この作品は正統・異端ごった煮の上、作者の自己解釈と展開上都合のいい取捨選択がなされた宗教的描写を含みますが、あくまで一個人の妄想から生まれたものであり、特定の宗教を宣揚あるいは冒涜するものではありません。
ご理解頂けましたらどうぞお読みください。

















接吻の報酬


「――どうかな?」
「よくお似合いです」
 九代目がこの日のために誂えてくれた礼装は、地味過ぎず派手過ぎず、ごく自然に綱吉に馴染んだ。飾り立てることには無頓着に見えても流石はイタリア男の、それも金の使い方を心得た者の趣味の良さである。本当はこっちが贈り物する側なのにと思わず零したが、厚意は嬉しかったし、着るものに迷っていたので素直に助かった。
 もう一度、鏡で上から下まで念入りに確かめる。どうにか撫でつけた髪とよく似た色のスカーフ、光沢のあるライトベージュのベスト。少し着丈を短く作ってあるジャケットと細身のノータックパンツが、僅かばかり脚を長く見せている。その効果は綱吉の劣等感を微妙につつきはしたが、客観的に判断して満足のいくものだ。磨き込まれた靴には傷も曇りも見当たらない。最後にスカーフと共布のチーフを指先で整えて、頷いた。
「行こうか」

 予定から遅れること約1時間、目的地に降り立つとパーティーは既に始まっていた。綱吉らの道中とは違い、何の妨げもなく進行したらしい。案内されて広間に入ると、地元の名士だの企業家だの、見るからに裕福そうな男たちばかり、老いも若きも酒や料理を楽しんでいる。会話――会話は楽しいばかりではないかもしれない。人々の合間をすり抜ける度、ごくさり気ない束の間の沈黙と探るような視線を感じた。
 和やかに招待客と肩を叩き合うホストの姿が垣間見える。ほぼ同時に向こうも綱吉に気付き、くしゃりと破顔して歩み寄ってくる。たちまち彼らは会場中の注目を集めた。広げられた腕のゆったりとした空間へ、綱吉は軽やかに溶け込んだ。
「やあ、待っていたよ」
「遅くなってすみません。道が……混んでいたので」
 九代目はほんの少し目を細めたが、穏やかな調子はいささかも変わりなく言った。
「それは大変だったろう。迂回してきたのかな?」
「いえ。どうにか解消させました」
 じっと深奥まで見透かすような瞳は一瞬にして柔和な笑みに覆われた。そうかい、と低く呟いてふと顎を上げたので、綱吉はそれに応えて軽く身を屈める。乾いた唇が片頬に、優しく首を返すと反対側に触れた。同じ挨拶で応えながら、一際はっきりと響く重い足音を聞く。振り向くと果たして、彼だ。
「ザンザス」
 何が何でも拒む構えでいたと記憶しているが結局来たようだ。尊大さたっぷりに見下ろしてくる男は、こちらへの当てつけかと邪推したくなるほど正装が様になっている。
「……やあ」
 ただ沈黙をもたらさないためだけの挨拶にザンザスは鼻を鳴らす。しかしそれ以上場に適さない態度は取らず、さっと彼の養父の方へと目を走らせる。促すような小さな頷きを受けて、真一文字に結んだ唇が崩れ、綱吉は微かに違和感を覚えた。気分を害したというよりは、嘲けるような――あるいは他の何かを含んだ歪み。だが深く考える暇はなかった。ありもしない陰が濃くなったような気がした。男の姿が圧力を伴って目前に迫るが、静かに立ち尽くして赤い瞳を見返し続ける。左肩を軽く押さえた手、次の瞬間すっと顔が避けていく。そして軽いキスが両頬に、実に呆気なく落とされた。
 低く控えめな、しかし執拗なざわめきが広がっていく。2人の男との一見なんでもないやり取りが綱吉の立場を知らしめ、集まった者たちの確信に近い予想を決定的にした。このぱっとしない、線の細い青年が次のカポ、彼らを束ねる男だと。
 肩に添えられたザンザスの手が、離れていく前につうと鎖骨を掠めた。胸ポケットにすとん、と滑り込んだ重みがある。ごく間近で絡み合った視線はやはりすぐに逸らされた。綱吉は首を伸ばして、幾分高いところにある頬に口づけた。唇と、ざらりとした傷跡の間で、押し止められた溜息がじわりと籠った。



「――そのコインは?」
「んん……」
 ぽつりと投げかけられた声に、掌の中で転がしていたそれを指先で持ち直す。古い銀貨。いつのものか、どれだけの価値があるのか、綱吉には分からなかった。歪んだ円の中の横顔は、くすんでいながら冴え冴えと冷たい。
「ザンザスが――本物の銀かな、これ――昨日」
 リボーンが手を差し出したので、軽く放ってやると、こちらを見もせずに易々掴み取った。綱吉がおざなりに説明する間、彼はただまじまじと見入っていたが、やがて静かに言った。
「つまり?ザンザスがお前にキスして、こいつをプレゼントしたと?」
「なんか気に入らない言い方だけど、その通りだよ――何?」
 突然リボーンが喉を鳴らし始めた。常日頃無感動な瞳を奇妙に煌めかせている。
「なんだよ」
 ついに大口を開けて笑い出した。心底可笑しくてたまらないというように顎を反らして、だが声色には皮肉が隠れるでもなく表れていた。一頻り肩を揺らして、リボーンは芝居がかった言い方をする。
「ザンザス!あの野郎意外と、辛気臭くて小洒落た真似をしやがるな!」
「なんなんだよってば」
「しかも肝心のこいつにはサッパリ伝わらねーと来てる」
 せっついてもまともに取り合ってくれない。いささか気を悪くして、綱吉は憤然と座り直してそっぽを向いた。哄笑は収まったものの、綱吉には分からない何事かによほど興をそそられたらしく、時折くつくつと声を漏らしている。こうなっては、しばらく綱吉を気に掛けもしないだろう。
「ったく……いいよもう。いつかその気になったら話して頂けるんですよね、先生?」
 わざと嫌味たらしく溜息をついて、今一つ身の入らない勉強に戻ろうかと本に手を伸ばす。古びた表紙の天から覗き見たリボーンの、唇は未だ皮肉に吊り上がっていたが、鋭刃の閃くような瞳の奥はその光さえ飲み込むほどに黒々としていた。綱吉はぎくりとして俯いた。師匠を本当の意味で怖いと思ったのは随分と久しぶりのことだった。顔を見られないままに何ページ分もの時が過ぎて、ようやく勇気を振り絞った時には既にいつもの彼に戻っていた。



 なんとなく手放す気になれず、銀貨は今も綱吉の服のポケットに居候を決め込んでいる。しかしどうにもおさまりが悪いようで、胸元をそっと撫でつけた。視線の先には飴色に艶めく大きなラテン十字があった。そこに掲げられた裸同然の男は、出来のいい複製に過ぎないと知ってはいても、未だに落ち着かない気持ちにさせられる。ありもしない傷跡が疼く気がしてそわそわと両手を揉んだ。
 祈りの心の貴さと、突きつけられる人の罪の惨さとが、胸の内側でぐずぐずとせめぎ合いながらも、どうかすると馴れ合おうと試みている。理解が出来ないはずなのに、この違和感は奇妙なほど傍近くにあって共感を誘う。目を凝らせば鏡があるはずで、紛れもなく我が身の似姿が映るだろうという漠然とした予感がある。
 家庭教師にはキスの作法まで教わった。なぜそうするのか、という簡潔な問いには、習慣だからだという簡潔な答えだけがあった。習慣とは最も硬直した宣りであると学習していた頃だったから、育ちがもたらす躊躇さえ薄まれば、飲み込むのに引っ掛かることもなかった。それはただ身分を知らしめるというだけの行いだ。
 綱吉は不意に自分の身体の存在を意識した。途端にぎこちなくなったように感じる背骨を伸ばして、もう一度十字架をまじまじと見つめる。咎人の顔は俯けられていて、陰になったその表情は窺えなかった。

 教会の横手に回り込むと、平凡な街中の小さな広場にあっては一際異彩を放つ大柄な男が、これまた不釣り合いな車に凭れて立っていた。穏やかな陽光の差す暖かい日だったが、綱吉が足を止めた場所は影が落ちてひやりと素っ気ない。
「神の子とのおしゃべりは楽しいか?」
 唐突に踏み込まれて、思わず銀貨のある場所へ手をやる。すると彼は、あの日と同じ嘲笑う色の濃いやり方で口元を曲げた。
「似た者同士通じ合うものでもあんのか」
 その言葉は、彼の真意への確信を与えた。同時にリボーンがあれだけ笑ったのにも納得がいく。確かにこれは、ザンザスらしくない洒落た真似だ。よく出来た冗談だった。気味が悪いほどに鋭く、よく出来過ぎている。綱吉はポケットの中に指を忍ばせ、掻い出したものを見つめながら声を振り絞る。
「こんなもののために、俺たち――」
 後は続かなかったが、ザンザスは間違いなく理解したらしい。長身を僅かに屈めて、耳元へ寄ろうとする気配があった。
「ただの前金だ。テメエ次第で何でも手に入るぜ……当然分け前は頂くが」
「欲しくもないくせに」
 反射的に吐き捨てた。ザンザスを前にすると、綱吉の感情はしばしば前触れもなく極端に――その方向は時に真逆にもなって――揺れるのだった。今度こそ怒りを露わにした瞳とぶつかって、遠雷にも似た唸りが腹に響く。
「よく分かってるじゃねえか」
 先日から続いていた違和感は薄れて、もう普段通りの苛烈な彼の顔だった。また唐突に、つい今しがたとは反対側に突き動かされるのを感じた。それはすぐに収束して、代わりに鳩尾の辺りにじわじわと染みていく。
 大股に去って行く男には構わず、指先で摘まんでいた銀貨を両手に秘めるように握り込む。こんなものと引き換えに、自分は贄とされたのだった。ザンザスが唆した通り、もっともっと手に入るのだ、それもますます大きく強力になって。しかし肉体の枷を逃れ得るわけもない綱吉は、釘打たれて身動きもままならず、跪く人々を睥睨するよりないのだろう。無限にも寄越される対価は、少なくとも綱吉の秤には永遠に乗ることはないし、意図こそ違えザンザスにとってもそれは同じことだ。
 はじめ冷たかった手の中のものは、ゆっくりと体温に阿っていったが、肌に感じる硬さは和らぐはずもなかった。


fin.

2013/11/11
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