▼ Inside story:ぼくは好きで、俺は嫌いな珠(リクエストNo.10)
自分の好きなもの。
花。心が癒されて、落ち着くことができる。
水。喉を潤して、清潔にすることができる。
空。澄み渡った青空は、自分の心をも澄み渡らせる。
草。寝転べば最高の睡眠場所に、駆けまわれば最高の遊び場に。
そして、家族。
父。知識深く気高く、誇り高い、最高の親で長。
兄。いっぽ先を歩く、我が好敵手(らいばる)。
弟。自分よりも年がしたの、楽しい遊び相手。
だいすきな家族。そんな家族のなか、自分が一番好きなのは、真っ白で小さな個体。
いもうと。
小さな身体で走り回り、かけて、ころんで、たって、元気よくたべて。
ちょっとまぬけで、ちょっとばかで、だけど可愛い、自分のいもうと。
一緒に花を見る。キャッキャッとはしゃぐいもうとは、気づくと花弁まみれになっていて、自分はクスリと笑った。
一緒に水を浴びる。おぼれそうになるいもうとを、その首をくわえて陸にあげると、ぶるぶるふるえて自分もぬれた。
一緒に空を眺める。思いっきり首をあげて空を眺めるいもうとは、あげすぎたのか、こてん、と後ろに転がってしまった。
一緒に草に寝転がる。ゴロゴロ転がるのが大得意ないもうとは、自分にぶつかりながらも、楽しそうに草と遊ぶ。
いもうとは元気だ。いもうとはキラキラしてる。いもうとは甘い。
いもうとは、とても寂しがりやだ。本当は一匹で寝るのがにがてで、起きると自分にくっついていることもある。
自分はそんないもうとが、とても、可愛いと思うんだ。
だけどときどき、自分は考える。いもうとはとっても可愛い。
可愛いけど、自分がいだくこの気持ちは、ほんとうに、いもうとを思ってるからなんだろうか。
自分はわからなくて、一匹になると考える。
ぺろりと爪をなめて、自分は居眠りするいもうとをじっとながめた。
◆◆◆◆◆◆
ぼくは2ばんめ。
体格も、知識も、白狼としての力も、ぼくは1ばんめにおとる。
ぼくはいつも1歩うしろ。白狼の長である響生(ひびき)を父にもつ、ただの2ばんめ。
白狼はこの学園ではすごく有名だけど、学園の外ではまあまあ。
この国に生きる白狼は、この学園にのみ生息している。ほかの白狼は、世界中をみればいっぱいいるだろうけど、この国ではこの学園に住まうぼくらが、たった十数匹のぼくらだけなのだ。
一般人には、突然変異で生まれた知能の高いイヌていどの認識だとおもう。
だけどぼくらは、普通のイヌとは違うてんが、いっぱいある。たとえば、人間のような知能。
普通のイヌには、にんげん、といっても優秀な人間との意思疎通はできないけど、ぼくらはできる。
今考えていることを、パートナーになった人間に伝えることができるんだ。そして行動。
意志をもって、思考をもって、行動することがぼくらにはできるし、策をねって実行することもできる。
この学園では、ぼくら白狼は守神のような扱いを受けている。それはぼくらが、人間と同等、あるいはそれ以上の知識をもっているから。
そしてぼくらの意志でパートナー、優秀なものを選び抜き、特別になわばりを解放してやれる。
このなわばり解放、使用きょか、というのが、人間たちにとってはみりょくてきで、ときどきぼくらの姿をみると、人間たちはまんめんの笑顔でぼくらのほうを向いた。
なんとも、だらしのない、いらだつようなえがおだ。
ぼくは、僕は、ボクは、おれは、オレは、俺は、狩りが一番好きだ。
獲物を狩って、その肉を食いちぎって、血を啜るのが一番好きだ。
ぼくはいつもおとなしく。おれはいつも勇ましく。
自分が好きなのは演技すること。何かに成りきって、それを演じる。
とんでもなく面白いものだと思う。だってそうじゃねぇか。
ぼくはおとなしいんだ。そう、ぼくはいつでもおとなしくて、いつでもいもうとにやさしい。
でも俺は違う。俺は勇ましく暴れるのが好きで、妹を振り回すのが好きだ。
もちろん、花を見たり空をみたり、水に浸かったり草と戯れたりすることが好きだっていうのは、嘘じゃない。
だけどそれを上回るほど、俺は狩りをするのが好きなだけで、その肉を食いちぎる感覚が面白いだけで。
親父はきっと知ってる。いや、解ってる(・・・・)。
ほかの兄妹どもはしらんだろうが、俺のように血気盛んで暴れるのがすきな、大人しいが基本の白狼のなかでは異質なものは、数十年に1度の割合で生まれてくる。
こういうのを、異端の白狼、異狼(いろう)って呼ぶ。まさに、俺のことだ。
生まれた時から、俺は他の兄妹たちとは異質の存在だったらしい。毛並みの色や、目の色は、確かに親父や亡くなったお袋の色を継いでいる。
だけど、明らかに異質だったのは、白狼が持ちうる特有の学力優秀者判別能力(スタディレーダー)がなかったことだ。
白狼は、白黒でいう白。清廉潔白、成績優秀者のベストカラー。学力の成績優秀者を見分け、パートナーとし、意志疎通を図ることができる。
学園を守る守神の象徴でもある白狼は、人間の言葉を理解し、人間以上もの知能を有する高知能生物だ。
成績優秀者を見分ける能力、学力優秀者判別能力(スタディレーダー)っていうのは、普通のイヌが物の臭いを嗅いで追跡するのと同じ、嗅覚を使った能力だ。
一種の勘ともいえるもので、人間と意思の疎通ができる時点で普通の生き物ではないが、この能力もあって神聖視されている。
一部の科学者どもは、俺たち白狼のコレは、緊急時において人間に意思を伝えるために生まれた能力、らしい。動物が死に間際に子孫を残そうとする本能を持っているように、白狼のそれがこの能力なんだと。
まったく、人間のこういう人種はだからいやなんだ。ああ、科学者のすべてがそうだとは思わねぇが、こうして白狼を決めつけるのも、どうかと思うぜ。
だって白狼は白狼で、それ以上でもそれ以下でもないから。もちろん、人間以上でもその以下でもない。
ある地域の人間は、白狼はまるで神のように崇め奉っているが、それは違う。人間が思い描く神でもなければ、その以下でもないのだから。
白狼は白狼。そう、イヌという狼から変化した生物の、そのさらに突発的な突然変異である白狼。
俺は地面を蹴って林の中を駆けた。まったく、兄妹たちは元気そうでなによりだ。
――― あれだけ白狼の事を語ってるが、お前的にはどうなんだよ
はぁ? 俺は俺、どうとも思ってないし、アイツらはアイツらでなんかあるんじゃねぇの。
――― ほう。その口ぶりだと、お前はまるで白狼じゃねぇみたいな言い方だな
まるで白狼じゃねぇみたい、か。そりゃそうだ。俺は白狼じゃねぇ。
「グルァッ!!」
大きな雄叫びをあげた。
言っただろーが。俺は白狼じゃなくて、その中でも異質で、異端で、オカシイ存在。
異狼なんだって。毛並みの色、瞳の色、毛並みの巻き方、そのすべてが親父とお袋から引き継いだものだとしても、だけど俺は白狼じゃない。
肝心の学力優秀者判別能力(スタディレーダー)はねぇし、ああ、別に優秀者判別能力(レーダー)はあるぜ。
ねぇのは学力(スタディ)の方の優秀者を判別する力。
優秀者判別能力には、2つのタイプがある。
ひとつは学力優秀者判別能力(スタディレーダー)。学力成績の優秀者を見分け、どれほど優秀なのかを知ることができる。
ふたつめは武力優秀者判別能力(アーミーレーダー)。武力、つまるところの体育特待生やそれに準ずる優秀者を見分ける。
スタディが勉強における優秀者の探知だとしたら、アーミーは武術や体術、体育成績の優秀者を探知する。
俺のは後者のアーミーレーダーのほうで、白狼が持ち得る力はスタディのみだ。
だからこそ俺は異狼なんだ。白狼が持ち得るはずの能力を持たず、持ち得ないはずの能力を持っている。
そう、異端。白狼からすれば、消し去らなければいけない異分子。
それでも俺が生きているのは、白狼の長の息子だからだ。
「きゃぅん」
木に体当たりをして木の葉を揺らした。
むしゃくしゃしてたんだ、仕方がねぇだろ。
揺らした葉と共に落ちてきたのは、情けねぇ鳴き声をあげた末のキョウダイだった。
「きゅー」
甲高い鳴き声で、どこか助けを求めるような声色。
ああ、本当に、情けねぇな。
誇り高き白狼のくせして、一匹で立ち上がることもできねぇのか。
仕方なくイモウトの首を摘み上げて、乱暴に起こしてやる。
大量の葉を毛に巻き付けたイモウトは、水浴びを終えたイヌみてぇに身体を震わせて葉を落とした。
っざけんな、もうちっとお上品にやりやがれ。てめぇそれでも雌か。俺にまでとんで来ただろーが!
そう言う意思を伝えるが、イモウトは全く気にもしない。ああ、そうだった、イモウトは意志の疎通ができねぇんだったか。
ほんと、いろいろとふざけたイモウトだ。
――― お前って妹に厳しいよなァ?
……あ? はン! 弱っちいのに興味はねぇんだよ。白狼なら白狼らしく、気品もてっての
――― そうかい。ああ、もしかしたらお前と同じ異狼かもしんねぇぞ?
イモウトが? 異狼? そりゃ面白くねぇ冗談だな。
毛並みの色、親父そのもの。目の色も、親父と同じ色合い。毛並みの感じはお袋と同じ内巻きで、お転婆なのもお袋似、らしい。
パートナー、未満ではあるけど、高等部1年の次席を得ているんだ。学力優秀者判別能力(スタディレーダー)はちゃんと持っている。
どこにも異狼の要素なんてこれっぽちもねぇ。
ああ、違うと言えばイモウトの行動か?
歩くのもトロいし、走るのも下手くそ。駆けるのなんてぜってぇ無理だろ。
生後4か月近く経つってのに、まともに狩りも出来ねぇ。他の兄弟たちはできてるのに、イモウトだけはいつまでたってもできやしねぇ。
そんでもって、イモウトは人間臭ぇ。
俺の大っ嫌いな人間の、その仕草や動作、思考が似てやがる。
吐き気がする。
「わぅ?」
苛立ちのあまり地面をたたいた。
ぐにゅ、という感覚と一緒に、嫌なイモウトが甲高く鳴く。
不機嫌そうに鳴いて下を見ると、俺の前足に押さえつけれているイモウトがいやがった。
どうやら、さっき地面をたたくときにイモウト叩いちまったらしい。
必死にもがくイモウトは、俺が少し力をこめればあっさりと抵抗をやめた。
あーあ、こういうトコも嫌いだぜ、俺は。
あっさりと降参して、自分の力でやろうとせずに流される。弱肉強食の、弱者にあたるようなイモウトの行動。
白狼になりうる実力を持っているのに白狼になれなかった俺と、白狼なのに白狼として相応の実力を持っていないイモウト。
まったく、カミってやつはもうちょっと、頭を使わなかったんかね。
逆だったら、イモウトを愛せたかもしれないのに。
前足で押さえつけたままだったイモウトを、転がすように放してやった。
ころん、と近くの木にぶつかって止まったイモウトは、じっと俺を見ると、ふいっと視線を逸らしやがった。
ちょっとイラッときてイモウトの頭をたたく。
「きゅぅー」
「ガルルッ」
ったく、情けねぇ声だしてんじゃねぇ。それでも白狼かおめぇは。
短い前足を使って必死に頭を撫でようとするイモウト。もちろん、俺たちの身体じゃんなことはできやしねぇ。
だけど咄嗟の事のようにその行動をしたイモウトは、本当に人間みたいで見ているのが嫌だった。
――― お前も、なんでそんなに人間がきらいなのかねぇ
んなの、人間どもが下らねぇからに決まっているからだ。
全ての人間が下らないって思ってるわけじゃねぇ。
けど人間は、良心で行動することなんてそんなにねぇだろう。きっと、その下には下心があって、何かをたくらんでいる。
この学園で俺が見てきた人間は、少なくともそうだった。
白狼ってだけで讃え崇め、神聖視して、自分勝手な想像を押し付ける。
反吐がでるくらい、そんな人間の醜いところが嫌いだ。
――― お前なぁ、下心を持ってるからこそ人間なんだろ? 下心無しで行動する人間なんざ、もはや天使だぜ
うるせぇよ、いちいち。お前は黙ってろ。
二度と、話かけんなよ。なりそこないは、ずっと沈んでろ。
葉の隙間から射し込む太陽の光が、俺の毛並みを反射させる。
水面に映った俺の毛並みは、白に近い灰色。
イモウトと同じ、お袋譲りの内巻きの毛並みに葉が絡まった。
その葉は水面へと落とした。小さな波紋が、少しずつ広がっていく。
そのまま足取りを進めた。
ザッザッザッザッ。
トテトテトテトテ。
ザッザッザッザッ。
トテトテトテトテ。
足取りを止めた。
「きゃんっ」
「グルルゥアッ!」
お・ま・え・か!
前足を使って、後ろからついてくるナニかを押さえつけた。
地面にぐでーっと押さえつけられたのは、イモウトだった。
大量の葉を全身に絡ませながら、バタバタと足を動かしている。
何故か俺の後ろをついてきやがるイモウト。バタバタしてるから、力をこめて押さえつける。
あっさり降参、するかと思いきや、イモウトは暴れるのを止めねぇ。
どうしてやろうか、と考えているときに、変な臭いがした。人工的な、食いモンの臭いだ。
くん、と鼻を動かすと、その発生源はすぐにわかった。
イモウトだ。イモウトから、この人工的な喰いモンの臭いがしやがるんだ。
人間が愛玩として飼う、イヌ用の飯の臭い。
イモウトは自分で獲物が狩れねぇから、いつも学園長とやらがイヌ用の飯を持ってくる。
高貴なる白狼に、イヌ用の飯を持ってくる学園長ってヤツも腹立つが、それを普通に受け入れているイモウトのほうが腹立つ。
自分で狩りに行け馬鹿イモウト。
ガブッとイモウトの頭を口に入れた。イモウトは俺の半分以下の小さな個体だから、その頭を口に入れるなんて雑作もねぇ。
口の中でイモウトの頭をころがしながら、べろりと舐めあがてやった。
ベットベトの汁まみれになったイモウトは、唖然としたような顔をして固まった。
ハッ、ざまー。
今度こそ、その場にイモウトを残して駆けよう、とした。
「わぅー!」
高い声で鳴いたイモウト。
短い足で駆けながら、必死に俺の後をついてくる。
ベトベトの毛並みには、振り落ちてくる葉が何枚もついていた。
なんとも間抜けな姿で、イモウトはそれでも必死の俺の後ろをついてきやがった。
これが一番上の長兄なら、まあ可愛い可愛い言いながらイモウトを舐め甘やかすんだろう。
あの長兄(バカ)はイモウトが可愛くて仕方のねぇ、人間で言うシスコンってヤツだからだ。
他の兄弟たちは知らねぇけど、一番上の兄・弦(ゆづる)はどうしようもねぇ。誇り高き白狼の血はちゃんと現れていて、今最も有望な白狼だ。
だってのに、縄張りに戻ればその恰好いい誇り高き白狼の姿は崩れ、ただのシスコンって、誰が喜ぶんだチクショウ。
必死に四肢を使って、俺の後ろへと追いすがろうおとするイモウトが視界の端にちらつく。
はぁっと息を吐くと、目の前に結構な幅の水たまりを見つけた。
大きな幅の水たまりは、通常なら迂回すれば近づかなくても済むが、あいにく昨日は大雨で横の土はドロドロ。
この水たまりを跳んで越えなければ、向かいの地面へとはいけねぇだろ。俺は体格もでけぇから、楽に跳べる。
水たまりの1歩手前で地面を蹴り上げて跳んだ。トン、と重さを感じないように着地する。
ちらりとイモウトを見ると、水たまりの前で困った様に首を傾げていた。どうしようか考えているらしい。
考えてるってトコは、知性の塊っつー白狼らしい行動だ。けど、思考がおせぇ。
同時期に生まれた、同じだけの知能・速度を持っているはずの兄妹の中で、イモウトが一番おせぇんだ。
俺は、人間くせぇイモウトはここまでだろう、と、1歩だけ進む。
そしてまたちらっとイモウトを見ると、俺に背を向けて来た道を戻ろうとしている。
……やっぱりな。ただついてきただけで、白狼らしい跳ぶという選択肢がない。ほんと、白狼の癖に白狼らしくねぇ。
苛立ちのままイモウトに背を向けて、その先へと進もうとした。
「ワンッ!」
それは獣の、一陣の風をも切るような鳴き声だった。
ズサァ、という滑るような効果音と一緒に、イモウトはこっち側の芝生に着地した。顔から。
ド下手なジャンプは、だけど獣らしい勇ましさを含んでいやがった。
勢いがつきすぎたのか、俺のところまで滑ってきたイモウトは、一部毛が擦れた様子でか細く鳴いた。
そんなイモウトを横目に、1歩、また1歩、前へと進む。
するとイモウトは急いで立ち上がって、よたよたしながら俺のとこに歩きだした。足取りはバラバラで、今にも転んじまいそうだ。
だけどめげずに跳んだイモウトは、少しだけ白狼らしい勇ましさに溢れていて、少しだけ、ほんの少しだけ、見直した。
イモウトを伴って縄張りへと帰ってきた。
その頃にはもう夕暮れで、あの距離ならもっと早くつけただろう。
……別にイモウトに合わせてたわけじゃねぇ。
縄張りに張った直後、気が抜けたように寝転がったイモウト。
だらしがねぇ、とイモウトの背中を軽く前足で押して、そのまま親父がいる奥の奥に進もうとした。
”ぅおん”
「……グルルゥ!」
ったく、これだからイモウトは嫌いだ。これだから雌は嫌いだ。
嫌な気配と臭いと視線が、どっと注がれた状態のイモウトを見る。ごろんと転がったイモウトも、腐っても白狼だ。
気配だけは敏感に感じたのか、尾を丸めている。
白狼なら白狼らしく、威嚇するくらいの根性は見せろ、と言ってやりたくなるが、そんな暇もねぇ。
イモウトの首根っこを掴むと、そのまま地を蹴って駆けた。
視線の主が舌打ちするのが聴こえる。
ケッ、ここは長の縄張りだぞバァカ。出直して来やがれロリコン野狼。
そんでもってテメェはもっと危機感を持てバカイモウト。
親父のとこにつくと、横たわっている親父と、踏ん反りがえっている弦が睨み合っていた。
何してんだテメェらは。
『俺が妹と寝ることに何の不満が?』
『今日は我(わたし)と寝るのだ。邪魔をするな愚息』
『なんだと……?』
テメェらはどっちもどっちだ馬鹿ども。
イモウトを地面に降ろして、どうでもいいことに喧嘩を始めた2匹を視界から外した。
他の弟どもは帰ってきてねぇみたいだ。
その場に寝転がった俺は、どうでもいい親父と長兄の話に耳を傾けた。
今どき娘や妹と寝る雄がどこにいる。長兄に至っては目がマジだぞ大丈夫かアイツ。
呆れた目線で見ていると、腹回りが暖かい気がした。視線を腹に映すと、イモウトが俺の腹に身体を寄せていた。
「グルッ」
「きゃぅ?」
疲れた様子のイモウトは、何が面白いのか俺の毛並みを眺めては、その前足で触る。
その様子が遊んでいるように見えて、イモウトの首を掴んで引き離した。
だけど暫くするとまた腹が暖かくなって、イモウトが俺の腹に頬を寄せていた。
引き離す。くっつく。引き離す。くっつく。
これを繰り返しているうちに、イモウトの目が輝いていることに気付いた。
キラキラとしているイモウトは、まるで”やっと遊んでもらえた!”とでも言いたげで、意思の疎通もできねぇのに、やけにそれっぽい。
引き離すのも疲れた俺は、イモウトの好きなようにさせた。
やがて、俺の毛並みで遊び疲れたのか、イモウトから小さな寝息が聞こえた。
そんなイモウトの顔を眺める。俺と同じ内巻きの毛並みに、少しだけ汚れが見えた。
ぺろり、と舐め上げてみれば、イモウトの口元がふにゃふにゃと動く。少し間抜けに口を開いた顔が、どうしても白狼に見えない。
片方の前足でイモウトの腹を撫でてやると、立っていたイモウトがころんと横に寝転んだ。
……まあ、可愛くもなくもなくもなくもねぇけど。
これでもう少し白狼らしければ、と息を吐くと、前方から突き刺すような視線が送られてきた。
ちらりとそちらを向けば、今にも俺に跳びかかりそうな弦。親父は微笑まし気な顔だ。
『……んだよ』
『妹』
『あ?』
とびっきり低い声の弦。
はいはい嫉妬ですかチクショウ。嫉妬してる暇あったら、弟どもの教育に力入れろや。
あとテメェはもうイモウトの世話みんな。弦が甘やかしてるから、バカイモウトがいつまで経っても白狼らしくなれねぇんだよ。
そうこめて視線を送ると、弦が苛立たし気に尾で地面をたたいた。
『寄越せ』
『何をだよ』
『妹。――― うたを離せ、譜(つぐ)』
譜(つぐ)。
それは俺の名前。
普通はパートナーの人間から与えられる、俺という異狼個体の名前。
イモウトの名前はうた。
『歌』なのか、それとも『詩』なのか。漢字のないイモウトの名前は、いろんな意味が込められているらしい。
決めたのはパートナーじゃなくて、イモウトを見事に人間風に育てた学園長ってヤツだ。
俺の名前は、他の白狼や異狼と同じく人間が決めた。
人間は嫌いだ。だけど、全ての人間が嫌いってわけじゃねぇ。
認めた人間に名前を付けさせた。俺という異狼を、証明する個体名。
そんな俺の名を何の抵抗もなく呼ぶ弦の名もまた、パートナーによってつけられた名だ。
譜面の譜。言に普で譜、なんて、普通じゃねぇ俺に普の文字を入れる『アイツ』もアイツだ。
だけど別にこの名前が嫌いってわけじゃねぇ。意外と気に入ってるし、短期な俺を怒らせるって知ってて普の文字を入れた根性も気に入ってる。
痛い視線をやめねぇ弦を睨み付けた。
別にイモウトを渡したくねぇってわけじゃねぇけど、弦の言う通りにしてる見てぇでイラつく。
イモウトの腹を軽く前足で押した。弦の視線が鋭さを増した。
俺も応戦するように歯を見せた。
『止めろ。縄張りでの争いは認めんぞ』
その声は凛と響いて、俺たちはそっちに視線をうつした。
親父は、グルルと歯を見せながら、俺たちにそう言う。
俺は親父の言葉に息を吐くことで答えたが、弦は今度は親父を睨みつけた。
イモウトのことになると、どうしてこうも無謀になるのか、わからねぇな。
そりゃあイモウトの見た目は愛らしいだろうよ。なんたって、最高の美狼(イケメン)って言われてる親父にそっくりの顔だ。さらには毛並みはお袋似。
見た目(・・・)だけならどんな雄も引っかかるだろーな。
親父は溜息ははいて、俺の方に視線をうつした。
あーあー、視線が鬱陶しいぜ弦。
『譜。今日はお前が愛娘(うた)と寝ろ』
『――― はァ?』
まてまて親父、と親父に声を掛けようとしたとき、親父は弦の首根っこを掴んで駆けだしていた。
縄張りには俺と、ぐーすか寝てるイモウトだけ。
他の兄弟どもは、たぶん自分たちの縄張り。
くそ、マジかよ。
別に、このままイモウトを置いて、自分の縄張りに帰ることなんてできた。
だけど親父にも言われたし、このバカイモウトを置いて行けば何をするかわからん。
しぶしぶ、そうしぶしぶ、イモウトを咥えて大きな木の根元まで移動した。
ざわざわと揺れる葉が、太陽の光で赤く燃え立っている。
いや、もともと紅葉の時期だから3分の1は赤くなってたけどな。
パラパラと落ちた葉を、イモウトと一緒にかぶる。別にかぶりたくて被ったわけじゃねぇけど、イモウトと同じ内巻きの毛並みの所為で上手くはらえねぇ。
小さい身体のイモウトはあっという間に真っ赤な葉まみれになって、夕日の所為でさらに燃え立つ赤毛に見えた。
仕方なく、本当に仕方なく、イモウトを腹の下に抱き寄せた。
別に、仕方なくだ。イモウトをこのまま放置すれば、親父に怒られるし。
「きゅぅー」
『阿保の寝息だな』
人間臭いイモウトの事は嫌いだ。
俺の大っ嫌いな、うわべだけの人間みたいな匂いがして、どうしても好きになれない。
だけど、自由奔放なイモウトのことは嫌いじゃねぇ。
自分の本能の行くままに、自分の道を、嘘もなく偽りもなく。
異狼の俺を拒まないところも、そこそこ好感がある。
だからこそ、頻繁に考える。
もしも俺が学力優秀者判別能力(スタディレーダー)の持ち主で、れっきとした白狼だったなら。
もしもイモウトが武力優秀者判別能力(アーミーレーダー)の持ち主で、異狼だったとしたなら。
俺は、どんなイモウトも受け入れて、愛せたんじゃねぇかって。
ぷす、とイモウトが間抜けな鼻息を晒した。
それは偽りのない、自然な何かで。イモウトが赤く染まった姿が、ぐるぐると頭の中を回る。
まるで、どこかでこのイモウトが真っ赤になった姿を見たことがあるような、そんなありもしない考えが浮かんできやがる。
断ち切るように、イモウトの腹を前足で押さえつけた。
ピクピクと足が動いて、そんで最後には抵抗をやめる。
ほんと、白狼のくせして情けねぇ。
……だけど、そんなイモウトが少しだけ受け入れられて、そんで少しだけ愛することができたって言ったら、親父もお袋も俺も、ぼくも、喜ぶんだろうか。
ぶわっと漂った人間の臭いに、思わずイモウトを叩いちまった。
ひらひらと落ちる紅葉をはらいながら、気持ちよさそうに寝るイモウトを眺めた。
その寝顔が人間臭くてまた叩いちまったけど、それでもイモウトは紅葉を付けたまま。
闇色に染まる空を眺めて、俺は静かに目を閉じた。
別に、イモウトの寝顔を見て眠くなったわけじゃねぇ。
あの後、親父と弦が俺たちの寝ているところを眺めていた、なんて、知った俺がイモウトの首を強く噛んだのは、仕様がねぇって言ってんだろ。
……イモウトが何故か俺に懐いたのは、まあ、おう、立派な白狼にしてやるよ。
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