5-3
朝食を終えた光一は再び庭へ出ようと廊下を歩いていた。
元々この身ひとつでこの世界に来たため、持ち物の準備などは必要ない。じっとしているとそわそわして落ち着かないので、出発まで剣を振っていようと思ったのだ。他にやることがないというのも本音ではあったが。
この三日間、光一は無心で剣を振ってきた。光一の生活が
賢斗を連れ去った人物、ショウタは紛れもなく強い。
光一が自信を持てる自らの能力のひとつに、「動体視力」がある。スポーツでもゲームでも、動いているものを目でとらえることが出来なかったことはなかった。
しかし、あの時は違った。振られた剣の先が見えない。相手がどう動いたのか分からない。自分の体が動かない。何もかもについていけなかった。文字通り、手も足も出なかったのだ。そんなことはこれまでの人生で初めてだった。
自分は成長している。それは光一も自覚していた。光一はあの日よりも間違いなく強くなっていた。その時その時で、自分に出来うる最善を尽くしてきたはずだ。
しかし、いざ戦いの場に向かうとなるとどうしようもない不安が光一を襲う。自分はこれ以上ないほどやってきた。出来る限りのことはした。だからこそ、それでも勝てなかったとき、どうしたらいいのかわからないのだ。
これから行くのはスポーツの試合ではない。生死をかけた戦いだ。
この場から逃げ出して、元の世界に帰りたいとは思わなかった。賢斗のいない日常なら、帰ったとは言えないと思ったから。助けられるかもしれない選択肢を投げ捨ててまで自分の安全を選べるほど、光一は自分を一番に考えられなかった。
それでも、恐怖が常に後ろから背中を眺めている。光一は「友達を助けたい」という強い想いと「生きたい」という動物的本能の板挟みで、自分が想像していた以上に精神が疲弊していた。
いくら不安を振り払い、「やってみなければわからない」とありきたりな言葉で一時的に奮ってみても、ふと気が抜けた時に漠然と広い不安の海の中をさまよっていた。
「光一!」
はっと思考が途切れ、光一は声が聞こえた方を振り返る。立っていたのはニーナだった。光一が軽く返事をすると、彼女はいつも通りの快活な笑顔を見せた。こういう時、彼女の気丈さには素直に感心する。
「ごめんね、邪魔だった?」
「いや、暇人やで」
彼女はあはは、と声を上げた。
「よかった。……光一にお願いがあって」
光一は首を傾げた。自分に声をかけたのが偶然ではないことを知ると、今度は体ごとニーナに向き直った。
「あのさ、光一ってケントのリバーシと親友だったんだよね?」
「せやな」
「どんなだった?」
光一の脳裏で、しばらく会話をしていない、もはや懐かしいとも思える顔がへらりと笑う。彼はふわふわとつかみどころのない性格なので、どんな、と聞かれると少し説明に困る。
「変なヤツやけどええヤツやで。あんなに口は悪くないけどな」
ニーナが再び、カラカラと明るい声を上げる。
「そっかあ。……あ、でもね、ケントもああ見えて優しいところはあるんだよ。強がってるけどね」
「おー、わかっとるよ」
たしかにケントは口が悪いし偉そうだし、自分勝手な時もある。現実の賢斗よりも子どもっぽいイメージだ。
けれど彼の意見はいつも間違っていなかったし、常に安全性、確実性の高い選択肢を選んで行動していたように思う。なんだかんだでニーナのことを心配しての行動も多かった。根本的に悪い人間ではないことは、光一も十分わかっていた。あの賢斗のリバーシなのだ。初めの印象こそ悪かったが、悪人なはずがない。
「あのね、光一」
ニーナはそう言ったあと、なかなか次の言葉に繋げないでいた。自身の耳にぶら下がった球体のピアスを右手でもてあそんでいる。そんな様子は、いつもおしゃべりな彼女にしては珍しい。
やがて彼女は俯いていた顔を上げた。
「ケントのこと……ケントのリバーシのこと、助けてね」
光一は眉を上げた。ニーナの「お願い」とはこのことだったのだろうか。
そうだとしたら、答えはひとつだ。光一はにっと口角を上げた。
「当たり前やろ! そのためにこんなワケ分からん世界来とるんやからな!」
自分はもしかしたら、誰かにこう言われるのを待っていたのかもしれない。光一は言ってからそう思った。
ニーナも肩の力が抜けたようだ。彼女の瞳にいつもの力強さが戻った。
「うん、そうだよね……! お願いね、光一!」
「任しとき!」
二人の周りに流れる空気が少し柔らかくなる。気休めでもいい。未来の自分にうじうじしているよりはよっぽどマシだった。
「廊下のど真ん中で何をしているんだ?」
光一もニーナも会話に気をとられ、人が近づいていることに気付けなかった。
背中越しに聞こえた声に光一が振り向くと、ちょうど話題になっていた人物――ケントがそこに立っていた。
いつからいたのか、もし今の会話をケントに聞かれていたとしたら恥ずかしいと思った光一だが、怪しむような目つきで二人を見る彼の様子からしておそらく今来たばかりなのだろうと心を落ち着ける。
「ケント! 今までどこにいたの?」
ニーナの表情には心配の色がうかがえる。光一もここのところケントの姿を見ていなかったので、彼の様子は心配だった。
二人の心境を知ってか知らずか、当の本人は軽く鼻で笑った。
「ふん、食事時までやかましい奴らと一緒に過ごせるか。俺様は元来、一人でいる方が好きなんだよ」
ふんぞり返ったケントの様子に光一は安堵したが、表情には出さない。感情をごまかすように大きくため息をついた。
「で、その『一人が好きな』王子が何の用やねん」
「何って、もうすぐ出発するんだろう?」
「まぁまだ時間はあるけどな……見送りにでも来てくれたんか?」
「見送り?」とケントが訝し気な目を向けた。その反応に、光一も眉をひそめる。そうでないならなんだというのか。
ケントの切れ長な目が細められ、呆れたような表情に変わった。
「何を言っている。俺様も行くぞ」
「なんや、そういうことか……ってはァ!?」
隣にいたニーナも目を見開いている。光一はようやく、先ほどのミチルの気持ちを少し理解した。
イリアといいケントといい、こちらがどんな気持ちでこの場にいると思っているのだろうか。心配しているこっちの身にもなって欲しい。
光一は勢いよくケントの頭を引っぱたきたい衝動をギリギリで抑えた。
「おまっ……アホか! 何しに行くと思ってんねん!」
「俺のリバーシを救いに行くんだろう?」
「いや、えっ!? せやからお前は危険の少ないココで待っとるんやろ!?」
衝撃が大きすぎて気の利いたツッコミも思いつかない。
「お前、鳥頭か? 俺のリバーシはこの城にいてさらわれたんだ。ここが安全だという保証はどこにある?」
たしかに、一理ある。光一はすぐに返す言葉がなくなった。光一が、ケントに口で勝てるわけがなかった。
しかしやはり納得はできない。自分たちがこれから向かうのは敵の本拠地だ。ここで待ってるよりは明らかに、遥かにリスクが高い。そこでケントが敵にやられてしまっては、元も子もないのだ。
ケントは追い打ちのように淡々と続けた。
「いいか、そもそも敵の狙いは『リバーシと本体の融合』だ。俺の本体をさらったということは、俺と本体を融合させようと思っているはず。つまり奴らにとって俺は、絶対に殺してはいけない貴重な存在のはずだ。違うか?」
ケントの言い分はいちいち正しい。むしろケントが前線で参加することによって、敵側がやりづらくなるとさえ思う。
「せやけど……」
「俺は安全な場所で一人守られているのは好きじゃない。あの性格の悪そうなレイピア使いに一発入れるまでは、本体が無事に返ってきた後も俺の気は済まないだろう」
「人のこと言える性格か?」
ケントはニヤリと笑みを浮かべた。その瞬間、光一は「まずい」と警戒する。
この顔は、
「いいか光一、これはゲームだ。俺様が王将の、戦争ゲームだ。お前なら俺を守りつつ、敵の大将を討ち取れる。そうだよな?」
――その言い方はずるい。
光一はあっさり自分の負けを認めた。
新しいゲームを始めた時。敵に勝つための作戦を考えている時。そういう時の『賢斗』の顔だ。似てないとばかり思っていたが、目の前にいるケントは今まで見たどの彼よりも間違いなく賢斗だった。
その顔が懐かしくて、光一は零れそうになる笑みを必死にかみ殺した。痒くもない後頭部をがしがしと力強く掻きちらす。
「あーしゃーないなァ! お前時々オレより強引やからな」
折れた光一を見て、ケントはさらに高慢な笑みを濃くした。
そこで、そばで見ていながら蚊帳の外だったニーナがやっと口を挟む。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「なんだ、止めても無駄だぞ」
ケントの言葉に、ニーナはむっと頬を膨らませる。
「そーじゃなくて! それならもちろん、アタシもついて行くからね!」
言っても聞かないであろうことはニーナもわかっていたのだろう。彼女の口から出たのは抑止の言葉ではなく提案だった。
ケントは考えるそぶりも見せず真顔で答える。
「当然だ。お前は俺の護衛役だからな。せいぜい二人で俺様を守り抜くがいい」
図々しいことこの上ない。自分の立場がわかっているのかと言いかけた光一だが、不思議と腹は立たなかった。
三人は誰からともなく笑みをこぼした。光一の胸からはもう、ついさっきまでわだかまっていたモヤモヤしたものは綺麗に消え去っていた。
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