Daredevil Game


 数多の歳月と足跡が汚れを馴染ませ、また磨いたために、つるりとした床は滲んだ飴色をしている。カードがテーブルに落ちる乾いた音が弾け、男たちのあっけらかんとした、しかし粗野ではない笑い声が響く。カップとソーサーが触れ合い、キューが球を撞く。決して表には出ない、あるかなきかの密やかな声が、通奏低音として絶え間なく混じる。
 それらの音はザンザスの耳に、紫煙は鼻先に漂い来るが、ともかく彼は独りで座っていた。手の中には天井の灯りを映し込む淡い琥珀。足元にのっぺりと広がるくすんだ臙脂は拭い忘れた血潮に似ている。見るともなしにただ向けている視線の先には火の気のない暖炉があるが、長年の間に染み付いた煤は、どれだけ手入れされても最早その一部として陰気にこびり付いている。ここはそういう場所だった。彼らの歴史の博物館の、展示品はこの空間それ自体であり、訪れる者たち自身であった。

 男たちは皆親しげに声を掛け合い、肩を叩き合っているが、ザンザスの傍へは誰も寄って来ない。無論のことザンザスが誰かへ話し掛けることもない。彼は待っていた。それはこの場の誰もが待っている者でもあった。皆にとって幸いなことに、その男は――青年は――ザンザスが二杯目を空けてしまう前に現れた。
 青年は一人ではなかったが、単にそれだけならば必要以上に驚きを与えることもなかっただろう。彼は幼い少年を連れていた。それを見とめたザンザスはすいと目を細めた。
 部屋中の注目と挨拶を受けながら、沢田綱吉はゆっくりと歩いてくる。彼の小さな家庭教師もまた同様に視線を浴びているが、何の酔狂か生徒の袖口をちんまりと握り、方々へ笑顔を振りまいている。さも無邪気な当たり前の子どもであるかのように。しかし幾人かは、その姿に衝撃を受けてか凍り付き、あるいはひっそりと恭しい目礼を捧げた。そうした者たちへ向かっては、笑みは更に深まった。

 やがて彼らの足音は絨毯に吸い込まれて消えた。綱吉が最も上等なビロード張りの椅子に腰かけると、少年はその肘掛けにしなだれかかって甘えた声を出す。
「ねえ、お腹空いちゃった」
「……大人しくするって約束したろ」
「騒いだりなんかしないよ」
「これは、可愛らしい坊やですな。ご子息……ではないでしょう?」
 柔和な顔立ちの四十がらみの男が、微笑ましそうに口を挟んだ。綱吉は苦笑しながらそちらへ頷きを返す。話題の主役にされた少年の表情はますます明るく、話し掛けてきた男を興味深そうに見遣る。
「ええ、先代の血縁とかで、今は俺が面倒を見てます」
「そうでしたか、いや私にもこのくらいの歳の子がいるもので」
「名前は何ていうのかな、坊や」

 ぽつりぽつりと観客が増えていく。ここに集うのはボンゴレ傘下、あるいは友好関係にあるファミリーの者に限られている。その中でも今こうして物珍しげに寄って来るのは、比較的若く強い勢力を誇る組織の男たちばかりだった。立場の弱さを弁えている者は遠慮して、そして少年の素性を知る古株やボンゴレの幹部たちは畏れて遠巻きにしている。
「レナート」
 話し方はハキハキと気の強さを感じさせる一方、声色はあどけない甘さを含んで耳に快い。象牙の頬に血の薔薇色が透けて、艶やかな黒髪が額に品良くかかっている様は、名画に命を与えたならさもあろうと思わせんばかりである。男たちは彼の物怖じしない態度にか、完璧と言っていい容姿にか感銘を受けて気持ち良く笑い、口々に言う。

「堂々としてるじゃないか、流石は九代目の血縁というわけだな」
「レナート、ところでこっちへ来るかい?ドンは大事なお話があるだろうから」
「アイスクリームは好きかな?チョコレートは?是非ご馳走させて欲しいな、十代目のご友人に」
「ほんとう?」
 少年はぱっと顔を輝かせて、それから窺うようにドンを見上げた。渋い顔で唇をむずむずさせる綱吉は、遊びの過ぎる家庭教師に文句を言いたい衝動と戦っているに違いなかった。どうにかそれを取り繕って、子どもの我儘に負けた体で溜息を吐く。

「仕方ないな。俺の用事が済むまで――」
「あ、待って」
 しかし言葉を遮って、彼はここへやって来てから初めて、ザンザスの方を真っ直ぐに見た。ついに来たかと、ほとんど空になったグラスを置く。見た目だけは天使のように愛らしい少年は、ごく一部の人間にのみ分かる底知れない笑みを浮かべて、ザンザスの目の前まで歩み寄った。
「こんにちは、ザンザス」
 哄笑したいのを堪え、せいぜい無害に見えることを願って唇だけを解く。
「よお」
「キスしてくれないの?」

 二人のやり取りを誰もが見守っていた。何しろ「あの」ザンザスに怖れ知らずにも話し掛けた上、キスをねだるような子どもがいようとは。綱吉は苦々しげな、いっそ笑いたいような珍妙な顔で黙っている。
 笑みできっちりと表面を覆った瞳の奥が揺らめくのは、互いにだけ見えている。ザンザスは挑発めいた仕草で両腕を広げた。スクアーロや獄寺辺りが見たら卒倒しそうなほど、これは物騒な遊びだ。だが生憎二人してそれが好みである。そもそも、どうせこんな場所では何も起こりようがない。互いによく分かっている。
 それでも小さな身体が腿を跨ぐ格好で椅子の上へ乗り上げてきた時、さしものザンザスも背筋に冷たいものが走るのを感じた。二人して相手にだけ心臓を晒すような真似だ。正気の沙汰ではない。軽く細い腕が首に回されると血のざわめきは弥増した。仕返しに――つまり双方をさらに追い詰めるために――腰を抱いてやった。

「誰を狩りに来た」
 行きがけの駄賃に囁きを吹きこんで、右頬に唇を押し当てる。ひと舐めしたらそこから溶け出しそうな柔らかさだ。すぐに離れると、今度はこちらの耳元に気配が近づく。
「他にいると思うか?」
 更に頼りない感触の唇が頬を撫でていった。綱吉は平然としてあらぬ方へ顔を向けているが、視界の端で様子を捉えているのは明らかだった。彼にとってこの光景は、二人が互いの額に銃口を突き付けあっているに等しいはずだ。大勢の目の中で彼だけにそれが分かるというのは、裸で睦み合っているのをあからさまに見せつけられた気分かもしれない。さぞ落ち着かないことだろう。気が昂っているせいかおかしくて仕方なかった。

「……ほら、行っといで」
 しなやかな動作で少年の姿をした殺し屋が床に降り立つと、すかさず綱吉が促した。子どもは振り返りもせず、待っている男たちの方へ駆けていく。見送った綱吉は立ち上がり、数人に先導されて談合のための個室へ向かおうとする。機嫌の悪さを隠し損ねた鋭い睥睨を食らって、ザンザスも笑いを噛み殺しながら続いた。後でさぞ絡まれるに違いないが、知ったことではない。



fin.

2013/11/27
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