3-5
出てきた時より一人増えて戻って来た光一たちは、数分歩いた後無事にイリアたちが待つ城にたどり着くことが出来た。
一緒に歩いてきた女の子たちが何も言わない手前表には出さなかったが、正直光一の体力はもう限界に近かった。早朝から慣れない土地を歩き通して、その上魔具も二度使用した。意地でなんとかここまで歩いてきたが、今すぐにでもベッドに倒れこみたかった。
そんな思いもあり少し足早に城内に入ると、中は静まり返っていた。照明も全く付いておらず、人の気配は感じない。まさか一日で帰ってくるとは思わず、もう二人とも眠ってしまったのだろうか。
おそるおそる中へ進んでみる。あまりにも暗かったため、セレナが再び魔法で辺りを照らしてくれた。
「俺達が昨日使っていた寝室は二階だ。夜も遅いし、今日はもう寝よう」
「あ、じゃあセレナはアタシと一緒に寝よ!」
ケントの提案に、ニーナは賛成のようだ。光一もいよいよ瞼が重くなってきたので、異論はなかった。
それにしても、転移魔法が使えないのはセキュリティーによるものだと聞いていたわりには、正面の扉からすんなり中に入れてしまった。意外と不用心なものだ。
眠気により薄くもやがかかったような頭で、ぼんやりと考えながら階段を登る。ふと、セレナが立ち止まった。
「この先に誰かいますね」
前を飛んでいた蝶が一匹戻ってきて、セレナの肩に止まった。探知能力があるのか、この蝶で辺りの様子がある程度分かるらしい。
「イリア達ちゃうん?」
「うーん、闇の魔力を感じるんですけどねぇ……」
光一の言葉に、セレナは首を傾げた。ニーナが顔を青ざめさせて引きつった笑顔を見せた。
「ま、まさか侵入者がいる、とかじゃないよね?」
四人はお互いに目を合わせ、緊張感の漂う空気の中を無言で進んだ。
階段を登りきると、長い廊下が現れた。おそるおそる、奥へと歩いて行く。
いくつかの扉を通り過ぎた頃、近くから話し声が聞こえた。どうやら目の前にある、白い扉の中から聞こえているようだ。
扉に窓などはついておらず、中の様子は確認することが出来ない。落ち着いた、低い女性の声と少年の声が言葉を交わしている。少なくとも、声の主はイリアとミチルではなかった。
ケントが腕を組み、静かに顔を歪めた。
「この部屋……俺のリバーシが寝てる部屋だな」
光一はケントの言葉を頭の中で数回繰り返す。そして疲労の溜まった脳がようやくその意味を理解すると、一気に全身が覚醒した。ケントのリバーシ、つまり。
この世界に来てから顔を見ていなかった、本物の賢斗がこの中にいる。
ニーナが少し安心したような声を上げる。
「あ、じゃあさ! イリア様がお医者様を呼んでくれたんじゃない? ケントのリバーシ、魔傷がひどかったんでしょ?」
そうなのだろうか。確かに、治療の専門家を呼んだということもあり得る。しかし、こんな夜中に? なんとなく不自然な気がした。
話し声は止まってしまって、何を話していたのかも分からない。自然と光一は、ケントと目があった。やはり彼も不審がっているようだ。
「このままモヤモヤしてんのも気持ち悪いし、とりあえず開けて確認するで」
黙っているのは性に合わない。そう思い光一が扉に手をかけた時だった。
中から少年の声が、はっきりと聞こえた。
「……ダレかそこにいるみたいですね?」
瞬間、がしりと心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥る。明らかに、こちらに向けての言葉だ。しかしその声は友好的ではなく、どちらかというと邪魔者を発見したようなニュアンスの言い方だった。
この扉の向こうにいるのは味方ではない。直感的にそう感じた光一は、握ったドアノブを一気に回した。ガチャリと音がして、ドアに引っ張られるような形で部屋に入る。
部屋には電気がついておらず、窓から入る月明かりのみで照らされていた。そこには、黒衣を着た二十代ほどの女性と、学ランを着た青い髪の少年が立っていた。そしてすぐそばにあるベッドで、賢斗が眠っている。
約一日半ぶりに見た親友の顔がやけに懐かしく思えたが、今はそんな感情に浸っている場合ではない。この部屋にいた見知らぬ二人の人物が何をしていたのか、確認しなければならなかった。
青い髪の少年が不敵な笑みをこちらへ向けた。
「ハジメマシテ光の剣士さん。正しくはそのリバーシさん、ですね。……とその後ろは、グラスの王子サマですかね?」
少年はケントの姿を見つけると意外そうな顔をした。目の下に出来た、くっきりとしたクマが印象的な少年だった。学ラン(この世界では戦闘服だったか)に身を包み、頭に学生帽を被っている。帽子の鍔に触れた手には白い手袋をはめていて、見た目から神経質そうな印象を受けた。
「……誰やお前」
「あぁ失礼しました、ボクは
ショウタと名乗る少年はそう言うと後ろを振り向き、女性に問いかけた。
女性は紫色の髪を肩の上で揃え、毛先を内側に巻いている。先ほどまでは逆光で見えなかった顔が、ゆらりと月明かりにさらされた。
女性の顔が見えた瞬間、光一の思考は停止した。そこにあったのは、見覚えのある顔だった。
そうだ、ショウタという少年は今、この女性をなんと呼んだ?
その名前も、自分は聞いたことがあるではないか。
混乱する頭と、早まる鼓動が騒がしい。脳内でしつこい程の疑問符が浮かび上がる。絞り出すように、光一は口を開いた。
「…………おりぴー?」
ついこの間まで、毎日のように呼んでいた名前だ。掠れた自分の声を耳が拾って、その事実を再認識する。
目の前に立っている女性は紛れもなく、灰桐中学校二年二組の担任、織原彼方だった。
女性は訝しげな顔をして光一を見ていたが、やがて納得したように笑みを浮かべた。
「おりぴー……? あぁ、私のリバーシは中学校の教師をやっていたんだったか」
織原はどうでもよさそうに一言だけそう言うと、ショウタに向き直った。
「まぁいい、そろそろイリアも私の空間遮断魔法に気付く頃だろう。行くぞショウタ」
ショウタが軽い口調で了解です、と返し、寝ている賢斗に手をかざした。すると賢斗の体がふわりと浮かび上がる。光一はハッとして口を開いた。
「オイお前ら、何するつもりや!」
「何って……誘拐ですかね? 仕事の出来ない同僚ばかりなもので、カナタ様が直々に来るハメになりました。ホント、どいつもこいつも使えない」
怒気を含んだ光一の声にも、ショウタは冗談を言っているような口調でさらりと流す。光一はネックレスを力任せに引きちぎり、魔力を込めた。橙色の光と共に、その手に大剣が握られる。同時にケントも魔具を発動させ、戦闘態勢に入った。
ショウタが面倒くさそうにため息を吐く。
「ヤル気満々ですかー。こっちは人ひとり抱えてるんですから、手加減して下さいね」
そう言ったショウタの手には、いつの間にかレイピアのような形状の武器が握られていた。その動きがあまりにも俊敏かつ自然で、いつ魔具を発動させたのか分からなかった。
光一は、自分の掌が汗ばんでいることに気付く。今までは戦うと言っても、ドラゴンが相手だった。武器を持って人間と対峙するのは初めてだ。
言いようのない緊張感が全身を満たした。鼓動は激しく自分の内側を打ち鳴らすのに、血液が手足の先まで巡ってこない。身体中が心臓になったようで気持ち悪い。自然と呼吸が浅くなり、苦しかった。
そうしてこちらが何もしないでいると、ふいにショウタの口が怪しく弧を描いた。その瞬間、後ろで様子を見ていたニーナが光一とケントの前に飛び出す。
「危ないっ!」
緑色の光が、大きな盾を形成する。盾が現れると同時に、大きな衝撃が波となり体を貫いた。出来たばかりの盾は、バラバラと音をたてて崩れ落ちてしまった。
ショウタが放った攻撃をニーナが庇ってくれたらしい。彼女の左肩に刻まれたドラゴン型のタトゥーが、盾と同じ色に輝いている。ニーナは苦い顔で呟いた。
「……この狭い場所じゃクルスを呼び出せない。クルスの力を借りて盾を創るくらいしか出来ないけど、これ以上はちょっと防ぎきれないかも。ごめん」
ケントがその前に出て、魔具を肩に抱えた。
「充分だ、今のであいつの攻撃は見えた」
そのケントの言葉に、ショウタはニヤニヤと意地の悪そうな笑顔を見せた。
「ふーん、そうですかァ? じゃあ、コレならどうですかね」
ショウタがレイピアを突き出す。まともに目視出来たのは、最初の一突きだけだった。目で追うことすら敵わず、ヒュンヒュンとレイピアが風を切る音のみが耳に届く。いつの間にか間合いは詰められ、彼はケントの目の前でまたニヤリと笑った。瞬間移動でもしたのかと思うほど、敵の動きは遥かに速かった。
「ハイ、おしまい♪」
ぱたた、と床に血が滴り落ちた。それがケントのものだと気付くまでには数秒の時間を要した。
レイピアの細い刀身が、ケントの右肩を貫通している。それをショウタが左手で抜いたのを見て初めて、目の前で人が刺されたのだと理解した。
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