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その言葉で、光一はケントへの文句を飲み込んだ。今戦ったばかりのドラゴンでさえ、光一が今まで見た中では一番大きかった。だというのに、それよりもさらに大型のドラゴンが接近しているというのか。
早いところ小屋へ引き返そうと提案しようとしたのだが、口を開ききらぬうちにすぐ側から重量感のある足音が聞こえた。四人の間に再び緊張が走る。
足音がピタリと止まると、木々の間から巨大な影がヌッと現れた。今しがた倒したドラゴンによく似た、しかし体格はそれのゆうに三倍はあるだろう巨大な闇ドラゴンだった。
その辺りだけ時が止まったかのように、四人はしばしドラゴンと対峙していた。しかし数秒後、誰からともなくドラゴンとは反対方向に全速力で走りだした。
「なんやアレ!? あんなんゴロゴロ出てくるもんなんか!? 誰やねんこんな森で一晩過ごすとか言うた奴、アタマおかしいんちゃうか!?」
「言い出したのはお前だタコ! ただ今日は異常だって言っただろ、普通はここまで頻出しないんだよ!」
「わわっ、あのドラゴンは地上で過ごすタイプだからすごく足が速いの! 走ってもこのままじゃすぐ追いつかれちゃうよ!」
走りながらも言い合いをする光一とケントだが、ニーナの言葉で冷静さを取り戻す。ちらりと横目で後方を確認すると、確かにドラゴンはすぐ近くまで迫っていた。
「くっそ、デカいクセにほんま速いなコイツ……!」
光一は左足を軸にして体ごと後ろに振り向いた。剣を構え、体重を乗せて真横になぎ払う。斬撃が空中を走り、ドラゴンまで届くとその巨大な体を炎で包み込んだ。
やったか、と期待したのも束の間、ドラゴンは身震いひとつで炎を散らしてしまった。傍らでケントが舌打ちをする。
「あの鱗じゃロクに炎も効かないか……クソ、面倒なのに当たったな」
光一は今の一撃になかなかの魔力を込めていたため、全く歯が立たなかったことに焦りを感じた。あれ以上に強い攻撃はおろか、何度も剣を振れるような体力は最早残っていない。
おそらくケントも今日一日でかなり消耗しているはずだ。その証拠に、攻撃する瞬間以外は魔具をブレスレットの形に戻している。出来る限り魔力を温存しておきたいのだろう。
とにかく今は一心不乱に走り続けるしかない。カグツチを引きずると体力を奪われるので、光一も素早くネックレスに戻した。さらに数メートル走りいい加減足ももつれかかってきた頃、今まで黙っていたセレナが声を上げた。
「あの〜、後ろのドラゴンさん、追い払いましょうか?」
光一は耳を疑い、セレナを見た。隣を走るセレナは冗談を言っているふうではなかった。
「無茶だよ! あんなに気が立っていて、その上あのサイズだもん。アタシ達でどうこう出来るレベルじゃない、一旦どこかに身を隠して体制を……」
「いやもう追いつかれる! 身を隠してる暇なんてないぞ」
すかさず反応したニーナの意見に、ケントが反対した。そうこうしているうちに、ドラゴンとの距離は着々と縮まっていく。それでもセレナは、マイペースな様子を崩さなかった。
「大丈夫ですよ〜、ちょっと待ってて下さいね」
言うやいなや、彼女はピタリと歩みを止めた。光一がぎょっとして振り返る。
「何やってんねん、アホか!?」
ギラリと怪しく輝くドラゴンの目が、立ち止まるセレナを捉えた。ドラゴンは顔の端いっぱいまで口を広げ、綺麗に並んだ獰猛な牙を自慢気に見せびらかす。
セレナは動じることなく、落ち着き払った様子で地面に杖を刺した。
「『ドロップメルト』」
彼女の声が、凛と辺りに響き渡る。けして大きな声量ではない。しかし、聞く人を惹きつける不思議な魅力の込もった声だった。
瞬時にして、視界はメルヘンチックな色彩に包まれた。ピンク、水色、薄い紫、黄緑、オレンジ。夜の森には、いや、というよりは自然そのものに不釣り合いな淡いパステルカラーの球体が次々と現れる。
セレナの周りを漂っていたそれらは、彼女が杖を振ったのに合わせてドラゴンの元へ飛んで行った。ドラゴンは見慣れない光に警戒してか、慎重な面持ちで立ち止まった。
球体がドラゴンを取り囲むと、セレナは再びトス、と杖の先で地面を小突く。すると球体はその場で弾け液状になると、ドロリとドラゴンの体にまとわりついた。無数の球体が全て弾け終えた頃には、ドラゴンはすっかり奇抜な絵の具を塗りたくったアート作品のような姿になっていた。
液体は粘性が強いらしく、ドラゴンは身動きがとれずに低い呻き声を出すので精一杯のようだ。
その場にいた全員が呆気にとられて見ていると、セレナは抑揚のない声で光一に問いかけた。
「どうします、このまま殺しちゃいますか?」
それは不自然なほどに、あまりにも自然な言い方だった。
光一は、自分の肌がゾクリと粟立つのを感じた。底知れない力に恐怖を感じたからではない。自分たちを襲ってきたドラゴンといえど、「命を奪う」という行為になんの迷いも感じられない少女に対し、強烈な違和感を感じたのだ。
光一が答えられずにいると、横からニーナが遠慮がちに口を挟んだ。
「あ、あのね、このドラゴン、多分さっき倒した子の親なんだ。……子どもが殺されたから気が立ってるんだと思うの。元々は縄張りに入ったアタシ達が悪いんだし、もし出来るならこのまま殺さないであげて欲しいなって……」
言い終えると、ニーナは申し訳なさそうに目を伏せた。なるほど、その通りだ。自分たちの住処に入って来た見知らぬ生き物を追い出そうとするのは、野生動物として当然のことだろう。その上我が子まで殺されたのだ。完全にこちらが悪者である。
光一も同意を示そうとした時、セレナが地面から杖を引き抜いた。
「わかりました。じゃあこのままにしておきますね、一晩は動けないでしょうから」
あっさりそう言うと、セレナは杖を光に変えた。その光を首元に持って行き、やがて光が消えた頃には杖だったものはチョーカーに姿を変えていた。
杖がチョーカーに戻ると同時に、辺りを漂っていた無数の蝶も消えた。そこで光一は、彼女が魔法を二種類同時に使っていたことに気付く。今の今まで、最初に使った蝶を出す魔法は発動したままだったのだ。
興奮気味の巨大ドラゴンを止めるだけの魔法を使った彼女は汗ひとつかくことなく、呼吸も全く乱れていない。彼女が多数の魔法を使いこなせる『魔女』だということを、光一はようやく理解した。
それまで黙っていたケントが、後ろでフン、と鼻を鳴らした。
「これで分かっただろ、そいつは魔女だ。魔力量は俺らと比べ物にならないし、命を奪うことに全く抵抗もない。危険分子と呼ぶに足る存在だと思うが?」
光一は眉間にシワを寄せ、セレナを見た。当のセレナは顔色ひとつ変えずにケントの言葉を受けていた。先ほどから、ケントの厳しい言葉にも反論する様子がない。何も感じていないのか、あるいはそんな言葉を向けられることに慣れてしまっているのか。
先ほどから彼女の行動には、彼女自身の意思を感じられない。誰かがそう言うからそうした、そんな風にしか見えなかった。
彼女のことは、正直さっぱり分からない。言動にも不可解な点が多い。……だがひとつだけ、光一にも分かることがあった。
ふぅっと軽く息を吐いたあと、光一ケントを見据えた。
「魔女っちゅーのはそんなに悪い奴らなんか?」
「……はぁ?」
ケントが怪訝に顔を歪める。またコイツは何を言い始めるんだ、という顔だ。しかし光一は、強い意思をもって続けた。
「オレはこの世界のことはよう知らん。魔女が今まで何をしてきたのかも知らん。せやけど今ここにおるコイツに、セレナに、お前は何かされたんか?」
わずかに、セレナの瞳が揺れた。ケントは納得がいかないような表情を浮かべていたが、反論することはなかった。
「オレはもの分かりのええ方やないからな。自分で見たモンしか信じられへんねん。少なくともオレが見たことのある『魔女』は、ドラゴンから助けてくれたええ奴やったけどな」
「光一さん……?」
セレナは、光一の言葉にぴくりと肩を上げた。彼女は驚いたような表情で、じっと光一を見つめる。
そう、彼女は助けてくれたのだ。あれだけ自分に暴言を浴びせたケントを探しに行くと言った時も、この巨大なドラゴンに襲われた時も。もしも魔女がケントの言うように悪いことばかりする種族なら、こんな面倒事など放っておいて自分だけ逃げればいいではないか。光一はそんなセレナを信じたいと思った。
再び、光一とケントが睨み合う。セレナはそんな様子を見て少し考え込むような仕草をすると、マイペースな声を上げた。
「光一さん、『オレが見たことのある魔女』って……私の他にも魔女に会ったんですか?」
「……へ?」
その言葉を聞き、その場にいた全員の思考が停止した。
彼女があまりにも無邪気に問いかけてくるので、光一も「いやお前のことやろ!」とツッコむタイミングを完全に逃してしまった。
やがてケントが、今日一番深いため息をゆっくりと吐き出す。
「はぁー……なんか色々と、どうでもよくなってきたな」
くるりと光一たちに背を向けると、ケントは少しだけ声のボリュームを落として続けた。
「何かあってからじゃ遅いんだからな。その時になって泣き言を言っても、俺は一切関与しないぞ」
かなり屈折的な言い方ではあったが、光一はそれを肯定ととった。ニッと笑顔を見せると、ケントは再びフン、と鼻を鳴らした。ニーナも笑顔で、セレナの手をとる。
「じゃあとりあえず、イリア様の所まで一緒に行くってことで! その後のことはまた考えよ。改めてよろしくね、セレナ!」
言われたセレナは状況が分かっているのかいないのか、首を傾げるとふわりと笑みを返して答えた。
場の空気もまとまったので、光一はほっと一息ついてカグツチをネックレスに戻した。緊張で無意識のうちに縮まっていた筋肉をほぐすため、二、三度伸びをする。
「んじゃ、さっきんとこ戻るか。……どっちから来たんやっけ」
「えっと、小屋の方向はあっちなんだけど、実はここまで来ちゃったならお城に向かう方が近いんだよね」
ニーナが森の奥を指さし、もう片方の手で反対方向を指さす。どうする? というように首を傾げ、みんなの意見を仰いだ。それにはケントが答える。
「なら考えるまでもない、城に向かうぞ。わざわざまともに寝ることも出来ないボロ小屋に戻る理由もないだろ」
「だねー」
ニーナが苦笑し、行き先が決定した。暗い森の奥からは、もうドラゴンの声は聞こえなかった。
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