字の羅列だ。できるだけ早く数字を打ち「送信」の文字をタッチした。
 軽快な音を出してメールが送信されたことを知る。その携帯を机の傍に置くと、俺は椅子に深々と座った。
 今回で何回目になるのだろうか。鞄の中から出した書類を、汚れないように、破れないように、丁寧に机に出す。
 見慣れたタイトルを読み上げて、頭に叩き込むように覚えた。
 十数ページにも及ぶ長い書類を読み上げるのは、それなりに時間がかかる。
 最後の1ページを読み終えると、深く息を吐いた。
 そして、深く息を吸った。

 内容は、ここ数か月のあいだ俺たちが監視している対象者のことについてだった。
 俺たちにとっては、さまざまな意味合いで目を離すことができない存在。
 対象者の監視を始めてから、幾月かの今日。新たな嵐と共に、対象者の身の回りも変化していった。
 それに合わせるように、俺たちのもとには少しずつ情報が集まり、準備はいい方向へと向かっている。
 だがあくまでも準備は、だった。俺は机に置いたノートパソコンを片手で開けた。
 黒い、シックなデザインの丁度いい形をしたノートパソコンには、対象者に関するさまざまなデータが保存されている。
 その中の一番古い、最初のデータをたまたま見つけた。
 カーソルを合わせてタッチする。カチッ、と軽快な音を立てて、パーセントバーが出る。
 100%になると、キーロックパス入力画面にパスワードを入力した。共通のパスワードを打ち込むと、中のデータが開かれた。




 【調査報告書名】転入生に関する1か月の行動と範囲・目的
 【日付】20××/06/01
 【対象】姫島 愛美
 【様子】05/15〜05/21 :昨日(05/14)試験は大人しく受けるも、与えられた係は不参加。教師からお咎めを受けるが無視。
 (05/15)翌日遅刻10:22登校。クラス内の8割以上は当日に宿泊願書を提出したが、対象を含むその他数名は届け出なし。
 (05/16)翌日遅刻11:03登校。合計4教科の授業をサボタージュ。第1理科室への侵入目撃。所有者カラーブルーは不在。
 (05/17)休日半時間授業に遅刻10:11登校。食堂にて人探しの末第1理科室へ侵入目撃。所有者カラーブルーは不在。
 (05/18)遅刻なし。社会科授業で執拗に教師に絡む。4限と6限の授業をサボタージュ。女子寮長へ騒音苦情殺到。
 (05/19)遅刻なし。HR時に生徒会候補の学力特待生(男)に接近するも切り抜く。委員会入りを要望するが、定員オーバーで叶わず。寮の門限を破る。
 (05/20)遅刻なし。数学授業中、男子への接触が絶えない。教師からの注意12回。昼休み以降授業への参加無し。学寮の監視カメラに姿有。中庭への侵入目撃。中の様子までは目撃できず。
 (05/21)遅刻なし。だが1限から4限までの午前の授業すべてをサボタージュ。午後の授業には出席。報道部に接近。軽くあしらい撃退。放課後からは第1理科室と中庭を行き来(CCTV) 第1理科室の所有者は不在。中庭は不明。



 約4ページ以上にも及んだ書類を、それこそ最初の頃は、砂を一粒ずつ探す勢いで読み上げた。
 この書類には、作成した1人ひとりの強い思いが込められている。
 あの事件から間もなく、その次の日からつけ始めた対象者の観察は、翌日のことだったからうまく取れていない。
 それでも授業の合間をぬって、それぞれが対象者の細かい行動をしるしていた。
 そんな初めの頃の書類を、今は手馴れた書類と比べる。違いは微々たるもので、だけど今はもっと詳細が明確に記されているのだ。
 古い書類を他にも読んでみる。この数か月の記録が、そこに記されていた。俺たちの手によって記された、対象者の記録が。
 読み終えると、閉じるボタンをカーソルに合わせて軽くタッチした。
 データページは閉じられて、パスワードはかけなおされる。セキュリティ保護のために、パソコンのウイルス対策を強化させた。
 それをやり終えて、まだ書面のままのデータをもう一度手に取った。
 今回俺の手元に届いたのは、先月分と先週分の大まかな様子のものだった。
 書類の一番最後のページの、その右下に目を止めて、俺は書かれた文字を指でなぞった。

 『事件を解明しようの会』

 これは、俺が所属している会の正式名称だ。
 何かあった場合、部活という形で公欠扱いにするため、表向きは『総合活動部』と名乗っている。
 この部の設立、および理由が認められたのは、設立申請の数時間後だ。学園長のサポートを得て、俺たちは活動している。
 この会の主な目的は、ある生徒の監視。その動向の書き留め。最終的な目的は、全てを暴くこと。
 俺たちは果たさなければいけない。
 一種の義務的な何かにさえ思えてくるほど、俺の頭を支配していたのはそれだけだ。
 これを終えるまでは死なない。そう決意するほどの理由が、俺にはあった。

 俺にとって”彼女”は、良き友人であり、良きライバルだった。
 彼女は非常に優秀な生徒で、主席保持の特待生だ。俺は、その1つしたの上位保持の特待生。
 3位以内に入ることを条件として、この学園に通っている。そんな俺にとって、彼女は尊敬すべき人間だと言ってもいいだろう。
 彼女は非常に優秀だったが、天才というわけではなかった。彼女の陰ながらの努力が、彼女に輝かしい結果を掴ませていたのだ。
 学園の敷地内中央に設置されている図書館は、彼女の勉強場所(テリトリー)だった。
 誰が決めたわけでも、彼女が決めたわけでももちろんない。ただ彼女が勉強する窓際の周辺は、彼女の特等席だったのだ。
 勉強用の資料を横に積み上げ、ノートへとまっすぐ向かう姿。カリカリと絶え間なく響くシャープペンシルの音。
 夕暮れの図書館は彼女の時間。空の色で図書館のなかも華やかな赤に染まり、彼女をも赤く照らした。
 鬱陶しいほどの雨の日でも、咽かえるような暑い晴の日でも、どんな日でも、彼女は絶え間なくシャープペンシルを走らせ、勉学に励むのだ。
 彼女から離れた窓側の席で、彼女と競うように勉学に励む。それが俺の、日課だった。

 彼女はとても勤勉で、とても真面目で、優しいひとだった。
 俺と同じ特待生であり、その優秀さから幾度も生徒会に誘われ、そのたびに断るようなひとで。
 生徒会は幹部委員のなかの幹部委員だ。所属すれば間違いなく、将来の名に箔がつく。
 それでも彼女は丁寧に断った。この誘いは、確かに断ることは可能だ。だがほとんどの生徒はそれを承認し、仕事に勤める。
 彼女がくだらない理由で断ったとは、もちろん思っていない。
 ただ何故断るのか、それが疑問だった。
 ある日疑問が膨らみ、聞いたことがあった。彼女は目を丸くして、考える仕草をした。
 さらりとおどった髪を撫でつけながら、彼女はひとつ頷いた。

”そうですね。私はその役職にふさわしくないから、でしょうか”

 彼女の口から出た、俺としては心底納得いかない言葉。
 思わず眉を潜めた俺は、そんなの事はないのではないか、と。
 俺からみた彼女は、いつも控えめで、淑やかで、温かみのあるひとだ。集団の先頭にたち率いるというのは、少し苛烈かもしれないが、相応しくないとは一体どういうことなのか。
 問いを続けた俺に、彼女は変わらない調子で話し始めた。

”私は、ひとを率いることが苦手なんです。誰かの前に立って、あれこれ言うほど、偉くもない。むしろその陰で、誰かのために働く方が、何倍も好きなんですよ”

 これじゃあ駄目ですか? と困った様に笑う。
 夕日の赤が、彼女を華やかに彩る。
 それは一枚の絵画のようだった。

 彼女の答えに、どこか納得いかないところがあったが、それでも彼女の決断ならば、と彼女に頷き返した。
 駄目ではない、と俺が言うと、彼女は安心したように笑った。緩やかに射す、暖かなそれを纏った笑みだった。

 彼女の姿は、さまざまなところで見かけた。
 たとえば、解放された北の資料室。埃臭かった場所は、彼女の手によって綺麗に磨きあげられ、乱雑に置かれた資料も纏められた。
 そのおかげで、今まで資料室に来ることのなかった生徒も、積極的に資料を借りに来ている。
 たとえば、夏は涼しい噴水前。高く吹き上げる噴水前の、奥川の青いベンチで座りながら、黙々と読書をする彼女。
 今も噴水前の青いベンチを見ると、変わらずに読書をする彼女が見えるような気がした。

 限りなく溢れてくる思い出を、押し込めるように息を吐いた。
 くしゃ、パソコンを閉じた振動で机から封筒が落ちた。書類を入れていた封筒だ。
 その時になって、封筒の中にもう1枚書類があることに気付いた。
 『接触についてのまとめ』と大きく書かれた書類には、数名の生徒の名前が記されていた。
 その数名の生徒の名前をみて、幾人か気になる生徒の名前をみた。
 書かれている生徒の名前はすべて、この学園で有名な人物ばかりだ。書かれた有名人たちは、俺たちが監視している対象者が接触してきた生徒たちだ。
 そのうち、対象者から1歩距離を置いている生徒の名前を復唱した。


 【御子紫(みこしば) 轟(ごう)】    第一学年B組所属。特別区域所有許可有り。中庭をナワバリとしている。生徒会候補。会による仮名(カラーヴァイオレット)


 同学年であり、特待生ではないが上位成績者でもある御子紫。
 御子紫の家は古くからある老舗の和菓子屋で、御子紫はそこの三男坊だったはずだ。長男はこの学園の卒業生で、今は家業を継ぐために修行中らしい。
 なぜそこまで知っているかと言えば、禁則事項だと会長が言っていたので詳しくはしらない。ただ何らかの方法で情報を取得したことだけは、明らかだ。
 末恐ろしいことこの上ないが、あえて考えないようにしている。俺の情報も持っていそうで、どこか反論しがたいのだ。
 小さなため息を吐くと、御子紫の一番下にかかれた最後の文字を映して、これもそういえば面白半分で決めた名だったな、と思い出す。
 苗字に色が入っているということで、この仮名になったわけなのだが。
 見る人によっては誰のことを示しているのかは明らかだろうが、堂々と”御子紫”と書くよりはいいだろう。
 御子紫に関する書類の次のページ、『中庭』と書かれた事項も、隅々まで読む。

 ”ナワバリ”
 それは、この学園の成績優秀者、もしくは武道優秀者に与えられる特別区域所有地《スペシャル・サプライズ》だ。
 その通称名は、この学園が神聖視している守り神・白狼を中心とした獣たちが作る自分たちの居場所、縄張りからきている。
 学園が定めた特別区域、別名立ち入り禁止区域には、学園に住み着き、知能が非常に高い白狼が生活している。
 その区域には、白狼の性質的な理由で学園が認めた成績優秀者以外は立ち入ることはできない。御子紫は、学園側に認めらた数少ない成績優秀者だったのだ。
 彼女も学園側に立ち入りを許可された成績優秀者だったが、彼女がナワバリを持ったことは無かった。何故なら彼女は、そういうものに興味が無いように見えた。
 学園の中で勉学に励み、緩やかに流れる平穏な日々を、咀嚼するように過ごす。それだけで、どこか満ち足りたような表情をしているのだ。
 幸福について彼女に尋ねた時、彼女は変わらない日々こそが幸福だと、逆光で見えない表情で言った。
 そんな彼女だからこそ、ナワバリといった特別なことは求めなかったのかもしれない。そして、生徒会入りという変化を拒んだのかもしれない。
 彼女の望まない変化は、ある一人の存在によって大きく変わり、彼女の望まない日々へと変わってしまったが。それでも彼女は、きっと、精一杯だったのだろう。ただひたすらに、自分の日常をまっとうしようと試みていた。
 逆に御子紫は変化を求めていたのだろうか。もともと活発的で、新しいもの好きの御子紫にとって、ナワバリという変化は最高だったのだろう。
 女子や騒がしいものは苦手に思っていたようだが、勉学好きで変化好きの御子紫。片や平穏と変わらない日常を好み、和やかな彼女。
 俺たちの学年から出た成績優秀者は、彼女と御子紫の二人だけだった。
 俺は上位保持者ではあるものの、特別区域所有地《スペシャル・サプライズ》が与えられるのは上位2名と幹部委員の中でも数名だけ。
 成績優秀者は白狼が住まう特別区域へ。武道優秀者がもう一つの区域の所有が認められている。
 所有が認められている幹部委員は、生徒会を含め風紀委員会もその範囲内だ。
 といっても、成績と武道優秀者が幹部委員を務めているから、どっちにしろ同じだということに変わりはないのだ。

 御子紫は優秀で、だけどその優秀さを鼻にかけることは無い。
 女嫌いである御子紫は、だけど単なる女嫌いというわけではない。中等部から続けられた御子紫に対する付き纏いが、彼をそうさせたというだけだ。
 学力に力をいれ、容姿だけを見ることのない女子であるなら、御子紫は普通に受け答えする。独自の捜査で言うなら、御子紫は彼女に対しては好い印象を抱いていたようだ。
 彼女の葬儀には、共に花を供えてくれた。そして御子紫は、対象者に靡くことも、虜になることもなく、自己を貫いている。
 不法侵入を繰り返す対象者に対しても、鬱陶しく思っているようで、不機嫌そうな姿が見られている。
 だがここ最近は、どこか柔らかな表情をしている姿を度々見かける。彼女の特等席だった図書館の窓側で、読書をしていることもあったな。心底穏やかな表情で。
 俺は、御子紫に対しては好い印象を持っている。彼女もおそらくそうだったのではないだろうか。
 学力では彼女のほうが上ではあったが、彼女は御子紫を尊敬しているような節を度々見せていた。
 ふと、そこまで考えてクッと笑う。どんなことでも彼女と結びつけてしまう自分に、どこか自嘲の笑みが漏れた。


 御子紫の事項を読み終えて、次の書類を捲った。


 【宇緑(うろく) 演之助(えんのすけ)】  第三学年A組所属。特別区域所有許可有り。学園中央森林第1〜3地区をナワバリとしている。生徒会書記。会による仮名(カラーグリーン)


 御子紫が入る予定である生徒会の書記であり、第三学年の首席でもある宇緑先輩。
 質実剛健で寡黙。だけど言うべきことは口にして、宥めるべきときは宥める。長年積み上げた冷静さが、彼のその性格を作ったのだろうか。
 美形であることから女子の人気も高いが、そのストイックさが男子からの人気も集めている。一時は会長になるのではないか、と期待されていたほどだ。
 何故かそのまま三年連続で書記をしているが、その真相は定かではない。宇緑先輩に関しては、彼女とも話したことがあった。
 彼女はそのストイックさゆえにではないのか、と言っていた。宇緑先輩のまっすぐで、与えられた職を最後までやり遂げようとする性格が、彼が会長にならなかった理由なのではないかと。
 俺はそれに頷いた。あのストイックで、一度やると決めたら最後までやる先輩のことだ。その可能性が高い。
 当時の俺は、彼女に同意して、そこで終わった。宇緑先輩の事は、今だから言うが良く知らなかったのだ。おそらく、俺も彼女も。

 彼女は心底優しいが、でもそれが本質であるとは、俺は思っていなかった。
 優しさは美徳だろう。彼女はそうだった。彼女のはまさしく、輝かしい程の美徳だった。
 たとえ彼女に自覚がなくても、周りの生徒から見れば素晴らしい美徳だ。だけど、それが彼女の本質であるかと問われれば、そうではないと答えるだろう。
 彼女の友人として、三年もの月日を共に過ごした仲間として、彼女を見続けてきた俺は、彼女は非常に行動的なひとだと思っている。
 対象者の件についても、彼女は即決して探すことを決め、走って行った。
 学園祭でも、体育祭でも、どんな行事や授業の時も、仕切っていたのは彼女だった。俺は口下手で、上手く話すことができなかったから、彼女にフォローしてもらっていたのだ。
 そして彼女は、優しさもあったが、誰かを丸め込ませることがうまかった。
 気づくと彼女の言う通りになっていて、しかもそれが自然だから気づきにくい。殆どの生徒は気づいていないだろう彼女の、そんな本質。
 いや、彼女に何も問えない今、それが本質であったかなどわかりはしないのだが。


 彼女が好きだったのか、と問われれば、俺は間違いなく『好きだ』と答えるだろう。
 だけどそれが、俗にいう恋愛感情なのか、はたまたただの友情的な意味合いだけなのかは、わからない。
 それを相手に聞く前に、彼女はもう居なくて、そしてそれを確かめる術を俺は知らないのだから。
 気づきつつはあったのだろう。ただ、やはり、どことなく、心の中でつっかえているのだ。
 小さな骨が喉に刺さったような、そんなつっかえ。
 日の光が射し込み、淡く輝く彼女の席。
 今は新しい生徒が座り、勉学に励む席となったけど、それでも、彼女のぬくもりは消えはしない。

 彼女の席。彼女の部屋。
 彼女が使っていたものすべてが、彼女のぬくもりだった。
 今は、一番暑かった夏の日、その日に転入した女生徒が使っている。
 彼女と似ているようで、でも違う女生徒。着慣れていない制服を気恥ずかしそうにしながら、彼女の席に座る。
 教科書も、資料も、彼女が使っていたものだ。
 彼女の保護者から使用の許可が出され、彼女の品は学園側に寄付、または形見として渡されることになった。
 彼女の特に親しかった友人たちにも、彼女の形見は贈られている。俺にも、彼女の親しい友人として形見が贈られた。
 俺に贈られたのは、彼女が愛用していたパスケースと、白生地の裏に『誠心』と書かれたリストバンド。
 彼女が愛用していたものだった。パスケースは学園内で使われるカードキーに使用されていたし、リストバンドは彼女が手首につけていたものだ。
 肌身離さずつけていた品々を、こうして受け取る。
 彼女の机も、部屋も、もう彼女の姿はなくて、まだぬくもりはあったけど、もう彼女のものではなかったから。
 手首に着けた白生地のリストバンドを、できるだけ優しく撫でた。
 黒でまとめた部屋のなかでは眩しくて、何故だか、瞼の裏が熱くなった。


 彼女は柔らかだった。
 彼女は和やかだった。
 彼女は知的だった。
 彼女は優雅だった。
 彼女は、誰かを愛していた。

 俺が思うに、彼女は白が好きだったのだろうか。
 彼女の持ち物は白で統一されていて、ハンカチも私服も、ほとんどが白系統のものだったような気がする。
 清廉潔白。その白を好んでいたのだろうか。
 『誠心』と刺繍されたリストバンド。誠の心と刺繍されたそれに、彼女はどんな思いだったのだろう。
 彼女は、確かに誠心さを兼ね備えていた。だけど、どこか苦し気であったようにも思える。
 まるで戒めであるかのように、彼女がリストバンドを外したところを、俺は見たことがない。

 ――― いや、見たことが無かった、が正しいか。
 彼女がリストバンドを外したところをみたのは、あの時(・・・)が初めてだった。
 彼女がいなくなったあの日、捜索に出ていた俺たちが集められたのは闇夜に近づいたとき。
 連れて行かれた場所で見たのは、物言わぬ亡骸と化した、彼女の姿だった。

 彼女の白いシャツは赤く染め上げられていた。
 白いソックスも、白いカーディガンも、咽かえるような鉄の臭いが漂う部屋のなか、目を瞑りたくなるほどのアカ。
 彼女の顔の半分以上も、その赤によって染め上げられていた。
 固まった俺の後ろで、誰かが息をのんだような気がした。いや、確実にそうだろう。
 その場に座り込んだ女子が、何度も嘘だと呟く。
 だけど現実は、その嘘が事実なのだと伝えてくる。これが、夢や幻などではないと、そう俺たちに強く訴えてくる。
 なにより、彼女のすぐ横で彼女の手を握っているあの人が、全てを物語っているように見えた。
 その日、絶えず続いていた俺の日課は、彼女の死という変化で、幕を閉じた。

 クラスメイトである高橋が、彼女のために事件を解明するため、その会を設立したと聞いたのは、ある日のことだった。
 まだ転入生も来ていなくて、彼女の机に備えられた花があったころ。教壇の前にたち、俺たちをじっと見つめる高橋。
 その言葉は、クラス全員の胸を打ち抜いた。
 俺は、変わらず彼女の席を眺める。彼女がいたときのように、今はいない彼女の姿を眺めるように、じっと。
 俺が会に参加しようと決めたのは、もちろん、彼女へのなみなみならぬ恩があるから、というのもある。
 同じ特待生であり、同じ環境に置かれたもの通し、彼女と共に過ごすことは多かったと思う。その中で、彼女の気づかないところで、俺は彼女に救われてきた。
 恩返しの気持ちももちろんある。だがなにより、俺にはどうしても貫かなければいかないものがあるんだ。
 彼女は、平穏と変わらない日常を幸福だと思っていた。このまま変わらず、平穏に過ごせればいいのにと、そういった彼女の表情は、やっぱり見えなかった。
 だけど、彼女がいない今だからこそ、変化を望まなかった彼女だからこそ、俺は、貫きたい。
 彼女がいた時と変わらない日常を、まるでそこに彼女がいるかのように過ごそう。会に加わり、監視をするという変化はできても、それ以外の日常のすべてを、変わらずに。

 彼女に報告したいことが、山ほどあるんだ。
 そうだな。彼女の席に、新しい女生徒が座ったこと。
 その生徒が、どことなく彼女に似ていること。本質は似ていないが、やさしさが似ている。
 あとは、彼女が育てていた花が咲いたこと。彼女が育てていた向日葵は、今年も綺麗に咲いたと。
 彼女が山を貼ったテストが、見事的中したこと。おかげで点数が上がった。
 彼女が磨いた資料室が、今も多くの生徒によって大事に使われていること。今は千鳥が整理していること。
 あとは、あとは、そうだな。多すぎて、話したいことがありすぎて、纏めきれない。
 彼女は笑うのだろう。可笑しそうに、ではなくて、困った様に。
 その真相は、きっと ―――


 彼女の日課。
 朝の軽いジョギング。向日葵を含めた花の水やり。
 食堂に入る前に食堂の花瓶の手入れ。食堂の料理人に挨拶。
 一番早く教室につきカーテンと窓を開ける。席に着く前に時間割の確認。黒板周りの整頓。
 昼食前に花の水やり。資料室の整頓。購買で購入。噴水前で読書と昼食。
 帰宅前に教室の戸締り。図書館の窓側で読書。
 食事前のランニング。花の様子見。
 食事終了後料理人に挨拶。就寝前の勉強と読書。

 思い返す。彼女の日課は、ありふれているようで、全然珍しくて、俺の記憶の中だけにある。
 今は誰も見ることはない彼女の姿を、俺の記憶の中だけで見ることができて、俺だけが覚えているのだろう。
 きっと、誰も思い出せなくなる日まで、俺はきっと覚えている。
 日々の彼女の姿を、この目に映していた俺だけが。記憶の中の彼女は、いつも光の中にあった。

 彼女に関するデータは、報告書も含めて多くあがった。
 彼女の亡くなるほんの少し前の出来事も、もっともっと前の出来事も。
 対象者との接触によって変わってしまった彼女の、日常が少しずつ、積もっていく。
 もう少しだ。もう少し、待っててくれ。
 彼女の好きな向日葵に、彼女が埋められた、向日葵に、ありったけの祈りをささげる。
 俺たちの、俺の誓いは、彼女の好きな向日葵のなか。

 いつも通りの夕方、淡く燃える図書室の赤。
 窓側の席に座り、学園について書かれた歴史書を開く。
 午後17時15分。彼女が、微笑む時間。

 俺の日常は変わらない。
 彼女が、君が望んだように。俺はなにひとつ変わらずに、日常を過ごそう。
 たとえ暴きたいすべてが明らかにされても、だからといって変えることはないから。
 白いリストバンドを撫でた。
 この白いリストバンドが彼女の戒めだと言ったけれど、ああ、彼女の気持ちがわかるような気がした。
 確かに、これは、戒めだ。
 変わることのない日常を誓った俺の、戒めだ。



 朝のジョギングの帰り、花に水をやる。
 萎みかけた向日葵の種を拾って、持ってきた袋に詰める。
 空は朝焼けで白けて、赤いトンボが前を通り過ぎた。
 いつの日か彼女が言った、秋の匂いが鼻腔をくすぐった。

 握った許可証を手にもって、中庭へと歩き始めた。

 君の好きな季節が、やってきた。

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