5-2
光一は言葉を返すことができなかった。ケントの言うことはもっともだと思ったからだ。
「そんなわけで、俺様は光の剣士が嫌いだ。その本体だというからお前もあんな卑屈な奴だと思っていたんだが、そうではないようで少し安心した。文句があるとすれば馬鹿なところくらいだな」
「バカ言うなや。今日はずいぶん喋るな」
「なんとなく、お前の
最後の方は独り言じみていてよく聞こえなかった。ケントは高らかに鼻で笑う。
「はっ、お前に聞いたところでなんの参考にもならんな。やめた。俺様としたことが、無駄な時間を過ごしてしまった」
「お前は嫌味を挟まんと会話できんのかホンマに」
光一の呆れたツッコミは、再び鼻で笑われかわされた。
ケントの雰囲気が少しいつもと違う気がしたが、また
自分のリバーシである彼、コウイチが「ヒカル」と名乗る理由。それは母の死と何か関係があるのだろうか。母のリバーシもこの世界に存在していて、自分のリバーシは彼女と暮らしていたのだろうか。
そしてもしそうだったなら、母のリバーシも現実と同じように……自分のリバーシの目の前で、死んでしまったのだろうか。
***
浴室を出て、髪から滴る雫をふかふかのタオルで拭く。ここ数日間で嗅ぎ慣れてきた、柔軟剤のような香りがわずかに鼻を刺激した。綺麗にたたみ揃えられている着替えに腕を通すと、光一はふぅと一息ついた。
誰が用意してくれているのか分からないが、シャワー室には常に清潔な着替えが置かれている。脱いだ服をかごに入れておけば、次の日には洗い終えた状態でシャワー室のかごに戻されている。快適すぎて気味が悪いくらいだが、この生活も今日で五日目になる。いつのまにか光一も、それが当たり前になっていた。
光一がすっかり慣れた足取りで大広間へ向かうと、反対方向からも人が来るのが見えた。その人物はここ数日あまり見ていない顔だった。
「おぉ光一。調子はどうだ?」
腰まで伸びた、眩しいほどツヤのある銀髪の女性。女性にしては少し低めな声の主は、この城の当主でありこの世界の管理人という権力者、イリアだった。
彼女はここのところ食事時にも顔を見せなかったので、同じ城内で過ごしているにもかかわらず会話をしたのは二日ぶりだった。
「おー、オレはええ感じやで!」
「そうか。そろそろだな」
イリアは含みのある笑みを浮かべた。イリアはよく意味ありげな言動をするが、光一には彼女が何を考えているのかさっぱりわからない。
しかし、今回の言葉の意味はさすがの光一にも理解できた。
おそらく、カナタの元へ行く日が近いということだろう。
大広間の扉を開ける。部屋の中央に置かれた、二十人が座ってもまだ余るであろう大きなテーブルに皆が座って食事をしていた。その中の一人が、イリアの顔を見るなりこちらに近付いてくる。
「イリア様! おはようございます」
「うん、おはようミチル。朝食をくれないか」
「はい、すぐにお持ちします!」
久しぶりに主人が部屋から出てきたからなのか、ミチルの声はこころなしか弾んでいたように思う。
光一も席に着くと、隣ではニーナとセレナがスープを飲みながら談笑していた。向かいの席ではヒカルとマロンがパンをかじっている。その隣ではトキヤとカレンが上品に食事を進めていた。イリアがそれをひと通り見回すと、気が付いたように口を開いた。
「ケントはいないのか」
ニーナが顔を向ける。
「あ、ケントならいつもみんなより早めに起きて朝食を済ませちゃうんです。部屋にいると思います、呼んできましょうか?」
「そうか。いや、むしろ丁度いいな」
不思議そうに首をひねるニーナに構わず、イリアはテーブルにドン、と手の平を置く。大きな音でその場の視線を集めると、イリアは銀色のまつ毛で縁どられた目を細めた。
「各自で準備を進めてきたと思うが、本日これから、敵の拠点を攻め込もうかと思う」
その場の空気がピリ、と引き締まる。異論を唱える者はもちろんいない。むしろ、光一はやっとか、と安堵さえした。賢斗が連れていかれたあの夜から、賢斗がいつまで無事だろうかと気が気じゃなかったのだ。
リバーシであるケントが普段通りに生活していることから今は身の安全が確認できるが(本体である賢斗の身にもしもの何かが起これば、ケントも無事ではないらしいからだ)、それもいつまで続くか誰にもわからない。相手の目的が不明瞭な現段階では、安全などとは決して言えない。だからこそ光一は一刻も早く助けに向かえるよう、トキヤの少々スパルタ気味な修業にも文句をもらすことなく向き合ってきたのだ。
「では作戦を伝える。まず相手の基本情報だが、敵はボスであるカナタを含め全部で六人。間違いないな、セレナ?」
「はい〜、私が抜けたあとに誰かが入っていない限り、【リベリオン】はそれで全員です」
彼女らしいのんびりとした口調でセレナが告げる。【リベリオン】というのが、カナタをボスとした敵軍の名称らしい。
セレナがここに残ることを決めた時、イリアは「今までの味方を裏切ることになるがいいのか」と尋ねた。彼女の答えは「どのみち戻れはしないので、それで構わない」というものだった。それ以降今日まで、敵の内部を深く知っているセレナは情報提供係としてイリアと話し合いを繰り返していた。
六人、という数を聞いて、意外と少ないんだなと光一は思う。
「その六人の能力、特徴についてもう一度聞かせてくれ」
イリアが言うと、セレナはこくりとうなずいた。
「はい。順に説明しますね。まずはみなさんの前に現れたカナタ様とショウタさんです」
長年の癖が抜けないそうで、セレナが敵のボスであるカナタに対して敬称をつけていた。彼女も直そうと努力はしたそうだが、特に誰も気にしなかったのでそのままの呼び方で話を進めることにしたようだ。いちいち呼び方ひとつで揚げ足をとる時間さえもったいない。
「ショウタさんは以前見た通り、レイピア型の魔具を使用します。得意なのは水属性の魔力で、毒を付加した水を霧状に散布させたりしていたような気がしますね」
「あのクマ野郎やな……」
光一はあの夜を思い返す。目の下のクマが印象的な、陰湿そうな男。毒を使うとは、見た目通り戦い方も陰湿だ。印象は最悪だが、おそらく実力はかなりのものだろう。あの日は何もできず、相手の動きを目視することさえかなわなかった。修業を終えた今ならば、どの程度通用するのだろう。
「ボスであるカナタ様は主に闇属性の魔力を使用します。そしてカナタ様は、自分の魔力を他人に分け与えることができます」
「つまり、他の【リベリオン】もカナタに与えられた闇の魔力を使うことができる、ということだな」
「そういうことですね」
「えっ、そんなのめちゃくちゃだよ!」
セレナとイリアの話に横やりを入れたのはニーナだった。彼女は目を見開き、信じられないという表情を浮かべている。しかし光一はいつものごとく、話の内容がいまいち掴めないでいた。
「そんなすごいことなん?」
「すごいっていうか……ありえないよ。魔力っていうのは自分に合った属性の力を自然から直接借りることなの。だから人が人に魔力を与えるなんてことはできないハズなんだけど……」
「まぁそもそも闇属性の魔力を扱う時点で禁忌を犯しているからな。世の理から多少外れるようなことができても、おかしくはない」
ニーナの説明に、イリアがそう付け加えた。とにかくカナタのやっていることは、システム上のルール違反であるということは光一も理解した。なじみのない世界観の説明を受けた時はゲームのシステムの話だと思えばいい、というのが、光一が最近気づいたことだ。
セレナが説明を続けた。
「えーと、あとはレイジさんですね。レイジさんはドラゴンさんを操ることができます。グラスで光一さんとニーナを襲ったり、森でケントさんを追いかけていたのもレイジさんのドラゴンさんでした」
やたらとドラゴンに絡まれていたのはそのためか、と光一は納得する。そういえばニーナもケントも、闇属性のドラゴンが出てくるのはおかしいと言っていた。やはりそのレイジという奴が、意図的に自分たちを狙っていたのだ。
「じゃああっちにも【ドラゴン使い】がいるってことか?」
光一の問いに、セレナより早く声を上げた人物がいた。
「そんなの【ドラゴン使い】じゃない!」
そう叫んだのは、またしてもニーナだった。だが彼女の様子は先ほどのような穏やかな雰囲気ではない。
ニーナははっとして、声を荒げてしまったことを反省するように「ごめん」と小さくつぶやいた。
ニーナが【ドラゴン使い】という一族に誇りを持っていることは、数日間を共に過ごしたこの場の誰もが知っている。その力を悪に使われるという事実は、彼女には耐えがたいものだろう。
ニーナは不快気に顔をゆがめたが、それ以上は何も言わなかった。
「……次に、私と同じく【魔女】であるメイとアンです。この二人は双子で、いつも一緒に行動しています。コンビネーションばっちりの魔法攻撃が得意ですね。魔力は高いですが、近接攻撃は苦手かもしれません」
自身も【魔女】であるためか、この二人の説明に関しては弱点も入っていた。しかし、もし【魔女】と呼ばれる全員がセレナほどの実力を持っていたとしたら、そのレベルが二人もいることになる。セレナが自覚しているということは、向こうだって苦手である近接攻撃に対しての対策はしていると考えた方がいいだろう。
「最後は奇術師のトーマさんです。彼も魔法が得意ですが、魔法そのもので攻撃、というよりも魔法で相手を惑わせるトリックのような使い方をしますね」
「これで全員です」と締めて、セレナの説明は終わった。イリアが軽く礼を伝え、今度は自ら口を開いた。
「向こうの数は六、こちらが攻め込むのは五人。数では多少不利かもしれんが、戦力差はそこまでないと予想する」
自分、ヒカル、マロン、セレナ――ケントはもちろんこの城に残るとして、おそらくニーナも護衛のため残るだろう。であればあとの一人はミチルあたりだろうか。
光一が指を折りながら数えていると、ミチルが口を挟んだ。
「五人って……誰が行くんですか?」
「ん? もちろん私だが」
当たり前のように言ってのけたイリアに、ミチルは変な声を上げた。
イリアが来るというのは光一にとっても予想外だったため、素直に驚く。世界の最高責任者が、軽々しく城から離れていいものなのだろうか。
「ニーナはミチルと共に、この城でケントの警護に当たってくれ。向こうもそれで戦力を分散してくれると助かるんだがな。まぁ戦力差の出たところには私が――」
「何を言ってるんですかイリア様!? 僕は聞いてないですよ!」
表情を変えずに説明を続けるイリアに、ミチルがついに声を震わせた。怒りからか、その顔はわずかに紅潮している。
「あぁ、めんどくさそうだから言ってなかった」
悪びれなく答えるイリアに、ミチルの怒りはヒートアップした。ミチルは普段穏やかだが、怒り出すと根に持つタイプだ。めんどくさいと言ったイリアに、光一は少し共感した。
「イリア様が行っては意味がないじゃないですか! 僕が行くのでイリア様は残って下さい!」
「落ち着けミチル、私は元々」
「認めません! 残って下さい!!」
頑ななミチルに、イリアはため息で返す。
「というわけで、各自準備ができ次第行くぞ。また後ほどこの広間で集合だ。解散」
半ばむりやり締めくくり出ていくイリアを、ミチルが回り込んで追いかけた。あれは説得が大変そうだと、光一は心の中でひそかに同情する。
扉が閉まり静寂が戻った広間に、ヒカルが席を立つ音が響く。
「マロン、オレらは荷物の確認してこようか」
元気に返事をしたマロンと共に、ヒカルが足早に広間を出ていった。
光一は自分のお腹がくぅ、と鳴ったのを聞いて、朝食をまだ食べていなかったことに気付いた。
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