No one hears us but the sky


 斜に向かいあって佇む男たちがいた。
 双方、纏うものも艶やかな髪も、淀んだ暗がりに沈み込むような漆黒、しかし同じ色の瞳は爛々と危険を孕んで輝いていた。
「――理解しがたいよ」
 一方がふ、と微かに首を振ってみせた。
「条件は同じだったはずだ……そして僕は確かに、悪くはない位置につけていた」
「そう思ってるのはてめーだけじゃねーぞ」
 もう一方が目を細める。抜身のナイフのような鋭い光が更に研ぎ澄まされ、なまじな人間なら心臓を一突きにされたと錯覚しそうでさえあった。
「いくら条件が同じでもスタートが違った。俺は他の連中とは違う、そもそも抜きん出て有利な場所にいた。それに関しては誰も――あいつでさえ異論はねーはずだ。だが」
 沈黙が下りる。2人とも分かっていた。もう今更、何を言っても遅かった。理論をこねくり回し、策を弄する段階はとっくに過ぎている。
 しかし――まだ。
「僕はまだ終わっちゃいない」
「奇遇だな。俺もだぞ」
 視線が絡む。しかし腹を探り合うまでは必要ない。何故なら2人とも分かっているからだ。
「……単独で事を構えるよりゃ、手数は多い方が確実だな」
「今回に限っては、どれだけ念を入れても入れすぎることはないからね。取りあえずはこんなのでどうだい」
 柔らかそうな猫っ毛に覆われた丸い頭がぐ、と寄った。それを受けて僅かに屈んだ方の、帽子のつばが下がって目元の陰影が濃くなる。この至近距離にしては少々大きく息の漏れる囁きは明らかな意図を持っていた。男の耳から零れた秘密は、肩を通り越した向こう、いま1人の青年に届く。一見屈託なく笑っているだけの彼は、言葉を交わす者たちと同じ眼をして、全ての意識を2人の挙動へ集中させている。
 帽子の男は悪魔のような囁きを受けとめ、また背後へと流しつつ、懐へと手を伸ばす。馴れた鉄の感触を幾度もなぞる男の口角は、次第に蟠る情念によって押し上げられていった。
「……決まりだな」
 2人――否、3人の男たちは、同じ昏い眼をして、それぞれに笑みを刷く。鋭く、あるいは妖しく、あるいは大らかに。
 決戦の時は近い。この戦い、必ず勝たねばならなかった。



「……ものすごくソワソワしてますね、3人とも」
「ぁあ……?」
「ちょ、獄寺氏、鼻水」
 ランボが慌ててハンカチを差し出す。獄寺は躊躇わずそれに鼻を突っ込んでぶびー!とやった。普段の彼には決して考えられない所業である、ランボにそれをしてやるならともかく逆など。
「早いですよ、まだ始まってもいないのに」
「るせえ……黙ってろアホ牛」
 獄寺の眼は赤い。明らかに泣きすぎの体である。
「それにしても、一体どうしてこうなったんだか……気が付いたら、という感じで実際何があったのか全く思い出せませんよ」
「るせえ……」
「……ほんとに大丈夫ですか?」
「うるせーっつってんだろ!」
 完全にただの八つ当たりに近い拳が出た。頭頂部を思いっきり小突かれたランボは身を竦めて殴られた場所を押さえ、みるみる涙目になっていった。
「ちょっと……!あのねえ!俺だって我慢してるんですよ!すごく泣きたい!」
「じゃあ泣き喚けよ、それがテメーの専売特許だろ!」
「カッコ悪いじゃないですか!」
「何を今更!」
 とうとう低レベルな口喧嘩に発展し、止める者もいないので2人とも好き放題喚きまくる。一方同じ部屋の片隅では、リボーンと雲雀、そして山本が黙りこくって負のオーラを発している。普段なら戦慄せずにはいられないような凄絶な笑みは、若干引き攣っていて雰囲気という意味では失敗だった。
「おい!そろそろ時間だぞ!何を騒いでるんだ、獄寺」
 勢いよくドアが開いて、笹川了平がやたらと気合の入った様子で(つまりいつも通りだが)入ってきた。いよいよか。室内にいた5人は完全に一瞬硬直し、それから強張った足を動かし始めた。
「さあ、どうした!もたもたせずに急ぐぞ!」
 笹川は拳を固めて高らかに叫ぶ。
「いざ式場へ!」

「……そういえば獄寺氏、六道骸は?」
「知るか。招待状は送ってあんだ、式なり披露宴なりの最中に湧いて出るだろ」



***



 どうしてこうなった。
 綱吉は鏡の中の自分を穴の開くほど見つめた。青褪め、引き攣った顔が見つめ返してくる。その顔さえ見なければ、美しい、完璧な――花嫁だ。
 どう目を凝らしても、綱吉が着ているのはウェディングドレス以外の何物でもない。記憶が確かならばこれは女性の着るものである。そして綱吉がこの格好ということは、
「綺麗よ……ツナ」
「……ああ……うん…………ぇえー……?」
 ギクシャクと振り返ると、頭のてっぺんから爪先までさんざん磨き上げてくれた女性たちがニコニコとこちらを見ている。その筆頭たるビアンキは、うっすらと目に涙をためて誰より美しく微笑んでいた。
「さあ、もうすぐだわ。行きましょう」
 両手を掴まれ、されるがままにドレスの裾を持ち上げながら、綱吉はビアンキの耳に快い、しかし恐ろしい言葉を聞いた。
「花婿が待ってるわ」



 本当に、どうしてこうなった。確実に覚えているのは、最近九代目がしきりに、孫の顔が見たいとザンザスをせっついていたことである。そして綱吉も似たような境遇にあった。九代目も両親も、やれ好い人はいないのか、どこそこの令嬢を紹介しようかと煩かった。
 それでなぜこの展開だ?
 両親に挟まれてバージンロードを――バージンロードである!――ゆっくりと進んでいく綱吉の気分は、さながらNASAに捕獲された宇宙人だった。
 それを待ち受ける者が霞のようなヴェール越しに見える――
 (……ザンザス………………)
 オルガンが奏でる荘厳なマーチが、耳の中でうねるように響く。何故だ。少々早いのではないかという気はしても、結婚自体に異議はない。ザンザスが身を固めるのもまあめでたいことと言えよう。しかしそれは「2人とも結婚」という話であって「2人が結婚」ではなかったはずだ。
 視界の隅では九代目がそっとハンカチで目元を押さえていた。間違っている。何かが間違っている。
 純白の花嫁装束で身を包んだ綱吉は、頭の中まで真っ白に染め上げられ、夢遊病者のような足取りでザンザスに歩み寄った。そしてハッとした時には祭壇の前に立っている。
 思わずちらりと隣に立つ男を見上げる。目だけでこちらを窺っていた彼は普段通りの無表情、あくまで静かである。2人は僅かな時間見つめ合い――やがてザンザスがついと視線を外した。
 その頬は微かに染まっている。
 (え……ええー…………)
 スイマセン、どういうことだか本気で分かりません。いよいよ気が遠くなりかけた綱吉の耳が、辛うじて神父の言葉を拾った。
「この結婚に異議がある者は申し立てよ、さもなくば永遠に沈黙せよ――」

 ある――
 と綱吉が心中で呟くと同時に、背後で誰かが派手に立ち上がった。
「沈黙するのはてめーだ、花婿殿」
 不穏極まりないその宣告に慌てて振り返る。リボーンが不敵な笑みに口を歪ませ、銃を真っ直ぐ構えていた。続いて隣席の雲雀もゆらりと立ち上がる。
「群れるのは信条に反するけど、たまには数の暴力って奴も悪くないかと思ってね」
 知らなくていい、雲雀はそんなもの一生知らなくていい。異議申し立ては有難いがこれは大乱闘フラグである。それは嫌だ、避けたい。綱吉の願いも空しく1人また1人と席を立っていく。
「ううっ……俺は……俺は十代目がお幸せならそれでと思い……しかしもう我慢の限界です!」
 滝のように流れる涙を拭う獄寺の手にはダイナマイト。山本の眩しい笑顔を映し出す長刀。
「やだよお、ツナ結婚しないでぇ!」
 うわああああん、と泣き声を上げたランボは錯乱気味に十年バズーカを構えた。その発射音を合図にリボーンもトリガーを引く。あまりのことに凍り付いていた神父の耳元を弾が掠めた。


「うおおおおお!!式の邪魔はさせん!!」
「家光てめー、反対派の急先鋒だったろーが!裏切り者が!」
「俺も男だ、腹を決めた!ツナのためだ……!」
「獄寺氏、この状況は……」
「やたらにバズーカ使うなアホ牛が!だが丁度いい、あの白いタキシードを消す!行くぞ!」
「ボ……ボンゴレ!?え!?」
「さーてちゃっちゃと終わらして、ツナ連れて帰ろーぜ!」
「落ち着きなさい雲雀恭弥、こんな真似をして何になるというのです」
「気に入らないからね。僕の邪魔をする気なら容赦しない」
「邪魔というか、今日めでたく結ばれようという2人を引き裂くのは無粋だと言いたいのですが」
「あれがめでたく見えるなんて、君の頭の方が余程めでたいね」
「ふう……こんなことはしたくないが、ザンザスがようやく掴んだ幸せを壊すわけにはいかない……分かってくれるね、皆」
「あらあらまあ、ツナったらたくさんの人に好かれて幸せねえ。なんだか胸がいっぱいだわ……」


 神父が腰を抜かす。ザンザスは綱吉の腕を引っ掴むと、床にへたり込んだ彼の前に膝を突いて迫った。
「おい、誓約だ」
「は……」
「早く言えドカス」
「う、ザ、ザンザス……あなたはこの沢田綱吉を……妻と」
「する」
「沢田綱吉……あなたは……」
「俺を夫とするか?」
「え?いや、その」
「Siと言え!」
「S-Si」
「ち、誓いの言葉を……」
「Io accolgo te come mia……めんどくせえ。おい綱吉、死によって分かたれるまでだ。共にいると誓う、お前は?」
「ち――誓う」
 ふわ――と霧が晴れたように視界が明瞭になる。
 ヴェールが取り払われ、綱吉は真っ直ぐにザンザスの瞳を見つめていた。強い光を湛えた深紅に魅入られたように動けなくなる。そっと持ち上がった左手の、指輪が通った指先からぞくぞくと震えが走った。
 後悔はしない。その思いが稲妻のように煌めいて胸の奥へと仕舞われる。
 ザンザスの分の指輪が渡された。勢いに押されて零れ落ちた誓いを確かなものとするように、綱吉もまたそれをしっかりと嵌め込んだ。



「――行くぞ」
 用は済んだとばかりに勢いよく立ち上がったザンザスにつられ、綱吉はよろめく。
「ちょ……!?」
「なんだ」
「下ろせ!これはマジでやめろ!」
「その格好で走れんのかよ」
 横ざまに抱え上げられ――いわゆるひとつのお姫様抱っこというやつだ――あまりと言えばあまりな醜態に耳まで赤くなるのを感じたが、ザンザスは気にも留めず出口へ疾走する。
「おい!逃げるぞ!」
「止めろ!」
「させるかぁ!」
 もう何が何だか分からない。式場は阿鼻叫喚の有様である。修繕費が怖いが今は気にしていられない。
 外に出ると抜けるような晴天だった。階段を駆け下りたところでようやく自分の足で立つことを許されたが、相変わらず腕を掴まれているのでついて行く他ない。
「ボンゴレ!」
 誰かが呼ばわった。走りながら振り向くと、綱吉が持っていたブーケを手にした長身の男が追いかけてきていた。
「落として行ったぞ」
 善良なる一招待客のランチアは、あの乱闘騒ぎを縫ってわざわざ届けに来てくれたらしい。
「ああ……ありがと……でもあげます、あなたに」
「大丈夫なのか?」
「うん、別に……」
 彼らは馬車のあるところまでやって来ていた。またしても抱き上げられて席に上げられ、続いてザンザスが乗り込む。
「その、ボンゴレ。おめでとう、幸せにな」
「……ランチアさん…………」
 心底から祝ってくれる彼の思いは有難いが、何かどこかズレているような印象も否めない。綱吉は曖昧に笑ってありがとうと干からびた声を発した。

 そしてついに教会の外に人が溢れだした。
「いたぞ、馬車だ!」
「待てやオラァ!」
「よく聞けドカスども!!」
 ザンザスが追ってくる猛獣たちに向かって声を張り上げた。
「いいか決戦は披露宴でだ!――最も多くを打ち負かした奴に、こいつのジャレッティエッレを手にする権利をやる」
 恐るべきスピードで肉薄していた男たちがピタリとその足を止める。ザンザスはその隙に鞭を一閃、馬車を走らせ始めた。曳くはディーノより借り受けたスクーデリアである。
 みるみるうちに遠ざかる教会と、今度は何やら内輪揉めを始めたらしき物騒な男たちを肩越しに振り返りながら、綱吉は尋ねた。
「ジャレッティエッレって何?」
「……」
「ねえ、何!?」
「ガーター」
「がーたー……ガーター!?俺の!?」
「知らねえのか?独身男に向かってブーケの代わりに花嫁のガーターを投げる」
「な……!外さねえからな!俺は!」
「外すのは俺だ。スカートの下に潜って……」
「ぜってーやらせねえー!!」
 綱吉の絶叫が響き渡る。馬車はシチリアの眩しい太陽の下、永久の誓いを交わした2人を乗せて軽快に走っていく。


fin.

2012/10/6初出(pixiv)
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