7-6
狭い廊下は水蒸気で満たされ、払っても払ってもじっとりとした湿気が皮膚を覆いつくす。
ショウタの攻撃を光一が反射的に相殺したが、相手は水、こちらは炎だ。蒸発した水は霧状になり、視界を白い
攻撃にも性格が出るな、と光一はいらだつ気持ちを舌打ちとして消化した。実際ショウタという人物の性格を理解しているわけではない。光一の偏見だ。
「ヒカル、お前こいつ倒してきたんとちゃうんけ」
「……倒したとは言ってない。でも負けてはいない」
「今ええねんそういう意地!!」
隣で一見冷静にふるまうヒカルと軽い口論を交わし、光一は霧がかった視界の先にたたずむショウタを睨みつけた。
「……しつこいですねェ。まさかこんなところまで追いかけてくるなんて思っていませんでした。……ハァめんどくさい。ここを通してしまったら、ボクの責任になるんですよ。勘弁して下さいよ」
言葉を発するのも億劫そうな態度でショウタがボソボソとつぶやいた。その声を聞いているとこっちまで暗くなってしまいそうで、光一は顔をしかめた。
「オレの目的は最初ッからその先やから。悪いけど何言われても通してもらうで」
「……駆け引きとか、そういうのする気もないって感じですよね。まっすぐってコワイなぁ……なんかもう、対峙してるだけで疲れる……」
「奇遇やな、オレもお前見とると疲れてくるわ」
幸い二対一、数ならばこちらが有利だ。光一とショウタが言葉を交わしている間に、ヒカルが剣を抜いた。
「《
まばゆい光が濃霧に乱反射し、散る。数秒の間を置き光は消滅し、辺りをねっとりと覆っていた霧を道連れに消え去った。快い視界が戻ってくる。
そのままヒカルの剣はまっすぐショウタに向かうが、ショウタも細身の剣で対抗する。一見すぐに折れてしまいそうな武器だが、ヒカルの攻撃で生じる衝撃を絶妙な角度で逃がし威力を殺す。何度か剣を交わし合うが、どれも決定打とはならない。埒があかないと踏んだのか、ヒカルは一度引いた。
のらりくらりと時間稼ぎをするのが相手の得意分野らしい。一刻も早く先に進みたい光一にとっては分が悪い相手だった。
「クソッ、あとちょっとのトコで……!」
「前回みたいに目くらましするにも、この狭い通路じゃ意味ないね。正面突破は難しい。もっとなにか別の方法を考えよう」
「オレじゃどうせ大した案も出んし、考えとる時間ももったいないわ。壁ブチ壊して外から上がる」
「…………確かに。賛成」
投げやりともとれる少し過激な光一の提案に、ヒカルも間を置いて賛成する。
さほど離れた場所にいたわけでもないため、二人の会話はショウタの耳にも入った。しかし彼は特段剣を構えるということもなく、余裕を感じる表情で口の端を吊り上げた。
「クク……あァすみません。……ホント、解り易いですよねキミたちの思考回路って。そんなことも言い出すだろうと思って、外にはメイとアンを配置させてますよ」
ショウタの暴露に、しかし光一もたじろぎはしなかった。もう悠長に考えてる段階はとっくに過ぎた。前に進むことだけ考える。
戦うことになるなら光一も、全力をもって挑もうと腹は決まっていた。ここに来るまでの数日間でこなした修行で使えるようになった技もいくつかある。魔力を使うのは身体に相当な負担がかかるためできれば積極的に使いたくはないが、同時にせっかく得たスキルを試してみたいという気持ちもないわけではなかった。
おそらくここが最後の関門、抜ければゴールだ。一気に走り抜ける。そう強く決意し、光一は自分の中に渦巻く炎をイメージした。
はじめは抽象的な熱だったが、次第に温度を増し輪郭も明確になってくる。「壁を壊す」という理想を何度も何度も心に描き、脳内で声を重ねるたびに炎は熱く、大きくなっていった。
光一の中で充分に育った炎は、やがて出口を求める。光一はそれらをコントロールし、血管を通る血液のように自身の腕に流していく。強く握りしめた大剣に魔力が届いた時、光一は込めすぎていた力をふっと抜いた。
あとは剣を振るうだけ。光一は頭で想像した「壁を壊す」という理想を現実にしようと、最後にひと呼吸する。
「ちょっと待ってくださーーーーーーい!!」
次の瞬間、ものすごい勢いで壁は壊れた。しかしそれは、光一の剣によるものではなかった。
数秒前まで壁だったものがバラバラと剥がれ落ち舞い散る中で、大きな魔女帽と鮮やかな紫色が視界に飛び込む。
「セ、セレナァ!?」
「はい、セレナです!」
分厚い壁をぶち壊した本人、セレナが光一の声を肯定しキリリと口を結ぶ。彼女なりに真剣な表情を作っているのだろうが、独特のやわらかい雰囲気になんとも締まらない返事も相まって、いまいち険しさを感じられない。ただぼーっとしていただけなのに「なんで怒ってるの?」ときかれる光一とは正反対である。
集中していた反動か、予想外の展開に光一はしばし固まってしまった。ヒカルもショウタもぽかんと口を開けている。
ダイナミックに登場し一身に注目を集めたセレナは、なおも彼女なりの真剣な顔でぴ、と右手の人差し指を立てた。
「ここから先は行かない方がいいと思います」
「…………は?」
全く頭が回らない光一の代わりに、眉を寄せたヒカルが言葉を返した。
「……ここにきて、結局
「そうじゃないよ………」
反論を返したのはセレナの声ではなかった。壁で隠れて見えなかったが、セレナの両隣には他にも人がいたらしい。穴から見える位置に移動してきたのは、ビビットなピンクと水色の頭髪が記憶に新しい二人の魔女だった。
「メイ、アン?」
「…………」
ショウタが意外そうな声色で二人の名を呼ぶが、どちらも蒼白な顔で応えない。出会った時は神経を逆撫でするようなテンションだったと思うが、今は人が変わったように怯えている。化粧品を厚く塗った瞼を伏せ気味に、水色が唇を震わせた。
「セレ姉が塔の上まで来て、アンたち、最初は戦おうとしてた。仲良しだと思ってたのに裏切ったセレ姉なんて許せなかったから。でも、それどころじゃないの」
続くように、ピンクの方も口を薄く開いた。
「逃げなきゃ。こんな魔力、感じたことないよ。おかしいんだよ。みんな死んじゃう……」
必死さは伝わるが、双子の言葉はいまいち要領を得ない。手も足も小刻みに震えていて、本気で恐怖を感じていることがわかる。光一は説明を求めるように、セレナに視線を戻した。
「……ものすごい闇の魔力が、この塔の最上階でビリビリしています。私たち魔女が力を合わせても全然足りないくらいのすごいものです。今は小さく留まっていますが、間もなく爆発すると思います。逃げるなら今しかありません」
「闇の……魔力……」
「先程見たケントさんの魔傷が予想以上に深く、イヤな予感がしたので先に見にきたんです。……その、残念ですがケントさんの本体である、光一さんのお友達さんはおそらく、もう……」
自分の心音で、周りの音が聴こえなくなったような錯覚に陥った。今の今まで光一の中を流れていた熱いものが急速に冷凍されてしまったようにつめたくなる。
ここまで来たのに。あと少しなのに。
手に握っていた大剣が、急にずしりと重くなったように感じた。
「オレは行く」
斬りこんだのは意外にもヒカルだった。
「オレが剣士になったのは、闇の魔力をこの世から消すためだ。たとえあの王子の本体が死んでいようが関係ない。その身体から闇の魔力が出ているとしたら、オレは死体を燃やすよ」
「突然の物騒やめろや」
反射的にツッコんでしまった光一だが、ヒカルのまっすぐな目を見て少し怯む。
おそらくこんな状況で冗談を言うような性格ではない。ヒカルは本気だ。
ヒカルは光一の表情を見て何かを察したように一度口をつぐんだ。しかし決意を固めたように再度口を開いた。
「……アンタがあの王子の本体を助けるためにこっちに来たのはわかってる。でもオレはそうじゃない」
「わかっとるよ。イリアに頼まれて来とるだけやもんな」
「そういうことじゃない」
少しの沈黙。ヒカルは自分の意見を言葉にするのが少し苦手らしく、口を開く前に毎回少し考える時間を挟んだ。
「闇ドラゴンが、母さんの仇だから」
「……え」
「だからオレは色んな地域から依頼を受けてまわってる。相手が闇ドラゴンであればどんな依頼だって受ける。オレが動いて、一体でも多くの『奴ら』を消せるなら、オレはどこにでも行く」
話しながら、ヒカルの目に強いものが宿っていく。それがどんな種類の感情なのか、過去の話を聞いた今なら光一にもわかった。
「今この場で闇の魔力が生まれるなら、オレは命をかけても潰しに行く。たとえそれが兄さんの親友だろうが」
そう言い切ると、ヒカルはもう揺らがなかった。
自分はもう腹を決めた。お前はどうする。
そう言われているように光一は感じた。
その姿を見て、光一も自分の気持ちが見えたような気がした。
「……オレも今さら帰るつもりは当然ない」
そう口に出した言葉は光一の想定よりも自信なさげで、恰好つかない自分に恥ずかしさを感じた。それでも、張った意地は貫きたかった。
咳払いで喉を整え、光一は宙を漂うセレナに顔を向ける。
「心配してくれてありがとうな、セレナ。けど危険なんは最初っからわかっとって、一応オレなりに考えてここまで来た。オレが決めたことやから、もし行った結果……ダメやったとしても、受け入れるつもりではある」
セレナは口を閉じたまま、じっと光一の目を見ていた。その表情がもう一歩、光一を素直にした。
「ホンマはそりゃ帰りたい気持ちもある。こんなん辞めてはよゲームしたい。見たくないモン見なあかんかもしれん。てか多分見る。でもやっぱ、ここで辞めるんだけはちゃうと思う。ここで行くかどうかで、この先一生、オレがオレんこと許せるかどうか決まると思うから」
セレナの瞳がわずかに揺れた。
「オレは、許せない奴とずっと生きていたないねん。せやからやっぱ、死んでも行くわ」
そう言い切ったあと、光一自身も決意が腹に落ちた感覚があった。嫌な汗は止まった。
ヒカルはくるりと身を返し、上へ続く階段へ向かう。先ほど妨害してきたショウタは、いつのまにかいなくなっていた。気付かないうちに遠くへ避難したのかもしれない。逃げ足は異常に速そうだ。
光一もヒカルに続こうとしたとき、セレナが壁の穴から建物内へと降り立った。
「前にも私、言いましたよね」
彼女から発されたのは、真夏の夜風のような、穏やかで心地よい落ち着いた声だった。
怪訝な表情でセレナを見ていたメイとアンだが、いよいよ付き合っていられないというふうに顔を背けどこかへ行ってしまった。
「闇は、光が嫌いなんです。でも、本当は好きなんですよ」
疑問符が頭上に具現化したようなコミカルな感覚に陥り、光一の思考が停止する。
闇とか光とか、そういえば初めて会ったときにも似たようなことを言っていたかもしれないとぼんやり思う。意味はやはり、いまだにわからない。
「『友達だから』、ですもんね」
彼女の思考は難解だったが、そう微笑み後ろをついてきてくれる姿には確かな頼もしさを感じた。
異変は最後の踊り場を抜けたあたりから始まった。
踏むたびにスニーカー底のゴムとの摩擦で高い音を出していた床が、ざらつくようになった。
さらに進むと、足を上げるたびに抵抗を感じた。靴が床に吸い付く。
大きく吐いた息は、白く色づき目に見えた。
辺り一面、凍っていた。
ところどころ、壁面や床からつららを思わせる鋭い氷が伸びていた。ザラついた、粒子の荒い空気が肌にまとわりつく。
最後の段を登り終えた。
ヒカル、セレナは共にいる。だがここに来るまで、誰も一言も発さなかった。
三人は一斉に足を止める。言葉を発さないのは、その必要がないからかもしれなかった。
階段を登り切った先、目の前にあったのはただ一つの扉のみだった。
頑丈そうな金属製の扉だが、強い衝撃を受けたようにところどころ歪んでいる。そのせいで扉は部屋を密閉しきれておらず、細い隙間から濃度の高い冷気が漏れ出ていた。
光一は扉に手をかけようとするが、触れる直前にとどまった。
足が動かない。
光一は始め、ここにきてまだ怖気づいたのかと自分に悪態をつきそうになったが、そうではなかった。
立ち止まった一瞬のうちに、足が床に凍り付いてしまったのだ。
光一は筋肉が固まってしまって動かしづらい手をゆっくりと胸まで持っていき、ぎこちなくネックレスに触れる。
感覚がないため触れられていたのかすらわからないが、意識を集中させるとぼんやりと温度を感じられた。
そのまま温度が全身にいきわたるようにイメージを研ぎ澄ませ、やっと体を動かせるほどまで温まった。
光一の足元を中心に、氷が少しづつ溶けていく。
改めて扉に手をかけ、光一はうしろの二人を振り返った。
二人とも鋭い冷気に目を細めながら、こくりとひとつうなずいた。
光一もうなずき返し、腕に力を込める。
扉を開けた先は、白一色だった。
室内のはずなのに、絶えず雪が降っている。いや、降っているなどと生易しいものではない。まっすぐ立っているのが困難なほど、強烈に吹雪いていた。
「……賢斗!? オイ、おるんか!?」
風の轟音にかき消されまいと、光一は声を張る。
ここに賢斗がいてほしい気持ちと、いないでどこか安全な場所に逃げてしまっていることを願う気持ちが同時に光一の中で吹き荒んでいた。
だが後者があり得ないだろうこともわかっていた。
このひどい吹雪はおそらく、賢斗自身が原因だからだ。
風が強すぎて前に進めないため、光一は壁伝いに部屋の奥へ進むことにした。
ここに必ず、賢斗がいる。
一歩一歩確実に奥へと進んでいく。
風の音の中からほんの少し、何かが聞こえたような気がした。
光一は全神経を耳に集中させる。どうせ部屋中吹き溜まりで視界は使えないので目は閉じた。
「……いち……?」
聞こえた。
たしかに声が聞こえた。
「賢斗!? おるんやな!?」
光一は部屋の中央に向かって走り出した。考えてみれば、細い塔の中にある小さな部屋だ。見える範囲すべてが雪で埋め尽くされていたため感覚がマヒしていたが、適当に動いても見つけ出せるはずだった。
案の定、すぐに光一は「それ」を見つける。
部屋の中央に、小さなドーム状の氷の塊があった。
間違いない。賢斗はこの中だ。
「賢……」
光一が「それ」に近づこうとした瞬間、頬に鋭い熱を感じた。
熱はぷつりと破裂したような、小さな痛みに変わる。
この感覚に、光一は覚えがあった。
なんやったかな、あのカタカナ。……あ、デジャブや。
寒さで朦朧とした脳内でそんなことをひとりごち、右頬を押さえた。ぬるりと温かい感触がある。
鏡界に来た一番最初に、ケントに投げつけられた斧で切ったところと同じだった。
あの時は「彼は賢斗であって賢斗ではない」と思っていた光一だが、そうじゃなかったことを今さらながら知る。
コントロールが、寸分たがわず一緒ではないか。
氷のドームが割れ、白一色の景色に黒が飛び込んだ。
黒髪、学ラン。
真っ黒な瞳。
「……なーんで来ちゃうかなぁ」
知っている声。
しかしそれは光一の知る賢斗だっただろうか。
「ホント、お前のそういうとこさ、」
そこで光一はやっと気付いたのだ。
自分は賢斗のことなど、本当はなにひとつ知らなかったことに。
「大っ嫌いだよ、光一」
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