Reversi小説【番外編】【カナタ過去】 | ナノ




A person who goes far.

 才能というものは、どこから与えられるのだろうか。

 体の強さ、頭の回転の速さ。人と違うことが出来たり、違う考え方をしたり。造形の美しさ、心の強さ。すべてにおいて自分と同じ人なんて存在しなくて、だからこそ、人は人と比べる。自分より劣っている人を見つけて安心したり、自分より優れている人に嫉妬したりする。

 けれどあの頃の私はそれが健全であると信じて疑わなかった。人より優れていれば得意げになるのだって当然だし、劣っていればその悔しさをばねに努力し、自身を高めていけばいい。簡単なことだ。

 無知な私はそう思っていた。どんなに努力しても敵わない存在も、人を妬んで本気で蹴落とそうとする存在も、私は知らなかったのだ。



「生徒番号3052番、 織原 オリハラ カナタ」

 名前が呼ばれる。これが私の識別記号。私が私である証明。

 ゆっくりと鼻から息を吸い込み、腹部に力を込めて返事をする。なるべく堂々と両足を動かし、前に出る。ずらりと並んだ生徒たちが、緊張した面持ちで私に注目する。脳は冴えていた。足の指先まで神経を巡らせ集中する。

 魔法を発動させるにはコツがいる。魔力というのはもう一つの世界にいる私たち、【本体】から流れてくる感情が元となっている。だから、発動させたい魔力属性に適応する感情をイメージすればいい。これは裏技でもなんでもなく教科書に書いてある基礎ではあるが、実行するにはセンスがいるらしい。幸いにも私にはそのセンスが備わっていたようだ。この段階で苦労したことは今まで一度もない。

 風の魔力に適応する感情は、期待。

「《ゼフィール》」

 私の右手を軸に風が渦巻く。どんどん強くなっていく風を少し弱めるため、上から制御の魔法も重ねる。いくらひらけた場所とはいえ、今は最大魔力の測定試験ではない。他の生徒に危害を加えないよう、かつ審査側にしっかり評価してもらえるよう、与えられたスペースの七割を埋める程度の大きさで竜巻を起こす。しっかり二十秒数え、力を抜いて軽く手を握る。竜巻は音もなく消え去り、風がうなる轟音に慣れた耳に静寂が入り込む。

 さらさらと手元のボードにペンを滑らせた男性が口を開く。

「うん、威力もコントロールも申し分ない。優秀です。合格」

 私の口元に自然と笑みが広がった。もともと風の魔法は得意だったが、試験の三週間前から毎日たっぷり練習時間はとった。結果が出せることはわかってはいたが、やはりこうして他人から評価されるのは嬉しい。喜びで上ずらないよう声のトーンに気を使いながら感謝の言葉を伝え、生徒の列に戻る。私の胸は満足感で満たされていた。

 私の番が終わった直後、生徒たちは少しざわついていた。たくさんの見知らぬ声が口々に感嘆の言葉をささやく。私は表情にこそ出さないが、その反応に優越感を感じていた。私にはおそらく才能がある。全人類の『センスの良し悪し』を可視化したとしたら、上位三十パーセント以内には入る自信がある。そしてその力に驕ることなく、日々努力を重ねている。評価されてしかるべき人間だと、心の奥では思っていた。

 そんな私への称賛と嫉妬の混じった空気は、しかしすぐに切り替わった。今度は純粋な驚きと、どちらかといえば恐怖の悲鳴があちこちから漏れ始める。不思議に思ったが、理由はすぐに分かった。原因は私の次に出てきた生徒だった。私は目の前の光景に、目を疑った。

 竜巻が五つ。その生徒の周りをぐるぐると回る。竜巻はやがて一つにまとまり、形を薄く引き伸ばして上空へと昇る。広い空を覆い、生徒たちはすっぽりと竜巻の影に呑み込まれる。私は口の端が痙攣するのを感じた。この魔力量は一体……というか、このままでは危ないのではないか。

 私は咄嗟に前に出て、竜巻の発生源である生徒の元へ向かう。空に向かって制御の魔法をかけつつ、声を上げた。

「ちょっと、こんな狭いところで全力出しちゃ駄目でしょ! 早く制御しないと暴発するよ!」

 生徒はしばらくぽかんとしていたが、やがて何かに気づいたようにぽん、と自分の手を打った。

「あぁ、上から制御の魔法を重ねているのか。いくら抑えてもこれより小さくならなくて困っていたんだ」

 そう言うと隣の生徒は人差し指を竜巻に向ける。竜巻はみるみる小さくなり、最終的には私が作ったものより一回り大きい程度のものになった。審査員の「時間です」という声と共に、竜巻は音もなく消滅した。

 私は肩から力を抜き、問題の生徒に向き直る。こんな威力が出せるのは熟練の魔術師レ
ベルだ。しかし目の前に立つ人物は私と同じ制服に身を包んだ、当然ながら私と同じ年ごろの女の子だった。

 彼女は頭の高い位置でまとめた長い銀の髪をしなやかに揺らし、私の顔を見つめる。白い肌に青藍の瞳があまりにも印象的で、一瞬私は彼女に見惚れた。彼女の顔に少し悪戯めいた笑みが広がる。

「助かったよ、ありがとう。君は魔法が得意なんだな」

 魔法が得意。彼女の言葉には嫉妬や羨望、皮肉めいた感情が一切こもっていなかった。ただまっすぐ、さわやかに放たれたその言葉に、私は今まで自分が生きてきた常識がいとも簡単に崩されていくのを感じた。

 彼女は私とは、レベルが違う。

「生徒番号3053番、 神風 カミカゼ イリア。試験終了です、下がってください」

 試験官の促すような言葉に従い、私たちは再び生徒たちの列へと戻った。
 これが、私とイリアの出会いだった。



 数度会話を重ねていくうち、どうやら私たちはうまが合うらしいことがわかった。イリアは世界の構造に詳しかった。たとえば教科書には【リバーシは本体の生命力で存在しているから、本体が弱るとリバーシも弱ってしまう】とある。だけど、ここで言う生命力というのは単に体力のことではなく心の強さ、精神力をさす。だから本体が病気を患っていたとしても、強い思いがあればリバーシは力強く存在すること。光の魔力と闇の魔力は相対する力といわれているが、実際は本質は同じであること。イリアの話はいつも授業より一歩踏み込んだところにあって、何を聞いても興味深く面白かった。

 一方でイリアは私の感情に興味があるらしかった。イライラしたり、悔しがったり、逆に嬉しくて少し得意げになったり。私が感情をあらわにしたとき、イリアは決まって「魔力でたとえたらどれだ?」と聞いてきた。なぜ魔力に変換するのかわからなかったが、そう聞かれるたび私は「雷寄りの炎かな」とか、「風混じりの地だな」とか、自分の感情になるべく近いものを探した。私はイリアのこの質問が嫌いではなかった。試験の時、なぜ自分の番でもないのに出てきたのか。これにはしっくりくる答えが見つからなかった。感情というのは複雑で、自分自身のことなのに理解も制御も難しい。そう言うとイリアは「なるほど」と、なぜか嬉しそうに目を輝かせていた。

 少し経つと、イリアには私の他にもよく会話をする相手がいることに気付いた。彼は基本的に授業中いつも寝ているのであまり印象になかったが、同じクラスに在籍している西城トキヤという男子だ。何事にも興味がなさそうな態度とは裏腹に、話してみれば彼も相当な博識家だった。ただトキヤと話すと決まって、イリアの時にはなかった緊張が生まれた。これも言い表すのが難しいが、嫌な感情ではなかった。彼が時折見せる余裕めいた笑みを向けられたときなんかは、とくに顕著だった。私はこの感情をイリアに伝えようか迷ったが、結局胸の奥にしまっておくことにした。この感情にはっきりと名前をつけることができたなら、その時は伝えよう。そう思った。

 イリアは入学前からトキヤのことを知っているらしく、いわゆる幼馴染というものだった。だからなのかは解らないが、二人の間では二人にしか通じない会話が多いように感じた。私にはそれがとても羨ましかった。会話に混ざれないとき、近くに居る筈の二人は別の世界にいる。トキヤの隣にいられるイリアが羨ましかったし、イリアの隣にいられるトキヤが羨ましかった。



 イリアとトキヤと出会ってからは他の生徒と話すのが退屈になってしまい、その二人とばかりつるんだ。他愛もない話をしたり、時には鏡界の存在意義について議論したり、参加する価値の薄そうな授業をさぼって、書庫で思い思いの本を読みふけったりした。

 この頃の私にとって二人と楽しく過ごすことと新しい知識を増やすこと、そのふたつがなによりもの喜びだった。けれどどんなに本を読んでも、いつもふざけた態度のトキヤに知識量では絶対に勝てなかったし、体力測定で嘘みたいな数字を叩き出すイリアに体術で勝てたことも一度もなかった。それだけじゃない。私があの二人に勝てるものなんて、きっとひとつもなかったのだと思う。何においても、あの二人は特別で、他の生徒や私とは生きている世界が違うように思えた。

 そんな中で【魔術】に関してだけ言えば、私ももしかしたら二人に並べるのでは、あるいはものによれば数歩先に行けるのではないかと、心の底で密かに期待していた。プライドの高い私に残された、唯一の自尊心だった。どんなことも軽々と常人を超えていく二人を妬むことも当然あったし、素直に尊敬し、目標として自分を高めるための指標に見ることもあった。ただそういうことも差し置いて、単純に二人といるのは楽しかった。毎日が刺激的で、充実していたんだと思う。

 アカデミーでの生活はあっという間に一年が過ぎた。



 三年制のアカデミーは、二年次からコース別に分かれて授業をする。最も人気が高いのは剣士コースだ。アカデミーの卒業資格を持っていれば、仕事の幅も雇われるときの報酬もぐんと上がる。魔法を上手く扱えなくても剣の腕さえあれば魔具でカバーできる。入学してくる半数くらいはここの資格取得が目的だろう。

 私が選んだのは魔術師コースだ。魔法が得意だという自負があったのも理由のひとつだが、決め手はそこではない。私は魔術師として活躍したいというよりも、もっと魔法についての研究を進めたいと考えていた。昔から漠然と思ってはいたが、イリアたちと過ごすうちに確信に変わった。この世界には、私の知らない何かがある。それを知りたかった。リバーシと本体の関係性、【魔女】の存在、光と闇の魔力について。分からないことがたくさんあって心が躍る。私は魔法に関する知識を深め、魔法学者になりたいと考えていた。

 イリアとトキヤはどうしたのかというと、実は詳しくは教えてもらえなかった。剣士コースはもちろん魔術師コースにも、一番有力だと思っていた学士コースにも二人の名前は載っていなかった。聞いても「私たちはちょっと特別でな」とはぐらかされるのでそれ以上深くは聞かなかった。おそらく聞いてはいけないのだ。この二人とこれからも付き合っていくには、必要以上に深く踏み込んではいけない。私はいつもそう自分に言い聞かせていた。

 進級してもイリアたちとはつかず離れず、これまで通りの付き合いが続いた。あの二人が何をしていて、どこに向かっているのかはわからない。けれど私も私なりに、自分の環境でできうることはやっていこうと燃えていた。新しいクラスでもそれなりに交友関係は築けていたし、多分私の生活は誰から見ても順調だった。健全だった。いま思い返してみても、あの頃の日々は本当に充実していた。

 足元をすくわれたのはアカデミー最終年、三年に上がってからだった。



 アカデミーでの生活も三年目ともなると、当然生徒以外との関わりも深くなってくる。優秀な成績を保持し続けていた私は、教師たちにも絶大な信頼を寄せられていた。三年目はより自分の進みたい分野に特化して学ぶことができる。私が「魔術の研究をしたい」と伝えると、教師しか入れない研究室を開けてくれたりもした。通常の書庫には置いていないような文献があったりして、歴史を感じる紙の匂いを吸い込んで心が躍ったのをよく覚えている。

 アカデミーの卒業試験は、内容が自由だ。何をしてもいいから、自分の三年間学んできた成果を見せられる発表をするというもの。私はここで、魔術についての論文を書こうと決めていた。特に【光の魔力】と【闇の魔力】についての関係性。これらは参考文献も少なく、光の魔力に至っては誰かが作り出したフィクションだ、と言う者もいる。だけど私の最も信頼する友人は言ったのだ。「光の魔力は確かに存在する」と。私はその謎を解明したかった。……理由を問われれば言葉に詰まる。おそらくはただの好奇心だったのだと思う。それと、これを解明し発表することができたなら世間からきっとものすごい評価を得られるだろうという野心もあった。そちらの方が強かったかもしれない。

 多分私は、いつも私より先を行くイリアとトキヤを見返してやりたかったんだと思う。誰も知らない境地にたどり着き、あの二人さえも知らない事実を先に知りたかった。いつも私にいろんなことを教えてくれるイリアに、私から教えたかった。何を話しても退屈そうなトキヤの、驚く顔を見たかった。

 私はいつだって、あの二人のことしか見えていなかった。常に自分より上の存在がいることは悔しいけれど、同時に「まだ上がある」という希望にもなる。悔しさを糧に、自分を高めることができる。それが普通だと思っていた。

 上だけを見て進み続けていた私は、下から這い上がる無数の手に気づけなかったのだ。

 教師の研究室に出入りするようになってから、明らかにクラスの人間との距離感がおかしくなった。それまで会話を交わしていた人たちから避けられるようになった。理由は単純、嫉妬だ。

 教師から贔屓目で見られている私に対して、良い感情を抱かなかったのだろう。まぁそれも仕方のないことだとは思う。それに私にとっては世間話をする程度のクラスメイトより研究の方が大事だった。クラスに会話のできる人間がいなくなっても、私の中ではさして問題ではなかった。

 しかしやがて、避けられるだけでは済まなくなった。わざとぶつかられたり持ち物を隠されたり、教師と関係を持っていると噂を流されたり。少しずつ、直接的で明らかな嫌がらせに変わっていった。どれも下らない内容だったし相手にするのは馬鹿らしいと思っていたが、しつこく繰り返されるとさすがに精神も疲弊してくる。かといって誰かに相談する気も起きなかった。教師に言えば面倒ごとを持ち込む生徒だと判断され、適当な理由をつけて教室から追い出されるかもしれない。唯一の友人であるイリアとトキヤになんて、口が裂けても言えない。私はあの二人に、かっこ悪い姿を絶対に見せたくなかった。だから誰にも言わず、独りで耐え忍んだ。お前らがそんな下らないことに時間を費やしている間に、私はものすごい発見をして論文を発表し大々的に評価されてみせる。静かに激しい闘志を燃やし、私はよりいっそう研究に没頭した。

 そうして数か月が経ったころ。私は研究室の棚で、まるで隠れるように佇む一冊の研究資料を見つけた。それはリバーシと本体の『融合』について書かれているものだった。


「リバーシと本体、私たちはそれらをそう分けて呼んでいるが、実際このふたつは本質的には同じものであると考える。

 リバーシは本体から放出される『感情』を鏡界で『魔力』に変換する。リバーシは肉体を持たず、鏡界内でのみ存在することができる。では鏡界で作られた魔力が本体に直接干渉するとどうなるか。結論から言うと、本体からすれば魔力は異物扱いのため拒否反応を起こし肉体は破壊される。

 ただしその際、なんらかの方法でリバーシが本体側の世界に行くことが出来たとしたら。肉体を持たないリバーシは本体の『内側』に存在するほかないため、おそらくは本体と一体化、『融合』するのではないかと考える。」


 私は逸る気持ちでページを捲りながら、身体が熱くなるのを感じた。私が探していたのはこれだ。

 「ただこれはあくまでも仮説であり、リバーシが本体と干渉する手段が今現在確立されていないため現実的ではない」と資料は締めくくられていた。ならばまずやることは、鏡界から本体の世界に繋がる扉を見つけることだ。脳内で瞬時に様々な仮説を立てる。それらひとつひとつ、順番に、試してみたくて仕方がない。私は部屋を飛び出し、友人の姿を探した。

「融合……? それは私も聞いたことがないな……」

「……それって、カナタが考えたの?」

 イリアのその言葉と、トキヤの一瞬見開かれた目。私は握った拳に汗がにじむのを感じた。ついに、この二人が知らないことを見つけた!

 私は躍起になって仮説を立てては実験を繰り返し、データを集めまとめた。一人でできることには限りがあり気が急いたが、これはどうしても私一人の力で成し遂げたかった。おそらく私は浮き足立っていたのだ。私の功績は認められ、たくさんの称賛を得る。イリアとトキヤを見返すこともできる。そんな明るい未来しか想像できていなかった。私も二人にとって、隣にいて誇らしいと思える友でありたかった。走っても走ってもどんどん先に行ってしまい追いつけない二人に、確かな焦燥を感じていた。置いていかれたくない。私もそっちに行きたい。

 やっとひとつの仮説がまとまった。発表間近の論文が密かにコピーされていたことにも気付けないほど、私は舞い上がっていた。



 私がそれを知ったのは、始まった発表の最初の一文を聞いた瞬間だった。

 卒業資格を得るための試験は申請制で、一年間のうちいつ受けてもいいし、その際合格ラインに達していなければ何度受けてもいい。一年の三分の一にさしかかろうとしていた時期、卒業試験を申請する生徒は毎日のようにいた。その中で、私と同じように論文を発表するという生徒が現れたのだ。他人の卒業試験の鑑賞は自由だ。単純に内容が聞きたいと思い、私もその場に行くことにした。そして論文テーマを聞いた瞬間、私はしばらく呼吸を忘れた。


『リバーシと本体の融合について』


 ものすごいスピードで、心の中に黒い竜巻が吹き荒れる。粘性の強い、真っ黒な渦。

 まさか。偶然私と同じことを考える生徒がいた? そんな馬鹿な!

 ありえない。これは私だって、あの資料を読むまで考え付きもしなかったことだ。そしてあの資料は、通常の生徒用書庫にはない。普通の書庫にあった本なんて、私は読みつくしたのだ。他の生徒がつまらない授業にダラダラと時間を消費しているあいだ、私は友人たちと有意義な論争を交わしながら知識を貪っていたのだ。

 大体、あのイリアとトキヤだって驚くような発想だ。それを私以外の、ただの生徒が思い付くなんて、考えられない。信じられない。

 じゃあこの発表は一体なんだ。なぜ今まで大した研究成果もあげられていないようなクラスメイトが、このテーマで論文を発表しようとしている。

 まさか。そんな。嘘だ。でも、それ以外考えられない。



 盗んだのか。私の努力を。私の時間を。私の情熱を。



 目の前が真っ暗なまま会場に入り、席に着く。生徒の名前にあまり覚えがなかったが、顔を見てわかった。私の持ち物がなくなったとき、いつもニヤニヤとこっちを見ていた奴だ。

 彼女の薄い唇が動き、発表が始まる。私は書き出しの一文目を、彼女にかぶせて呟く。胸の高鳴りを必死に抑えながら打ち込んだ、最初の一文。

 それが今、私以外の口から、大勢に向けて世に出された。

 そこから先は確認する必要もない。それは私の書いた文章だった。耳に入っては抜けていくその言葉たちが次々放たれていくのを虚ろな目で眺めていると、ふいに彼女と目が合った。彼女は私に気付くと一呼吸置いて、笑った。笑ったのだ。私の全てをかけたといっても過言ではないその研究を、なんの努力もせずに盗んでおきながら、彼女は下卑た笑みを私に向けて、また我が物顔で原稿を読み始めた。


 あぁイリア。私はこの感情を、魔力にたとえることが出来ない。こんなに強い感情は初めてだ。目の前が、脳内が、心が全て感情に支配される。ぐるぐると強さを増して渦巻くそれは、風のようにさわやかなものではない。炎のように明るいものでもない。どす黒くて、ドロドロで、すべてを呑み込む。すべてを塗り潰す。染め上げる。

 いや、ひとつだけ思い当たるものがある。禁忌とされ、授業では詳しく教えてもらえない属性。


 【闇の魔力】。適応する感情は、憎しみと猜疑心。



 発表後、会場は騒然となった。様々な教師が論文に対しての質問を彼女に浴びせたが、当然彼女はなにも答えられない。ここまで大事になるとは思っていなかったようだ。教師たちの剣幕に圧倒され、おろおろと目を泳がせていた。内容の重大さもわからず盗んだのか。愚か者という言葉すら勿体ない。

 冷めた目で様子を見ていると、彼女がすがるように私を指さした。

「こ、この論文を書いたのは私じゃありません! 織原です! 織原カナタ!! 内容が危険だからと、私が読むよう脅されました!」

 教師たちの目が一斉にこちらに向く。私は何も言わなかった。言葉を発するのさえ億劫だ。それに、冷静になって考えてみればこの論文内容、アカデミーの立場からすればあまり良い発表ではなかったのではないだろうか。私の浮ついた熱が急激に冷めていく。

 私は「私が発見した」という事実が欲しかったのだ。認められたかったのは教師に、ではない。飛んでくる質問もあまりに稚拙だ。知識のない者に話したところで理解できるはずもない。これは世界の真理に近付くための研究なのだ。アカデミーの卒業など、成績など、もはやどうでもいいことではないか。

 両手で顔を覆う。自分の指先が冷たかった。身体の芯から笑いが込み上げてくる。教師の一人が私の肩を掴んだ。

「貴様、こんな研究をして何を企てていた!?」

 私には理解できなかった。何故こんなにまで面白い事実を知って、心が躍らないのか。私の実験には目的があったわけじゃない、ただ純粋に、知りたかっただけだ。自分たちの世界のことを。見てみたいとは思わないのか、リバーシと本体が融合したら一体どうなるのか。

 私は私の仮説が正しかったことをただ証明したかっただけだ。



 その後私は問題を起こした生徒として、アカデミーを追放されることとなった。この研究結果は絶対に他言しないこと。厳重注意のもと論文は処分され、なかったこととされた。発表した生徒がどうなったのかは知らない。興味もない。

 信頼する二人の友人たちには何も言わず、私はそっとアカデミーの校舎を出た。研究を完成させ、必ずあの二人を驚かせてみせる。あの論文は完成じゃない。もう少し、もう少しで見えそうなんだ。

 足早に進んでいくと、気持ちのいい風が髪を撫でていった。

 やはりこれは私にしかたどり着けない。周りは全員敵だ。信じられるのは自分だけ。

 私は強い思いを胸に、必ず論文を完成させると心に誓ったのだ。

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