やっぱり子供には二親とも必要


 教室内は、ここしばらくなかったレベルの喧騒に満ち満ちている。
 今教壇に立つ家庭科教師には呆れて物も言えない。普段は授業中、しつこい位に私語を注意するのに、生徒たちが騒ぐこと請け合いな爆弾を投下してくるとは。それを分かっていないとしたらどうしようもない馬鹿だし、分かってやっているとしても馬鹿だ。どちらにせよとんだ愚か者である。
 ――というようなことを、土方十四郎は恐らく考えただろう。もしも今、彼がこの世に生まれたことすらも後悔するような心境に陥っていなければの話だが。
 (この席順にさえならなければ……いや、このクラスでさえなければ……それ以前にこの学校に来ていなければ……そもそも俺が……)
 「オイ」
 隣の席からかかった声に、一瞬思考が凍りつく。誰の声かは分かりきっている。何の用かも同様だ。だからそちらを向きたくない。
 「オイ、土方君よぉ」
 明らかに声は挑発の色を含んでいる。これに乗らないのが大人への第一歩だ。しかしここで大人になるために忘れなければならないプライドを、自分はまだ捨て去ることができない。
 土方は平静を装って左隣を向いた。だが首の関節が体内で軋んだのも、口元がヒクついたのも彼の意思ではどうしようもなかった。
 この世で一番見たくない表情があった。瞬時に殴り飛ばしたくなるような顔つきでニヤニヤ笑う坂田銀時は、手にした2枚の紙をヒラヒラと振った。嗚呼、その書類は――
 再び現実世界からの逃亡を試みた土方はしかし、無情な宣告によってその場に縛り付けられた。
 「全員に行き渡りましたね?!じゃあ、隣同士で夫婦になって、婚姻届と出生届仕上げて下さい!時間は20分!」
 
 書類作成は初手から躓いた。
 「『夫になる人』……坂田ぎ」
 「待て!」
 「あぁ?何か問題でもあんのかよ」
 「大アリだ馬鹿!なんでお前が夫なんだよ」
 「俺とお前が隣の席だからだろーが。えー次、『妻に」
 「ならねーよ!そうじゃなくて、せめて俺を夫にしろ!」
 「はァ?なんで俺がお前の妻になんなきゃなんねーんですか?!断固拒否する!お前が妻ハイ決定」
 「その台詞そっくりそのまま返す!つかあんま妻妻連呼しないでくんない鳥肌止まらねーんだけど!」
 議論は平行線である。
 「俺の本籍地……イタリア」
 「オイ純日本人」
 「お前の本籍地……アゼルバイジャン」
 「どこだ!つかそこでネタに走ってどうすんだ!」
 「いいんだよこんなもん、俺とお前が夫婦って時点で既にネタじゃねーかよ」
 「つか俺が妻のまま勝手に進めんな!ちょ、貸せ」
 「やーめーろーやー!俺はお前のために味噌汁を作る気はねえ!」
 「俺にもないわ!」
 汚い字で書き進めようとする坂田。婚姻届をなんとか奪い取ろうとする土方。他人同士の法律関係を証明するものなど、所詮は薄っぺらい紙切れ1枚である。争う二組の手によってあっけなく破れてしまった。
 「あ」
 「あー、何すんだよバカ!テメェが邪魔すっからだろーが!」
 「おとなしく夫の欄を俺にしときゃ良かったんだよ!ったく……」
 土方は舌打ちして立ち上がり、もう1枚婚姻届を持ってきた。
 「書き直すぞ……っと!」
 奪い取ろうとした坂田の手から、土方は紙を遠ざけた。
 「オイ、貸せって」
 「待て、俺は不毛な争いを二度繰り返したくはねえ」
 「だったら大人しく俺の妻になれ!……ゴメン言ってて気持ち悪くなった」
 「お前はもう少し考えて発言しろ!自爆してんじゃねーよ!つかこのやり取りにもう疲れてんだよ俺は!――だから、こうしよう」
 「なんだ」
 「もういい加減、互いに大人になろう。そして公平に……」
 土方は右拳を固めた。
 「……なるほどな。確かに公平だ」
 坂田も察したようで、椅子を蹴って立ち上がった。2人は向かい合う。
 「一発勝負」
 「ああ」
 「文句ナシだぞ」
 「テメエこそな」
 空気が張り詰める。一瞬の沈黙の後、同時に拳が突き出され――

 「近藤……勲、っと。これでいいか?」
 「おー。あ、生年月日だけ書いといて」
 「分かった。――よし、書いたぞ」
 「サンキュ。俺も証人やろーか?」
 「いや、もう出来てるから大丈夫」
 「あそ。じゃ」
 席に戻った坂田は、2人目の証人の欄を埋めにかかった。
 「東京都……上野動物園ってどのへんだっけ。まあいいや。本籍、コンゴ民主共和国。あーあ、やっと婚姻届終わった」
 「……オイ」
 燃え尽きて真っ白な灰になっていた土方が、ようやく復活の兆しを見せた。
 「近藤さんは……ゴリラじゃねえ……」
 「あ、生きてた。ジョー、子どもの名前どうするよ」
 坂田はシャーペンで出生届をつつきながら聞いた。土方はズルズルと机に覆いかぶさり、完全にやる気の失せた風情である。
 「心底どうでもいい。適当につけとけ、金時とか」
 「おまっ、父親が銀で息子は金って。普通逆じゃね」
 「いいだろ別に。お前の遺伝子が2分の1に減ってる点では間違いなく息子の方が優れてるからな」
 「おお、是非サラサラストレートのDNAを受け継いでもらいてーな。つーかそれは暗に自分の遺伝子の方が優秀って言ってる?」
 「それはわざわざ確認するようなことか?」
 「テメエ覚えてろよ!離婚するときもぜってぇ慰謝料払わねえかんな!」
 「いいから名前決めろ早く」
 「利夫」
 「いじめられねえ?ソレ」
 「最近のガキで元ネタ分かるやつの方がすげーよ」
 「それもそうだな。金時よりゃマシか」
 「つーかむしろそっちの方がいじめられんだろ。坂田金時ってお前超DQNじゃん」
 「DQNナメんなよお前、本物のDQNはお前、想像を絶する名前つけんぞ」
 「例えば?」
 「えくれあ」
 「すげえな」
 「もっと驚け。『永久恋愛』と書く」
 「……!!」
 坂田は笑うべきか悲しむべきか迷ったらしく、複雑な表情で口をぱくぱくさせたが、何も言わず「利夫」と書いた。
 「……良い名前だ、利夫。生まれたときは?」
 「4月1日0時0分」
 「冗談以外の何物でもねーな。生まれたところ」
 「分娩室」
 「べんってどう書くんだ?」
 「知らね」
 「いいや平仮名で。父、坂田銀時……10月10日……満10万16歳。おい母、署名しろ」
 「書いといて、父」
 「坂田……冬、獅、郎」
 「おいコラ」
 「この方がカッコよくね?」
 「うるせ、貸せ」
 出生届を奪い取り、坂田の字を消して「坂田十四郎」と書き直す。寒気がしたが敢えて無視した。生年月日と年齢も書いてから坂田の机に戻した。
 「あと書いとけ。本籍と職業」
 「トルメキア」
 「せめて実在する国にしろ」
 「父の職業、遊び人」
 「自分で言うな。俺総理大臣にしといて」
 「母、僧侶」
 「僧侶が子供産むなよな」
 「ハイ終わりー。これどうすんのママ?」
 「さあ。指名されて何組か発表、その後提出とかじゃね。ママって言うな」
 「母さん、俺たち離婚したら利夫どっちが連れてく?」
 「お前だろ。母さんって言うな」
 「なんで俺なんだよ、マイハニー」
 「坂田じゃない利夫に意味はない。つーかお前そろそろ死ね!」
 ついに土方が当初の勢いを取り戻した。坂田も便乗してわめく。
 「死なねえ!利夫に片親の哀しみは味わわせねえ!」
 「じゃあ離婚もできねーだろーが!」
 「ほんとだ!離婚やめよう俺が悪かった」
 「断る!とっとと再婚しろ!」
 「利夫が肩身狭い思いするだろ!」
 「お前は架空の息子をどんだけ気遣ってんだ!その半分くらい俺のことを考えろ!」
 「考えてるっつの!バツがついたら可哀そうだなーと」
 「そこなのかよ!」
 彼らの言い争いは留まるところを知らない。見かねた山崎(現在一児の母)と夫の近藤が宥めにかかった。
 「まあまあ土方さん、旦那、その辺にしといたらどうですか?」
 「お前らホント仲がいいよな〜」
 「「部外者は黙ってろ!!」」
 気の良いお隣さん夫婦はしかし、頭に血の上った2人の拳で、揃って床に沈められるのだった。


 「……母さん、こういうのなんて言うんだっけ?」
 「……馬に蹴られるってんですよ、父さん」
 その後、土方は役所で離婚届を入手したそうだが、息子愛に目の眩んだ坂田は署名を拒否しているとか、いないとか。


fin.

2011/2/7初出
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