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6-4

 ヒカルは数秒の間、呼吸を忘れていた。

 目の前の男が発した言葉を、脳が拒んでいる。

「なんの話だ?」

 ショウタの問いに返したのは、ヒカルではなくいつの間にか後ろにいたケントだった。メイを追いかけて来たのだろうが、そんなことは今のヒカルにとってはどうでも良かった。

 ショウタが人形のように、目を見開いたままこてんと首をかしげる。

「アナタ、気付かなかったんですか? 何度かアカデミーに来てましたよね? 王宮剣士の選考とかナントカで」
「俺が光の剣士と話したのは一度だけだ。コイツを見たとき、雰囲気が変わった程度にしか思わなかったが」

 納得、とでも言うように、ショウタはゆっくりとうなづいた。マロンは何も言わずにヒカルを見上げている。

「『雰囲気が変わった』。そう。そうですねェ……ボクもそう思いましたよ。でもね、光の剣士クンとはアカデミーで何度も剣を交えているんですよねェ、ボク」

 ヒカルはショウタの顔を見ることができなかった。見ていないのに、ショウタの、獲物を見つけたヘビのような目に囚われているような錯覚に陥る。ジワジワ、ゆっくりと締め付けられていく。自分が言葉を発さずとも『自分の』話が進んでいく、この状況から逃げ出したくて仕方がなかった。

「アナタは見た目も剣筋も似てはいるが、根本的に違う。何もかもが微妙にズレている。本人じゃない。ヒヤマ=コウイチの真似をしている他人だ。いったい誰なんです?」
「黙れ!」

 ショウタの声を遮るように、マロンが剣を握りしめて前に出た。

「意味わかんないこと言うな! この伝説の剣と、光の魔力を使えることが何よりの証拠だろ! 言いがかりはやめろ!」

 ショウタの笑みが、心なしか深くなったように見えた。

「ははァ……可哀想に。事情は解りませんけど、キミはこのエセ剣士サンに騙されてるワケですね。光の剣士への憧れを、良いように利用されてるんじゃないですか?」

 カッとヒカルの身体が熱くなる。無意識に握った拳に力が入った。そうじゃない。けれど、何を言っても醜い保身になるような気がして、喉の奥でつかえたままの言葉は空気を震わせることができなかった。

「だぁって良く考えて下さいよ。マロン、でしたっけ。キミ、彼が【光の剣士】だから弟子入りしたんでしょう? じゃあもし彼が【光の剣士】じゃなかったら? 何かしらの方法で光の剣士をコピーした、なりすましだったら? 今までキミに言ってきた言葉も全部全部、ウソってことになりますよねぇ!? アハハ、こんなに純粋にヒーローを信じている子供を騙すなんて。どこの誰だか知りませんけどなかなかやりますねぇ、アナタ」

 聞きたくない言葉ばかりを吐き出すショウタの口は止まらない。ヒカルの脳内は白いペンキをひっくり返したみたいに、言葉が溺れてドロドロになっていく。

 マロンがついに飛び出し、ショウタに斬りかかった。

「うるさい! そんなことない!」

 ショウタは難なく受け止める。さっき折ったはずの刃は元に戻っていた。同じものをもう一本持っていたのかもしれない。ショウタはそのまま剣をまっすぐに突き出し、マロンの小さな身体を吹き飛ばした。

「ぐあッ」
「ねぇマロンくん。もしそうだとしたら、キミがこの場にいる意味が全く無くなっちゃいますねぇ。だって彼、【光の剣士】じゃないですもん。確信を持って言える。彼はニセモノだ。ねぇ、そうでしょう?」

 突然自分に向けられた声に、ヒカルはびくりと肩を震わせた。遠くで起きている、自分とは関係ない話だと思いたかった。強制的に現実へと引きずり出される。

「ホラ、キミが光の剣士だって言うなら、証拠を見せて下さいよ。アカデミー時代、アナタは何クラスでした?」
「クラスは……A―2」

 やけに乾燥した喉からヒカルの掠れた声が漏れる。

「生徒番号は?」
「…………忘れた」
「剣術担当の教師の名前は? 選択科目は何を選択した? ボクと同じでしたよね?」
「…………」
「毎朝言わされる校訓は? クラス担当の教師は男だった、女だった? ……ねェ、まさか一つも答えられないなんてことはないでしょう? 貴方が本物の【光の剣士】、ヒヤマ=コウイチなら!!」

 たたみかけるように言葉を突き刺してくるショウタに、ヒカルの口は追いつかない。剣を握る手に感覚がない。脳がしびれていく。

「《光の刃》!」

 マロンの声と共に、まばゆい光が辺りを呑み込んだ。しかし吸収したのか相殺したのか、マロンの技はショウタたちには効いていない様子だ。それでもマロンはひるんでいなかった。

「ごちゃごちゃうるさい! おれがおししょーさまにもらったこの力、光の魔力が証拠だ! お前らには使えないだろ、この力!」
「フン、キミの魔力は魔具に付与しているものを飛ばしているだけでしょう。文字通り、付け焼刃ってヤツですね」
「三年振り続けた付け焼刃の力、見せてやるよ!」

 折れる様子の無いマロンに、ショウタは手袋で目を覆い声を上げて笑い始めた。

「アハハハ! 面白いですねキミ。ボクそういう、『諦めない心!』みたいなキラキラしたの見てると……」

 ショウタが目を開くと、ヒカルの背筋に寒気が奔った。彼が周りにまとう雰囲気がガラリと変わる。

「全身が痒くなるんですよねェ」
「マロン!」

 前にいたマロンを引っ張り、ヒカルが前方に出る。ショウタが突き出した剣を受け、魔力で弾き返した。ショウタは素早い突きを何度も繰り返し、ヒカルはそれをギリギリで止める。このままでは押し切られる、そう考えたとき、目の前に氷の壁が現れた。ショウタの突きが一瞬止まる。

 その隙をついてヒカルはマロンを抱えてその場から離れた。一度流れを切らないとまずい。

 そのまま走っていると、脇にいたマロンがじたじたと暴れ始めた。

「おししょーさま! 自分で走れます!」
「……あ、ごめん」

 ショウタに言われた言葉の全てがヒカルに刺さり、今は最愛の弟子に「師匠」と呼ばれるたびに胸が痛んだ。

 マロンを下ろし二人で並走していると、前方に氷の道が敷かれた。元をたどって後ろを振り返ると、ものすごい速さでケントが近づいてきた。

「飛べ」

 短くつぶやいたケントの言葉に従いヒカルとマロンがその場で飛ぶと、足元に氷で生成されたボードが現れた。足をつけるとボードは氷の道に沿って滑り抜ける。三人は木々が生い茂る中に勢いよく飛び込んだ。


 少し奥まで進み、ケントは氷の道とボードを消した。やっと手にした静寂の中で、ヒカルは息を整える。声を上げたのは、深い青の瞳をヒカルに向けたケントだった。

「あえて聞くぞ。どういうことだ」
「……何が」

 目を背けたヒカルの胸倉を、ケントが乱暴に掴む。

「時間を無駄にするのは嫌いだ。アカデミー時代に俺が声をかけたコウイチと、今ここにいるお前は別人か?」

 ヒカルは下唇を噛む。マロンの心配そうな目。ケントの猜疑心がこもった目。ショウタの蔑むような、少し嬉しそうな目。そのどれもが、 には向けられていないのだ。

 頭が冷えて幾分か冷静になったヒカルは、決心した。こうなってしまった以上、もう隠し通すことは不可能だ。自分は嘘が得意なほうではないと、ヒカルは理解していた。

 ヒカルはやっと、唇を薄く開いた。


「そうだよ」


 ふ、と全身の力を抜いて、ヒカルは答えた。ケントの表情は変わらない。彼が次にしてくる質問も、ヒカルには予想がつく。

「……じゃあ、本物のコウイチはどこだ?」

 ヒカルが予想した質問、ふたつのうちひとつだ。自嘲が滲んだ笑みを、口元だけにこぼす。

「……【光の剣士】と呼ばれて、明るく真面目で優しい、ヒヤマ=コウイチ。 彼は…… は……――」

「闇ドラゴンが封印されたあの日、死んだよ」


 ケントがヒカルの胸から手を離した。呼吸のしやすくなったヒカルは、肺に酸素を入れる。マロンは何も言わず、黙って話を聞いていた。ケントは少し思案したあと、自分の中で整理したであろう言葉を口に出す。

「不可解な点がふたつある。まず一点、もし本当にコウイチが死んだのなら、この世界に来た光一は何故生きている。あいつはコウイチじゃなく、お前の本体ということか?」
「……少し惜しい、かな。光一のリバーシはコウイチだよ。コウイチが死んだ直後、オレがその代わりになった。だから光一は死なずに済んでる」

 ケントはうんざりした顔でヒカルの話をきく。おそらく言いたいことは色々あるのだろうが、それらは呑み込んだらしい。

「……二点目。じゃあそもそも、お前は誰だ? お前にも光一の他に、自分の本体がいるはずだろう」
「オレの本体はいない」

 いよいよケントは溜息を吐いた。質問するたび質問が増える、そう言いたいのだろう。今度はヒカルが少し思案したあと、「少し長くなるかもしれないけど」と前置きを呟いた。

「必要な部分だけ切り取って話すのが難しいから、全部話す。オレが知ってる、世界のことを」



――数年前

「行ってくるな、ヒカル!」
「うん、気を付けてね。兄さん」

 外の風を受けて柔らかく揺れる金色の髪。オレの兄であるコウイチは自身のその髪を「ライオンのたてがみみたいだろ!」と気に入っているようだった。

 兄、といっても、オレとコウイチが本当に兄弟なのかは定かじゃない。なぜならオレの存在そのものが、この世界にとってイレギュラー、いわゆる「バグ」だからだ。

 オレが生きる世界、【鏡界】のルールとして、ここに生きる人は【本体】と呼ばれるもう一人の自分を違う世界に持っている。本体は自分という存在の大元であり、本体が考えることは【リバーシ】である自分たちにすべて伝わる。本体が向こうの世界で表に出さない部分の結晶、それがリバーシ。

 そのはずなのだが、オレには生まれつき【本体】が存在しなかった。コウイチとオレが同時にこの世界で産まれて、向こうの世界にもコウイチの本体である光一が産まれた。本体あってのリバーシのはずが、どういうわけだかオレは世界の「余りもの」になってしまったのだ。

 けれど、イレギュラーなのはオレの父も一緒だった。父はオレの逆で、本体がいるのにリバーシはいない。ずっと向こうの世界で暮らしていた父は【光の魔力】というめずらしい力を持っていた。それを管理人に見込まれ、オレたちが産まれてすぐに【光の剣士】として鏡界にやってきたらしい。森の奥からあふれてくる闇の魔力を、光の魔力を持って消し去る。それが光の剣士の仕事だった。

 本体のいないリバーシに存在価値はない。そう悩んだときも少しはあったけれど、オレは自分の人生を深く憂いてはいなかった。優しい母がいて、強い父がいて、明るい兄がいる。「 ひかる 」という名前を付けてくれて、オレという存在を認めてくれる家族がいる。それで充分だった。

 何もないオレと引き換え、兄は父の【光の魔力】を受け継いでいた。兄は光の剣士として父を手伝うため、アカデミーに通い剣の腕を磨き始めた。

 オレは魔力を受け継いでいないのもあったけれど、なにより元々の臆病な性格により「ドラゴンと戦う」なんて考えもしなかった。父と兄を見送り、母にくっついて家の手伝いばかりして過ごした。

 毎日外で起きた出来事を楽しそうに話す兄を、少し羨むこともたまにあった。でも兄はそんなオレにもいつも優しくて、アカデミーで習ったことを全部オレに教えてくれた。オレはその時間がすごく好きで、なにより兄のことが大好きで、オレの誇りだった。

 ある日森での実践で傷だらけになって帰ってきた兄を見て、オレは大泣きした。一歩間違えれば死んでしまう。オレが母と平和に過ごしている間、兄は危険な日々を生きている。それを実感させられて、怖いのと申し訳ないので訳がわからなくなった。

 泣きじゃくりながらなぜか謝るオレを、兄は心底おかしそうに笑いとばした。

「なんでヒカルが泣くんだよ! 大丈夫だって、傷は母さんが治してくれるだろ」

 こんな状況でさえ笑顔の兄がまぶしくて、オレは劣等感でいっぱいになった。たくさんのものを持っている兄と違って、オレには何もない。オレには何もできない。

「……あんな、ヒカル」

 そんなオレの心を見透かしたみたいに、兄はオレの目をまっすぐ見つめた。

「オレが一番怖いのは、ドラゴンと戦ってケガすることじゃない。家族がいなくなること。友達と会えなくなること。楽しいって思ったとき、楽しいって言える相手がいなくなること。それが一番イヤだ」

 兄の温かい手が、オレの両肩を掴む。

「オレは一人で全部守れるほど強くない。だから、お前はこの家で母さんを守ってくれ。そしたら安心して、オレもみんなのこと守れる」

 にっと歯を見せて笑う兄の顔から、目をそらすことができなかった。こういうところだ。兄には敵わないと、諦めさせられる。

「……うん。わかった。任せてよ!」
「任せた!」


 その数日後、兄は死んだ。


 オレはその日、闇のドラゴンというものを初めて見た。黒くて、大きくて、視界に入るだけで全身がこわばって動けなくなる。

 兄に言われていたのに、オレは母を守ることができなかった。母はドラゴンの攻撃からオレをかばって大怪我を負った。それなのにオレは怖くて、ただただ怖くて、兄から教わった剣術も母から教わった魔法も、なにひとつ使うことなんてできなかった。

 右腕を失った父が家に帰って来たとき、もうそこは家なんて呼べる状況じゃなかった。父は背負ってきた血だらけの兄を地面に降ろし、倒れた母にすがって泣きわめくオレを引きはがした。

「ヒカル。ごめん。オレが全部悪い」

 オレは父が泣く姿を見たのも、その日が初めてだった。

「とうさ…………兄さんは?」
「……ごめん」

 父の謝罪を聞いた瞬間、オレの涙がぴたりと止まった。だってオレの兄は強かったんだ。アカデミーでも優秀だって評判だったんだ。ついこの間、ずっと憧れだった王宮剣士の誘いをもらったって、嬉しそうに言ってたんだ。

 父の一本しかない手が、オレの肩に置かれた。

「オレにはまだ、やることがある。兄ちゃんも母ちゃんも、きっとオレがなんとかする。きっとまだ、希望はある」

 希望なんてあるわけない。二人とも、もう動かないじゃないか。これが現実じゃないか。

「これからお前に、緋山光一のリバーシをやってもらう」
「……は?」

 父はオレの胸に手を当てて、何かを呟いた。父の手から光が溢れて、それは全てオレの中に吸収されていく。光がなくなった途端、オレの中に『緋山光一』の記憶が流れ込んできた。

 母と二人きりで過ごす彼は、あまりにオレと同じで。込み上げてきた吐き気を抑えることなく、胃の中の物を吐き出した。

 気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。

 オレには無理だ。ただ一人残されて、こんなものを背負わなきゃいけないのか。オレはコウイチになれない。なれるわけがない。

 兄はオレの理想だったのに。

 理想を失ってしまったら、オレは一体どこに向かえばいい?


 父はオレに光の魔力と兄が使っていた剣を預けて、兄と母の身体ごとどこかへ行ってしまった。

 莫大な絶望だけが残ったボロボロの家でオレだけただ一人、前に進むことも終わらせることもできずに【光の剣士】、【ヒヤマ=コウイチ】として生きなければならなかった。

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