5-6
ドラゴン使いは、『誇り』を大切にする民族だ。先祖が成した、ドラゴンと心を通わせるという偉業。住む場所も食べるものも自分たちで用意して暮らす、慎ましくも豊かな生活。自分が決めた主人に付き従い、守り抜くという強い覚悟。それら総てがより合さって、心の真ん中にどっしりと構える誇りとなる。
ニーナにとってもそうだった。自分を愛し、家族を愛し、一族を愛し、心に決めた人を一生かけて守り抜く。幼い頃からそれが生きる道だと信じ生きてきた。だから彼女は、族長である祖父の教えはひとつも取りこぼすまいといつも真剣に聴いてきた。そして知れば知るほど、ドラゴン使いの一族として生まれてよかったと湧き出る喜びを噛みしめた。
浅黒い肌も、乾燥気味の白い髪も、爬虫類のような黄金の瞳も、ニーナは大好きだった。彼女にとって自分がドラゴン使いの一族であることは、なによりも誇りだった。それを現す自分の姿が自信となった。
この姿は、違う世界に存在する、もう一人の自分が願い焦がれる姿なのだ。ニーナはそれを知っている。あの世界には存在しないドラゴンと仲良くすることを夢見ている、心優しい少女のことを知っている。だから自分はこの世界で、「自分」でいられるのだから。
「あちゃー……みんなとはぐれちゃった。せめてケントの腕でも掴んでおけばよかったかな」
ニーナは辺りを警戒しながら、思案した。ステッキを持った小さな男の子が現れて、よくわからないままに気付けば仲間たちが消えていた。魔法を使ったのだろうが、あの人数を一瞬にしてバラバラにするなんてかなりの使い手だ。
正直この展開は予想していなかった。ニーナの背すじにじわじわと不安が這い上がってきた。状況はあまり良くない。
ドラゴン使いは、護る力に長けた温厚な一族。元来戦闘には向いていないのだ。相棒のクルスは大型のドラゴンで迫力はあるが、実のところ攻撃手段は多くない。爪も牙も、生活で最低限使える程度の鋭さしかなく、攻撃魔法もほぼ使えない。ニーナ自身はというと人並みに体は動かしているものの、小柄な少女だ。周囲が驚くような強い魔法は使えないし、武器は腰に刺した数本のダガーナイフのみ。
どこをとっても、ニーナは戦闘には向いていなかった。根っからのサポートタイプなのだ。だから、一人になってしまったのは完全に失敗だった。
第一ここに着いてきたのは、行くと聞かないケントを守るためだったのに。これでは自分が来た意味がないではないか。
とりあえず歩いてはみるものの、一歩進むごとに足取りは重くなる。自分一人で敵と戦うには、あまりにも心許ない。防戦一方、じわじわと押されて負けてしまうのが目に見えている。
だから、前方にふわりと揺れる鮮やかな紫を見つけた時には、心底ホッとした。
「セレナ! よかった、一人かと思ったよぉ〜!」
「あ、無事だったんですね〜」
紫の束がくるりと向きを変え、ぱっと色白の肌が現れた。透き通るような柔らかい肌に、キラキラと輝く宝石の様な瞳、それを縁取る長いまつ毛。ぱっつりと同じ長さに切り揃えられた前髪が、目の大きさをより強調していた。化粧もしていないのに唇はぷるぷるだし、頬はほんのり桃色がかっている。同じ「女子」という括りにされてしまうのが申し訳なくなるほど、セレナは綺麗だった。
ついでに、脚は長いし胸も大きい。それはもう、これでもかと言うほど。
セレナはニーナがまじまじと自分を見ているのも気にしないような態度で、被っていた大きな魔女帽を脱いだ。
「みなさんはどこに行ったんでしょう、誰か見かけました?」
「ううん、セレナが初めて。少し歩いてきたけど、この辺りにはあたしたちしかいないかもね」
それを聞くと、セレナはぱっと笑った。
「そうですか! じゃあ、当たりですね」
ニーナは首を傾げる。当たりとはどういうことだろうか。敵が見当たらなくてラッキーということか?
そこでニーナは、ふと違和感を覚えた。根拠があるわけではなかったが、なんとなくセレナの様子がおかしい。
彼女の言動が周囲と噛み合わないのはいつものことだ。だが、そういうことではないような気がした。見た目はいつもとなんら変わりない。ただ、まとう空気、何気なく発した言葉ひとつに、どこか気持ち悪いズレを感じる。これが気のせいであるのなら、それに越したことはないのだが。野生の勘に似た感覚が、「何かがおかしい」と警鐘を鳴らしている。
「セレナ……変なこと聞くようだけど」
ごくり、とニーナは唾を飲み込んだ。
「……あたしの名前、言える?」
セレナはきょとん、という効果音が似合う顔をかたむけた。
そして彼女はかたむいた顔のまま、アハハ、と声を上げて笑った。
「な〜んだ、意外と早くバレちゃった」
反射的に、ニーナは目の前の人物から距離を取る。腰からダガーナイフを取り出し、体の前に構えた。
気のせいであって欲しかったが、嫌な予感は当たってしまった。目の前の彼女はセレナじゃない。
ふぅ、と息を整えクルスを呼び出そうとするが、それより早く敵が動いた。相手が持っているのは黒くて細いシンプルなステッキ。仲間が離れ離れにされる直前に現れた、小さな男の子が持っていたものだ。姿はセレナそのものだが、おそらく目の前の人物はあの男の子だろう。
振られたステッキから白い鳥が数羽飛び出す。鳥は勢い良くニーナに向かって来るが、よく見るとそれは生きているものではなく、鳥を模した機械だった。お腹の部分に爆弾のような物を抱えている。
「クルス……ッ!」
急いで相棒の名を呼び左肩のアザに触れるが、間に合いそうにない。
ニーナは目をつぶり、ダガーナイフで顔を守る体制をとる。
機械仕掛けの鳥が口を開けて目の前に迫ってきた時。背中から声が飛んできた。
「《ドロップメルト》」
セレナの顔をした少年は舌打ちし、苦々しく吐き捨てた。
「チッ、大ハズレじゃんか」
ニーナの呼びかけに応えて現れたクルスが、グルグルと安心したように喉を鳴らした。ニーナは眉尻を下げ、少し泣きそうな顔で後ろを振り向く。
「セ、セレナァ〜〜!」
「はい、セレナです。ニーナ!」
シャン、とリボンの巻かれたステッキを地面に刺し、本物のセレナが花のような笑みを浮かべた。
「遅くなりました。他のみなさんは、イリア様だけお一人で、あとはご一緒みたいです。私も少し離れた場所で一人でしたが、ニーナの魔力を感じたので辿ってきました」
そう言うセレナの肩には、淡い紫色に発光する蝶が止まっていた。フン、と鼻を鳴らすような声が聞こえたので前方に視線を戻すと、セレナの姿をしていた人物は片眼鏡をかけた少年に変わっていた。いや、元の姿に戻ったと言ったほうが正しいのだろう。
「やっかいなのはイリアって奴とお前だけだと思ったからね。そいつらを引き離せばあとは楽だと思ったんだよ。流石に全員をバラバラにするほど魔力を消耗するのはもったいないし」
「お久しぶりです、トーマ。ほんの少し見ないうちに魔法の腕を上げたんですね」
トーマと呼ばれた少年はセレナの言葉には返さず、せっかく一番ザコに当たったと思ったのに、とふてくされたような態度で言いすてた。
ニーナは喉が詰まるような感覚をぐっと飲みこむ。少年の言う通り、この場にいる仲間の中で一番弱いのはおそらくニーナだ。だからセレナは心配して、まっ先に駆けつけてくれたのだろう。
ニーナにとっては、正直とてもありがたかった。セレナへの攻撃を防ぎながら、彼女が確実に敵を追いつめられるようサポートしよう、とニーナは考えた。
トーマは本物のセレナを見た瞬間、「大ハズレ」だと言った。あの態度が嘘でないとすれば、セレナはリベリオンの中でも強い人物に位置するのではないだろうか。現にセレナはトーマの攻撃を、いとも容易く無効化している。彼女はシャボン玉でも割るみたいに、軽い動作で敵を封じることができるのだ。
自分がここですべきは、全力でセレナを守ること。よし、とニーナが気合を入れたところで、トーマの口角が上がった。
「……そう上手くいくと思わないでよ」
彼がステッキを構えると同時に、クルスが自分たちの周りにドーム状の防壁、《シュタイン・プロテクター》を発動させた。
この技は決められた範囲を球状に囲み、囲んだ境目の内外どちらかを護るクルスの得意技だ。被害が大きくならないようにしたい時は範囲内から攻撃が出ていかないように、攻撃を防ぎたい時は範囲内に攻撃が入ってこないようにすることができる。基本的には後者として使うことが多い。
トーマが何をしてくるつもりだったのかは知らないが、今回は防壁を張り終えるほうが先だった。この半透明の壁は外からの攻撃を遮断することができる上に、内から外への攻撃は貫通する。大抵の攻撃ならどんなに強くとも一回は防げる自信があるので、その間にセレナに攻撃してもらえばいい。
セレナが呪文を唱えようと、口を薄く開いた。トーマの魔力がどれほどのものか知らないが、この二人ならおそらくセレナのほうが強いはず。先手必勝、セレナの邪魔はさせない。
しかし次の瞬間、セレナの顔は驚きに満ちた。
「いやぁぁぁぁぁぁあああ!!」
セレナの口から発せられたのは呪文ではなく、甲高い悲鳴だった。突然何が起きたのか理解できないニーナは、トーマとセレナを交互に見る。
セレナは初めて出会った時のようにパニックを起こしており、目と耳を強く塞いだ。手から離れたことにより地面に落ちた彼女のステッキは、虚しくチョーカーの形に戻る。セレナはがくがくと震える手足の制御ができないようで、その場にへたり込みうずくまってしまった。
ニーナが必死に呼びかけても、彼女の耳には届いていないようだ。意識を手放さないので精一杯の様子だった。
その姿を見たトーマが、ニタリと笑みを広げる。
「そっちに貴女がいるとわかってて、対策しないわけないでしょ」
はっきりとは分からないが、セレナはおそらくトーマの魔法によって幻覚を見せられているのだとニーナは推測した。彼女の様子から、おそらく雷の幻覚というところか。
相手は元味方、セレナが強いことは百も承知だし、逆に弱点も分かっている。ニーナは苦しむ仲間の姿を見て唇を強く噛んだ。トーマの笑い声が木々を揺らす。
「やった! 幻覚魔法を磨いていた甲斐があったなぁ! さぁこれで厄介な魔女は封じた、やっぱり相手はザコの貴女だけだ!!」
トーマはニーナを指さし、興奮で頬を上気させた。セレナに自分の魔法が効いたことが、よほど嬉しかった様子だ。
ニーナはふるふると首を振り、冷静になるよう努めた。落ち着け、相手のペースに飲まれてはいけない。
セレナの動きを止めるために、トーマは彼女に幻覚を見せ続けなければならないはずだ。相手の集中を乱し、セレナにかかった魔法を解く。まずはそれからだ。
「行くよ、クルス」
穏やかな声で呟き相棒の顎周りを撫でると、キュゥンと声が返ってきた。愛らしい赤い瞳と目が合い、ニーナは笑顔を返す。そして、ビッとトーマに指をさし返した。
「さっきから黙って聞いてればザコザコって、いくら子どもでも聞き捨てならないよ! 【ドラゴン使い】怒らせたら怖いんだから!」
クルスも鼻から勢いよく息を吐く。自分が馬鹿にされるということは、クルスも馬鹿にされるのと同じだ。舐められるのは構わないが、絶対に見返してやる。
気迫のこもったニーナを、トーマは冷めた目で見据えた。かと思うと、ふいっと違う方向を向いてしまった。
「だってさ。そーなの? レイジ」
トーマは遠くに問いかけるような声量でそうつぶやいた。トーマの他にも誰かいたのだろうか、全く気が付かなかった。
数秒の間を置き、やっと返ってきた声は頭上から降ってきた。
「……知らねー。俺に聞くな。胸くそわりぃ」
ニーナが慌てて上を見上げると、そこには青年がいた。目に入った光景に、ニーナは一瞬呼吸を忘れる。その青年は空を浮遊していたのだ。
大きな翼を持った、黒いドラゴンに乗って。
「え……ドラ……ゴン…………?」
レイジと呼ばれた青年は、ドラゴンの背に仰向けで寝転がるような体制をとっていた。彼は全身を大きめの布で覆っていた。さらに手足の指先、首、顔までもに包帯のような薄い布をぐるぐるに巻き付けていて、一切の皮膚を露出していなかった。まるで、自分の姿を他人に晒したくないかのような姿だ。
レイジがドラゴンの背中を強めに蹴り飛ばすと、ドラゴンはするすると降下してきた。ドラゴンの足が地面に着き、レイジは軽い動作で背から降りる。そして、再びドラゴンを足蹴にした。
「邪魔だノロマ、俺が降りたらすぐ消えろ。目障りだ」
ドラゴンは声も上げず、言われた通りにすごすごと後ろに下がった。それを見ていたクルスが首をかしげる。ニーナは、目の前で起こっている光景を脳で処理することができなかった。
この青年は、ドラゴンを従えている。しかし、ドラゴンをこんなふうに扱う人間を、ニーナは今まで見たことがなかった。ニーナにとって、【ドラゴン使い】の一族にとって、ドラゴンは家族だ。
争いを好まないドラゴン使いは、ドラゴンと共存する道を選んだ。その選択は、争うことより続けるのが難しいと思う。壊すことより護ることのほうが、何倍も難しいのだ。目に見えない絆や信頼なら、なおさら。
だからドラゴン使いは、先祖が繋いでくれたドラゴンとの絆を決して綻ばせないよう、いつだってドラゴンに対して深い愛と敬意をその身で表し続けてきた。あくまでも対等に。感謝の心を忘れずにいられるように。
ニーナが小さいうちから刷り込まれてきたその常識が、今、目の前で簡単に覆されてしまった。長い年月をかけて一滴ずつ貯めてきたバケツの水が、横から出てきた手によっていとも簡単に、無情に、容赦なくひっくり返される。
固まるニーナに、レイジは生ゴミでも見るかのように不快に顔を歪ませた。
「……久しぶりに見たなァ、もう絶滅したかと思ったのによ。ドラゴンを神かなんかだと勘違いしてる、くっだらねぇ一族なんざ」
ニーナの指先にピリ、と焼け付くような感覚が走る。
目の前のこの男はもしかして、【ドラゴン使い】を下らないと罵ったのではないか。
自分の手のひらに爪が食い込む痛みで、ニーナは自分が拳を強く握りしめていたのに気付く。全身が、怒りによって小刻みに震えていた。
熱くなる息を静かに吐き出した喉から、低い声が滑り落ちる。
「アタシ達を何度か襲ってきたドラゴンは……あなたの仕業だったの?」
レイジは、なんでもないことのように答えた。
「そーだな」
ニーナは次に発する言葉が出てこなかった。コイツだったのか。ドラゴンを、まるで道具のように操って人を襲っていたのは。公園で襲ってきたドラゴンの、必死の形相が脳裏に蘇る。
奥歯を強く噛みしめ、ニーナはレイジを睨みつける。服と繋がったフードを被ったレイジの顔は、影になっていて見えない。
「……ドラゴンをなんだと思ってるの」
ニーナのその問いに、レイジはぴくりと反応した。彼はゆっくりと顔を上げる。フードの隙間からレイジの瞳が見えたとき、ニーナは再び呼吸を忘れた。
彼の瞳は黄金だった。ニーナと同じ、爬虫類のような細い瞳孔をぎょろりとニーナに向ける。
「なんだと思ってる、だと? 別にどうとも思ってねーよ。使えれば使う、邪魔なら捨てる。それだけだ」
「っざけんな!!」
ニーナは腰に差していたダガーナイフを抜き、レイジとの距離を詰めた。しかし、刃は相手に届かない。レイジも同じく、ナイフを取り出し自身の体を守ったからだ。
近づくと相手との対格差が顕著になる。遠目でも大柄に見えたが、レイジとニーナの身長はおそらく三十センチほども違うのではないだろうか。力では簡単に押し負けてしまう。ニーナは瞬時に下がり、クルスに指示を出した。
クルスは周りの土を浮かせ、固め、巨大な土塊を作り上げた。それを勢いよくレイジに向かって投げるが、今度は後ろに控えていた黒いドラゴンが前に出て、翼で受け止めた。
「あぁ、まぁ自動で出てくる盾にはなるかもな」
軽く笑い飛ばすレイジを見て、ニーナの眉間にさらに力が入る。
「……あんたにだけは絶対負けない」
負けてはならない。
コイツが何者か、そんなことはどうでもいい。【ドラゴン使い】の誇りにかけて、この男を絶対に倒さなくてはならない。
熱くなる頭を、ゆっくりと呼吸で冷ます。怒りに身を任せてはいけない。だけど、この怒りを抑えてはならない。
ニーナは全身の神経を研ぎ澄ませ、風の声を聴いた。森はきっと味方してくれる。強く熱い決意を胸に抱き、ニーナは靴越しに土の感触を踏み確かめた。
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