薪尽く迄


 声は淡々と途切れなく続く。買い物リストでも読み上げるように素っ気なく告げられる内容は、その平板な調子がかえって血腥さを際立たせる。
 死者は何名、負傷者はこのくらい――いちいち名前を読み上げるようなことはしない。それだけ数が多いのだ――、物的被害がいくら。政府関係筋への根回し、主だった同盟ファミリーの対応、各基地の人員配置と今後の動き。ザンザスもとっくに把握している現状であるが、好きに喋らせておいた。
 ミルフィオーレの台頭は、ボンゴレの長い歴史の中でも最悪と言っていい打撃をもたらしていた。見通しが甘かった、というのが正直なところである。ジッリョネロとジェッソが統合したとの報が入ったとき、ジッリョネロはともかく、半島出身の新興組織だったジェッソに詳しい者などいなかった。幹部のほとんどが気にも留めなかった中で、一人ボンゴレの人間ですらないリボーンだけは眉を顰め、目を離すなと警告した。その彼を含むアルコバレーノ6人は既にこの世にいない。いくつものファミリーを潰し、あるいは傘下に取り込み、ボンゴレの商業ルートを乗っ取り――空恐ろしいほどの手際の良さで、白蘭率いるミルフィオーレはボンゴレを追い詰めていた。

「――並盛にはもう武とランボがいるし、雲雀さんも近いうちに戻るはずだ。了平さんにはしばらく残ってもらって、俺と隼人も向こうに飛ぶ」
 話は守護者の動きに移ったが、初めて聞く内容にザンザスは片眉を跳ね上げる。
「おい、どういうつもりだ。こっちをガラ空きにする気か」
「もちろん、違うよ。隠居したところを申し訳ないけど、九代目がいてくれる。最強の暗殺部隊もね」
 ザンザスは綱吉をじっと見据えた。負けず劣らず強く見つめ返されて、しかしその静かすぎる眼差しに違和感を覚える。
「……それにしたって戦力を傾け過ぎだ。あんなちっぽけな街ひとつに守護者全員だと?」
 仄めかされた要求への言及は避け、綱吉の采配に苦言を呈するが、間髪入れずに応えがある。
「そのちっぽけな街が俺たちのルーツなんだ。白蘭は絶対に狙いを集中させてくる。ミルフィオーレ日本支部の場所はまだ調査中だけど、並盛からそう離れちゃいないはずだ。――それに全員じゃないよ、了平さんを残すって言っただろ?クロームだって」
「晴は『しばらく』残すとテメーで言ったろうが。それに霧の奴は行方不明の筈だ」
「……安心したよ、案外頭が回るみたいで」
「ほざけ、カスが」

 やはり何かがおかしい。綱吉はひどく落ち着きはらっていて、まるでこの会話を事前に組み立ててきたかのように卒なく話し続けている。ザンザスを挑発するような皮肉っぽい口のきき方も、普段の彼に似つかわしくない。
「……何を隠してやがる」
 苛立ちを隠さない声で低く吐き捨てる。裏に何かがあるのは間違いなかった。こんな状況下で、守護者たちと並び最も戦力になるヴァリアーのボスを相手に随分いい度胸だ。しかし詰めが甘いのは、長年頼りとしてきた家庭教師の死や突破口の見えない攻防に、少なからず心を乱しているためだろうか。
「何の話?こんな時にお前に隠し事したって仕方ないだろ」
「ハッ、よく言う。鏡でも見てこい」
 綱吉は表情こそ崩さなかったが、僅かに目が泳いだ。そしてそれを見逃すザンザスではない。おもむろに腰を上げ、執務机に手をついて佇んでいた綱吉との距離を詰める。体格差に任せて上から存分に威圧してやった。

「……とことん悪事に向かねえ奴だな。アルコバレーノに嘘の付き方は習わなかったのか?」
「っ、リボーンの話はするな」
 俄かに尖り始めた空気はザンザスを強気にさせるばかりだった。口の端を歪めて畳み掛ける。
「ああ分かった止めてやる。で、何を企んでるんだ。言え」
「何も。……とにかく、並盛には守護者たちを回す。ここはお前たちに任せる。それだけだよ」
「あんな所に何の価値がある?ミルフィオーレが狙ってくる可能性は認めてやるがな、」
「その隙に本拠地を叩けってんだろ、聞き飽きた!」
 ついに綱吉が声を荒げた。しかしハッとしたようにすぐさま平静を取り繕う。
「……お前たちや幹部の皆には分からないよ、並盛がどれだけ重要なのか。あそこがきっと、要じゃなくても鍵になる」
「お得意の情って奴か?」
「何とでも言えよ。……白蘭のやり方は目に余る。どこよりも無防備なあそこを取られて身動き取れなくなる前に何とかしないと。それに比べてこっちにはボンゴレのほとんどがあるし、同盟ファミリーも動かせる」
 綱吉は一度、ぐっと唇を引き結んでザンザスを正面から見つめた。
「だからこっちは頼んだ。これでも一応信用してるんだからな」
 嘘は言っていない。だがまだ何かある。ザンザスの直感がそう告げる。無論、ボンゴレの血脈に現れるような御大層なものではないが、どこか不自然な綱吉の様子に気付けないほど鈍くもないつもりだ。
 しかし本人が頑なに口を噤んで明かそうとしない以上、ザンザスに真実を知る術はない。
「……分の悪い賭けでも仕掛けるつもりじゃねえだろうな」
「この件に関しては始めから不利だよ、情けないけど」
 そう零して、綱吉はザンザスの視線から逃れるように部屋から出て行った。
 残されたザンザスは、粘っこく纏わりつく苛立ちと、気味の悪い予感を抱えて立ち尽くす。



 果たして、それは当たった。
 沢田綱吉が故郷へ発ってから数週間が経過した頃のことである。パレルモ近郊のボンゴレ本部が突如ミルフィオーレの襲撃を受け、一時は完全に連絡が途絶えた。死傷者は数知れず、生き残った者も難を避けて散り散りになり、九代目までもが消息不明――本部は壊滅状態と言っても過言ではなかった。
 ザンザスは綱吉の帰国と時を同じくして、半島の爪先部分、旧ジェッソの本拠地付近に居を移していた。部下を情報収集に当たらせ、じりじりしながら事態の進展を待っていた彼にその知らせを持ってきたのは、例によってスクアーロであった。
「日本にいる嵐の奴から緊急の通信だ。ボス個人宛てらしいからさっさと出ろォ」
 そう言って机上の端末を操作し、勝手に回線を繋ぎ始める。ザンザスは怠そうに手元のグラスを弄んだ。
「……かったりぃ。テメーが出とけ」
「メンド臭がってんじゃねぇえ!昼間っから酒呑みやがってアル中がぁ!……分かってんだろ、嵐からだぞ。沢田じゃねえ」
「……」
 分かっている。正規の連絡ではなく個人的な、それも綱吉本人ならまだしも獄寺からとくれば、何かよからぬ出来事でもあったのだろうということくらい簡単に想像がつく。黙り込んでいるうちに通話状態になったらしく、スクアーロが少し下がった。

『――ザンザス?』
「……なんだ」
 呼びかけに渋々応じる。獄寺の声は、雑音のせいだけでなくどこか揺れていた。
『そこにいるのはテメーだけか?』
「カス鮫が」
『スクアーロか……まあ、いい。よく聞け二人とも』
 囁くような音量で口早に喋るので、ザンザスは内心苛立ちながらも聴覚に意識を集中させた。獄寺は極力平静を保とうと必死なのが明らかだ――若いとはいえボスの右腕をそこまで動揺させるほどの、一体何が。
『十代目は……ミルフィオーレからの会談の申し入れに応じて、その場で……その』
「おい」
 不規則に強く打つ鼓動を意識し始めながら、ザンザスは焦れて獄寺を急かした。
「経緯はいい。結論から言え。何があった」
『――っ、十代目は』
 続く言葉は頭の中で奇妙に響いた。


 部屋には重苦しい空気が沈殿している。スクアーロは心なしか青褪めた顔で黙り込み、ザンザスはと言えばひたすら宙を睨んでいた。
 じわりじわりと去来する、まずは怒り。その下で目まぐるしく働く計算。それから――それから?
「……ボス」
「黙れ。出ていけ」
 唐突に全てが煩わしくなった。己の領域に余計な雑音を響かせる存在を心底耐え難いと感じた。やめろ。黙れ。出ていけ。
「幸い生きてる幹部連中とはすぐにでも連絡が取れる――」
「うるせえ……!」
 ザンザスの手からロックグラスが飛ぶ。零れ落ちる琥珀色が弧を描き、スクアーロが目を見開く――が、グラスは壁に吸い込まれてけたたましく弾けた。
 スクアーロは避けるどころか身じろぎもしていない。
「……」
「……出ていけ、ドカス」
 今度は従順に長い銀髪が翻り、部屋に沈黙が下りた。
 壁に出来たばかりの染みが、滴りながら広がっていく。



***


 少年は弱く、脆かった。そうしようと思えば、一瞬でその息の根を止めることだって出来た。しかし彼我の実力差など、実際大した問題ではなかったのだ。沢田綱吉は結局のところ全てを持っていた。そう、全てだ――ボンゴレの頂点を極めるための資格、それがザンザスにとって全てであり唯一だった。
 二人はどう足掻いても対極にいた。ザンザスが備えるマフィオーゾの素質は、綱吉には決してないものだったし、逆もまた然りだった。綱吉は弱さとしか言いようのないものをいくつも持っていて、同時にザンザスがどれだけ渇望しても得られないものを、当たり前のように手にしていた。にも拘らずそれをいらないと言う。目の前が赤く染まって、あまりの熱にくらくらするような怒りを覚えた。赦し難かった。
 そして真っ向から対峙したのは、胸の内側を掻き毟られるような瞳だった。悲しみ、困惑、怯え、いかにも情けない弱々しさばかりがごっちゃになって、それでいながら恐ろしく澄んでいた。理解の遥か先へ飛び越す感情に引き摺られ、衝動のままに拳と炎を揮った。
 敗北の後も、その炎を絶やすことは出来なかった。してはいけなかった。沢田綱吉という存在に怒りを燃やし、抗い続けなければならなかった。永遠の勝利の日まで。
 そしてついに、その日がやって来た。綱吉は死んだ。動乱の中に、ボンゴレと、ザンザスを残して。



 時は粛々と容赦なく進む。
 トップ以下、要人を立て続けに失って混乱に陥ったものの、幸いにもそこで崩れ去るようなボンゴレではなかった。10年前から若きボスたちがタイムトラベルしてくるという、かなりのイレギュラー要素が飛び込んで来はしたが、ミルフィオーレ各支部への総攻撃作戦は断行された。何も知らない子供だろうが、仮にもボンゴレの十代目であり守護者であるならば、やってもらわなくてはならなかった。

「中学生に負けたんだろ?しーしっし!14歳の沢田綱吉に凍らされたんだぜ!」
 ザンザスは確かに彼に敗れた。だが今でも実力で劣っていたとは思わない。どんな運命の悪戯によってか10年の時を越えてきた彼は、本当にただのちっぽけな少年でしかないのだ。この戦いで彼に勝算があるとすれば、ボンゴレリングともう一つ、可能性だ。可能性、底力、伸びしろ、何でもいい。どっちみちこの時代の彼には遠く及ばないのだから。
 右手に炎が宿り、急速に膨れ上がる。こんな大規模な戦いは実に久々だった。もしかすると、あのボンゴレリングを賭した、彼との死闘以来の。
「まあ、ゆっくりしてけや。……沢田綱吉の名をほざいた以上、てめーらはここで――」

 ――沢田綱吉はもういない。何年前から何歳の彼が飛んできても、「ここ」に「彼」はいないのだ。死んでしまった。
 敵が何か嘲笑っている。リングに拒絶されたのだと。そうだ負けたのだ。綱吉が持っていて、ザンザスが持っていなかったもののために。血統だけでなく、もっと――しかしその持てる者はとことんしくじってくれた。争いの元を断つとのたまって、ボンゴレリングの破壊という気違い染みた策に出た。郷愁に駆られてかちっぽけな街ひとつに肩入れし、本部に甚大な被害を与えた。挙句の果てに自ら敵の懐に飛び込むなど、それがボスのやることか。10年もの間、絶えることなく燻り続けてきた炎がまた温度を上げる。
 この憤怒こそがザンザスだ。
 燃え尽きることなど有り得ない。膝を屈することなど有り得ないのだ。逆風の中でこそ、炎は勢いを増す。ミルフィオーレに、白蘭に追従する?論外だ。
「俺が欲しいのは最強のボンゴレだけだ。カスの下につくなど、よりヘドが出る」
 彼でなくてはならない。沢田綱吉擁するボンゴレでなくてはならない。ザンザスと悉く相反する彼だからこそ意味があるのだ。抗い続ける限り、憤怒はいよいよ燃え盛る。
 ――しかしもう、彼は死んだ。
 10年前の沢田綱吉?一体そんな子供に何ができるというのか。例え白蘭を下しても、それで終わりだ。子供はめでたく過去に帰る。そしてここには死体が残る。


 スクアーロが通信機に向かって喚く。いくつもの時を越え、海を越えて届く声。息を飲むその気配だけで苛立ちが膨らむ。
「10日後にボンゴレが最強だと、証明してみせろ」
「えっ……」
 こいつじゃない。彼は死んだ。くだらない情に囚われるカスは、死に様までくだらない。軽蔑を喰って怒りは更に胸骨を焼いた。
 その内側で、空っぽの心臓は寄る辺を失って奈落に浮かんでいる。これからどこへ向かって拍動すればいいのだろう。



***


「ボス、俺たちは一旦引き上げよーぜ。こいつ引き摺ってサ!」
 ベルフェゴールがニタニタ笑いながら、真6弔花最後の男をぞんざいに足でつつく。フランは六道骸に連れて行かれて姿が見えない。スクアーロは恐らく山本武と一緒だ。過去に帰る前に最後の指南をしてやるとか何とか、満身創痍の割に元気に騒いでいた。
「……先に行ってろ」
「あら、そーお?じゃ行きましょ二人とも」
「俺はボスと……」
「アンタも行・く・の!ボスいいわね、並盛基地よ!」
 ルッスーリアが渋るレヴィに桔梗を預け、念を押しながら去って行く。いくばくもなくザンザスは一人残された。
 森は激しい戦闘の跡を痛々しく残しているが、空は穏やかに澄んでいた。じんわりと眼に染み入るような薄青、それを彗星の如くに裂いて現れた少年は、もう自分の時間に戻った頃合いだろうか。
 ザンザスは歩き出した。鼓動がまだいつものリズムを取り戻せていないのは、戦いで消耗したせいに違いなかった。そう言い聞かせて、歩いて、やがて視界に黒々とした棺を捉える。
 それを見下ろしていた人影が、振り向いた。
「――流石、無事だったみたいだな」

 沢田綱吉は、数週間前に見たときと同じ姿のまま――少しやつれたかもしれないが、疲れた様子もなく微笑んでいた。
 その顔にまたぞろ怒りが湧き上がる。
「……随分と好き勝手立ち回ってくれやがったな」
「えーと、やっぱり怒ってる……よね?」
「何故黙ってた」
 睨みを利かせても、綱吉は肩を竦めて苦笑するばかりだ。
「だってこんなの、絶対反対するだろ、お前」
 当たり前だ。ひとつでも間違えば全てが終わる、綱渡りのような危なっかしい計画。偶然と幸運に頼る部分が大きすぎて作戦と言うのも憚られる。入江とかいう男が裏切れば、過去から来た彼らが一度でも敗れれば――本当に死んでいたかもしれないのだ。
「……自業自得だ。そもそもテメーがリングを持っていれば、こんな賭けに出ることもなかったろうが」
「うーん、それについては色々と複雑な事情がね……でも、後悔はしてない。ボンゴレリングは火種になりすぎた」
 綱吉はきっぱりと言い切る。
「もう、必要ないよ。――さあ、どうする?ザンザス」

 薄々察していた。綱吉がリングの破棄を決意したのは、武器としての希少すぎる価値だけが原因ではなかった。彼もまた忘れていないのだ。ボンゴレの掟がザンザスを拒んだ故に生まれた「悲劇」――ザンザスは嘲笑した――だが掟は実体の枷とはなり得ない。要は指輪さえなければいい。
「ハ……引退でもする気か」
「流石にこの状況で自分から引くつもりはないけどさ。お前次第だよ……今なら」
 長年の野望は今や眼前にある。ただ手を伸ばすだけで良かった。今なら労せずして掴み取れるだろう。しかし。
 綱吉はひたとザンザスを見据えていた。かつてのように恐怖に揺れてもおらず、不安に曇りもせず、ただ澄んでいるその瞳。
 この眼差しを失ったかと、本気で思った。
 心臓が危なっかしく震える。その疼きに耐え切れず、僅かに俯いて視線の檻から逃れようとした。

「……前にも言った筈だ」
 下草を踏む柔らかな音がする。ザンザスは努めて冷静な声を作った。
「俺が欲しいのは……俺が望むボンゴレは、最強でなくちゃならねえ」
 静かに歩み寄っていた綱吉の手が、ザンザスの頬に伸ばされた。そこには先の戦いで負った傷と、18年も昔に刻まれた罪と喪失の証がある。
 いつかの光景が甦る。あのときも自分はこうして、差し伸べられる手を為すすべなく見つめていたのだった。そして氷が――しかし次の瞬間、肌に触れたものは温かかった。
 ザンザスは再び綱吉の瞳に囚われる。かつて、初めてそこに己のうつし身を見たときから、ザンザスの中では絶えざる怒りが燃えている。呼吸をするのと同じくらい当たり前に、抗い、彼自身を否定した。そうすることに愉悦さえ覚えたこともあった。
「……ザンザス。俺はボンゴレを強くするのには、向いてないよ」
「うるせえ……黙れ」
 憤怒こそがザンザスだ。燃え尽きることなどあってはならない。
 しかし、炎の糧はいとも容易く失われるのだと、知ってしまった。
「黙れ……」
 手のひらを振り払いたい。けれどザンザスの身体は、見えない糸に絡め取られたかのように動かない。怒りと、屈辱と、そして恐怖に腹の底を焦がしながら、頬を包む体温を甘受した。
 たった一人だった頃の、炎の点し方を、思い出せない。


fin.

2012/8/11初出(pixiv)
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