華麗なる獣と復讐も兼ねた日常生活 | ナノ


▼ Another eye:おれとおなじ向日葵(リクエストNo.9)

 


「恩返しがなんだよ。何もできなかったがなんだよ。そうだよ俺たちは無力だよ! だからせめて、俺たちだけは認めない。絶対に、認めないし諦めない。……やろうぜ」

 湧き上がる教室。だけど漂う厳粛な雰囲気。
 扉にもたれかかりながら、静かに目を閉じた。
 廊下には誰もいない。他の教室にも誰もいない。
 当たり前だ。今日という日は、本来は休校日なのだから。
 だからこの時間なのだろう。この場に来てはいけない、ある女が絶対に来ない日。
 そして、他の生徒がほぼいないこの日だからこそ、ここに集まっているんだろう。
 教師に知らせることなく、誰にも知らせることなく。
 ――― 無力だよ!
 ああ、そうだな。無力だ。
 お前らも、俺も、無力だ。
 何もできない。何もかなえられない。何も変われない。
 ほんと、無理なんだ。できないんだ。変える力なんて、変化なんて求めなかった。
 無力。そうだな。何もできない。だろう? 知ってたはずだろ。
 何も変えられないって。いまさら、失った何かを取り戻すなんて。
 ああ、ほんとう、ごめんな。




◆◆◆◆◆◆◆◆


 うちのクラスは、しいて言えば優秀なクラスだ。
 奏宮(かなでみや)学園高等部1年A組。成績は殆どが平等に振り分けられるが、成績上位二名を加えた、学年でも優秀なのが揃いに揃ったのがA組だ。
 どの学年のA組も、そうして優秀なのが多い。優秀と言っても、単に学力だけじゃない。
 体育特待生もいるこの学園は、全国でも名だたる陸上の強豪校だ。国体陸上では上位を占める選手を多く輩出し、世界大会に出場する選手の多くが奏宮出身でもある。
 芸術特待生も数は少ねぇけど、一応はいる。今の1年に芸術特待の生徒はいねえが、2年と3年に2人ずついたはずだ。
 まあ芸術特待生っていっても、絵画などの美術以外にも、吹奏楽や演劇なんかの特待生だったりするんだがな。
 現に2年の特待生は片方が吹奏楽のクラリネット、もう片方が演劇というか女優もやってる。
 うちの学校は原則アルバイトは認められてねぇが、その生徒の家からでる寄付金の件で特別に認められているからなんとも言えねぇ。
 それと、認められていないのはアルバイト(・・・・・)であって、仕事は認められていないわけではないという、生徒側からの主張があったからだ。
 その主張に、学園側は渋々ながらも認めざるを得なかったわけだ。
 他の芸術特待生で3年は男女で二人とも美術系の生徒だ。男子のほうが油絵の画家で、女子のほうが水彩画の美術部所属。
 男子は美術部には所属していないが、数々のコンクールで金賞を取る期待のアーティストだ。
 奏宮には、体育特待生・芸術特待生のほかに、学力特待生枠がある。純粋に学力の優劣、そして素行の良さが注目され、学力は五科目450点以上を必要とされる。
 最低でも400点はなくては受験を希望するどころか、どんなに素行が良くても選ばれる可能性はぐっと低い。
 通知表でも、五科目4点以上は必要になるきわめて難関だ。だからほとんどの生徒は、体育特待生や芸術特待生を目指しているのだ。
 ちなみに、奏宮に多くの充実した設備がある理由としては、そのセキュリティの高さから金持ちの子息令嬢がご入学なさりやがるからだ。
 確かに金持ちの子息どもからの寄付でこうして施設が立てられているわけだが、セキュリティの充実した学校ならどこにでもあるだろうがド畜生、と思うのは俺だけだろうか。
 小高い丘に聳え立つ奏宮は、その立地や授業内容の質の高さとそしてセキュリティで、経済学や社長育成に向いているとして金持ち子息どもわんさかいる。
 中等部からの持ち上がり組が8割以上を占め、そのさらに半数以上が金持ち子息令嬢だ。まあその子息どもも、この奏宮に通うほどの頭はあるわけだが。
 金持ちだからってなんだからって、この学園に試験もせずに通うなんてことは認められない。子息だろうがなんだろうが、試験をうけて受かったものが奏宮に。
 それがこの奏宮が守ってきたものだった。だからこそ、奏宮に通う子息令嬢は社交の場では注目される。
 海外の名門に通っている奴らが注目されるのは当たり前だが、国内最高峰の学園に通っている奴らもそりゃあ注目されるさ。さらに実績を出せば、将来は安泰だ。
 実際にこの国の政治をしている奴らの大半も、この奏宮の出身だ。国体陸上の選手や、有名画家にオペラ歌手や科学者の中にも奏宮出身はいる。
 そう言う俺も、中等部から奏宮に通っていた奏宮出身だ。俺の場合は家は資産家だったが、親と仲が悪かったせいで家を追い出され、学力特待でこの奏宮に入学した。
 卒業したあとは、恩ある前任学園長の好意でこの学園の教師として採用されて、こうして教鞭をとっている。

「タカティンー、これマジ重いんだけど!」
「タカティンって呼ぶんじゃねぇよ! ったく、量増やすぞ遅刻魔」

 俺が担当しているのが、例の学年で最も優秀なのが揃ったA組。
 それも今年度もっとも優秀な生徒が多い学年って言われてる、1年のA組だ。
 奴らのことは中等部から上がった先生方から聞いているが、とにかく明るくてやっかい、らしい。
 他のクラスなら、せいぜいちょっとした小細工程度で済む悪戯も、やけに頭がいいばっかりにとんでもなく凝った悪戯をしやがる。
 たとえば悪戯の定番、扉を開けたら上から黒板消し、っていうのも、奴らにかかればまったく気づかずに長時間恥をかく悪戯へと変わる。
 衝撃を軽くするために、黒板消しは低い場所に設置され、さらには外から見えづらい死角に置いた上で、開けても音がしないように黒板消しの重さを軽くし糸も落ちたら見えないようにしている。
 極細の糸に支えられた黒板けしは、開けた瞬間に糸が切れて黒板が落ち、重さは軽くそして音が騒音にかき消される程度の量に調節され、黒板消しに貼られた張り紙が今回の悪戯の本番だ。
 黒板消しはその悪戯をする下準備すぎず、その張り紙が主役だ。ったく、とんでもない悪戯を考えやがって。
 『俺様ですみません』
 そんな張り紙を貼られた俺の羞恥心を思い知れ馬鹿ども。
 教頭から呼ばれ、教頭室で張り紙のことを知らされ説教され、延々と教師とは何たるかと説かれた俺の気持ちが。
 張り紙をビリビリに破いた後も消えない羞恥心。教師連中からの生暖かい視線。
 中等部から奴らを知っている教師からの、同情をこめた笑顔。
 その日中に主犯の高橋を締め上げ、どういうことかをきっちりと説明させた。
 正座がきつかったのか、崩れた笑顔で噛みながら説明する高橋。俺の後ろであたふたしているのは、うちの学級委員長だ。
 高橋の説明によると、新しく担任になった俺に対する試練っぽい何かだったらしい。嘘つけ馬鹿ども。てめぇら俺見てニヤニヤしてたろーが。
 委員長が困った顔してたの知ってんだぞ。てめぇら委員長に黙ってやりやがったな? あ?
そう攻めあげると、高橋がすぐさま土下座した。その土下座も俺に対してじゃなくて、委員長に対しての土下座だけどな!
 高橋の他にも正座させていた悪戯主犯格が冷や汗をかきながら、高橋を睨み付けている俺から逃げようと動いた。
 もちろん、俺が逃がすわけねぇだろ。一睨みするとすぐさま正座し直した。怯えんな、俺は友好的に済ませたい。
 その後、高橋並びに主犯どもには資料運びを頼んだ。頼みっていうか、まあ強制だけどな。

 そんな悪戯からスタートした新しい1年は、思いのほか順調に進んだ。
 委員長こと珠城(たまき)唄(うた)は、優秀揃いの1年生の中で最も優秀な学力特待生だ。
 主席(トップ)保持者でもある委員長は、その優秀な頭脳と素行の良さから多くの生徒や教師にとても信頼されている。やっかいだと噂のこのA組の生徒も、委員長の言うことだけは聞く。
 ったく、教師の言うことも聞けってもんだ。委員長にそう零せば、すみませんと困った様に謝られた。素直で暖かい、思いやりのある生徒。
 俺は委員長のそういうところは好ましく思ってる。だけど、委員長は甘えるのが下手だ。
 まるで知らなかったみたいに、一度たりともしたことが無かったみたいに。俺がもっと甘えればいいのにといえば、委員長は困った様に、戸惑ったように笑みを浮かべた。
 それは苦笑にも近い、でもどちらかといえば戸惑いと驚きが多かったように見えた。
 委員長は解らなかったんだ。甘えるという行為が、必要であるのかもどうすればいいのかも。
 教師という職柄、生徒に多く触れてはいけない。肩を励ますために叩いたりする程度ならまあ大丈夫だろう。
 けど何故だかわからねぇけど、あの時は触れなきゃいけないと思った。頭を撫でて、甘えればいいと言った。
 だってその時の委員長の顔が、あまりにも寂しそうで、悲しそうで、どうしようもないくらい小さな子供に見えたから。
 消えちまうと、そう思った。



 委員長はすげぇ優秀な生徒だ。
 A組連中全員をまとめ上げ、統率し、言うコトをきかせることができる。
 人柄も良いし、思いやりもあるし、愛想もいい。無理しているようなところはあるが、基本は温かみに溢れていた。
 外部からの入学者も、短い期間でクラスに馴染むことができたのは委員長のおかげだと言う。俺もそこらへんは同意した。
 委員長は気を配れる人間だ。だからこそ、苦しくてしかたがない。他人には気が配れるってのに、自分には全然気が配れてねぇんだ。
 主席(トップ)のプレッシャーがあるのかもしれねぇとも思った。俺もこの学園を首席で卒業したが、在学中はいつも気を張ってた。
 妨害してくる実家を黙らせるために、ひたすら実績を出さなきゃいけなかった。運動も、学力も、その他素行においても。
 だからいつも他人に気を配って、本来の自分を出せずにいられなかった。委員長も同じなんじゃねぇかと、担任をしてから思い始めた。
 担任をしてまだ数日のある日、夕暮れ時の校舎を一人歩く委員長は、いつの日かの俺に重なって見えたから。
 いつか話をしなきゃいけない、そう思っていたころ、転入生は来た。

「初めまして、せんせっ!」

 その笑顔は素直だった。悪い意味で。
 生徒に対してなんてこと思ってんだ、って世の教育者は思うかもしれない。仕方ねぇだろうが、あんな笑いなれてない顔されたら誰でも思う。
 笑いなれてないって、良い意味のほうじゃない。言うならば、下心とかそういうのを混ぜ込んだ笑顔だ。
 人間の”笑いなれてない”ってのには、2パターンある。普段あまり笑うことが無く、不器用になってしまうもの。
 もう一つは、”笑顔”というものをしらないもの。素直な、純粋で晴れやかな、『良』だけを込めた笑顔。
 それを知らない人間は、やはり不器用で下心が隠せない。
 コイツはそっちの方だと、すぐに気づいた。笑っていない目に、ヒクついた口角。
 ――― 嘘でも笑うなら、もっとうまく笑いやがれ。処世術だぞ
 学生時代に処世術・笑顔を使いまくってた俺からすれば、出直して来やがれって言いたほどの使いきれていない笑顔だった。


 その後転入生が巻き起こしやがった風は、とてつもないスピードで加速していきやがて嵐になった。
 転入生 ――― 4月の中旬にきた髪の長い ――― 姫島(ひめじま)愛美(あみ)。奴は何もかもが違反だらけで、そして不思議だらけだった。
 スカートの丈、膝丈上10p規則違反。リボン大き目フリル付き、規則違反。ブレザー3pカット、規則違反。
 化粧の使用薬品外、規則違反。髪を染めること、規則違反。
 規則違反、規則違反、とにかく規則違反! てめぇふざけんてのか、といいたくなるくらい規則違反。
 さらに不思議なことといえば、転入生の名前だ。姫島愛美、そう転入生は名乗った。
 だが不思議なことに、俺の手元に送られた転入生に関する資料にはそんな名前、どこにも見当たらない。
 資料にかかれた苗字は山田。最初は間違いか、とも思った。けどよくよく考えてみれば、奏宮が間違えるなんてありえねぇ話だ。
 セキュリティ上の都合で、所属する生徒から出された資料以外に、学園が独自に調べ上げた資料が存在する。在籍する生徒の素行、お家事情、その他もろもろ。
 家の都合上、親戚の家の名前を名乗んなきゃいけねぇ場合は許可される。特別にだ。
 その可能性がある生徒は、あらかじめ担任の教師を交えた学園長などの上層部に説明し許可をもらう必要がある。そう言う俺も、学生時代は親戚筋の名前を使っていた。
 そもそもだ。俺が転入生が来ることを知ったのは、転入する日の前日の夜だ。普通もっと前から知らされる転入情報だってのに、前日なんてふざけてる。
 学園長に問いただせば、戸惑ったように溜息を吐かれた。どうやら、学園長も同じらしい。
 理事会に急に出された転入届は、何者かによって印が押され許可済みになってたっつーことで、とにかく許可をすることにしたらしい。
 オイオイオイ、可笑しいだろ。誰が押したかもわからない許可証に価値はねぇ。
 審査もしてない状態で、誰が押したかもわからない許可に偽名。最高峰のセキュリティを誇る奏宮のすることじゃねぇだろ。
 考えりゃ可笑しいってのはすぐわかるってのに、転入生が普通に生活をしていることに、他の奴らはなんとも思ってねぇ。それどころか、まるで当たり前のように、不思議に感じることもなく受け入れている。
 どうなってんだ。ありえねぇだろ。可笑しいだろ。考えろよ。
 あーもうっ! 本当にどうなってんだ。これからどうなるんだ奏宮は。
 転入生がきてからギスギスし始めたクラス、学園、生徒たちを見た。
 来てそうそう遅刻するわ無断欠席するわ、不法侵入するわで問題起こし放題。なのに注意もされない。
 ああまあ、一部の常識のある理事どもは罰を下さそうとしているし、巻き込まれた一般生徒にはその後の対応がされている。
 巻き込まれて授業を欠席せざる負えなかった生徒には、その分の授業の単位を。怪我を負った生徒には、治療と対価を。
 なんとかギリギリのとこでフォローしてるとこだ。それでも学園の雰囲気は一向に良くならない。
 なにより俺が心配しているのは、転入生に最も被害を受けている生徒のことだった。

「珠城」
「……茶宮(さみや)先生?」

  ある時、ふとした瞬間に委員長の名前を呼んだ。
 振り返ったことでおどった髪。塞ぎがちの瞳。
 白い肌は青白く、まるで病人だ。目の下に黒々とついた隈が、それをさらに引き立てた。
 委員長は、珠城は転入生の世話係だ。頼んだ俺が言うのもアレだが、転入生のヤツはとんだ嵐を持って来やがった。
 転入生の世話係になった委員長は、寮室も転入生の隣ってことで、朝昼晩四六時中つきまとわれつきあわされ、夜もまともに眠れない日々を送っていた。
 主席保持者として重要な勉強の時間もうまく取れていないみたいで、学校に来るのもギリギリになってきた。
 授業中は転入生が巻き起こす騒動の尻拭いに奔走し、授業を無断欠席する転入生を探しに急ぎ、迷惑をかけた相手ひとりひとりに謝る。
 穏やかな笑みを浮かべ、落ち着いた様子で紅茶を啜る委員長の姿は、ここ最近見ることは無い。代わりに、目の下の隈が目立ち、忙しそうに走り回る姿が目立った。
 誰もが委員長が転入生に迷惑をかけられているのは一目瞭然だった。だけど助けることは、できねぇんだ。
 なぜかって、それは委員長の守ってきたものを壊してしまう行為だからだ。
 ――― 優秀な生徒が集まる名門
 だからこそ、奴らはわかってる。委員長が文句も言わずに転入生のフォローを続けているのは、自分たちに被害がこないためだ。
 委員長が転入生につきっきりで注意や監視、予防をすることで、転入生のリミッターになってる。
 暴れに暴れまくってる転入生に関われば、どうなるかわかったもんじゃない。先日怪我をした子が出たばかりだ。
 それもあって、転入生にかかわりたくないと思う生徒は数えきれねぇだろう。
 もっと学園が荒れて、雰囲気が最悪になることなんて予想済みで、誰もがそれに怯えてる。
 だけどあまり学園が荒れずに、比較的落ち着いたいつも通りの生活ができるのは、誰よりも変化を拒む委員長のおかげだ。
 変化を拒む、ってのは言い過ぎかもしれねぇ。けど、そう思わせるだけの気迫が、委員長の目に宿っていることは、俺が良く知っている。
 委員長の日常は、ありふれたジョギングから始まり、夕暮れの図書館で本を読むことで終わる。
 なんでそんなこと知ってんだ、って、ストーカーかって思われそうだが、別にストーカーじゃねぇ。誰もが知っているくらい、何一つ変わらない委員長の日常だ。
 教室に一番早く来て、俺のところに1日の予定を聞きに来るのも、今年度になってからの委員長の日常だ。
 ただ、転入生が来てからはそんな毎朝の日常も乱れ、聞きに来れねぇ日も続いた。代わりに副委員長が聞きにくる状態で、委員長の次に来る副委員長は、心底困った顔で転入生の席を睨みつけていた。
 この副委員長も、委員長と同じ変化を拒む性質(タチ)の人間だ。そして委員長に対して従順で、委員長の日常に合わせるように常に二番手をキープしていた。
 教室に来るのは二番目、帰るのは委員長の数分前、図書館に立ち寄って委員長の近くで読書、閉館の時間に合わせて委員長の前に退室。
 朝食も昼食も、晩食だって同じ席で食べるほどだ。普通の学生ならここで冷やかすだろうが、ここの奴らはほとんどが中等部からの持ち上がり組。
 外部生はぎょっとしたように奴らを見ていたが、数日すれば慣れたように見向きもしなくなった。ああ、でも転入生に食事まで干渉され始めてからは、周りを巻き込みまいと副委員長も高橋たちも避けていたな。
 高橋たちは不貞腐れていたが、副委員長の方は納得したように頷くと、委員長の代わりに予定を聞きに来たり、委員長があげていた花に水をあげていた。
 疲れたような顔で謝委員長に首を振りながら、委員長が礼を言うと満足したように頷いた。
 副委員長にとって、委員長はおそらく一番の友だろう。ヤツはとっつきにくい、ってか、不思議さが前面に押しでてきて、関わりにくかった。
 そんな副委員長にとって、委員長はまさに唯一だったんだろうよ。その証拠に、委員長に関してはどんなことにでも興味を持った。
 どんな気持ちで委員長と歩いたり日常を過ごしていたかは知らねぇが、たぶん副委員長にとって、傍にいること自体が重要で、それは強い思いだったんだろうな。
 いつの日か、不安げに俺の名前を呼んだ委員長が、ふと頭をよぎった。



 転入生が来てから1か月が経った。
 この1か月のうちに、転入生にどれくらいの敵ができたのか、数えきれねぇくらいだ。
 間違いなくうちのクラスの女子は、全員が全員転入生の敵だろうが。男子も一部を除いて全員敵だしな。
 学園の雰囲気はどんどん悪くなり、委員長を支持する生徒たちは転入生に対する不満がどんどん膨らんでく。
 委員長を支持している生徒だけじゃなくて、転入生自体が気に入らない生徒たちもだ。そのほとんどが、奏宮の幹部委員を務めるイケメンどものファン。
 転入生が誰彼かまわずイケメンに接触することに関して、ものすごく不満を持ってんだ。イケメン嫌いを公言してるくせに、イケメンを見かけたら声をかけまくったり態とぶつかったり。
 さらには、特に優秀な幹部委員に与えられるテリトリーへの侵入。ファンたちが禁忌(タブー)としてきたそれを、転入生は何にも詫びることなくやった。
 幹部委員どもが好きだから、とファンたちはイケメンどものテリトリーにだけは侵入しなかったし、一歩下がって見つめるだけだった。
 稀に勢い余ってファンレターとか、あと妄想が過ぎたヤツはストーカーに発展した件もあったな。
 そんなファンたちからの敵意、委員長の支持者からの敵意、そして学園を愛する者からの敵意。いつ爆発してもおかしくないほど、それはたまっていた。
 ピリピリが限界値を迎えそうになった転入1ヶ月目、事件は起きた。

「タカティンッ、たまちゃんみなかったッ!?」

 乱れた息を整えることなく、高橋はそう言った。
 たまちゃん、ってのは、高橋とか一部の生徒が委員長を呼ぶ時の愛称だ。
 俺のはタカティン ――― どこにもタカの字なんてねぇけどな ――― まったく嬉しくねえ愛称だ。
 そんな愛称も、指摘するのはもう疲れた。だからここ最近指摘してねぇけど、と、考えながら高橋を見る。
 見てないと答えると、残念そうな顔をして役立たずと呟きやがった。

「誰が役立たずだコラ」
「っ怒るなら後にしてよ! もうマジで後で聞くからさッ!」
「オイ、高橋!!」

 廊下を走る高橋に、大きな声で呼び止めた。
 ヤツはそれに答えることなく、陸上部に活かしているその足でさっそうと駆けてく。
 マジで覚悟してやがれ、と悪態をつくと、パリンッと何かが割れる音がした。
 後ろを振り向くと、廊下に飾られていた花瓶が落ちたみたいだ。バラバラに割れた花瓶から、中身の花と水があふれ出す。
 水浸しになった廊下に、茎が折れた花。なんだか、嫌な予感がしながら、高橋が駆けていった方向を見た。
 外は赤染の夕暮れで、時計は門限の少し前。
 脳内に鳴り響く危険信号に頭を横に振ると、遠くから何かの遠吠えが、強く響いた。




 嫌な予感は当たった。
 いまだかつてない程の危険信号。学生時代は一度も当たったことがなかった予感ってやつも、なんでかこういうときだけは敏感だ。
 ふざけんなよ。当たんなよ。なんでここだド畜生。

 ――― 風吹(ふぶき)せんぱい! 珠城さんが……っ

 いまだに後輩気質が抜けない保険医の糸川が、焦ったような声で電話してきた。
 いつもは優雅な貴族系を貫くあの猫かぶりが、こんな素に近い状態で話し始めるなんて、天変地異でも起こるのか、そう茶化したかった。
 だけどそんな糸川が出した名前は、俺がいま常に気にかけている生徒の名前で。一気に血の気が引いた。
 割れた花瓶と溢れた水、そして折れた赤い花が頭に浮かんだ。携帯を握りしめたまま、自室を飛び出す。
 クソ! 俺は本当に役立たずだよ畜生!
 辿り着いた場所には、白い布を顔にかけられて、痛々しい生傷が覗く。
 ふざけんな。ぎょっとした目で俺をみる糸川に、自分がそれを口走ったことに気付いた。
 白い布をかぶせられた顔を、静かに布を取って覗き込んだ。唇の端は着れていて、可愛いと、綺麗だと言われていた委員長の顔には、小さな傷から大きな傷までくっきりと残っていた。
 時間がたったからか、血が固まったところもところどころある。青い痕も、ちらりと見えた。
 硬く閉じられた目に、一文字に結ばれた口。穏やかな笑顔を浮かべていたその顔には、青白く冷たい。
 ああもう、ああくそ。もうだめじゃねぇか。ておくれじゃねぇか。
 無意識に跪き、委員長の手を握っていた。冷たい、氷のような冷ややかさを纏った手。
 こんな小さな手に、俺たちは守られていたのだと、支えられていたのだと、改めて思い知った。

「この子、栄養失調でもあるんですよ」

 糸川は小さく、でもはっきりと通る声で言った。
 今ここには、俺と糸川だけしかいない。

「ちゃんとまともなご飯も食べてないのか、必要な栄養素が不足してるし、ストレスからか、胃がかなり弱ってました。肺の調子も悪くて、相当いろんなものを我慢していたみたいですね」
「……俺の所為だな」

 こんなことになるくらいなら、転入生の世話なんてやらせるんじゃなかった。
 こんなことに、なるくらなら。
 話しもちゃんと聞けばよかった。面倒をもっと見ればよかった。
 調子はどうだって、体調は大丈夫かって、迷惑してねぇかって、そう聞いてやりゃあよかった。
 笑顔を浮かべるのが得意で、柔らかな微笑みを絶やさなかった委員長。睫毛がぱさりと瞬いて、覗いた瞳がふわりと輝いた。
 本を読んでいるときは、いつもどこか楽し気。向日葵が大好きで、向日葵の花を育てるのが好き。
 笑った顔は人気で、委員長が笑うと誰もが笑った。暖かなその笑みに引き寄せられて、みんなが笑う。
 普段の委員長は、どちらかといえばそんなに笑う方じゃない。笑うって言っても、曖昧な笑みとか愛想笑いとか、そんなんだ
 困った様な笑い方。戸惑ったような笑い方。本当に嬉しそうな笑い方。切なそうな笑い方。
 どれもこれも、種類は違っても笑顔だった。
 頭に浮かんでは過ぎる委員長の笑顔。それを消しては浮かばして行くうちに、俺はやっと気づいた。
 前から、委員長は誰かに似ているような気がしていた。その穏やかな笑顔が、まるで精一杯みたいな気がして、どこか苦しそうな気がして、だから気になった。
 そしてわかった。
 俺だ。委員長は俺によく似ている。
 見た目的な問題じゃない。笑顔でもない。中身なんてもっと違う。
 それは委員長が笑顔を浮かべる理由だった。穏やかで暖かくて柔らかい、そんな笑顔がどこか苦しそうで、違うような気がした。
 笑顔だってのはわかる。委員長の笑顔は”うまい”
 笑い方も、その仕草も、感じも、まるでドラマで輝く女優みたいな、そんな完璧さ。
 だから違和感を持った。委員長の笑顔は完璧すぎたんだ。どれもこれも、ドラマのような架空の笑顔。
 たぶん誰も気づいてねぇんだろう。俺だからわかった。
 俺だから気づいた。俺だから、理解できた。
 だって俺も、そんな笑顔を浮かべていたから。自分を守るために、地位を得るために、ドラマでよく見る完璧な笑顔を浮かべていた。
 委員長が笑顔を浮かべていた理由は、俺とは違うのかもしれない。もしかしたら同じなのかもしれねぇけど。
 どっと突っかかっていた、胸のうちの疑問。きっとそれは一生、解き明かされることはねえんだろう。
 物言わぬ委員長の手をさすって、頬を撫でて、その目に触れた。
 この顔は、一体どれほどの笑顔を浮かべたんだろう。どれほど、重ねてきたんだろう。苦しくて仕方がなかったんだろうか。
 知りたかった。でも、誰も委員長の真実を知らないままでいることに、俺は安心してんだ。
 解き明かされたくない謎は誰にでもあるから。このまま、静かに沈んでいればいい。




 委員長の死が知らされたのは、次の日のことだった。
 教室の、数人を抜かした生徒たちは驚きを隠せずに、動揺したように俺に募った。
 高橋や副委員長は昨日の時点で知ってたんだろうな。苦しそうな表情(かお)で俯く高橋。窓の外を眺める副委員長。
 他にもあと何人かが、苦しそうに悲しそうな表情(かお)を隠しもしないで押し出す。
 今にも泣き出しそうな、そんな姿だ。
 やっかいで、やんちゃで、優秀揃いだけど問題児揃いのA組。そんな姿はどこにもなくて、哀しみだけがそこにあった。
 どうして。誰かがそう口にした。どうして、委員長なのかと。
 誰よりも日常を重んじて、変化を拒んでいた委員長が、日常を壊されて変化を強要されなくちゃいけないの、と。
 その言葉が胸を突き刺した。
 俺とよくにた委員長の、その完璧な笑顔が頭にまた浮かぶ。
 花瓶が割れて零れた水が、今更になって溢れ出す。乾いた頬が、濡れていた。



◆◆◆◆◆◆◆◆

「タカティン、あたしたち、やるよ」

 廊下で高橋とすれ違った。
 小さな、俺にしか聞こえない声で囁いた、高橋の声は真剣さを帯びていた。
 その声を聞いて、自分が本当に無力なんだと、そう思い知る。
 くそ、ほんと、どうしようもねぇほど無力だ。
 どの生徒も大切だ。一度受け持ったクラスの生徒を、大事に思わねぇヤツは多分そう居ねぇだろう。
 個性豊かなこのA組の、誰一人欠けることなく大切で、愛しく思っていた。悪戯されても、可愛いで済ませてやるほどの愛情はあった。
 イレギュラーの介入さえなければ、このまま卒業まで突き進んでいけただろうな。
 委員長という柱を中心に、誰もが笑い合うクラスのままで。
 高橋たちの宣言が、胸の奥におもりとなって残った。

”……茶宮先生”

 頭の中で響く、やっぱり完璧な笑顔を浮かべて、頼りなさげな声で俺を呼んだ委員長の姿と声。
 制服、態度、その他もろもろすべて標準を超える程の良さ。まっすぐと伸びた背筋が、委員長の真面目さを引き立ててる気がして。
 一度閉じた眼を、重苦しく開けた。目の前に委員長がいるような、そんな幻覚を見る。
 委員長が亡くなってから、委員長が続けてきた日常は、まるで委員長がいた時と同じように進んでいった。
 副委員長がすべてをこなしながら、絶えず続けている”委員長の日常”
 朝のジョギング、予定を聴くこと、向日葵に水やり、昼食は扉近くのテーブルで、図書館の窓側の席で本を読む。
 アイツが、副委員長が委員長に抱いていた感情(きもち)は、きっとずっと、想像するよりも強くて、重い。
 向日葵に水をやりながら、空を仰ぐ副委員長。そんなヤツの隣に、委員長が立っている。
 それは霧となって消えて、バタバタとした足音が聴こえる。
 口角をクッと上げた。委員長と同じ、ドラマの中の俳優のように。
 それは確かに、それは完璧に、輝くような笑顔を浮かべて。
 演じるのは好きだ。だって学生時代は、ずっと演じてきたから。
 委員長とはまた違う理由かもしれないけど、それに似た完璧な笑顔をのせる。
 ガララッと開いた扉から、長い髪の女子生徒が入ってきた。
 そいつの顔には、輝かんばかりの、不器用にも程のある笑顔が載せられていて。

「せんせっ」

 甘ったるい声が俺を呼ぶ。
 くるりと振り返った。

「……なんだ? 愛美」



 高橋、副委員長。
 俺は確かに無力だ。何もできねぇんだ。
 教師だから、っていう建前以外にも、何も出来ねぇんだよ。
 委員長を殺しちまったのは、きっと俺だ。気にかけることも、何もできなかった俺が、間接的だとしても委員長を殺しちまったんだよ。
 だからこれは、償いだ。
 そして、俺自身へと課せられた罰だ。
 俺の呼びかけに、顔を喜色に染め上げた女子生徒を眺める。


 ごめんな、委員長。
 許せなんて言わねぇよ。むしろ許さなくていい。
 でも少しだけ、俺を好きでいてくれるファンを傷つけちまう俺を、ほんのちょっとだけ許せ。
 償いなんて言葉を使って、結局は傷つけるかもしれねぇ俺を、会えたなら精一杯殴れ。
 今だけ、今だけ殴るのは待っててもらいてぇけど。
 無力な俺が、俺としてできることを。
 委員長の死を受け入れることが、俺に対する罰なんだというコトを、俺はなによりも知っているから。
 息を吸った。
 甘ったるい臭いに吐きたくなるほど苦しくなる。
 触れる手に吐き気がしながら、完璧な笑顔を贈り返した。


「……ごめんな」

 こんな形でしか協力出来ねぇ俺を、委員長はきっと、困った様に笑うだろう。いつも通りの、変わらない微笑みで。

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