Reversi小説 | ナノ



3-2

 それから五分ほどの時間が過ぎただろうか。光一が暖炉脇で、ポリポリと後頭部をかいた。相変わらず、ケントは足を組んで椅子に座ったまま顔をこちらに向けようとしない。当のセレナは、何を考えているのかよくわからないぽやんとした表情で光一を見つめていた。

 どうしたものかと、光一は手元の枝をカラカラと遊ばせる。勢いで目の前の少女を助けたのは自分だが、まさかその少女が倒れたショックで記憶を失っているなどとは考えもしなかった。目が覚めたら少女の家にでも送り届けようという軽い気持ちだったのだが、どうも自分がどこから来たのか、何をしていたのか、断片的にしか覚えていないらしい。

 しかも話を聞くと、この少女はどうやら『ヒヤマ コウイチ』なる人物を探していたと言う。その理由も覚えてはいないようだが、少なくとも自分はこの少女に全く見覚えがない。少女もまた、自分を見ても何も思い出せないらしい。面倒なことになったとは思ったが、自分の名前が出てきてしまったからにはここで放っておく気にもなれなかった。

 あまり考えることが得意ではない脳みそを必死に巡らせながら、光一は目の前の少女になんと言葉をかけたら良いのか考える。そのうち、異様な沈黙をニーナが打ち破った。

「えっと……アタシが思うに、セレナが探してたのって光一のリバーシ、光の剣士様なんじゃないのかな。光の剣士様は各地の護衛を任されていて、色んな人から依頼が舞い込んでくるみたいだよ。もしかしたらセレナも、なにかを依頼するために探していたのかも……」

 セレナは俯き、眉尻を下げた。

「そう、なのでしょうか……。それにしても肝心の依頼内容を忘れてしまっては、もしお会いできたとしても意味がないですもんね……」

 セレナはあまりピンときていないようだが、たしかにニーナの言うことには説得力があった。おそらくこの見ず知らずの少女が探していたのは自分ではなく、自分のリバーシである《光の剣士》だ。光一は唸り声をあげて考え込むが、やはりいい案は浮かばなかった。

「とりあえずセレナも、一緒にイリアんとこ来たらええんちゃう? よう分からんけどイリアってすごい奴なんやろ、何かしら知っとるんちゃうの」

 その提案を聞き、セレナは大きな瞳をくりんと光一に向けた。

「イリア様……鏡界の管理人様ですね。みなさんはイリア様の元へ向かっていたんですか?」

 そこは記憶が抜けていないのかと関心しつつ、光一は頷いた。ニーナがパチンと両手を合わせ、明るい表情をセレナに向けた。

「あ、それはいい考えかも! イリア様なら、光の剣士様の居場所も知ってるだろうし。一緒に行こうよ、セレナ」

 ぽんぽん、と肩をたたいてくるニーナに、セレナは曖昧な表情を返した。

「お気持ちはとてもありがたいのですが……私なんかが行ってもイリア様に会わせてもらえるのかどうか……」
「なんでやねん、別に問題ないやろ」

 そう言い光一が首をか傾げる。すると、今まで黙っていたケントがセレナを指さした。

「俺はこいつを連れてくのは反対だ」

 はっきりと断言し、彼は威圧的に腕を組んだ。光一がすかさず非難の声をあげる。

「またお前はそーゆうことを……何が不満やねん!?」
「言っただろう、こいつは魔女だ。記憶を失くしたというのも信用できない。魔女が人前に現れる理由なんてただひとつ、人々に災いをもたらすためだ!」

 光一は眉間にシワを寄せ、ケントの元へ近寄った。そのまま彼の胸ぐらを掴み、椅子から立たせる。

「せやからそんなん分からんやろ! 何を根拠に言うとんねん」

 ケントも自分の意見を譲る気はないようで、光一の手首を握り力を込めた。

「民衆が流したドラゴン使いの噂とは訳が違う、魔女はこれまでいくつもの実害を出してるんだよ! いい加減そのお人好し脳なんとかしやがれバカ剣士!」

 はらはらと、ニーナが二人の様子を伺う。そこに、セレナが口を挟んだ。

「あの、そちらの方が言うことは最もです。私が出ていくので、お二人ともケンカはやめて下さい〜」

 この状況には少々不釣り合いな、間延びした声だった。光一は反論しようとしたのだが、本人にそう言われては何と返せばいいのか分からない。そのうちケントは光一の手を振り払い、扉に向かって歩き出した。扉の前で踵を返し、再度セレナを指さす。

「……とにかく、そいつを連れてくっていうなら俺は一緒には行かない。偽善者ごっこなら勝手にやってろ」

 バタン、と激しい音を立てて、ケントはそのまま外へ出て行ってしまった。

 窓から見える外の様子はもう薄暗くなっており、仄暗い森が広がっている。この時間帯に出歩くのはあまりいい選択ではないと誰もが知っていた。それでもなお、ケントはセレナといるよりも外へ出ることを選んだのだ。

 光一がため息をつくと、セレナが後ろから声を上げた。

「あの方の判断は正しいです。記憶を失くしているといえど、私が魔女であることに違いはありません。関わらない方が身のためですよ」

 そう言うと、彼女はするりとベッドから降りて壁にかかっていたローブと魔女帽を手に取った。本当に出ていくつもりらしい。慌ててニーナが駆け寄った。

「あっ、ケントの言ったことなら気にしないで! アタシも確かに、魔女は怖いと思ってたけど……セレナがそんなことするような子には見えないし、迷惑だとも全然思ってないよ!」

 セレナはニーナに向けて柔らかく微笑むと、彼女の体には不釣り合いな大きい帽子を被った。

「……ありがとうございます。そう言ってもらえただけでも、ニーナさん達に会えて良かったです」

 ぺこりとお辞儀をするセレナを、光一は納得のいかない顔で眺めた。その時。

 グルゥォオオオォオォォォ……!

 突如、遠くから大きな猛り声が響いてきた。ニーナと光一ははっと目を見開き、お互いの顔を見合わせる。

「今の、ドラゴンか?」

 表情の鋭くなったニーナが、窓に目を向け小さく呟く。

「また……闇属性のドラゴン」

 言うなりニーナは、駆け足で扉へと向かった。扉に手をかけ、顔だけ振り返り光一を見る。

「アタシ、ケント連れ戻してくる!」
「あ、オイちょっ……」

 光一が止めようとしたが、ニーナは勢い良く扉を開け雨の森を駆けて行ってしまった。少しすると「キュオォォォン」という高い鳴き声が響いてきた。おそらく彼女の相棒であるドラゴン、クルスを召喚したのだろう。

「あのアホ共……」

 雨の勢いこそ弱まったものの、この暗闇を軽装備で出歩くなどたとえドラゴンが出なかったとしても危険だ。

「追いかけるんですか?」

 光一が立ち上がろうとしたところで、セレナが尋ねた。光一はその問いに迷いなく頷く。

「当たり前や」
「どうして?」

 答えた途端、彼女は責めるように素早く質問を重ねた。怒っているわけでも、悲しそうな感じでもない。ただ純粋に、理解できないというような表情だった。

 光一はふと思い出す。つい最近、同じような質問をされた気がする。

 なぜ? どうして?

 誰かを助けるのに、理由というのはそんなに必要なものなのだろうか。
 考えても、光一にはやはり答えらしいものはひとつしか思い浮かばなかった。

「……あいつらはオレの、友達やからな」

 そう答えると、セレナはぽかんと口を開け首を傾げた。そのまま数秒待ったが、もう質問はないようだ。

 光一は扉に向かい、開けようと手をかけた。しかしその瞬間、突然後ろから引っ張られるような感覚を感じた。不思議に思い振り向くと、セレナが光一のシャツの裾を握っている。

 光一と目があったセレナは、そのまま数秒間真顔で光一を見つめ続けた。こんな至近距離で女の子と見つめ合う経験など今までなかったため、光一はどうしたら良いのか分からずに固まってしまった。いい加減その場の空気に耐えられなくなり目をそらそうと思った矢先、セレナが首を傾げてふわりと笑った。花が開くような、柔らかい笑みだった。

「闇は、光が嫌いなんです」

 彼女は口を薄く開いて声を発した。だが、光一はいまいちその言葉の意味が分からなかった。あまりに抽象的すぎる。そして彼女は言葉を続けることなく、再び数秒の沈黙が訪れる。どうやら彼女には独特の間があるらしい。

「お、おぉ……そうなんか」

 なんと返していいかわからず、光一は曖昧な返事をする。するとセレナはシャツの裾からパッと手を離し、今度はその手を自分の首元に添えた。見ると彼女の首には、紫色のチョーカーが巻かれていた。

 セレナが手を添えると、チョーカーから紫色の光が現れた。その光はやがて細長い棒状になり、セレナは右手でそれを掴むとトン、と軽く地面につけた。その途端光が四方に弾け、セレナの手には薄い紫色のステッキが握られていた。小さな女の子向けのアニメで見るような、可愛らしい羽の生えたポップなデザインのものだった。

 突然の行動に光一が呆気にとられていると、セレナはステッキを一振りし鈴の鳴るような声を上げた。


「『リトル・パピヨン』」


 彼女の声が静かに響くと、辺りに光り輝く蝶が現れた。数匹の蝶はふよふよと小屋中を舞い、羽からキラキラと輝く粉を振りまいている。

 セレナはその中の一匹を左手の人差し指に止めると、光一に向かって再び僅かに微笑んだ。

「じゃあ、行きましょうか」

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