不協和音


 余韻がやけに長く残った。扉の閉まった部屋にねばつく沈黙が籠もる。
 二人の男は互いを視界の隅に置きながら、敢えて意識を逸らすことに集中している。礼儀というほど穏便ではなく、敵意というほど張り詰めてもいない。気まずい、とは違うが煩わしい空気だった。

 気の利かない奴、と内心嘆息する。その評はたった今席を外した青年、場を読むことにかけてはどうにも疎い生徒に対してのものである。鈍いわけではないのだ、むしろ他者の心の機微には驚くほど聡い。ただ、過去に遡って導き出すとか、未来に考えを及ぼして推察するとか、とにかくそういったことが不得手らしい。故にこの状況である。
 しかし如何に空気が悪かろうと動じるリボーンではない。そもそも他人に遠慮したり怯えたりするような可愛げとは無縁である。ほとんど冷めてしまったカップの中身を干しながら、相手に気取られないよう、焦点を合わせないまま観察する。それが何かで読んだ天使を見る方法に似ている、と気付いて込み上げた笑いは肺の奥に留めおく。
 正面から見据えたなら、天使さながらに姿をくらますどころかたちまち唸りを上げるだろう。だが刺激しなければこの獅子の牙は隠されたままだ、少なくとも自分に対しては。確信があった。
 ザンザスはいつもの尊大な態度で腰掛けながらも、不自然でない角度で、しかし明らかに顔を背けている。険のある顔つきは常に怒っている印象を他人に与えるが、今その表情に不機嫌な様子はない。凪いだ無表情――その下に押し込めているものがあるように、見える。
 リボーンは唐突に立ち上がった。
「……」
 それにあからさまに反応するような無様は流石にしない。だが口元へ運びかけていたグラスが止まった。ほんの一瞬、常人なら気付かないほどの間。リボーンにはそれで充分だ。唇を僅かに緩めた。


 穏やかでない感情を向けられているのは知っている。敢えて言葉にするなら敵意と表すのが近いか。なにしろ彼がこの世で最も強い――あまり性質の良くない意味での――関心を寄せる男の、家庭教師であるからして。にっくき沢田綱吉を育て上げた張本人に好意の湧こう筈もない。
 それはお互い様である。リボーンが友情と呼べるものを抱いている数少ない人間の一人、先代ボンゴレに対して彼がしでかしたことを忘れてはいない。
 \世と、]世。この因縁を間に置いて、二人の殺し屋はホルスターに指を這わす。
 だがどちらも抜きはしない。


「俺が怖いか?」
 今度こそ反応があった。この部屋に入って初めて、二人は正面から見つめ合う。ザンザスの表情に明確な不快が浮かんだ。
「何の話だ」
 唸るように返されて、口角をついと上げる。
「文字通りだぞ」
「ハッ……ふざけたことを」
 嘲笑、しかしそれだけだった。余人に言われたならただでは済まさないだろう。ザンザスは理解している。相手はアルコバレーノの一角。最強のヒットマン。迂闊に牙を見せれば何が待っているか、ザンザスはよく理解している。
 だからリボーンも余計な手出しはせずに来た。彼を御するもぶつかり合うも綱吉の役目である。――それに、正面きってぶつかり合えば、流石に易々とはいかないだろうとも分かっていた。相手を見誤るようなことはしない。
 空のデミタスを無造作に取り上げ、姿勢を正すより先にするりと足を踏み出した。
 途端に警戒の色が走る。構わずローテーブルを回り込んでソファの傍ら、背凭れに身体を預けるザンザスを見下ろす位置まで詰めた。今やちりちりと肌に感じるほどの威嚇を放つ男は、全身を撓めたバネさながらに緊張させつつ、それでも得物に手を伸ばさない。
 賢明だ。
「……なかなかどうして」
 思いがけず、笑い含みに零れ落ちた言葉。睨み上げてくる鋭い、昏い深紅、その色合いはとても馴染み深い。
「嫌いじゃねーぞ」
 瞬いた、その僅かな間空気が緩む。瞳が無になる。


 二人の殺し屋の間で絡み合う因縁の糸を、解いた向こうに何があるか。リボーンは相手を見誤るようなことはしない。「彼」はザンザス。曲者揃いのヴァリアーを己の力で纏め上げる男。綱吉とは違う、生粋のミリューの人間。自分と同じく。誰が言い始めたのか、最高の殺し屋と呼ばれる自分と。
 そしてリボーンが見た通りのザンザスならば、間違いなく同じものを見ているだろう。結局同じ世界に生きる者同士、力は力に、欲は欲に、闇は闇に。魅かれ、求める。


 もう一度瞬いて、浮かんだ色は先程とは違う。
「嫌いじゃない、か」
 くつくつと喉が震える。獰猛な気配は変わらず、しかし愉快気に目を細めてみせる。
「同じ言葉を返すべきなんだろうな、アルコバレーノ」
「その鼻の利くところも実にいい。アイツはそこだけどうにも駄目だ、何を嗅ぎ分けてるのか分かっちゃいねー」
 誰を指しているのかは明らかだが、ザンザスは余程興が乗っているのか噛みつく素振りもない。
「テメエのその、余計な口を利くところさえなければな」
「お前は、もうあと少しでもユーモアの分かる奴ならな」
 互いに嘯いて、ごく自然に右手を掲げた。
 陶器とクリスタルが軽くぶつかる。高く澄んだ、しかし響ききらない歪な接触。
「……だが、仮定の話は好かねえ」
「気が合うな。同感だ」
 もしも、只の(そう、只の)マフィアのボスと、只の一流(これは譲れない)ヒットマンが――それはとても危うく魅惑的な白昼夢だが、そこへうっかり足を踏み入れるほどお互い間抜けでもお人好しでもない。
 既に顔を背けてしまった男を視線で舐める。「彼」はザンザス、掟の鎖を捩じ切って、友と弟子とに牙を剥いた男。
「――惜しいな」
 大して本気でもなさそうに呟いて、リボーンは踵を返す。エスプレッソをもう一杯、淹れる間に綱吉も戻るだろう。


fin.

2012/6/24初出(pixiv)
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