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セレナと別れた光一は、修業を再開しようとトキヤを探した。一刻も早く強くなりたいという気持ちが、光一の中で大きくなった。仲間を守れるような力が欲しい。相手にこれ以上、大切な仲間を奪わせたりしない。
中庭を覗くと、カレンとトキヤを見つけた。光一は庭に一歩入ると、その場で大きく息を吸い込み、叫んだ。
「トキヤ……さん!」
その声で光一の存在に気付いたトキヤは、目を丸くして庭の入り口を見る。彼の口元に笑みが広がり、低い声で「何?」とだけ返ってきた。光一はぐっと拳を握ると、勢いをつけて頭を下げた。
「修業ッ! よろしくお願いします!!」
慣れない敬語で噛みそうになったが、一息に言い切った。下げた時と変わらない力強さでがばっと顔を上げると、トキヤがくつくつと声を押し殺して笑った。その顔は心底楽しそうだ。
トキヤの態度に腹が立たないといえば嘘になる。だが光一にはそれよりも強い想いがあった。あの膨大な魔力を必ずコントロールしてやると、誰にともなく誓った。
光一の修業は、ミチルの「ご飯出来たよ」という呑気な一言で途切れた。
厳しいメニューを覚悟していた光一だったが、修業の続きは意外にも地味なものだった。トキヤの用意した的に炎を当てるだとか、マッチの先端のみに火をつけるとか、そういった内容のものばかりだった。光一は細かい作業が苦手だったため苦労はしたが、体力的な疲れはあまり感じない。
「さっきのは君の限界を見たかっただけだからね。やるたび気絶されても困るし」
トキヤはそう言って軽く笑った。
夕食の席にも、イリアは姿を見せなかった。そのかわりトキヤとカレンが食卓に混ざったので、ニーナ、セレナ、ケント、ミチルと光一の計七人で食事をとることになった。
「そういや人間界の管理人て、鏡界で仕事してるん?」
光一はトキヤと目が合ったので、気になっていたことを聞いてみることにした。トキヤは「敬語はもう終わりなんだね」と笑いながら、手に持っていたスープを置いた。
「いや、普段はもちろん人間界にいるさ。ただあっちの空気は俺の体質に合わないみたいでね。こうやって時々仕事の疲れを癒しに……」
「疲れるほど仕事してない人がよく言いますわ」
会話を聞いていたカレンが鋭くツッコむ。トキヤはへらりと笑ってごまかした。
セレナもすっかりふっきれたのか、目の前の料理をもりもり食べている。顔を合わせればケントがまた文句を言うかと思ったが、その心配は余計だったようだ。ニーナが楽しそうにセレナと話しているからかもしれない。
和やかな空気が流れる中、広間の扉が開く音が響いた。
あちらこちらで交わされていた会話は自然に止まり、全員の視線が扉に向かう。そこにいたのは二人の少年だった。
一人は小学生だろうか。一三〇センチほどの背丈で、短い栗色の髪がツンツン立っている。背中には小さい剣を背負っているようだ。
その隣に立つのは黒髪の少年。こちらも剣を背負っている。旅人のようなマントが印象的だが、その中に学ランを着ているのが見えた。セレナが以前『学ランは正規剣士の証』だというようなことを言っていたのを思い出す。
そしてその少年の顔を見た途端、光一の息が止まった。
髪型や雰囲気は全く違うが、その顔は自分によく似ていたのだ。
黒髪の少年はその場で礼儀正しくお辞儀をした。
「こんばんは、夜遅くに申し訳ありません。管理人イリア様の命を受けて伺いました。光の剣士、緋山と申します」
光一はそれを聞くとガタッと立ち上がった。
「光の剣士……緋山って……お前がオレのリバーシか!?」
驚いた様子の光一を見て、光の剣士は穏やかに笑った。
黒髪の少年が言葉を返す前に、隣にいた小さな少年がずいっと前に出てきた。
「おい、お前が緋山光一か?」
このいかにも生意気そうなツンツン頭は一体何だろうか。光一は眉間にシワを寄せ少年を見下ろした。
「はァ? そうやけど、なんやお前」
そう答えると、少年はぷふっと吹き出した。
「うっそだろ? こんな弱そーなのがおししょーさまの本体!? そんなワケないじゃん変なのー!」
この世界に来て「弱そう」と言われたのは何度目だろうか。しかし年下に言われるのだけはどうしても我慢できない。頭に血が上った光一は左拳をコキコキと鳴らした。
「なんやとこのクソガキ……ナメとんのか?」
「戦うの? いいよ、絶対オレの方が強いもんね!」
言うと少年は一歩引き、魔具を発動させようと短いネックレスに力を込めた。しかし、すぐに後ろにいた黒髪の少年に止められた。
「マロン、ここは管理人の城内だよ。落ち着いて」
「あう……ごめんなさいおししょーさま」
黒髪の少年は、マロンと呼んだ少年の頭を軽くなでると光一に向かって笑いかけた。
「ごめんね。この子はマロン、オレの弟子なんだ。ちょっとお調子者だけど、剣の腕は確かだよ」
「オレはお前なんかがおししょーさまの本体だなんて認めないからな、このニセモノ!」
マロンが舌を出して光一に悪態を吐く。黒髪の少年が再びやんわり注意すると、マロンはさっと少年の後ろに隠れた。光一はふるふると拳を震わせたが、鼻から深く息を吐きなんとか怒りをかみ殺した。
黒髪の少年が再び口を開く。
「はじめまして、オレが君のリバーシだよ。よろしくね」
目の前の少年はそう言うと二コリと微笑んだ。その瞬間、光一の背筋にぞぞっと寒気が走る。
こいつが? オレのリバーシ?
光一は初めてケントに会った時以上の強烈な違和感を感じた。鏡界に存在するもう一人の自分【リバーシ】は、自分の理想を映し出す鏡なのではなかったか。その原理はよくわかっていないが、少なくとも目の前の少年が自分の理想の姿だとは思わない。身長だって今の自分と同じくらいだし、髪の毛は真っ黒なストレート、ニコニコと笑ってばかりで弱そうだ。なにより自分と同じ顔に笑顔を向けられても、気持ち悪い以外の感情が浮かんでこない。
光一は言いしれない気味悪さを覚え、一歩後ずさった。
「あ、あー……おう、よろしく……?」
どう接したらいいのか分からず、とりあえずの曖昧な挨拶を交わす。自分のリバーシに会ったら聞きたいこともたくさんあったはずなのだが、いざ対面してみると何も浮かんでこない。軽くパニック状態だ。
「えーと、オレが光一や。あ、お前もコウイチか? ややこいな……」
しどろもどろにそう言う光一に、リバーシの少年は一瞬鋭い目を向けた。しかしすぐに柔和な表情に戻り、少年はこう告げた。
「それなんだけど……オレ、光一って名前嫌いなんだ」
ピタリと、その場の時が止まったかのような静寂が訪れた。
彼は今、なんと言った?
「は? なんて……」
「だから、『ヒヤマ コウイチ』って名前、嫌いなんだ。悪いんだけどその名前で呼ぶのやめてくれないかな。吐き気がする」
少年の顔はわずかな
光一はその言葉に最初こそ呆気に取られていたが、次第にふつふつと怒りがこみ上げてきた。マロンとかいう生意気な子どもにも腹が立ったが、どうやらこいつはもっとタチが悪い。
「光一」というのは母がつけてくれた名前だ。自分のリバーシであるなら、そのことも知っているはず。その上で言っているとしたら光一には目の前の少年を許せそうもない。光一の目つきが鋭く尖った。
「お前、ケンカ売っとんのか?」
「あぁごめん、そんなつもりじゃないよ。ただどうしても苦手なものってあるだろ? オレにとってそれが『コウイチ』っていう文字列なんだよ。そう呼ばれると頭痛が起きるから本当に勘弁してくれないかな」
少年は両手の平を光一に向け、ひらひらと拒絶のジェスチャーをして見せた。口では謝っているが、態度は全く悪びれていない。
光一が掴みかかろうとしたとき、イリアの声が飛んできた。
「光一、やめろ。光の剣士も
光の剣士が体ごと後ろを振り向くと、そこにはイリアがいた。
光一は奥歯をかみしめ、拳で空を切った。対する少年はわざとらしく眉を下げてぺこりとお辞儀をした。
「すみませんイリア様。僕がわがままを言ったからなんです、彼は悪くありません」
あぁだめだ。この演技じみた態度にも
「じゃあさ、このままだとお互い気分を害するし、こうしよう。オレは君の『光』の字をとって『ヒカル』って名乗ることにするから、そう呼んでよ。それでどう?」
「……せやな、オレもお前とおんなじ名前名乗んのはイヤやわ」
「決まりだね。今からオレはヒカル。よろしくね」
ヒカルは笑顔を崩さぬまま、光一に握手を求め右手を差し出した。しかし応える気が起こるはずもなく、光一はふぃっと目線をはずした。仕方なくヒカルも右手をひっこめる。
光の剣士にようやく会えたのは、光一が鏡界に来て三日が経過したころ。光一は、自分の理想とは程遠い姿のリバーシを殴らないように抑えるのが精一杯だった。
***
冷たい部屋の中、
……ここはどこだろうか。賢斗は気を失う前の出来事を思い出そうと記憶を
賢斗は起き上がり辺りを見渡した。病院のような味気ないベットに寝かされていたようだ。部屋全体はうすら寒く、暖房の類も見当たらない。薄い紫色の壁に、大きな窓が三箇所。窓からの景色を見たところ、この部屋は相当高い場所に位置しているらしい。見下ろすと森が広がっている。光一は同じ建物内にいるのだろうか。
そうこうしていると、扉の開く音がした。見ると、見覚えのある顔が一人。
「……おりぴー?」
「もう目が覚めたか。その気の抜けた名で呼ばれるのは二度目だな。気分はどうだ、
瞬間、賢斗は目つきを鋭くする。
「気分? 最高だね、この部屋ちょっと寒いけど。……で、俺はこれからどーなっちゃうのかね」
「寒いのはお前の魔力の影響だ。お前にはちょっとした実験に付き合ってもらおうと思ってな。友達と引き離して悪かった、寂しいなら連れてこようか?」
賢斗は彼女を見据えるだけで、何も返さなかった。目の前の女性は続ける。
「お前はドラゴンの
女性の端正な顔立ちが笑顔で
「……言ってることがわからないだろうが、理解する必要はない。サンプルになってもらうぞ、氷森賢斗」
自分の耳元で笑う女性を、賢斗は軽蔑したようにちらりと見た。ドラゴン、魔傷、リバーシ。そうだ、意識は
そこで賢斗は、自分が何故この場所に来たのかを理解した。――いや、正しくは
「ふーん……リバーシ、ねぇ」
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