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5-4

 中庭に向かっていた光一たちは、騒がしさを感じて足を止めた。靴音がよく響くほど静かな城内には似つかわしくない、荒々しい声が聞こえた。光一が耳をすませてみると、どうやら誰かが言い争いをしているように思えた。ケント、ニーナと顔を見合わせた光一は、行先を変更し様子を見に行くことにした。


 声の聞こえた方向を目指して、飾り気のないつまらなく長い廊下を進みつき当たりを右に曲がる。目に飛び込んできたのは青い髪、ミチルだった。喧噪の正体は彼だったようだ。「管理人室」と書かれたプレートの下がった扉の前で、光一たちより年上の男性にしては高い声を震わせている。

 普段の穏やかな彼を知る者であれば今の姿に驚くかもしれない。しかし光一たちは、彼がそうなる理由を知っていた。

「イリア様! 話は終わっていませんよ、出てきてください!」
「ミチル、大丈夫か?」

 扉を叩き割ってしまいそうな勢いのミチルに、光一がおそるおそる声をかけた。ミチルは横目でジロリと光一を睨みつける。

「大丈夫……? そんなわけないだろ、君らもイリア様を説得するの手伝ってよ」

 やはり予想通り、イリアが敵地に向かうと言ったことに関して納得が行っていないようだ。

 光一は隣で不思議そうな顔を浮かべているケントをちらりと見やった。状況で言えばこちらも似たようなものだ。こちらの自分勝手な王子様も、自分やミチルが何故心配しているのか理解できていないのだろう。

 光一はミチルに同情したが、ケントに言いくるめられてしまった手前かける言葉が出てこなかった。

 あの場にいなかったケントがニーナからあらかたの事情を聞くと「なんだ、そんなことか」と退屈そうに呟いた。

「敵の主将は管理人の旧友なんだろう? 自分でケリをつけたいんじゃないか」

 ミチルはあからさまに気分を害したようだった。中性的な顔の真ん中に、深いシワがくっきりと刻まれていく。

「許せるわけないだろう、そんな感情論。そこでイリア様の身にもしものことがあったら、誰がイリア様の代わりになる? いないんだよ、あの人の代わりなんて。副管理人の僕なら、いくらでも替えがきく。だから――……」
「無駄だと思うよぉ」

 割り込んできた緊張感のない声に、光一の肩がはねた。声の主は、光一とミチルの間にいつの間にか いた ・・ 。ミチルが話している間、ずっとミチルの顔を見ていたはずなのに、声と同時にそこにはトキヤが立っていたのだ。

 トキヤは整った笑顔をミチルに向けた。

「ミチルならわかってるでしょ。イリアが自分で決めたことなら、誰が何と言おうと曲がらないよ」

 その通りだと思ったのか、ミチルが悔しそうに唇を噛む。あんなにわめいていたミチルも、トキヤを相手にするとすっかり大人しくなった。ミチルが、いくらか冷静になった声で返す。

「もしも逆の立場だったら、トキヤ様は敵地に赴きますか」
「いや? 俺なら絶対行かない」
「だったら……」
「俺とイリアは全然違うから、参考にならないと思うよ」

 笑い飛ばすトキヤに、ミチルは口をつぐんだ。
 光一からしてみれば、トキヤもイリアも大差ないように見える。どちらもよくわからない、「未知」のかたまりだ。

 トキヤは自身の人差し指を唇に当て、上品に口の端を上げた。いちいち動作がキザっぽいが、彼がやると自然に見えてしまうから不思議だ。それは整った顔立ちのせいか、日本人離れした高身長のせいか、掴みどころのない雰囲気のせいか、そのどれもか。

「ミチルさ、イリアに信用されてないと思ってるでしょ」

 ミチルの視線が揺れた。言葉を返さないのは、肯定したということだろうか。トキヤは言葉を重ねる。

「自分がもっと強かったら、イリアは行かなくて済んだ。自分さえ強ければイリアは大人しくこの城に留まっていたはずだ。そう思ってるんじゃない?」
「それは……」

 ミチルは再び口をつぐんでしまった。図星をつかれ、返す言葉がないのだろう。

 自分たちの前ではいいお兄さんのようなミチルだが、トキヤを前にするととても小さく見える。そんなミチルを見て、光一は何故だか少しむずがゆいような居心地の悪さを感じていた。

「世の中にはねぇ、人ひとりの力じゃどうにもならない、大きな『流れ』ってものがあるんだよ。ミチルが弱かろうが強かろうが『今』の状況は変わらなかっただろうし、イリアの選択も変わらなかっただろう。俺はそう思うね」

 続くトキヤのその言葉で、光一は居心地の悪さの正体を掴んだ。

 光一はミチルの気持ちを、自分と重ねていた。だからミチルに対するトキヤの言葉が、自分にも向けられている気がしたのだ。

 自分さえ強ければ。終業式のあの日、ドラゴンに襲われたあの時からずっと考えていた。

 強かったら、どうなっていただろう。自分が立っている『今』は、どう変わっていただろう。

 自分に力があれば、賢斗は大怪我をせずに済んだ。さらわれずに済んだ。そう思っていたのは間違いで、それらの出来事も全て大きな『流れ』の中に組み込まれていて、避けられないものだったのだろうか。

 光一には、やはりそうは思えなかった。トキヤの考えは、光一には大人すぎる。

「ちなみに、イリアがミチルを信用してないって部分については、俺は逆だと思ってるよ。イリアがあんなに他人を頼ってるの、初めて見たけど。……ま、あとは本人に聞いてみたら」

 トキヤはそう言うと背を向け、片手を軽く振った。言いたいことは言ったのであとはよろしく、という背中だった。

 トキヤと入れ替わるように、今まで無言を貫いていた管理人室の扉が開いた。予期せぬタイミングで勢いよく開いたものだから、目の前にいたミチルは思い切り扉と衝突した。

 ミチルの「あいたっ」という情けない声のあとに、渋い顔を貼り付けたイリアが扉の奥から顔を出した。

「なんだ、静かになったから出てみたら……まだいたのか」
「そ、そんな言い方ないじゃないですか! 僕は本気でイリア様のこと心配してるんですよ!」

 腰を強く打ったらしく、ミチルは涙目でさすりながら抗議した。

 ミチルより少し背の高いイリアはその姿を見下ろすと、「そうか……」とどこか納得したような表情を見せた。

「よし。ミチル、わかった」

 ぱっ、とミチルの眉が上がる。意外にもすんなりミチルの意見を受け入れるのか、とその場の全員が驚いたとき。

 イリアが突然、長い銀髪をかき上げた。ささっと手ぐしで整えると、白衣のポケットから細いひもを取り出す。右手で髪をまとめ上げたまま、口と左手を器用に使ってひもを輪にし、髪を結った。

 後頭部ですっきりとまとまった髪を数回左右に振ると、イリアは白衣を脱いだ。

 普段はサイズの大きい白衣で隠れていたが、その下は飾り気のないネイビーのチューブトップに黒のタイトスカートという至ってシンプルな服装だった。シンプルゆえにイリアの大胆な体型が強調され、光一は反射的に吸い寄せられてしまった視線をとっさにそらした。

 イリアは体から剥がした白衣を雑に投げ捨てると、ミチルに手招きをした。

「来い、ミチル。私を倒せたら大人しく引き下がろう」



 二人の戦いは、数瞬で終わった。戦いと呼べるものではなかった。

 イリアは「ハンデだ」と言い、ミチルに魔具を発動させるよう命じた。覚悟を決めたミチルが両手につけていた指輪を剣に変え、息を吐くとイリアに向かった。

 光一が瞬きをした間に、結果は出ていた。

 ミチルが、まるで爆風でも受けたかのように宙に浮き、数メートルもの距離を勢いよく飛んで行った。イリアはその場から一歩も動いていない。左拳のみを、軽く前に突き出していた。その顔に映っていたのは、驚き。

「……なんだ、お前そんなに弱かったか? 手加減どころの話じゃないな」

 イリアはそう言うと、ひらひらと左手を振るった。

 何が起きたのか、目では追えなかった。しかしおそらく、イリアが左手を出した衝撃で、ミチルはイリアに触れることなく吹き飛んだのだろう。

 光一は初めてドラゴンと対峙した時に、ミチルの戦闘を見ている。決して弱くはなかった。剣を使えるようになった今の光一だって、まともにやり合えばミチルには勝てないだろう。

 そんなことも忘れてしまうほど、その差は圧倒的だった。

 強く背中を打った衝撃からか、ミチルは激しくむせ込んでいた。イリアはその姿を、何も言わずに見据えている。

 誰も、言葉を発することができないでいた。波の立っていない海を見つめているのに似た気分で、二人がこのあとどうするのかをじっと見守っていた。

 やがてぽそりと小さい声を、耳が拾った。背中を払いながら立ち上がったミチルの声だ。

「僕の、負けです」

 うつむいた彼の顔は、目の覚めるような鮮やかな青い髪に沈んでいてその表情は見えない。イリアは砂ぼこりを落とすような仕草で両手を軽く払った。

「うん。誰がどう見てもそうだな」

 異論を唱える者はいない。フォローのしようがない程に、ミチルとイリアの力量はどうしようもないくらいに違っていた。

 また、ぽつりと、ミチルが零す。

「…………申し訳ありません」

 イリアは眉を少し動かしただけだった。

「頼りない部下で、申し訳ありません。僕にもっと力があれば、イリア様に信用されるだけの実力があれば、こんな……」

 大きなため息が、その先に続くはずだったミチルの言葉を遮った。イリアの口から出たものだ。

 ミチルはびくりと肩を跳ねさせ、口をつぐんでしまった。

「お前、随分な勘違いをしているな」

 相変わらず、うつむいたミチルの顔は見えない。

「私はお前のことを、誰よりも信頼しているぞ」

 ミチルが顔を上げた。驚きの色が表情に濃く出ている。

「信頼していない奴に留守を任せるわけないだろう。私にとっての信頼は、強さのことじゃない」

 カツ、カツ、とピンヒールが床を叩く。イリアがゆっくりとミチルに歩み寄った。

「私が『信頼する副官』は、この世界にお前だけだよ、ミチル。私はただ、過去を清算したいだけなんだ。心配をかけているのは分かっている。約束しよう、必ず帰るよ。許してくれるな?」

 ついに、ミチルの瞳からぽろぽろと雫がこぼれ落ちた。それが安堵だったのか悔しさだったのか、それともまた別の何かだったのか。ふたりとの付き合いが浅く幼い光一には計り知れなかった。ただミチルが、まるでだだをこねたあと親に説得された子どものように、こくりと首を下ろしたのが見えた。


 結局中庭に行く時間は無くなり、光一たちはイリアと共に大広間に戻った。

 既に支度を済ませたヒカル、マロン、セレナの三人が席について待っていた。マロンとセレナが何やら談笑していたようだが、こちらに気付くと二人とも話を辞めて光一たちに顔を向けた。

「あ、そろそろ行きましょうか〜」

 敵地に向かうとは思えないくつろいだ雰囲気はなんなのだろうか。光一はへにゃりと緊張感のないセレナの笑顔に苦笑し、肩の力を少し抜いた。

「せいぜいおししょーさまの足手まといにならないようにするんだな」
「マロン……そういうこと言わなくていいから」

 マロンは相変わらず悪態をついて可愛げのない言葉を吐いている。彼はヒカルに対して絶対的な信頼を寄せているようだが、実際のところ光一たちはまだヒカルの能力を直接見たことがない。光一としては【光属性の魔力】を使えることの何がすごいのか、具体的には分からなかった。

 出発前に見ておきたい気持ちはあったが、そんな猶予はない。光一としては、準備が整ったのなら一刻も早く向かいたかった。


 ニーナがヒカル達に向かって、ケント共に行くことになった旨を伝える。ヒカルもマロンもセレナもあっさり承諾した。というより、三人ともそこに関しては興味がないようだった。好きにすれば、という態度だ。

 皆が支持を求めるようにイリアを見ると、イリアは「よし」と強気な笑みを浮かべた。

「五、六……総勢七人か。予定より大所帯だがまぁいいだろう」

 腰に手を当て人数を数えたイリアのうしろで、ミチルが不安げな表情を浮かべている。

「イリア様……くれぐれも無茶はしないで下さいね」
「多少無茶しても私は死なないから安心しろ。ここを頼んだぞ、ミチル」
「命に代えても、城をお護りします」
「お前は本当に……大袈裟だな」

 深々と腰を折るミチルを見て、イリアは苦笑をこぼした。大袈裟かもしれないが、おそらく本人は本気で言っているのだろう。最初に会った時の真剣な眼差しを、光一は知っていた。イリアの実力を見せつけられたあとでは「オレが守る」とはさすがに言えないが、気を引き締めていこうと拳を握った。

 そうして光一たちが城を出たのは、昼を少し過ぎたころだった。


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