晩餐


 呆気ない最期だった。
 血溜まりに倒れ伏す男がいる。否、男の身体から血溜まりが広がっていく。見下ろすザンザスの目に嫌悪はない。怒りも憎しみもない。哀れみなど論外。
 か細く硝煙の上がる銃口を下ろす。呆気ない。苦戦、とは言わぬまでもそれなりに「働いた」充実感の得られる仕事――の、予定だった。もっとも、苦戦などという表現は、ボンゴレ最強を自負する彼らは端から選ばない。
 付かず離れず守ってきた暗黙の不可侵を、死んだ男は欲にかられて軽んじた。結果、ボンゴレの怒りを買った上に己が軽んじられたらしい。手駒はそれなりに警戒する価値があった筈だが、気負って乗り込んでみれば盾代わりにもならない程度の連中が残っていたのみ。
 命を喰ったときに沸いて出るのが常の、冷酷な喜びも興奮もない。ひとつ残った苛立ちに任せて踵を返す。羽織っただけの重いコートは、落ちるどころか風に煽られる暇さえなかった。



 苛立ちが、空虚な身の内を噛んで増殖する。洞を埋めるどころかかえって拡げるその感覚は、飢餓が胃を引っ掻くときのそれによく似ていた。
 では血に飢えているのだろうか。違う、とザンザスは断じる。数を屠れば収まるような、御しやすく下らない衝動など疾うに征する術を知って、最早覚えることもない。
 ただ強烈に、欲する。満たされないから苛立つのだ。苛立つから渇くのだ。どちらが先かなどは取るに足らぬ問題、ただこの身の、牙剥いて呻く空洞を満たす何物かが欲しい。
 アクセルをぐっと踏み込む。スピードが上がる。まだ日付は変わらないが、道はしんとして対向車も無いに等しい。
 任務遂行のために伴った名前も知らない部下たちも、迎えの車を寄越した事後処理班も、無言で付き従おうとするレヴィ諸共追い払った。エンジン音の低い咆哮が響く車内は、運転者のみの空間である。
 襲撃が拍子抜けするような結果に終わり、引き上げる背中を突かれるような危険も限りなく低いと判断されたからこそ、彼らも黙って聞き分けたのであるが、それはザンザスの知ったことではない。彼がこうする、とかここへ行く、と決めたら大概のことは通る。
 向かうは、その「大概」に当てはまらない部分を作る最大の原因の根城である。ヴァリアーの本部――幹部たちが好んで使うところの「寝ぐら」――よりも、ボンゴレ本邸の方が近かった。
 果たしてそれだけかどうか。頭で考えるつもりはない。身体に巣食う苛立ちの、牙の命じるままに動いていた。



 ポーチに停車してやや乱暴にドアを閉める。迎えに出た下っ端が2人、歳食った方は顔を引き攣らせ、若い方は完全に腰が引けていた。それへ一瞥もくれずキイを放って、大股に上階を目指す。深夜、廊下に人気はなく、照明も絞って薄暗い。が、勝手知ったる屋敷内を闊歩する足取りに迷いはない。
 扉は、施錠されていなかった。部屋の主の甘ったれた無用心さを思わせて、込み上げる不快がある。
 慎重な手つきで押し開ける。卓上灯が仄明るい光を投げかけるだけの部屋に、先程までとはうって変わった静かな身のこなしで滑り込んだ。
 カウチに横たわるドン・ボンゴレは、厚いとは言い難い胸を静かに上下させている。近寄る足取りは暗殺者のそれだ。上等な絨毯に助けられて、羽が落ちたほどの音すらしない。
 目を瞑って一層あどけなく見える顔、歳の分かりにくいそれを上から眺める。あまりにも無防備な。じり、と身の内で蠢く衝動に従って手を持ち上げる。
 硬い指先は、すんなりと柔い首筋の、触れるか触れないかのところでぴたりと止まった。
 このまま。このまま手に力を籠める。それだけだ。それだけで簡単に奪うことが出来る。銃を取り出すまでもない。気が付けば既に持っていた炎、目を刺すような強い光球を宿すまでもない。
 憤怒。しかし憤怒がある。静かに息を吸っては吐いてするこの人畜無害な寝顔に、湧き上がる怒りがある。憎悪がのたうつ。苛立ちが焼ける。混ざり合い、競って伸びあがる負の感情の数々。負、否、ザンザスにとっては紛れもない正である。死へと向かう正。生。
 先刻死んだ男はもう顔も覚えていない。無為な時間だった。だが今、一切の抵抗する手段を持たず身体を投げ出している彼。沢田綱吉、彼の命を文字通り手中にして、較ぶるべくもないほどの高揚を覚える。
 そう、これだ。他の何者を前にしても、これほどの昂りは得られまい。もう空洞はなかった。代わりに獰猛な獣が、今にも飛び出さんばかりに身を低くしている。喉笛に食らいつき、肉を引き裂く瞬間を待っている。憤怒。憎悪。苛立ち。絡み合って高みへのぼる。

 しかしだ――
「――今はヤだぞ」
 唇が小さく開閉する。
「眠いんだ……喧嘩はまた今度にしろよ」
 掠れた呟きに合わせて喉が動き、ザンザスの指に触れる。目は開かない。
 ――そう。これだから。こうでなくては。胸元に引き攣れるような震えが起きて、喉の奥から低く漏れ出す。ザンザスは笑っていた。
 流石に不審がってか、漸く瞼が少し持ち上がった。眠たげな茫洋とした瞳。だがザンザスは知っている。その瞳が燃え上がり、焼けつくような強さで己を射抜いた瞬間を。
 そうだ、このマフィアのボスに相応しいところなど欠片も見当たらない凡庸な青年は、しかし簡単には殺されてくれない。そうでなくてはならない。残忍な感情、衝動が身体を満たす。その高揚、その熱さはいっそ歓喜に近い。

 しばし見合って、諦めたように向こうが口を開いた。
「仕事は?」
「済んだ。……てめえ、許さねえぞ」
「何が」
「あんな下らねえカス如き、わざわざ俺に始末させるな。つまらねえんだよ」
 綱吉は目を伏せて嘆息した。
「お前を退屈させない獲物なんか、そうそういてたまるかよ」
 口元が酷薄な笑みに歪む。まったくもって、その通りだ。


fin.

2012/6/2初出(pixiv)
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