Reversi小説 | ナノ



6-2

 ヒカルは後悔していた。この場にマロンを連れてきてしまったことを、だ。とは言っても、連れていく以外の選択肢は元々なかった。

 これまでどんな些細な依頼でも、二人は共に行動してきた。お互い頼れる存在はお互いしかいない。たしかに今回の依頼は相当危険なものであることは、話をきいた時からヒカルにはわかっていた。第一、鏡界の総管理人である 神風 かみかぜ イリアからの直々の依頼なんて今まできいたこともない。ヒカルにとって自分の本体である 緋山 ひやま 光一 こういち とその仲間の護衛、及び敵のせん滅。初めにきいたのはそんな内容だった。

 しかしふたを開けてみれば、なぜかグラスの王子はいるわ(しかも他の警備もつけず極秘で、だ)敵陣潜入メンバーの中に管理人であるイリア本人もいるわで、滅茶苦茶だ。正直に言うとヒカルは今すぐにでもこの依頼をキャンセルして、近くの町の依頼掲示板でも眺めにいきたい気分だった。こんなもの、依頼レベルとしてはSSランク、トップシークレット級だ。聞いていなかったことだらけだ。こんなはずではなかった。

 だが、ヒカルが後悔したのはそういうことではなかった。マロンは難度の高い依頼だとしても、足手まといになることはない。ヒカルとマロンが出会ってからの三年間、二人は共に死に物狂いで剣を磨いてきた。強くなければ、この世界では自分の望む生活を保つことができないのだ。二人はそれを身をもって、嫌というほど知ってしまった。

 マロンの父は凄腕のドラゴンハンターだったらしく、時々剣を教わっていたそうで初めから基礎はできていた。そこにヒカルのもつ【光の魔力】を込めた魔具剣を与え、普通の剣術に光の魔力を付与できるようにしたのだ。これであれば、アカデミーを卒業したての一般プロ剣士くらいの実力にはなる。そこから毎日毎晩、ヒカルもマロンも必死に剣を振った。努力が必ず報われるとは限らないが、積み重ねた日々は着実に自信となる。現にマロンは、Aランク程度の依頼であれば一人でこなせるだけの実力を得ていた。今回の場にいてもなんらおかしくはないレベルではある。

 問題なのは、相手が悪かったことである。いやに彩度の高い水色と桃色の髪をした二人組は、服装からして【魔女】と呼ばれる種族だ。魔女は剣士やハンターなどとは違い、そのほとんどが先天的なものだ。生まれつき魔力が非常に高く、一般的な人間が扱える魔力属性が一、二種であるのに対して魔女は八種ほぼ全てを自由自在に操ることができるのが特徴だ。その並外れた能力から、魔女だと発覚した者は迫害されることが多いと聞く。魔女に対して特別な感情を抱いているわけでもないヒカルにはあまり興味のないことだったが。

 話を戻す。この双子の魔女がなぜ相手として悪いか。魔力がどうとか、そんなことは一切関係ない。端的に言うと、攻撃がいちいち のだ。やたらべたべたと二人で絡み合い、熱っぽい目でヒカルたちを見つめ、吐息交じりに呪文をささやいてくる。元々女が得意ではないヒカルだが、この二人の一挙一動には無意識に鳥肌がたつ。ものすごく不快で、苦痛だった。そしてそれを幼いマロンに見せるなんてもってのほかだ。

 とりたてて露出が多いわけでもスタイルがいいわけでもないのだが、声のトーン、唇のツヤ、常に潤んだ伏し目がちな瞳、指先の動かし方ひとつをとっても必要以上に性的なのだ。これも魔女の持つ 魅了 チャーム の効果なのかもしれない。見たくもない自分の本体である光一がこの場を離れてほっとしたのもつかの間、ヒカルは逃げ出したい衝動に襲われていた。甘ったるい匂いがあたりに充満している。香りが脳にまで回ってきそうで、吐き気をもよおす。

「ねぇねぇ、さっきから全然攻撃してこないけど、大丈夫?ハート
「具合悪いのかな、アンが診てあげようか? もしも〜し

 うふふ、くすくす、と耳障りな笑い声がヒカルの神経を逆なでする。今の状況はヒカルの人生でも相当な上位に入るストレス状態だ。ヒカルは隣で剣を握っている相棒を見やる。

「……マロン、動ける?」
「もちろんです、いつでもいけます。……匂いがきつくてちょっと気持ち悪いですけど」

 ヒカルは口から大きく息を吸い、自身を落ち着けた。精神は乱されるが、状況は不利ではない。魔女は大抵、遠くから攻撃を仕掛けてくるのが基本だ。つまり、近距離戦には慣れていないはずなのだ。距離さえ縮めてしまえば圧倒的に勝率は上がる。

 ヒカルは自身の魔具《アマテラス》に魔力を込める。ヒカルから流れ出た光の魔力を吸収したアマテラスが白く発光する。マロンに目配せすると、こくりとうなずきが返ってきた。魔女相手に長期戦は危険だ。早々にケリをつける、とヒカルは踏み込んだ。

 メイとアンはその様子を見てキャッキャとはしゃいだ。ヒカルの眉がみるみる不快に歪む。この二人が楽しそうにすればするほど、ヒカルは不愉快だった。

「……なにがそんなに可笑しいワケ」
「メイ、光の魔法見るの初めてなんだもんハート
「アン、わくわくしちゃってとっても楽しみ

(──何が楽しみだ。)

 ヒカルはあごが砕けるのではないかというほど、強く奥歯を噛みしめた。ヒカルにとって、この【光の魔力】は特別なものだった。こんなふざけた奴らに対して使うのは、本当は嫌だと思うほどに。

「今日は誰とあそぼっかなぁハート

 桃色頭の方、メイが異様に長くて硬そうなビビットカラーの爪を くう で遊ばせ、なにかを考えるそぶりを見せた。それを見ていた水色頭、メイの方が「この子にしよ」と彼女の指を一点に誘導させる。

 なにをする気か知らないが、させる隙は与えない。ヒカルは一直線に木に向かい、二人が腰かける枝まで跳躍した。真っ白な光が双子の魔女を照らす。

「《 霞天斬 かすみあまぎり 》」

 横に一閃。剣はヒカルが振ったと同時に、「振った先にあった」。光の速度で剣が動く、ヒカルの得意技だ。そして確かに感触はあった。

 だが、飛び散ったのは血ではなかった。


(──綿?)


 メイとアンがいた場所には、巨大な布のかたまり……いや、よく見るとファンシーな顔のついた、ねこのぬいぐるみがあった。

 どしゃり、とぬいぐるみが落ちる重い音と共に、再び耳障りな笑い声が響いた。今度は頭上だ。ヒカルは舌打ちする。

 地に落ちたぬいぐるみは起き上がり、縫い付けられたプラスチック製の瞳でヒカルを──おそらく──見つめている。襲いかかろうとしたのか前足を伸ばすがそれはヒカルに届かず、そのまま糸が切れたようにその場に倒れ込んでしまった。ぬいぐるみの真後ろには、剣を振り下ろした体制のマロンがいる。ヒカルはほんの少し口の端を上げた。

 「ふ〜ん」と、感心したような声が降ってくる。

「なるほど、仲良しさんなのねハート
「じゃあ次はキャロル、いっけ〜

 水色の長い爪が宙をおどる。何もない空間から、マーブル模様の巨大なくまが生まれた。

 くまは地面に降り立つと共に前足を振り下ろし、辺りの木々を一気になぎ倒した。見た目とは裏腹にかなりのパワー型のようだ。

 しかしヒカルがひるむことはない。軽い足取りで相手に近付き、跳ぶ。くまがゆらりとヒカルを目で追うが、空に浮かぶ太陽とヒカルがまっすぐ重なり直視することができない。気がついた時にはくまのぬいぐるみ、もといキャロルは上から降ってきた刃によって縦に二等分されていた。続いて何かが地面に倒れる音がしてヒカルが振り返ると、マロンがうさぎのぬいぐるみを片付けたところだった。

「ベティもやられちゃった、すごいすごいハート
「いいねいいねぇ、楽しいねぇ

 続いて魔女たちは粉を振りかけるような仕草を見せた。地面からボコボコと様々な色の綿が湧き出て、それらはみるみるおびただしい数のぬいぐるみに形成される。

 色とりどりのぬいぐるみたちはヒカルたちを囲むように集まった。

 ヒカルとマロンはお互いに背中を合わせ、隙を見せないように剣を構える。一面のぬいぐるみを見渡しながら距離をはかっていると、左肩が何かにぶつかった。同時に声が飛んでくる。

「なんだこの不気味な状況は」

 そういえばこの場にいるのは自分とマロンだけじゃなかったな、と今さらながらヒカルは思った。

「……まぁ、男三人がぬいぐるみに囲まれてるのは確かに不気味だよね」
「しかもよりによって一緒にいるのがお前とはな。根暗に挟まれてこっちまで気が滅入る」

 気が滅入るはこっちの台詞だ、とヒカルは口には出さず毒づいた。この男はグラスの時期当主、いわゆる国の王子であるケント。ヒカルの苦手な人物は多数いるが、この男はその中でもトップクラスに関わりたくない人物だった。

「おししょーさまは根暗じゃないぞ!」

 ケントの言葉に、マロンがすぐさま噛み付いた。……いや、そこに関しては否定できないかもしれない、とヒカルは少しいたたまれない気持ちになった。ケントはフン、と鼻をならし、ヒカルに対し軽蔑の目を向ける。

「どうでも良いが……俺はお前が約束を破ったこと、忘れないからな」

 ケントの言葉で、じくりと嫌な痛みがヒカルに走る。身体の直接的な痛みではない。具体的にどこが痛むのかは説明できないが、確かに痛いと感じる。ヒカルはケントに会うといつもこの感覚を味わう。彼を苦手とする理由のひとつだった。

 彼の言う約束というのがなんなのか、ヒカルにもよくわかっている。【光の剣士】と呼ばれたヒヤマコウイチが剣術アカデミーにいたころ、ケントはコウイチを城直属の王宮剣士に誘っていた。ずっと王宮剣士に憧れていたコウイチは、 は確かに快諾した。コウイチとしても、願ってもない大チャンスだった。

 しかし、コウイチの家が闇ドラゴンに襲われたあの日。全てが、文字通り全てが変わってしまった。コウイチが王宮剣士として城を踏み入れることは、その後一度もなかった。


「来ます!」

 マロンの高い声が弾ける。ヒカルはすぐに意識を戦闘に引き戻した。

 ぬいぐるみは増え続け、その数はざっと三十を超えるのではないかというほどになっていた。これら全てを魔力で創り出したと言うならば、たしかに桁外れの魔力量だ。

 ヒカルは瞬時に、自分のとるべき行動を脳内で組み立てる。

「二人とも、伏せて」

 ヒカルの言葉に、マロンとケントは疑問の声も批判も上げずに淡々と従う。ケントは文句のひとつでも言ってくるかと思っていたのでヒカルは意外に思ったが、すぐに腑に落ちた。この男は頭が良い。この数を相手に、少しでも無駄な行動は命取りだ。場数を踏んだヒカルが落ち着いて出した指示なら従ったほうが勝率は高いと判断したのだろう。

 人としては気に食わないが、言いたいことを瞬時に汲み取ってもらえるのは戦闘において素直に助かる。ヒカルは二人の期待に応えるべく剣に魔力を込めた。


「《 舞夜凪 まいよなぎ 》」


 全方位に、円を描くように剣を振る。ヒカルたちに向かってきたぬいぐるみたちは腹を割かれ、半歩ずつ後ずさる。

 ヒカルはその場で跳び上がり、一体のぬいぐるみの頭を踏みつけそこからさらに高く跳んだ。目標は真上で笑いながら傍観している、いけ好かない魔女たちだ。

「大元を叩かないとキリないからな」

 ヒカルは双子と同じ高さまで来ると、大きく剣を振り上げた。

 メイとアンの唇が、同時に弧を描く。

「待ってたよハート
「いらっしゃい

 ヒカルは素早く剣を振り下ろそうとしたが、目の前から二人が消えた。消えたとしか言えないほど、突然姿を見失ったのだ。

 ヒカルが空中で後ろを振り向こうとした時。ふいに視界が水色で埋め尽くされた。驚くことすら追いつかない。消えたと思った双子の魔女は、自分のすぐ側、両隣にいた。

 水色髪のアンがヒカルの左腕に絡みつき、顔を耳元に近付けた。


「……いただきまぁす


 ヒカルの左耳に、柔らかい口づけが落とされる。魔女の唇が触れた瞬間、ヒカルは全身の力が急激に抜けて行くのがわかった。


(──吸収魔法か!)


 魔具をネックレスに戻し、絡む魔女の腕を振り払う。右側にいたメイを蹴り飛ばし、その勢いで浮いた身体を地面に急降下させた。「きゃんっ♥」というわざとらしい悲鳴が飛ぶ。

 ヒカルは呼吸を整え距離を取るが、全身の鳥肌が治まらない。こんなに身の毛がよだつ思いはしたことがない。ヒカルは顔を歪めながら、乱れた自身のマントを正した。

「マロン、絶対あいつらに近付いちゃ駄目」
「えっでも……」
「駄目。作戦考えよう」

 腹を割かれた大量のぬいぐるみたちは、いつのまにか氷漬けになっていた。充満する冷気が落ち着きを思い出させてくれる。冷気の発生源である男が斧を地につけ、ヒカルの後ろについた。

「何された?」
「……多分吸収魔法。近距離でさっさと終わらせたかったけど、下手に近付いたら逆にやられる」
「なるほど。ま、弱点の対策をしてるのは当たり前だな」

 ケントはそう言ったあとに数度咳込んだ。肺から来るような、重いものだ。ヒカルは眉間にシワをよせる。

「……風邪?」
「なわけあるか、バカ。もう一人の剣士いるだろ、あっちが毒使いなんだよ」

 なるほど、とヒカルは納得した。魔力に毒の成分を練り込み相手の体内に侵入させる。じわじわ弱らせるタイプの嫌なやつだ。さっきから姿を見せないのはそういうことか、とヒカルは再度周りを見渡した。

 意識して見てみれば、ケントの首筋にはうっすらと汗が浮かんでいた。辺りが氷塊で囲まれている今、暑さによる発汗とは考えにくい。いつから攻撃を受けていたのか分からないが、良い状態であるとはいえない。ヒカルの頭に打開策もまだ浮かばない。魔女の攻撃を受けた不快感も手伝ってゆっくりと、しかし歩みを止めずに焦りが脳を犯していく。

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