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5-7

 硬いものがぶつかり合う音が鳴り響く。音を発しているのはレイジとニーナのナイフだ。彼に付きしたがっている黒いドラゴンは時折大きな翼で風を起こしたり、鋭い爪で襲い掛かって来たりする。その度にクルスが壁を張ってくれるので、ニーナに直接的な傷が与えられることはない。

 数分それを繰り返すうち、お互い見た目は変わらないものの明らかに差が出てきた。レイジの動きは初めのうちと変わらないが、ニーナのスピードが格段に落ちている。肩で息をし、ナイフを振る腕も震えてきた。大柄な男と小柄な少女が、体力的に互角なはずがない。ニーナの消耗は誰が見ても明白だった。

 それでも、ニーナの眼から光が消えることはない。体力の差なんて戦う前から解りきっていることだ。今さらそんなことで絶望なんてするものか。
 何度はじかれてもしつこく食い下がるニーナに、最初のうちはニヤニヤと笑みを浮かべていたレイジもそのうちイラついたような表情に変わっていった。

「しつけぇな。まだわかんねーのか。お前じゃ俺に勝てねーだろ」

 そう言うレイジの顔には、軽蔑の色が滲んでいた。ニーナは一度攻撃を止め、静かに息を整える。 はもう何度も見た。王族から事実上の追放命令を受けたとき、今まで友好的だったグラスの人々が【ドラゴン使い】に向けてきた眼差しは十中八九、これだった。

 憐み、蔑み、なお誇りを持って生きようとする一族に対して、人々は「もう諦めたらいいのに」と理解できない顔を向ける。自分たちはただ愛しているだけなのだ。耕し、歌い、ささやかに暮らす満ち足りた生活を。大きな身体で優しい性根のドラゴンを。それら全てを踏みにじられて、黙っているわけにはいかなかった。

「……聞いてもいいかな」

 ニーナの問いに、レイジは答えない。しかし攻撃を仕掛けてくる様子はなさそうなので肯定ととる。ニーナも構えていたナイフを下ろした。

「あなたは、【ドラゴン使い】……だったんだよね?」

 無意識に「だった」の部分を強調してしまったことに、言ってから気付く。今のこの男を【ドラゴン使い】と呼べるはずもない。しかし、ドラゴンと共に行動し、自身は軽い体術と小ぶりのナイフを使用する戦闘スタイル。全身に巻かれた包帯でほとんど隠れてはいるが、隙間から見える浅黒い肌、白みの強い乾燥した金髪に瞳孔の細い金色の眼。彼の全てが、【ドラゴン使い】の一族を主張していた。それが彼の望むところかは別として。

 レイジは切れ長の目をさらに細めた。

「……てめぇ舐めてんのか? 見りゃ分かんだろうがよぉ」

 鋭利な声色に、ニーナの気持ちが少しひるむ。こんな反応が来るだろう、と大方の予想はしていたはずだが、いざ自分と明らかに対格差のある男性からすごまれると反射的に体がこわばる。

 レイジは大きく舌打ちして、口元から包帯をはがし始めた。きつく巻かれていた布がほどけていく。露わになった彼の皮膚は、悲しいほど、ニーナが誇りに思っている肌と同じ色をしていた。

「うぜぇんだよ! 隠しても、隠しても、隠しても!! 目の色も、髪の色も、肌の色も! どうあがいたって俺を【ドラゴン使い】にしやがる! 街で仕事だってできやしねぇ! 歴史だの伝統だの、くっだらねぇ凝り固まった思考のジジィどもしかいやがらねぇクソみてぇな村に生まれちまったおかげで! 俺は! ロクな人生歩めねぇんだよ!!」

 レイジは爆発した怒りを抑えようともせず、力任せに自身の相棒であろうドラゴンを蹴り飛ばした。ドラゴンは声ひとつ上げず、じっと地面を踏みしめてその場に立っている。ニーナのあごに力が入り、奥歯がギリ、ときしんだ。

 面とむかって、自分の大好きなものたちのことを悪く言われるのは辛い。心臓が締め付けられ、脳内が色んな思考でかき乱される。ただ今の話で少しだけ分かったのは、目の前の彼はニーナが「正しい」と思っていた一族の考え方によって、苦しんでいたということ。

 ニーナはずっと、集落から出ていってしまった人たちのことを無責任だと思っていた。何故、一族を立て直すために共に戦ってくれないのか。一族としての誇りを、プライドを捨てて生きながらえたところで、悔しいだけじゃないか。そんな人生に意味なんてあるのか。

 けれど、それは独りよがりな考えだ。本当はニーナもわかっていた。新しい生き方を見つけ、もっと楽に生きる方法はあるはずだ。わざわざ人目に付きづらい森の中で隠れるように集落を構えなくとも。

 街に出れば、見ず知らずの者に心無い言葉を投げられることもある。自分が【魔女】のことをよく知りもせず避けていたように、基本的に人というのは自分に危害を与える危険性のあるもの、理解し難いものに対して冷たいものなのだ。みんなそうだ。

 彼にも、ここに来るまで色々な事情があったのだろう。【ドラゴン使い】であることによって、ニーナには想像もつかないような酷い目に合ってきたのかもしれない。彼の口調からはそう感じ取れた。彼にも、こうなってしまうに至った理由はきっとあるのだ。

 ニーナは気持ちをリセットするため、深く息を吸う。なんとなくではあるが、彼の事情は理解したように思う。


 けれど、たとえそうだったとしても、ニーナが引く理由にはならない。ニーナが今この場所にいるのは、大切な人を守りたいと思ったから。それは護る力を持つ【ドラゴン使い】のニーナにとって、何よりの誇り。ニーナの力は物心ついたときからずっと、大切な人を護るための力だった。

 いくら馬鹿にされようと見下されようと、ニーナは自分の生き方を恥じたりしない。後悔しない。

 人と違うからと言って、変えようとは思わない。
 それが、ニーナという存在の理由だから。


「あなたは、自分に自信がないんだね」

 ピクリと、レイジの片眉が痙攣した。目の前で自分を見下ろす体格の良い男を、ニーナは真っ直ぐ見据える。

「あなたがどう思ってるかなんて関係ない。アタシは【ドラゴン使い】の生き方が大好き! アタシはここに、ケントを『守る』ために来たの!」

 ふわりと、隣に佇むクルスの背をなでる。毛量の多いたてがみが優しくニーナの手を包む。

「だからあなたが邪魔をするなら正々堂々戦うし、【ドラゴン使い】を馬鹿にするなら許さない!」
「ハッ、やってみろよ! 叩き潰してやんよ!」

 両手にナイフを構える。レイジも同じようにナイフを構えた。ジャリ、と地面の砂と靴底が擦れる。

「行くよっ! クルス!」
「キュルオォォォォン!」

 相棒の雄叫びと共に、ニーナは足を踏み出す。低い姿勢でレイジのすぐ側まで潜り込み、足元を狙う。しかしニーナの刃はかわされ、逆に背中から蹴られる形になった。

 強烈な衝撃が内臓をかけ巡る。喉に熱いものが込み上げるが、なんとかこらえる。その間にクルスが、大きな身体でレイジにのしかかるように覆い被さっていた。

「チッ、オイ!!」

 レイジの怒号に反応して、一歩後ろにいたレイジのドラゴンが急いで飛んでくる。大きな翼で浮き上がり、鋭いかぎ爪のような足でクルスの頭に生えている二本の角をがっしりと掴んだ。そのまま翼をはためかせると、レイジのドラゴンはクルスを持ち上げたまま空へ浮かんでいく。一定の高さまで来たところで、クルスは爪から開放され物凄い勢いで地面へと叩きつけられた。

「クルス!!」

 ニーナは左手を伸ばし、クルスに自身の魔力を送る。クルスはぶるぶると首を振るとすぐさま立ち上がり、地面に転がっている大きな岩を相手のドラゴン目がけて投げつけた。

 続けて投げるといくつめかの岩が羽の付け根に当たり、ドラゴンはヨロヨロと下降する。すかさずクルスが飛びつき、ドラゴンに馬乗りになって爪を立てる。

 ギェェエエエ!と甲高い声を上げ、相手のドラゴンもくちばしでクルスの顔を何度も小突いた。一瞬にして、辺りにはクルスの毛や相手ドラゴンの鱗が散乱した。

 その間も、レイジは黙って見ているわけではない。小型のナイフが三本、ニーナの顔めがけて飛んでくる。間一髪で避けるが、そのうち一本が頬をかすめる。ナイフが通り過ぎた瞬間、レイジが一気に距離を縮めてきた。自分に向かってまっすぐ伸びてくる刃を、同じく刃で受ける。しかし、押し返してくる力は強かった。足元のバランスを崩し、背中から地面に倒れこんだニーナにレイジが乗り上げる。

 ニィ、と黒い唇の間から真っ白な歯が見えた。

「手間とらせやがって……これで終わりだ!」

 レイジが、ナイフを握りしめた手を勢いよく振り下ろす。
 刃がニーナの喉元に届く寸前、刃は硬いものとぶつかったように砕けてしまった。

 緑色に輝く光の壁がニーナとレイジの間に現れる。レイジが急いで後ろを振り向くと、たてがみを逆立てこちらを睨むクルスの姿があった。

 向こうの決着がついたわけではない。クルスはすぐに、レイジのドラゴンに後ろからどつかれそちらの戦いに戻った。自分の戦いの最中に、主人の危機を見定め守ったのだ。

 一瞬できた隙をつき、ニーナはレイジの下から抜け出し体制を整えた。今のは本当に危なかった。ニーナは心の中でクルスに感謝した。


 レイジの後方から、ずっとこちらの様子を見ていたトーマの声が飛んできた。

「おい、まだかかるのかよ!? そろそろ僕の魔力がもたないんだけど……!」

 見れば彼の額からは大量の汗が噴き出ていた。魔力は精神力を形にして使うものだ。それは思うよりずっと負担がかかるもので、長時間の使用は肉弾戦より身にこたえる。

 そもそもトーマはおそらく、この森全体をカモフラージュするほどの大きな幻影魔法を常に発動している。魔力量は大したものだが、さすがに無限ではない。セレナの動きを封じられるのも、きっともう長くはないはずだ。ニーナの心に一筋の光が射した。


 レイジは握るものがなくなった手をわなわなと震わせた後、長い脚で何度も強く地面を踏み鳴らした。

「ッああああぁぁぁぁ!! マジでウゼェなんだテメー! 弱ぇクセにしつけぇ! ストーカーむいてんじゃねぇ!?」
「失礼だな! 負けたくないだけだもん!」

 あまりに不本意な言葉に、ニーナは拳を握り言い返す。レイジは顔を歪め、小指で耳の穴を掻き始めた。

「わかんねーなぁ……こんなとこわざわざ来たってなんの得にもならねーのに。そんなに大事なのかよそのケントって奴? 惚れてんの?」
「ほっ……!! ……そっ、そーだよ! 悪い!?」

 レイジの顔がますます不快そうに歪む。ニーナはついムキになって余計なことを言ってしまったと後悔した。仲間は誰も聞いていない。大丈夫。急激に込み上がる顔のほてりを鎮めようと、ふるふると頭を振った。

「ますますうぜー、ガキが」
「そ、それは別に関係なくて!! 守るって約束したんだもん! 今度こそ、信じるって決めたの!」
「知らねーよテメーの事情なんざ!」
「こっちだって知らないよそっちの事情なんて!」

 再びお互いが臨戦態勢に入る。今度こそ決める。ニーナが地面を蹴り出した。レイジは次のナイフを腰から出し、構える。

 体格が違うのは不利かもしれないが、裏を返せばこちらのほうが小回りはきくはずだ。そう考え、ニーナは素早さを重視しナイフを振った。しかしレイジのスピードも思ったより速い。刃のぶつけ合いは数十回に及んだが、お互いに傷はつけられないままだった。

 ニーナが少し深く入り込むと、レイジの反応がほんの一瞬遅れた。そこを見逃さず、外側に弾いて相手のナイフを落とす。瞳孔の細いニーナの眼がキラリと光った。

「はあぁぁぁぁぁっ!」

 ニーナは勢いよくレイジの懐に飛び込み、彼の足の間に自身の右足を滑り込ませる。間髪いれずに足を払い、レイジの重心を崩した。ナイフを落とし腰から地面に倒れ込んだレイジは無防備だ。

 その時、クルスのか細い鳴き声が聞こえた。相手ドラゴンの鋭いくちばしにやられたのか、片目が開いていない。

「クルス!!」

 ニーナはすかさず魔力を供給する。ドラゴンは人間よりも自然治癒力が高い。元となる魔力さえあれば、戦闘中に傷を癒すことも可能なのだ。クルスはぶるぶると頭を振り顔の毛にこびりついた血を振り落とすと、赤い両目が再びぱっちりと開いた。

 ニーナが胸を撫でおろすと、後ろから二の腕をつかまれた。抵抗する間もなく引っ張られ、頭を地面に打ち付けられる。

「よそ見してる余裕なんかねーだろーがよ!!」

 後ろでまとめ上げた髪が力任せに掴まれ、痛みで自然と涙が出る。地面に押し付けられた額に細かい小石が食い込んだ。

「テメーは舐めてんのか!? 今のチャンスを逃したら終わりだったろ! 馬鹿か!?」

 頭上から、レイジの声が降り注ぐ。確かに、もう一度ナイフでやりあう体力はニーナにはもう残っていなかった。
 だけど、考えるまでもない。

「……【ドラゴン使い】の力は、護る力、だから」
「それは何百回も聞いた! だから俺は【ドラゴン使い】が嫌いだ!!」

 乱暴に振り回され、髪を固定していたひもがほどけた。抜け落ちた長い髪が宙に舞う。涙で視界がぼやける瞳でそれを見つめたニーナは、ぼんやりと考える。そういえば、いつから髪を伸ばしていたんだっけ。昔はずっと短かったのに。

 ……あぁ、たしか。ケントに、伸ばしてみたらって、言われたんだったかなぁ。

 ニーナの手にナイフは握られているが、手のひら全体に血がにじんでいてまともに力が入らない。それでも、ニーナはナイフを離さなかった。

「……自分の保身しか考えてないあなたには、たしかに向いてないかもしれないね」

 レイジは相変わらず、理解できないという不快そうな顔をしている。ニーナは顔を上げ、そんなレイジに対して笑みを見せた。

「護るって難しいの。傷つかないように、ただ危険を回避するだけじゃダメなんだよね。絶対に危険だってわかってても、付き合ってあげなきゃいけない時があるんだよ」
「……はぁ?」
「護るっていうのは、きっと、自分が傷ついたとしても、その人の隣にいられる強さ……なんじゃないかなって、光一を見て思ったの」

 ニーナがナイフを持つ手を弱々しく上げた。レイジに警戒する様子はない。こんな力じゃ、抵抗できるはずもないと確信しているからだ。

「だからアタシは一生、クルスの隣にいる。ケントの隣にいる。どんなに傷ついたとしても」

 彼女が持つナイフの柄に埋め込まれたエメラルドが、木漏れ日を吸収して輝いた。


「【ドラゴン使い】の誇りにかけて! アタシはアタシの大好きなものを護るの!!」


 その言葉と共に、彼女はナイフで切り落とした。

 レイジにがっしりと掴まれた、自分の長い髪を。


「クルス!!」
「ギュルオオオオオオオオゥッ!!」

 身軽になったニーナは素早くレイジの元を離れ、クルスの隣に立った。自分の中にあるありったけの魔力をかき集め、クルスに供給する。あたり一面が鮮やかな緑色の光に包まれた。

 傍らには、レイジのドラゴンが息も絶え絶えに倒れないよう必死に踏ん張っていた。そこでニーナは、この戦闘中レイジが一度もドラゴンに魔力を供給していないことに気付く。ドラゴンは魔力から生み出された生き物であり、動くためのエネルギーは魔力だ。これまで長時間クルスとやりあっていたこと自体、信じられない。

 ニーナは静かに彼のドラゴンに近寄る。自慢だっただろう大きくて立派な翼はボロボロで、はぎれを寄せ集めたようになってしまっている。【ドラゴン使い】を憎む彼は、このドラゴンのことも疎ましくて仕方なかったのかもしれない。
 ニーナは優しく語りかける。

「君は今のうちに逃げなよ。今ならきっと大丈夫だよ」

 ドラゴンはその場を動かなかった。ニーナはドラゴンに背を向ける。
 今のレイジを守ってくれる存在はない。クルスは辺りの土や岩を手あたり次第宙に浮かし、魔力で握り固めた。ニーナもクルスも怒っていた。とびっきりに特大の塊を投げつけてやらないと気が済まない。

 土塊はどんどん大きくなり、この場にいる四人をすっかり影で覆ってしまうほどになった。ニーナが大きく息を吸い込む。


「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇえ!!」


 クルスが千切れんばかりに首を振る。ものすごい密度で固められた土はまるで隕石のように、レイジめがけてまっすぐに飛んで行った。

 当たったと思った時、目の端で黒い影が素早く動くのが見えた。
 そして、クルスが投げた土塊は空中でぴたりと動きを止めた。

「……えっ!?」

 レイジと土塊の間には、彼のドラゴンが滑り込んでいた。もう魔力はほとんど残っていないはずなのに、僅かな力を振り絞って小さな結界を張っている。その光景にニーナよりも驚いた顔を見せたのが、後ろにいたレイジだった。

「……オニキス……? お前、なんで……」

 レイジと彼のドラゴンを包んだ黒い結界は瞬く間にひび割れ、ガラスのように砕け散った。それでも飛んできた勢いを殺すのには充分で、土塊は質量に応じた重さで二人に降りかかった。彼らは地面と土塊に挟まれる形になり身動きは取れなかったが、想定よりもダメージは食らっていなかった。

 ニーナは魔力を出し尽くしたことにより、もはや立っていることさえできなかった。力の抜けた足がガクッと地面につく。クルスも限界らしく、舌を出してその場にへたり込んでしまった。

「……オニキス君っていうんだ。……君も、守りたかったんだね……」

 ニーナの瞼がゆっくりと落ちる。

 あぁ、ケントのところに行かなきゃいけないのにな。

 意識を手放す前に、そんなことを考えた。


「くっそぉぉぉぉ!! なんでだよ! 上手くいってたのに!」

 ハットを地面に転がしたトーマが地団太を踏む。ジャリ、という土を踏む音に、トーマの肩が異常に跳ね上がった。怯えが強くにじんだ表情で、音のしたほうに目を向ける。

 そこには予想していた通りの姿があった。夜空をすくって塗ったような鮮やかな紫色がうねる。

「……ひどいじゃないですか。雷は嫌いだって、知っていたでしょう?」

 目の前のセレナは眉尻を下げ、非難の声を上げた。トーマはそんな彼女を勢いよく指さして叫ぶ。

「ひっ、ひどいのはそっちだろ! 僕が五日かけて入念に作り上げた幻影魔法を、い、一瞬で無効化しやがって!!」

 これだから【魔女】なんて嫌いだ、とトーマは嘆いた。セレナははて、と首を傾げた。何もわからないというような顔をして軽々と人の努力を無にする彼女が、トーマは以前から苦手だった。

「それはすみませんでした。皆さんを探すのにちょっと邪魔だったもので」

 「ちょっと邪魔」、で自分の集大成がいとも簡単に崩されるのか。トーマは乾いた笑いを張り付けて立ち尽くした。もうこちらの手は出し尽くした。あとは確実に近づく自分の最期を受け入れるしかない。【魔女】である彼女にこんなことをして、ただで済むはずがない。元仲間だろうがなんだろうが関係ない。そもそもセレナという人物に『仲間』という意識があったのかさえ怪しい。

 こうなったらさっさと息の根でもなんでも止めてくれ、とトーマは祈ったこともない神に懇願した。

 しかし彼女は呪文を唱えることも、魔具を振ることもなかった。トーマなんて見えていないかのように、するりとその場を離れる。彼女が向かったのは、一緒にいた褐色肌の少女の元だ。

 セレナは意識を失った少女とドラゴンに軽い治癒魔法を施すと、顔だけをトーマに向けてほほ笑んだ。

 その笑顔を見た瞬間、トーマの全身が反射的に粟立つ。

「ニーナが生きていて良かったです」

 その言葉に、トーマはかろうじて曖昧な笑みを返した。──もしも死んでいたら、どうなっていた?

 その考えは頭からすぐに追い出した。考えたくもない、そんなこと。
 ひゅうひゅうと苦し気な呼吸音を立てたトーマは、その場にふらりと座り込んだ。何故だか全身がガクガク震えて、異常に寒い。

 セレナはその後二人(正確には一人と一体)をふわりと浮かせ、自身も蝶のように軽やかにその場を後にした。おそらく他の仲間の元へ向かっただろう。
 トーマは彼女らが見えなくなるまで見届けると、風船の空気が抜けるような声で一人呟いた。


「…………ラッキーだったなぁ」

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