華麗なる獣と復讐も兼ねた日常生活 | ナノ


▼ Recollections:忘れじの君

「私は好きですけどねぇ」

 目を細めて笑う姿。
 チェックのスカートを揺らしながら、なんとも穏やかに笑うんだ。
 向日葵なんて輝かしいものじゃなくて、例えるなら月光のような、儚さ。
 そんな彼女の笑顔が、たまらなく好きだ。好きだった(・・・)。



 彼女と初めて会ったのは、彼女が中等部2年のころ。
 その時期の俺といえば、学園長なんて偉い立場についたばかりで、古狸どもから嫌味を言われる日々だった。
 日頃たまりにたまった愚痴は最高潮に達していて、目の前を歩いている女子生徒に気付かなかったんだ。
 女子生徒の方も多くの荷物を抱えていて、俺たちはどっちもぶつかってしまった。
 俺は自慢するほどでもないけど、屈強な身体つきをしている。学生時代は陸上選手だった。
 だから小さな女子生徒がぶつかってもなんともない。俺の方は、だが。
 女子生徒のほうは盛大に尻餅をついた。手に持っていた荷物も廊下に散乱してしまったんだ。
 俺はそれでやっと誰かにぶつかったことを理解した。
 小さく呻き声をあげた女子生徒に手を差し出す。廊下は俺たち以外誰もいなかった。

「すまない……っ! 大丈夫か?」

 リボンの色から学年を想像する。
 なぜこんな時間にここにいるのだろうか、という疑問はすっかり抜けていた。
 ただただ、ぶつかってしまったことと怪我をさせていないかということだけが、その当時の俺の頭を占めていたんだ。
 腰を押さえながらも、女子生徒は首を横に振った。

「いえ、大丈夫です。こちらこそ、すみません」

 リンと、綺麗な声。
 鈴の音がなるような? ――― いや、そうではない。
 果実の様な甘い声?  ――― いや、そうでもない。
 言いようのない、でもやけに耳に残る軽やかな声だ。
 柔らかく涼やかで透き通るような、どの表現も合わないんだ。
 ただ、そののびやかな声と、あげられた顔から覗く双眼に惹かれた。奥の奥まで惹きこまれるような、なにか。

「あの、大丈夫ですか? え、と、学園長?」

 女子生徒の声にはっとなって首を横に振った。
 何故だか顔が赤い気がした。

 そのあと女子生徒の手伝いをして、少し話すようになった。
 最初は控えめな笑みしか浮かべない女子生徒も、だんだん仲良くなっていくと華やかに笑うようになった。
 時々辛い言葉を混ぜた、毒舌。最初の控えめな可憐さはなく、とてもはっきりした女子生徒。
 やがていつしか愚痴をこぼすほど仲良くなった。
 その女子生徒こそが、彼女だ。

 彼女はちょっと豪快で、でも控えめで、非常に優秀な生徒だった。
 高等部に上がれば、間違いなく白狼に認められるだろう頭脳の持ち主。だけど彼女は何も誇らない。
 ただ笑って流すだけだった。
 綺麗な目をまるくして、でも困った様に笑うんだ。
 長めのまつ毛を瞬かせて、少し首を傾げる。彼女は本質を語らない。
 でも時々、寂しそうに笑う。
 そんな彼女が、たまらなく ―――


「学園長? 今回はいったいどうしたんですか?」
「いや、まあ、ちょっとな」
「また上層部の連中ですか? どうしました。また仕事でも押し付けられましたか」
「……ああ、まあな。ったく、いっそのこと教育庁本部に突き出してやろうか」
「ははっ、学園長になんてなったからですよ」

 一瞬止まった思考は、彼女の呼びかけで十分だった。
 顔に熱にが集中するように、どんどん体温が上がっていく。今の俺の顔は、きっと赤い。
 まて、まて俺。今ならまだ引き返せる。
 10も下の小娘に、そんな感情抱くな。
 昇っていく熱は、どう足掻いても冷めそうにない。




 彼女と出会ってから1年。
 学園長としても認められ始めて、仕事も少しは楽しくなってきたとしのころ。
 中等部の3年生になった彼女は少し大人びて、前以上に綺麗になった。

「学園長、最近肌のつや良すぎじゃないですか?」
「ん? そうか? 最近まともに寝れてるからかもしれないな」
「……ああ、最近やっと落ち着いてきたとか。良かったじゃないですか」

 今日は赤飯ですか? とまるで晩御飯を聞くような調子でそう聞く。
 まったく、彼女は愉快で物おじしない。
 軽く小突くと、わざとらしく『痛い』と笑った。顔がどう見ても痛そうじゃなかったが。

 彼女とのかかわりは先週で1年を超して、今では冗談を言い合うなかにもなった。
 俺は彼女を”唄(うた)”と呼んで、でも彼女は変わらず”学園長”と呼ぶ。
 それが少し、寂しい気がした。
 窓の外を見つめる彼女を眺める。
 一度だけでもいいから、その目でみつめて、その声で呼ばれたら、きっと決着をつけるから。
 この心のなかで燻る、熱い何かと、きっと。
 楽になるために息を吐いたのに、もっと苦しくなった。

「なぁ、唄」
「はい、なんですか学園長」
「頼みがあるんだが」
「はい」

 俺もほうに身体を向けて、不思議そうに首を傾げる。
 彼女はその大きな目を私に向けた。澄んだ目に自分が映り込むのを確認する。
 胸の高鳴りは収まらない。

「×××××、なあ、聞いてくれないか、唄」

 自分でも何を言ったのか思い出せなかった。
 ただ鮮明に覚えているのは、少し驚いたような、苦しそうな顔をした彼女だけだった。





「……ぅんっ! わぉんっ!!」

 暗く沈んだ場所にあった意識が少しずつ浮上していく。
 胸のあたりに重みを感じて、閉じていた瞼が開いた。
 視界一面を彩るのは真っ白な毛並み。汚れひとつない、純白のそれ。

「なんだ、お前か」

 濡れた灰青色の瞳。
 まんまるとしていて、どこか守りたくなるような風貌の子犬は白狼。
 変形種の代表格であり、この学園のいわば守り神。優秀なものを選定する力をもった、高い知能を持つ大きな犬。
 彼女が亡くなったあの日に生まれた、新たな白狼。他の兄弟たちの中でも特別高い知能を持っているだろうと思われる、次代の守り神。
 この学園に住まうすべての生物をまとめるこの白狼の父と瓜二つの容貌は、やはりどこか期待させる。
 生まれて間もない頃は足元も覚束なくて、牛乳もまともに口にしてくれなかった。そのせいか病弱体のこの白狼は、その父からたいそう過保護に育てられているらしい。
 白狼は早熟だ。この白狼の年ごろにはいっぱしに狩りに出ているだろうが、如何せん病弱体なものだからそれもできない。
 それに唯一の雌だから、他の兄弟たちにも大切に扱われているようだ。
 前々から人間染みた行動をするこの白狼は、それでもやはり特別な感じがした。
 まず、この白狼は甘えない。どんなに果物や野生の肉を出されても、採ってきた兄弟の分まで残す。
 一緒に食べるのが当たり前であるかのように、ともに食べるのだ。弱肉強食、貢がれたものは食え! が普通の白狼社会において、ある意味の異分子だ。
 でもそんなところも愛される要素の一つなのか、この白狼と他の白狼はなかがいい。

「くきゅー」
「……随分と切なげだな。腹が減ったか」
「わんっ!」

 普段はまったく媚もしないのに、腹が減ると可愛く鳴く。
 仕方ないな、と思いつつもドッグプレートを用意するあたり、俺もこの白狼を相当可愛がっている。
 何故だかは、わからない。
 もしかしたら、長い付き合いであるパートナー、響生(ひびき)の娘だからかもしれないけど。でもそうではないと思うんだ。
 似ているから、かもしれない。
 なにに、と問われれば、俺が返す言葉はひとつしかないだろう。
 なんど頭を横に振っても、浴びるように酒を飲んでも、他の女に目を向けようとも、忘れることができない存在。
 ぼやける記憶の中で、だけど彼女だけは鮮明に見えた。儚げに、切なげに笑う、あの日の彼女の姿が。

 好きだった。
 もう正直に言おう。愛してもいた。
 日々の彼女のゆるやかな変化が、何よりも愛らしかった。
 少しずつ警戒を解いていくところも、表面に出始めた感情も、柔らかくなっていく声質も、すべてすべて。
 彼女にある頼み事をしたあの日、心の中で燻っていた熱が大きく膨れ上がった。
 今まで認めたくなかったその感情を、ようやく受け入れた日でもあった。
 いつか、言おうと思っていた。
 彼女は優秀な生徒だった。高等部へいけば白狼に、なんて話は何度も挙がった。
 まだまだ機会もあると思っていたんだ。この思いを告げる機会はいくらでもあって、それは途絶えることは無いって。
 彼女が高等部を卒業したら言おう。そう考えて、それまでの長い月日で彼女をどう囲い込もうかと思案した。
 時間はまだまだある。大丈夫だ、落ち着いて、彼女と距離を縮めることだけを考えよう。だけどそれは、あまりに残酷な結末を迎えた。

 彼女が行方不明になったという知らせを聞いたのは、5月の上旬のころ。
 梅雨入りを目前にしたその日は少しだけ暑くて、暑さにめっぽう弱い彼女が心配になっていた。思えばあの時彼女を自分のところに呼んでいればよかったんだ。
 いつものように愚痴を聞く係として、そう学園の上層部からも認識されているんだから。
 行方不明になったという彼女を、彼女と仲が良いというクラスメイトの数名と共に探していた。
 外は夕暮れで、少しだけ雨雲がかかり始めていた。
 どこを探しても見つからない。最後の目撃情報は授業中、あるクラスメイトを探している姿を2年生の数名が見たのを最後に、それ以降の足取りは見られていない。
 もう駄目だ、そう彼女のクラスメイトの一人が呟いた瞬間、風を切るような速さで響生が現れた。
 それは夕暮れ空が雨雲に隠れて、暗い世界になった時のことだった。
 どこか興奮したような響生につれられたのは、中庭の奥だった。
 大きな木がフェンス代りとなっているそこは、『崖につき立ち入り禁止』と書かれた看板が設置されている。
 まさかこの先に? さっと全身の血が引いた。
 この先の崖に落ちたのだとしたら、間違いなく無事では済まされない。おそるおそる覗いた崖の底。
 赤い血だまりができていて、見慣れた制服がそこにあった。
 どういうことだか、どうしても考えることができなかった。すぐに駆けつけたくて、崖に飛び降りようともした。
 響生が俺の腕を摘まんで引き留めてくれたから落ちはしなかったが、溢れる涙だけはとめることはできなかった。
 つーっと、生暖かいそれが流れたのは、空から痛いほどの雨が降った時と同じだった。

 何故彼女があそこにいたのか、最初は想像もつかなかった。
 それがある女子生徒を探すことによって引き起こされた出来事だというのを知ったのは、彼女のクラスメイトが、彼女のために『事件を解決解明しようの会』を発足したからだった。




「ん、たんと食え」
「わぅおんっ!」

 大人しく座る白狼に、愛用のドッグプレートを差し出す。
 食欲旺盛で育ちざかりのこの白狼は、よく食べるしよく動く。まあ、動くよりは寝そべることのほうが好きなようだが。
 彼女も、動くよりは座っている方が好きで、でもとても小食だったことを思い出す。そして、食べている際に時々こちらを見るという癖も、この白狼と同じくあった。
 この二人、いや、1人と1匹の共通点といえば、仕草や好みだろう。
 彼女は冷えたミルクにクッキーを浸すのが好きだった。この白狼は冷えたミルクにドッグフードを数個浸して食べるのが好きだ。
 仕草だったら、彼女は何か大事なことを決めるとき決まって両手を擦りあわせていた。この白狼には前足を舐める癖があった。
 そして彼女は暑さに弱くて、この白狼も暑さが苦手だ。暑い日のアスファルトの上は絶対に歩こうとしない。ぎりぎりまで拒否するんだ。
 絶対に歩きたくない、と首を横に振るところがさらに人間染みて見えた。
 いくらか共通点はあるが、その中でも彼女と似通っているところと言えば、俺の愚痴を聞くときの相槌だ。
 これは彼女を失った俺の思い込みなのかもしれない、そう思いもしたが、やはりそうではないとどこか感じていた。
 彼女は必ず俺の目をみて相槌を打っていた。そして自分がもっとも共感しているところでギュッと目を細めるんだ。それは多分無意識。
 この白狼も彼女と同じで、打つタイミングも同じ、ギュっと目を細めるところも、同じだった。
 どうしても彼女とのかかわりを感じずにはいられなかった。
 彼女が亡くなったその日に生まれた白狼。それだけでも放っておけないのに、彼女に通ずるところまである。

 ああ、どうしてもっと早く好きだと、愛してる告げなかったのだろう。
 永遠にあえなくなるくらいなら、年齢なんて、職業なんて気にしないで、ひっそりと伝えていればよかった。
 なきたかった。なけなかった。
 必死にドッグフードを食べる白狼を目に映して、少し笑った。
 自分に対する、情けなさからくるものだった。



「一宮さんっ」
「日向。どうした」

 食べ終わった白狼を膝に乗せる。
 食事の後は動きたくないようで、おとなしくされるがまま。撫でるたびに気持ちよさそうに身を捩る。
 身体が弱く小さな白狼は丁度すっぽり収まるくらいで。白く柔らかい毛並みに頬を摺り寄せた。
 授業終わりらしいこの少女、日向(ひゅうが)優子(ゆうこ)は白狼を迎えに来たのだろう。
 うとうととしている白狼に頬をほころばせている。確かに、この白狼は愛い。

「眠たそうにしてますね」
「まあ、さっき腹が膨れるほど食ったばかりだからな。それに、今日はいい天気だ」
「はい。わたしも授業中は眠そうになりましたよ」
「おいおい。寝てねぇだろうな?」
「ねてませんよ!」

 この年の夏に転入した日向は、とある女子生徒に目をつけられたせいで円満な学園生活が送れていなかった。
 ボブカットにした髪に、少し大きな目、不安そうな顔。
 初めて見た時は、まるで彼女のようだと思った。
 彼女のような豪胆さはなかったけど、困った様に笑う姿が、いつかの彼女と重なって見えた。
 髪型も、顔も、目の色も、全然違うのに、でも纏う雰囲気が彼女に似ていた。
 彼女はめったに泣かなかった。どんな時でも気丈で、だけど笑うときは月光のように儚げな、共に歩いていきたいと思えるような女だった。
 一方の日向は、どちらかといえば気弱で、だけど笑うときは太陽のように輝かしい、他人の言葉を借りるなら守りたくなるような女だ。
 似ているようで似てなくて、似ていないようで似ていた。
 いつもの俺ならば、たぶん手助けなんてしない。本来の俺は見知らぬ他人を助ける程優しくできていないんだ。
 彼女の前だったから、いつだって優しいやつでいたくて、いつだって頼れる大人でいたかった。
 愛する彼女を失った痛みで、他のやつに目を向ける余裕もなかったあの頃に、それでも日向に手を差し伸べたのは、単に彼女に似ていたからだろう。

「一宮さん、一宮さんっ?」

 ――― 学園長、学園長ー?

 俺は卑怯だ。
 俺をまっすぐに慕う日向を、ただ彼女に似ているから助けている。
 これはエゴだ。彼女ににている日向を助けることで、彼女に何もできなかった自分を慰めているだけだ。
 目を閉じれば、何時の日かの彼女の姿が見える。
 彼女の好きな向日葵に囲まれて、ずっと笑っている彼女。
 腕の中の暖かなぬくもりが、あの日の彼女と重なった。


 白狼が一鳴きした。
 不機嫌そうに、ぐっと身を捩りながら。
 その白狼を持ち上げて、じっと見つける。やはりどこか彼女に似た白狼。
 もう一度だけ、白狼の毛並みに頬を擦り付けた。ふわりとした毛並みがくすぐったい。
 真っ白な毛並みが柔らかくて、灰青色の目がまんまるで、彼女によくにた白狼。
 ときどきドッグプレートに顔を突っ込む、ちまたでいうばかわいい白狼。
 呆れたようなまなざし、労うようなまなざし、笑った顔なんて普通判断できないのに、でも白狼の笑い方は彼女に似ていた。

「うた」

 ――― 唄(うた)

 彼女と同じ名前をつけたのは、きっと俺の未練がいつまでもあるから。
 強く鳴いた白狼を撫でる。白い毛並みには、やはり汚れはない。


 あゝ 忘れじの君を思ふ
 遠ひ君を思ひながら
 月光に笑ふ

 ――― きっと彼女しか、愛せない

 告げられなかった想いは永遠に胸のなか。
 いつか長い時のなか、彼女にまみえることがあるのなら、その時は……

 君を愛してるとないた、あの日の空は青かった。

prev / next

[ back to top ]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -