華麗なる獣と復讐も兼ねた日常生活 | ナノ


▼ Recollections:彼と、【2】

 

 その本を開いたのは偶然だった。そう、たまたま、無意識に、知らぬうちに、気付けば、だなんて、なんとでも形容できる形で、本当に偶然に開いたその本の中身を、生涯忘れることは無いだろう。

 柔らかな光が射す、図書館の奥から三番目の棚。
 彼女の指定席だった窓側の席は快適で、柔らかな光はちょうどよく注がれていた。たとえ暑い真夏日だろうと、この図書館の温度はいつも涼やかで快適だったのだ。
 いつも通り、日課の図書館通いが終わるまであと30分。最後の一冊に手を伸ばしかけて、その横に手に取った覚えのない、真っ白な表紙の本を見つけた。
 それはタイトルも何もない、真っ白な表紙に百ページ近い紙がはさまれているだけの、少し古びた書籍。こんな本を手に取った覚えはなかった。
 そうなると、自分が本を読んでいるときに誰かが置いた本だろう。だけどそれは、人の多い昼時ならそう思えるけど、ひとが全くいない午後の時間にはどう考えてもあり得なかった。

「『貴方が為の物語』?」

 中身を開くと真っ先に出てきた文字。それは単調で、特に違和感のない書体で印刷されたものだ。
 だけどどこか、何時の日だったか聞いたことのある様な気がして、その文字をなぞってから次のページを捲った。
 物語は実際にあった、ひとりの女性を主軸に、アフリカでの日々と、彼女を取り巻く男、戦争、悲しみが描かれていた。それは実に素朴で、胸を打つものがあった。

 ついついあと30分しか時間がないことも忘れ、その本に集中していたらしい。司書の呼びかけで、ようやく本から視線を逸らすことができた。
 何故真っ白な表紙なのか、それはわからずじまいで、だけど何故か、そうでなくてはならないような気がしたんだ。
 バーコードの貼られていないその本を手にもって、図書館を静かに出る。
 空はまだ、夜に染まり切れない茜色だった。



******


「『愛されなかったということは生きなかったことと同義である』」

 そんな言葉が聞こえてきたのは、ある日の放課後のことだった。
 学級委員として雑務がある俺と彼女は、常盤教師から渡された多くの紙束をホッチキスでまとめる、これぞ学級委員の仕事、といえなくもない単純作業をひたすら繰り返していた。
 無造作に置かれている紙束の隣で、綺麗にとめられている冊子の束をちらりと見た。一向に減らない紙束に舌打ちする気持ちを抑え、沈黙の後にそう呟いた彼女の方に視線が向いた。

「ルー・ザロメか?」

 彼女が呟いた言葉は、俺の記憶が間違っていなければルー・ザロメの言葉に違いはなかった。
 俺の予想は当たっていたらしく、彼女は目を丸くすると、くすりと笑みを零した。

「うん。良く知ってましたね。なかなかマイナーですよ?」
「母が好きなんだ。何度も繰り返し言うものだから、覚えてしまった。家にもルー・ザロメの書籍が多く置いてある」

 すごい、とキラキラと目を輝かせた彼女は、小さな拍手をするとすぐに悲し気な顔になった。
 パチリ、ぱちりとホチキスを上下に動かす音だけが、俺たちの間を小さく揺らす。彼女は小さく息を吐くと、ゆっくりと口を開いた。

「仕方ないことなんですが、この学校の図書館にはルー・ザロメの本が一冊もないんですよね」
「一冊もない? そんな馬鹿な」
「それが、本当にないんですよ。この学校に置いてある本、マイナーなものもちゃんとあるのに、何故かルー・ザロメの本が一冊もないんです。可笑しいですよね」
「ああ。一冊ぐらいあっても良さそうなんだがな」
「リクエスト、したらきますかねぇ」

 あ、あと一枚。そう喜色混じりに呟く彼女を横目に、そんなにもマイナーだったのか、と思考を巡らせた。
 確かにマイナーな作家ではあるが、格式高く、勉学にも力を入れている学校の図書館だ。一冊くらいはあってもいいものだが。
 不思議だと首を傾げている暇もなく、最終下校を告げる鐘が俺たちの動作を早めた。
 最後の一枚を閉じ終わると、俺も彼女も急いで学校を出る。
 結局なぜ、彼女があの台詞を呟いたのかを聞くこともなく、薄暗い空を彼女と二人ならんであるいた。



 出逢ってから1年がたった。
 俺たちは中等部2年に進級し、クラスはかわらずA組だ。まあ、クラスはA組のみ三年間変わることは無いから、当然なんだが。
 初めて会った時よりは、ほんの少し柔らかみのました彼女は優しく、学級委員として当然の責務を果たしていっている。
 クラスの殆どが彼女に協力的で、彼女の呼びかけで集まる数がどれくらいいるか。正直数えたくもない、数えられない人数であることに間違いはない。
 普段悪戯ばかりしている高橋も、彼女の言うことだけは素直にうなずいた。

「……ふぅ」

 クラスメイトの雑談に紛れて、微かにしか聞こえなかったその溜息。
 彼女から発せられた小さな疲れに、振り向かずにはいられなかった。

「本当に、前からどうしたんだ、珠城」
「ああ、いいえ。最近、ボーッとすることが多くて」
「疲れているなら休むといい。今日の仕事は俺一人でもできるからな」
「そんな! 玉城くんに悪いですよ。お仕事はちゃんとやります」
「まあ、それでいいなら。だが、あまり無理はしないように」

 彼女は少し細くて、ふとした瞬間に倒れそうだから。すごく、心配になる。
 病弱といった風でもないのに、だけどどこか儚げな彼女は硝子のようだった。
 落としてしまえばすぐ割れてしまう、頑丈なようで脆い存在。けっしてそうではないはずだが、どこか泣きそうな彼女を前に、心配で仕方がない。
 無理をしないように、いや、しないでくれ、と頼むような声で告げた俺に、彼女は少しだけ、目を見開いた。

「……ふふ。玉城くんは、ほんとうに、心配性です」
「む、そうか?」
「はい」

 そうだろうか。彼女のか弱そうな見た目を見ていると、どうしてか、俺の行動は無駄が無いようにおもえるのだが。
 彼女は苦笑して、大丈夫なのに、と呟いた。
 だけどどうしても心配になって、無理をして倒れたらどうなるか、くどく説明する。
 そんな俺に彼女はやっぱり苦笑で返して、ほんとうに心配性です、と言葉を漏らした彼女は、どこか寂しそうに見えた。



「あら、玉城君」
「司書の……」
「|笠木《かさぎ》です。玉城君、ひとりなの?」

 はい、と返すと、そうなの、と珍しいとでも言いたげな表情で俺を覗き込む女性。
 俺と彼女が資料収集に何度も訪れる図書館の司書である女性は、どこか母を感じさせる温かみのあるひとで、雑務に追われる俺たちによく声をかけてくれる。
 資料本を提供したり、最新の書籍を紹介してくれるのはこの女性、笠木さんだ。
 笠木さんが珍し気な表情で俺を見るのは、おそらく俺が一人なのがよっぽど珍しいからだろう。
 図書館を訪れるときは大抵雑務で、それも彼女と一緒に来ていたから、俺だけが図書館にいるという違和感に耐えかねたのかもしれない。
 だがそれも仕方ない。今日の雑務は俺一人。
 彼女はいま、保健室だ。

「珠城は具合が悪いので、今日の資料集めは俺ひとりです」
「そうなの? まあ、熱?」
「ええ、まあ。ちょっと生真面目さが祟って、疲労が溜まった様です」
「そう。そうなると、ううーん、困ったわねぇ」
「――― なにか、あったんですか?」

 右手を顎に当て、思案に傾く笠木さんは、どこか困った様子で俺を見返した。
 大丈夫だ、とは言っていたものの、結局熱を出してしまった彼女は保健室で休んでいる。
 おそらく今頃、寮の自室で療養するように言われているに違いない。彼女は無理して雑務をやろうとするだろうが、中等部の保険医は実に過保護なひとで、どんな生徒でも病気や怪我があったら迷わず療養を命じる。
 寮に居ろ、って言うだけならまだましで、酷い時は都会の大病院とか、実家にとか帰そうとするのだ。それも、ちょっとかすり傷や熱だけで。
 ちゃんと自室で休んでいるんだろうか、と苦しそうな彼女を思い浮かべて苦笑する。
 何かにつけて彼女を心配してしまう自分が、どうしようもなく気恥ずかしく、同時に、変わった気がした。
 笠木さんはちょっとまってて、と俺に言い残すと、図書館の奥、司書室に駆けていく。どうしたのか、と思いつつも、笠木さんを待っている間に本を集める。
 まったく、Aクラスの学級委員だからと言って何でもかんでも雑務を押し付けるなんて、学園側に訴えればどうにかなるだろうか。

「玉城君、これ、珠城さんに持って行ってくれないかしら」
「これって、本?」

 笠木さんは少し小さな書籍を俺に渡すと、宜しくね、とひとこと残して去っていった。
 渡された書籍は本当に小さく、赤茶色の表紙に筆記体でタイトルが刻まれている。もしかして、ルー・ザロメの本だろうか。
 おそらく、彼女が言っていたリクエストしたものなんだろう。だけど、その本には学校の書籍である証、バーコードがなかった。
 ならば、笠木さんの私物かもしれない。ルー・ザロメの本を読みたがっていた彼女に、あの優しい母のようなひとが持ってきたのだろうか。
 真相はわからないまま、とりあえず後日聞こう、と本を高橋に渡した。
 俺が渡すのがいいのだろうが、この学園は全寮制で、男子が女子の寮に入ることは禁じられている。彼女の自室に近い高橋に、本を渡すように頼んだ。

「おっけーおっけー」
「忘れたら祟る」
「怖いな!!」

 珠城への伝言も頼み、こっわー、と言い続ける高橋に背中を向けた。
 その時の空は薄桃色で、雲はひとつもなかった。



「おはようございます」
「珠城? お早う。もう大丈夫なのか?」
「はい。御心配おかけしてすみません」

 マスクをかけて、少し照れくさそうに近くに寄ってきた彼女は、昨日よりはだいぶすっきりとした顔をしていた。
 照れ臭そうな顔をしているのは、おそらくさっきまでクラスメイトに囲まれていたからだろう。大丈夫? とか、苦しくない? とか、兎に角彼女を気にする言葉の嵐。
 心配され慣れていないのか、迷惑をかけてしまいました、と呟く彼女の姿はどこか不器用で、だけど何かに満ちていた。

「たまにはいいんじゃないか?」
「え?」
「盛大に心配をかけるのも。たまには頼るといい。友達で、―――仲間、なんだろう?」

 言っている自分が照れ臭くなってしまった。
 とんでもなく気障な台詞を吐いているきがして、彼女が顔をまっすぐ見れない。
 彼女は一瞬の沈黙のあと、嬉しそうなのと同時に泣きそうな顔で笑った。それは何かを押し隠すようで、だけど噛みしめるような笑顔でもあった。

「あー!! タマタマがたまちゃんなかしたー!!」
「うるさいっ! 誰がタマタマだ! 紛らわしいし不快だ」
「ぶーぶー」
「高橋……」
「ごめんなさいっ」

 俺と彼女が会話して、それに高橋が絡んできて、クラスメイトがみんなわらう。
 そんなサイクル。だけど、不愉快じゃなかった。
 むしろどこか心地よくて、幼い頃手に入れることできなかったものを、この手でようやくつかんだような気がしていた。
 俺にちょっかいをかける高橋、をシバく俺、に笑うクラスメイト。少し凝り固まっていたクラスだとは思えないくらい、不思議な温かみに満ちていた。

「ふふっ」
「あっ! 唄ちゃんわらったー」
「えっ、あ、すみません! その……」
「むふ、もっと笑って笑って! 笑っていいのだー」
「高橋五月蠅い」
「にゃんだとぅ!?」

 マスク越しに見えた緩んだ彼女の口元。紛れもない笑顔に、高橋だけじゃない、クラスメイトが全員嬉し気に彼女を見つめた。
 その中にはもちろん、俺も含まれている。滅多に笑わない、といった誤解になるが、彼女の浮かべる笑みはどこか社交染みていて、こうして声をあげて笑うのが珍しいのだ。
 少しだけ赤くなった頬を隠しながら、彼女はもう一度、小さく笑った。



 朝から珍しいものをみて気分が上がった今日のAクラスは、無敵だった。
 教師からの質問にはすべて正解をたたき出し、体育特待生は新記録、芸術特待生は何かをひらめき、学力特待生は全力を尽くし、その他のクラスメイトは努力を尽くした。
 絶好調だったのだ。いつも以上に気合の入った我がクラスは、隣クラスから畏怖の目で見つめられていた。やめろ、そんな変人を見るような目で俺たちをみるな。

「……本当に、昨日からいいことばかり」

 そう形作られた彼女の言葉は重く、なにより喜びを伴っていた。
 移動教室へと向かう渡り廊下から見上げる空は青く、彼女は空を眺めながらまっすぐとした足取りで廊下を進んでいる。
 前方には大はしゃぎで廊下を歩く高橋や千鳥たちがいて、俺たちはその後ろをゆっくりと歩いていた。
 教科書片手に笑い声をあげて進む。その姿はさすが中学生、といった風だ。大人しめのやつらでもクスクスと笑いながら、高橋らの後ろをついていってる。
 ゆっくりと歩いている俺と彼女の方が浮いている、といってもいいかもしれない。ゆったりと歩いている俺たちに手を振りながら、自分の足につまずいて転ぶ高橋を笑う。馬鹿め。
 くすり、と小さく笑う俺と彼女が渡り廊下に入るころには、もう奴らはもう反対側に近づいていた。
 俺たちも急ごうか、と声を掛けようとしたとき、彼女の呟きが俺の耳に届いたのだ。

「いつか、一気に不幸がきてしまいそう」

 怖いなぁ、と続けた彼女はどこか、幸せを恐れているように見えた。
 何がそんなに怖いのだろうか。何がそんなに恐ろしいのだろうか。何が彼女を、幸せにすることを拒ませているのだろうか。
 初めて会ったときに見た、強張ったその横顔を思い出して、俺はどうしても言いたかった言葉を吐き出した。

「なら、もっと幸せになればいい」
「え?」
「不幸になるのが怖いなら、それを吹き飛ばすほど幸福になればいい。いつか本当に不幸になっても、幸福だったころを思い出して笑えるくらい、幸福に」

 ひとは誰でも不幸になる。生まれたことが幸福だとしたら、生を終えることが不幸であるように。
 幸福の定義はひとそれぞれで、食事をとることができるのは幸福、眠れるのは幸福、遊べるのは幸福、お金を持っているのは幸福と、本当にそれぞれだ。
 不幸の定義もそうだ。食事の量が多く無かったら不幸、ちょっとしか眠れないのは不幸、洋服がたくさん買えないのは不幸、お金持ちじゃないのは不幸だと。
 平等に分けられているわけではないが、ずっと不幸だなんてこともない。だからこそ俺は思う。
 不幸になるのが嫌なら、いつかそうなっても笑えるくらい、幸福だった記憶をたくさんたくさん作って置けばいい。
 小さくても、ひとからちっぽけだと言われても、自分は幸福だったと胸を張れる、なにかを。また幸福になるための勇気として。

「綺麗だなぁ」
「でも、悪くないだろう?」

 うん、と頷いた彼女は泣きそうで、だけど次にはふわりと笑みを作った。
 それは今までと違う、張り付けられたような笑みではなく、心の底から浮かべられた、彼女の訴えのようなものだった。

「なれるかな」
「なれる。珠城が望んで、そうなるようにしていけば、きっと」
「そうかな」
「そうだ。だから……」

 ゆっくりいこう。

 そうだね、と彼女が笑う。
 気づいているのだろうか。少し堅かった敬語がとれて、砕けた口調になっていることに。
 歩みはさらにゆっくりになって、少し立ち止まりそうだけどでも、彼女は前をしっかり向いていることに。
 渡り廊下の向こう側で、俺と彼女を呼ぶ声がした。
 今行きます、と声を張り上げた彼女は、柔らかな笑顔を浮かべていて。
 綺麗に整えられた髪がふわりと揺れた。

「やっと、ちゃんとした笑顔、見れたな」
「……玉城くんだって、ちゃんとした笑顔、してるじゃないですか」

 速足になった彼女の後ろから、小さく呟いた。
 だけど彼女はちゃんと拾い上げて、少し悪戯に笑みを浮かべる。

「いつ?」
「いま」

 自分の頬に手を当てる。
 ぐっと自身の頬をつねると、いつも以上に伸びて、痛みが強く感じられた。
 緩んでる。間違いなく、緩んでいる。
 あの、凝り固まってカチカチだった俺の表情筋が。

「たまし―――」

 キーンコーンカーンコーン

「あ」
「……あ?」

 考えを遮断させた、軽快でどこか抜けるようなその音。
 急げ、とせかす声が遠く聞こえて、俺も彼女も廊下をかける。
 いつもなら校則違反だと眉を顰めるこの行為が、今はたまらなく楽しかった。

「ははっ」
「ふ、ふふっ」

 喜色を混ぜた俺の声に、彼女の笑い声が色を添える。
 渡り廊下を渡り切って教室を目指した。教室の扉が見える頃、彼女が小さく唇を震わせた。

「『幸福というものは、一人では決して味わえないものです』」

 アルブーゾフのよく知る名言は、彼女の柔らかな笑顔に真実味をつけた。

「きみ、実は名言好きだろう」
「うん」

 彼女は照れ臭そうに笑った。



******

「『天国はすごくいいところらしい。 だって、行った人が誰一人帰ってこないのだから』」

 白い本を手にして、何気なしに夜道を歩く俺の後ろから、そんな言葉が投げかけられる。
 声の主はよく知る男で、柔らかそうな茶髪を風で遊ばせながら、俺を静かに見つめた。

「なんのつもりだ?」
「んにゃ、前に図書館でたまたま見つけた本のなかにあった名言。誰のかはわかんなかったけどね」

 良い言葉っしょ、と男が笑った。
 男がいったその言葉を、一体どんな意味で俺に向けたかはわからない。――― いや、わかりたくない。
 目を逸らしたくなった。けど、男は俺に静かに圧力をかける。逸らすなと。

「オレさ、中2んときにさ、お前とあの子が話してた内容、聞いてんだよね」
「……なんのことだ」
「隠すなよ親友。あんなにあの子に幸福うんぬん言っといて、テメーは逃避かよバーロー」

 男の語る、幸福うんぬん。俺が彼女に説いた、不幸を乗り越えるほどの幸福。
 ああ、そうだ。俺は……

「『生まれたことが幸福だとしたら、生を終えることは不幸』になるんじゃねぇの、ってテメーがいったんでしょ。ならよ、生まれてこいよ」
「まだ、生きてるだろ」
「死んでんだろ。死んでんだよ、|玉城《たましろ》|歌唯《かい》は。あの子が『生を終える不幸』にあった瞬間、幸福だった玉城歌唯はどこにもいねーの」

 だから、さっさと戻って来いよ。生まれてこいよ、幸福な玉城歌唯。

 目頭が熱くなるような気がした。
 空は青黒く、無数の光を抱いてそこにあった。
 手に持っていた真っ白な表紙の本が、力が抜けるとともに地面へと落ちる。
 なんの音も立てないその本が、なんとも器用に半分開いた。

「言いたいコト、あるんじゃねーの? なぁ、たましろー」
「五月蠅い、バカ」

 彼女の姿が浮かんでは遠くへと流れていく。
 不幸から、再び幸福になるために、幸福になるんだ。その勇気をためるために。
 かつて彼女にそういった、俺の姿が脳裏を横切る。
 俺の記憶のなかの彼女は、常に笑顔に満ちていた。

 真っ白なページに、黒色のインクで書かれた文字が堂々と鎮座する。

『君に壊されたよ』『何を?』

 一体何を壊されたんだ、と問いかけるその声。
 小さく、息を吐いた。

「『僕の孤独を』」

 頑丈なはずの壁はいともたやすく壊されて、厚くかかっていた雲は晴れた。
 その晴れた向こう側にはいつだって、笑顔の彼女がいる。

 その日、彼女がなくなってはじめて、大声でないた。



(続く)

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