3-6
「ああぁッ……!」
「ケント!!」
膝をついたケントに、すかさずニーナが駆け寄った。ものすごい汗だ。床に広がる血は、徐々に範囲を広げている。
ニーナが目に涙を浮かべてショウタを睨んだ。腰からナイフを取り出し、ショウタに向かう。
「バカ、よせニーナ!」
ケントの叫び声が届くより、ショウタがレイピアを突く方が速かった。突いた刀身はニーナに直接届くことはなかったが、衝撃波となりニーナの体をケントもろとも吹き飛ばした。
「きゃっ!」
「ぐあッ!」
宙に浮かされた二人は、そのまま後ろの壁に勢い良く叩き付けられる。
「ケント! ニーナ!」
「人の心配してる場合ですかァ?」
光一が二人の名前を呼ぶと、すぐ近くからショウタの声が聞こえてきた。いつの間にか、彼は光一のすぐ目の前に移動していた。
近い。肌が触れ合うのではないかというほどの接近に戸惑い、光一は再び動くことを忘れてしまった。
「……アナタは今のうちに殺しておいた方が良さそうですね」
ショウタの声は楽しそうに弾んでいた。この状況を、楽しんでいるのだ。
やられる。やっとそこまで思考が追い付いたが、体が全く付いてきてくれない。ショウタはレイピアを持った左手を深く引いた。レイピアとは、こんな至近距離で使う武器だったか。
ショウタのレイピアに青い光の渦が見えた。おそらく魔力をまとったのだろうが、では今までの攻撃はたいした魔力を消費していないということか。
――勝てない。
全身でそう感じた。思わず目をそらす。
しかし、いくら待っても刀身は光一の体を貫かなかった。
不思議に思い再び目をやると、レイピアはもう光をまとっていなかった。
そしてショウタが見ていたのは、光一ではなかった。
「あれ……あれあれあれェ? 何やってるんですアナタ?」
ショウタの目線の先にいたのは、セレナだった。チョーカーの形をしていた魔具は杖になっている。ショウタの魔力を無効化するような魔法でも使ったのだろうか。
セレナは真顔でショウタの顔を見返した。ショウタは眉を歪め、汚いものでも見るかのようにセレナをまじまじと見つめる。そして罵るような口調で言った。
「セレナさん、アナタとレイジが『ヒヤマコウイチ』を足止めする役でしたよね? まさか寝返っちゃった感じですか?」
「……え?」
ショウタがため息をついた。光一の思考は一度停止する。
確かにセレナは、『ヒヤマコウイチ』を探していると言っていた。それはセレナがこいつらの仲間で、こいつらが何らかの理由で賢斗をさらうまでの間、自分たちを足止めするためだったということなのだろうか。
セレナはやはり何を考えているのか、その表情からは読み取れなかった。
「足止め……私が、光一さんを……」
セレナが繰り返すように呟いたのを聞いて、ショウタは再び深く息を吐いた。後ろでカナタが、感情の込もっていない目をセレナに向けた。
「ショウタ、いい。そいつが役に立たないのはもう分かった」
言うとカナタは、右手を空でサッと払った。何かの魔法だろうか、次の瞬間セレナは糸が切れた人形のように、がくりと意識を失った。
ショウタの視線は再び光一に向けられた。
「……魔女といえど、所詮使い捨てのコマですねェ」
ショウタがレイピアを構える。光一も、汗ばんだ手でカグツチを握り直した。ショウタは光一と目が合うと、にぃ、と不気味な笑みを顔に張り付けた。
「邪魔が入っちゃいましたね。さ、遊びましょうか。剣士様のリバーシさん?」
光一は眼だけを動かし、周りを見る。右には意識を失い地に伏したセレナ。左には肩から血を流し壁に寄りかかるように座り込むケントと、叩き付けられた衝撃で咳込み涙ぐむニーナ。彼女も額を切ったのか、顔の右半分は血で覆われていた。
前方の窓際には担任の織原と同じ顔をした女性と、魔法か何かで宙に浮かされたままの賢斗。そして目の前に、レイピアを構え残忍な笑顔を浮かべるショウタという少年。
一瞬にして、たったひとりの手によって仲間たちがみんなやられた。
光一は、自分の足が震えているのが分かった。武者震いだとカッコつける余裕はない。純粋に恐怖していた。もしかしたら自分は、ここで殺されてしまうかもしれない。いやそれよりも、目の前にいる仲間を、親友を、誰ひとりとして護れないのが怖かった。
このまま黙っているわけにはいかない。それくらいなら死んだほうがマシだ。
持っている大剣に、必要以上に力を込めた。にじみ出た手汗で滑りそうになる。光一は覚悟を決めて、ショウタを睨み付けた。勝てないのは分かっている。だが逃げるつもりはなかった。目を閉じ、剣に魔力を込める。
その時、足音が聞こえた。
――バァンッ!!
それはまっすぐこちらに近付いてきて、勢い良く扉を開けた。光一の目に、長くてツヤのある銀髪が飛び込んだ。
「遅くなってすまない! 光一、そいつらから離れろ!」
「イリア!?」
後ろからミチルも入ってきて、イリアの前に出る。ショウタはイリアを見るなり、つまらなそうな顔でレイピアを引っ込めた。
「あーらら残念、もう来ちゃったんですね。タイムオーバーですかァ」
ショウタが素早くカナタの元まで戻ると、今度はカナタが近付いてきた。彼女がニコリと愛想の良い笑顔をこちらに向ける。
「イリア! 久しぶりだな、何も変わってなさそうで何よりだ」
「……やはり貴様の仕業だったか」
イリアが鋭く睨みつける。カナタはひらひらと手を泳がせ、とぼけたような顔を見せた。
「何のことやら。私は旧友の顔が一目見たかっただけだよ」
「とぼけるな!」
イリアが近付こうとすると、カナタは掌をイリアに向け早口に叫んだ。
「≪ヘルバインド≫!」
「なっ!?」
カナタの声に合わせて、大きい球体がイリアの体を包み込んだ。球体の周りには黒いもやがかかっており、禍々しい見た目をしている。相手の動きを止めるタイプの魔法らしく、イリアは悔しそうな顔でその場に立ち止まった。
ミチルが、物凄い剣幕で魔具を発動させる。
「イリア様に手を出すな! ≪シャムフルート≫!」
ミチルの双剣から無数の泡が勢いよく放たれた。しかしカナタはミチルの攻撃を難なく避けて、窓の
「まぁまぁ、落ち着いてくれよ。イリアに手を出すつもりはないよ、今日のところはね」
月から受ける逆光の中、カナタは笑みを浮かべる。
「邪魔したね。会えて嬉しかったよ。また近いうちにゆっくり話そうじゃないか、イリア」
それだけ言うと、カナタは窓の外へ飛び降りた。続けてショウタも、賢斗と共に暗闇へと消えてしまった。
しばらく経つと、イリアを囲っていた球体が消えた。舌打ちするイリアの元に、ミチルが駆け寄る。
光一は、この部屋に入ってから一歩も動くことが出来なかった。
これまでドラゴンと対峙した時は、直感で動くことが出来ていた。目の前に迫り来る恐怖に対し、こちらも力で返すことが出来ていると思っていた。
だが今は、何も出来なかった。
驚きに重なる驚き。圧倒的な力の差。
目の前で賢斗がさらわれたというのに、何も出来なかったのだ。イリアたちが来なければ、命すら危うかった。
光一は自分の無力さに愕然とし、魔具をしまうことすら忘れていた。
大剣を手にしてから初めて感じた、完全なる敗北だった。
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