黒ずきんちゃん


 昔々……といってもそんなに昔じゃありませんがお約束なので一応昔々、とある小さな森のそばに小さな家がありました。そこには、一人の少女がお母さんと一緒に住んでいました。
 その少女は皆に「黒ずきんちゃん」と呼ばれていました。本人はその呼び名が気に入らなかったのですが、話の都合上それだけは譲れないので強制的に納得させました。


 ある日のことです。お母さんが黒ずきんに言いました。
 「黒ずきんや、ちょっとお使いに行ってくれないかい?」
 「ああ?」
 話しかけられた黒ずきんは、瞳孔全開の目でお母さんを睨みつけました。
 「いやっ……その、お使いに行ってくれないかい?」
 その気迫に圧されかけたお母さんですが、勇気を振り絞ってもう一度頼みました。が、黒ずきんの態度は最悪です。
 「ケッ、何が悲しくてお前なんかに命令されなきゃなんねえんだ。自分で行け」
 お母さんは耐え切れなくなって叫びました。
 「ちょっと、いい加減にして下さいよ!お願いですから大人しく行ってくれませんか?アンタ今赤ずきんちゃんなんですからね、分かってます?!」
 「分かりたくねーんだよそんな事!なんで俺が赤ずきんなんぞになってんだ?!」
 正確には黒ずきんですが、まあその辺はスルーしておきましょう。
 「知りませんよ!でも言っときますけどね、喚こうが暴れようがどうにもなりませんよ。この紙の上では俺たち登場人物は操り人形も同然ですからね、不本意ながら。存在を抹消されたくなかったら従って下さい」
 「こんな事やらされる位なら消される方がマシだ!」
 「いいんですか?そんな事言っちゃって。抵抗してるともしかしたら、とてもここじゃ口にできないようなあんな事やこんな事を……」
 「……」
 黒ずきんは黙り込みました。今彼女(?)の脳内では「多少の恥」と「二度と日の目を見られないような恥」が天秤の皿に乗っています。結論はすぐに出ました。
 「……わかった、行けばいいんだろ。どこだ?」
 ペンは剣より強し。黒ずきんは理不尽な状況に降参しました。
 「おじいさんの所だよ。なんだかケガをしたみたいだから、このワインとパイを持ってお見舞いに行ってきておくれ」
 黒ずきんが降参したのにホッとしたお母さんは、すぐに自分のキャラを取り戻しました。
 一方黒ずきんは少し眉をひそめました。
 「近藤さんがケガ?そりゃ行かなきゃなんねえな。それを早く言えよ」
 大好きなおじいさんがケガをしたと聞けば、黒ずきんにぐずぐずしている理由はありません。早速、出かける仕度をしました。
 「寄り道しちゃいけないよ!知らない人と口きいちゃダメだからね!」
 「ウルセー、俺を誰だと思ってやがるんだ!」
 黒ずきんはお母さんの忠告を軽く受け流し、おじいさんの家へ出発しました。


 おじいさんの家があるのは、森を抜けた所にある小さな町です。黒ずきんは森の中を早足で歩いていきます。
 その様子を見ている一対の目がありました。
 最近この辺りに住みついた狼です。この狼がなかなか悪質で、イキのよさそうな人間を捕まえ、食べるのではなくてあの手この手を使っていたぶっては楽しんでいるのでした。
 狼は前々から黒ずきんに目をつけていました。短気なクセに律儀な人間をからかうのはとても面白いのです。黒ずきんが自分の目の前を通る瞬間、狼は隠れていた繁みから飛び出しました。
 「よう、黒ずきんさん。そんなに急いで一体どちらへ?」
 黒ずきんは突然現れて話しかけてきた狼に驚きました。が、その驚きを顔に出すような無様な真似はしません。冷静に、しかし警戒心むき出しで答えました。
 「近藤さんの家だ」
 「ああなるほど、お見舞いですかィ。こないだは姐さんに盛大にボコられてましたからねぇ」
 姐さん、というのは黒ずきんのおじいさんがずっと求婚している娘のことです。老いてなお盛んと言う言葉は正しくありません。おじいさんはまだギリギリ二十代なのですから。
 「……それでお前、誰だ?何の用だってんだ?」
 黒ずきんの機嫌はだんだん下降していきます。鬼副長オーラが濃くなってきて、山ざ……いえ、お母さんが逃げ出す位になりましたが、狼は平気な顔です。
 「いやあ、ちょいといい話を小耳に挟んだんですがねェ、アンタにも教えてあげようかと思いまして」
 「何だ?いい話って」
 黒ずきんは好奇心から思わず聞いてしまいました。狼はニタリと笑って言いました。
 「この先に分かれ道があるだろィ。そこを右に行くとスーパーがあるのは知ってまさァね?あすこで今日、マヨネーズの特売があるんでさァ」
 黒ずきんはちょっとどころでなく心が動きました。確かにこれはいい話です。最近は原油高がどうのでマヨネーズも値上がりしていて、お母さんがなかなか買ってくれないのです。熱烈なマヨネーズ愛好者の黒ずきんには辛い日々でした。
 「……特売……」
 「今日限りですぜィ」
 狼が追い討ちをかけます。黒ずきんは崩れそうになる心を必死で押し止めようとしました。おじいさんの家に行くには、左の道を行かなければなりません。
 「でっ、でも……近藤さんちに行くのが遅く……」
 「なあに、サッと行ってサッと買い物してくればすぐでさァ。そうやって悩んでる間にさっさと行っちまった方がいいと思いますけどねェ」
 狼の言う通りです。それに、そのスーパーには今までも何度かお使いに行った事があるので、ここから近いというのも分かっています。さあこれで全ての障壁はなくなったように思えてきました。何て人の心のスキをつつくのが上手い狼でしょう。
 「……わかったっ!行く!」
 そうと決まれば善は急げです。おじいさんには済まない気もしますが、滅多にないマヨネーズの特売としょっちゅうケガをするおじいさんの見舞いなら特売が優先です。黒ずきんはスーパーへ向かって走り出しました。
 黒ずきんは、お母さんの言いつけを二つとも破ってしまったのです。


 さて悪賢い狼は、作戦の第一段階が成功したので、上機嫌に町へ向かいました。次は黒ずきんのおじいさんに成りすまさなければなりません。
 家を覗いて見ると、ラッキーなことにおじいさんは留守です。懲りずにストーカーに精を出しているのでしょう。狼は家の中に侵入し、その辺にあった手拭いでほっかむりをしました。そして、もぬけの殻のベッドに潜り込みました。
 これで作戦の第二段階も突破です。あとは何も知らない哀れな黒ずきんがやって来るのを待つだけでした。


 黒ずきんは、町へと向かう道を急いでいました。その足取りには元気がありません。ついさっきまで、スーパーで主婦達とマヨネーズをめぐって争っていたのです。
 戦いは熾烈を極めました。しかし満足のいく成果を手にした黒ずきんは、体は疲れていましたが心は元気でした。
 おじいさんの家が見えてきました。黒ずきんは最後の数十メートルはほとんど走りながら、そのままの勢いで家に駆け込みました。
 「近藤さん!遅くなってすまねえ……」
 言葉は尻すぼみに消えていきました。まだ昼だというのに、家中のカーテンが閉まっていて部屋が薄暗かったからです。黒ずきんは不審に思いながらベッドに近付きました。
 「近藤さん?」
 ベッドの上の布団のかたまりが、少し動いたようでした。
 「ああ、黒ずきんか。すまないねえわざわざ」
 おじいさんの声にしては、ずいぶん高いように思えます。ですが黒ずきんは、のどでも痛めたのだろうかと考えて疑いもしませんでした。
 「大丈夫か近藤さん。ったくそれにしても暗いな、窓開けるぞ」
 黒ずきんは一番近い窓を開け、ベッドの方に向き直りました。光が入って、おじいさんの姿が見えるようになりました。
 「アレ?なんか毛深くなってないか?いくらアンタでも顔にまで毛が生えンのは勘弁してくれよ。育毛剤でも飲んじまったのか?」
 さり気なくかなり失礼な事を言っています。
 「イヤイヤ、これは防寒対策で」
 おじいさんに変装している狼は、できるだけ野太い声で答えました。
 「ふうん……?それから、なんでそんなに耳がデカイんだ?」
 「アンタの恐怖の悲鳴をようく聴くためでィ」
 狼の小声の返答は、黒ずきんには聞きとれませんでした。
 「目玉もなんだか、ギョロッとしてるし」
 「アンタのおびえて嫌がる様をじっくり観察するためにねェ」
 「それに口も異様に裂けてるぞ。どうしちまったんだ?」
 「これはねェ……アンタが悔しがるのを見て存分に笑ってやるためでさァ!」
 狼はベッドから飛び出し、呆然としている黒ずきんに襲いかかりました。


 町を一人の狩人が歩いていました。この狩人、腕はあってもやる気が無く、昼間から町をフラフラしては家主に追われる毎日でした。
 今日も溜まった家賃をどうしようかと悩んでいましたが、誰かの悲鳴に思考を遮られました。
 「なんだ……?」
 狩人は辺りをキョロキョロと見回して、悲鳴の出所は数軒先の小さな家だと見当をつけました。近づいていくにつれ、二つの声が何やら騒いでいるのが分かりました。


 「や……や、や、やめろーーっっ!!」
 「ここをこうして……そんで、こう……よし、完璧だぜィ」
 不運な黒ずきんには成す術もありませんでした。狼は黒ずきんをシーツでぐるぐる巻きにして動けなくすると、手始めに顔にラクガキしはじめました。
 最初に、両方のほっぺたにうずまきを描きました。鼻の下にはチョビ髭を生やしました。眉毛はサンジにするか我が師カミュにするか迷いましたが、最終的に両津になりました。
 この間ずっと黒ずきんは身を捩って抵抗していますので、どのラクガキもへなへなです。
 「うん、我ながらなかなかの出来だ。さて、額の方はどうしやしょうか……」
 「もういい!もうやめて、これ以上描かないでくれ頼む!ってかコレ、俺の顔コレ今どうなってんだ?!怖い!なんか怖い!」
 「完成したらじっっっくり鏡見せてやりまさァ。額は……そうですねィ、第三の眼を開眼させるか、それともオーソドックスに『肉』でいくか……どっちがお望みですかィ?」
 「どっちも嫌だ!消せ!今スグ全部消して下さい!」
 「あっ、コレ油性ですんで」
 「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
 黒ずきんは絶望の叫びをあげました。そのとき、突然開いている窓から声がかかりました。
 「あ〜、俺は肉の方がいいと思うぜ」
 黒ずきんは慌ててそちらに目をやりました。狩人の格好をした男が窓枠にもたれかかっています。銀の髪が印象的でした。
 狼は狩人にのんびりと言いました。
 「やっぱり旦那もそう思いやすか?じゃあ肉にしよっと」
 「ま、待て!ちょっと待て!」
 額に向かってのびてきた油性ペンを避けながら、黒ずきんは狩人に叫びました。
 「お前!狩人だろ、そのカッコは!」
 「ん?まあ、そうだけど」
 「なら助けろ!見物してんじゃねえよ!この狼なら結構な獲物だろーが!」
 しかし狩人は、鼻クソをほじりながら腹の立つ調子で言いました。
 「え〜、でも面倒クセーしな〜。ぶっちゃけコレ見てた方が面白くね?」
 「人の不幸を面白がってんじゃねーよ!それに俺が助からねーと話終わんねーじゃねーか!」
 狼が口を挟んできました。
 「あ、黒ずきんさん知らねえんですかい?ペローが編集する前の民話としての『赤ずきん』は、狼に喰われて終わっちまうんでさァ」
 「な……っ!!」
 「というわけで、さて次はどうしてやりましょうかねえ」
 「くすぐりの刑とかどう?この子くすぐったいのダメそうじゃん」
 「いやそれより……」
 狩人と狼は次のイタズラについて相談し始めました。
 (コイツら……同じ星の住人か……!)
 黒ずきんの希望は途絶えました。このまま二人にいたぶられ続けるのでしょうか。
 その時でした。
 「こぉぉぉら銀時ィィィィ!!」
 外からものすごいダミ声がしました。それを聞いて、狩人がピクリと身を震わせました。
 「ヤバ……」
 「今日という今日は覚悟してもらおうかィ!耳揃えて家賃四ヶ月分出しやがれ!!」
 狩人に家を貸している家主です。我慢の限界がきているのか、その形相はまるで鬼。
 狼はヤバそうな空気をいち早く察し、すちゃっと姿勢を正しました。
 「それじゃ旦那、今日はこの辺にしときまさァ。またいずれ」
 そう言って素早く立ち去ろうとしましたが、それを追いかけるように家主が叫びました。
 「銀時!その狼を捕まえな、それで一ヶ月分ってことにしてやるよ!」
 「一ヶ月ゥ?イヤイヤそいつの価値はそんなもんじゃねえよ。三ヶ月分!」
 「バカ言うんじゃないよ!一ヶ月分だって大負けに負けてやってるんだ、有難く思いな!」
 「イヤでもさァ、人件費とか手間賃とか」
 「って言ってる間にさっさと捕まえろ!逃げられてんじゃねーか!!」
 黒ずきんは思いっきり怒鳴りました。捕らぬ狸の皮算用、家主と狩人がモメている間に狼はとっとと逃げていってしまいました。


 久々の獲物を捕らえ損ねた狩人は、家主に捕らえられ、引っ立てられて行きました。これからきっとかまっ娘倶楽部で恐ろしい目に合わされるのでしょう。
 黒ずきんは外出中のおじいさんを探しに行こうかと考えましたが、あまりにも疲れ過ぎていました。なので、見舞い品だけ置いて、寄り道して買ったマヨネーズ片手にフラフラと家路につきました。
 帰宅した黒ずきんがお母さんに叱られたのかというと、小言を言おうとしたお母さんを鋭い眼光で射抜いて黙らせてしまったという話です。


fin.

2009/2/10初出
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