そこにはなにもないように


 物のついでに今年はどうするんだと尋ねたら、返答の中に何やら語彙に無い言葉を聞いた気がして、綱吉は無意識に間抜けな声を発した。
「は?」
「クニに帰る」
「クニ……」
 リボーンはこれ以上なくハッキリと嘆息した。吐息の軌跡までもが目で追えそうだ。
「故郷だ。ふるさと。今度は聞き取れたな?辞書は引かなくて平気か?」
 ご親切にどうも、だ。馬鹿にされているのがありありと分かる言いぐさに釣られそうになったが、首を振りながら本題に巻き戻す。
「悪い悪い。故郷ね、オーケー。それで……」ゆっくり深呼吸した。「お前に故郷なんか、あったんだ」
「……お前な、俺がどこでどうやって生まれたと思ってんだ。空から落ちてきたとでも言うつもりか?」
 新聞記事に没頭しているポーズをとっていたリボーンが、ようやくちらりと流し目を寄越した。いつもの呆れ顔だ。綱吉は真面目で謙虚な表情を作ろうとして、奇妙に眉を上げ下げする結果になった。
「いやー、まあ、そんなこと思ってないよ、もちろん」
「なるほど、思ってたのか」

 やはり嘘だとバレた。しかし正確にどういう意味なのかまで知られることはないだろうから、まあいいとしよう。神妙に肩を竦めて弁解する。
「ごめん。だって、なんていうか……お前の故郷っていうのがぴんとこなくて。つまりさ、俺が知ってるのは殺し屋のリボーンだけど、そうなるより更に前っていうのが。何もできないほんとの赤ん坊で、親とか兄弟がいて……」
 口だけが開いたまま、続きは出てこなかった。綱吉が唇を引き結ぶのと、リボーンのそれが微かに緩められるのはほとんど同時だった。
「お前の言う通りだ。俺に故郷なんてねーよ。生まれた土地は知ってるが、ただそこで生まれたってだけだ。何もない。家族も友達も」
 ほんの軽い気持ちで尋ねたことが、投げた時の何倍もの質量を身に着けて降り積もっていく。しかし、根がひ弱かった綱吉と違って、リボーンはずっとずっと強いから、平気な顔をし続けている。
「……誰もいないのに、思い出もないのになんでわざわざこの時期に行こうとするわけ?何か用事でもあんの?」
「いや?ない。ただそれこそこの時期だしな、一度くらい生まれ故郷を見に行くってのも悪くねーだろ」

 口元を隠す白磁のカップまで含めて、素晴らしい線の横顔だった。綱吉はそれをきれいだと思ったし、この世に彼ほど完璧な男はいないと確信していたが、それが見かけのことでしかないのを心底悲しんでもいた。
「……なあ、リボーン」
「ん?」
「お前、そうやっていつもいなくなるのはなんで?」
 傾いていたカップが一瞬完全に静止して、それから何事もなかったようにテーブルの上に戻っていった。イタリアに来て、ここでの流儀を学んで以来、ナターレにリボーンの居所が知れていたことはない。なあどうして、とあくまで穏やかに繰り返すと、また彼は溜息を吐いた。今度の軌跡を追うのは容易でなかった。
「ナターレは家族で過ごすもんだ」
「知ってるよ。でもリボーンは?」
「俺に家族はいねーって言ったろ、どこでバカンスを過ごそうが俺の自由だ」
「それも知ってる。はぐらかすなよ、俺が言いたいこと分かってるだろ」
 返事はなかった。悲しみとやるせなさが喉から言葉を溢れさせるが、その言葉を胸中に紡ぐのは愛おしさであったように思う。
「なあ、俺だって分かってるんだ。口で何を言っても何かが変わるわけじゃない。俺たちは親子でも兄弟でもないしこれからなれるわけでもない。先生と生徒のままでいたって別に同じだよ、それは分かってる」
 リボーンが言い返す。「ああ、もちろん、俺も分かってる」その淡々とした響きに、綱吉はもどかしく拳を握ったり開いたりした。

「俺はただ……ああもう、分かんないよ何が何だか。別にどうしてもナターレにお前がいなきゃやだって話じゃないんだ。行きたきゃ故郷でもどこでも行ってくればいいよ。ただ……お前は、そのままいなくなっても不思議じゃないから、それがいやだ」
「俺が自分の役目を放り出して行方を晦ますやつに見えるか?」
「見えない。そうじゃなくて。ほら、役目って言った。お前がここにいるのは俺の先生だからだろ。それじゃダメなんだ、理由が……理由があっちゃダメなんだ」
 綱吉は自分がするりと発した言葉に驚いて何度か瞬いた。それから噛み締めるようにもう一度言った。「理由があるのはダメなんだ。いらないんだ」自分の頭のつくりではどうしたって説明できそうにはないから仕方ない。ただそう感じたままを声にする他になかった。どれほど拙く、赤面するほど自分本位な思いだったとしても、きっとそれはリボーンにはできないことだろうから。
 「それが役目だから、とかいうのはいやだ。もしかしたら……一緒にいたいって、それさえ思わなくたっていいのかも。だって家族と一緒にいるのに理由なんてないだろ」

 いつの間にか彼のすぐ傍に立っていた。リボーンはさっきから一枚も捲られていない新聞に目を落としたまま、普段通りの皮肉っぽく気取った調子で言った。しかしそこにはいくらか和らいだ表情があったので、綱吉の喉元から温かみがするすると広がっていく。
「別に友達だって、一緒にいるのに理由はいらないだろが。そっちの選択肢はないのか」
「うーん……それなら……いや、やっぱダメ。なし」
 手を伸ばして、艶めいて額にかかる髪をそっと掻き上げてやる。何度も撫でつけるようにしても彼はじっとしていた。端正な横顔の稜線には一分の乱れもないが、それだけであるよりも、自分の平凡でもう少したくましさの足りない手が加わった図の方が、遥かに美しく満たされているように感じられた。錯覚に過ぎないとしてもそれは嬉しいことであった。
「どうして」
「どうしてって、友達だとおかえりって言うには変だろ」
「また同居でもさせる気か」
「まさか」
 リボーンは結局、一番肝心な答えを返してくることはなかった。しかし、なんでもないような口ぶりで、里帰りするには寒過ぎるかと呟いたので、今はそれで満足することにした。



fin.

2013/12/24初出(pixiv)
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