Reversi小説 | ナノ



3-1

 ぽつりぽつりと、灰色の空から雫が落ち始めた。そのひと粒が頬に当たった時、光一は初めて雨が降っていることに気が付いた。

「天気悪なってきたな……」

 その呟きが聞こえたのか、ニーナが空中で手の平を広げた。彼女も雨に気付いたようで、困ったように眉尻を下げる。

「うーん、どうする? 今ならグラスに戻って宿を探すことも出来るけど……」

 そう言い、ニーナはちらりとケントへ視線を向けた。意見を求められたケントは腕を組み、むっすりと考え込む。そして眉間にシワを寄せると口を開いた。

「ただでさえ日も落ちかけているし、ドラゴンに襲われると厄介だな。……だが街に戻るのはあまり賛成しない」

 難しい顔でそう言ったケントに、光一も頷いた。先程ドラゴン使いに対する街人の反応を目の当たりにしたばかりだ。ケントがいるため表向きは快く泊めてくれるだろうが、再びあの街の民衆と顔を合わせるのはあまりいい気がしない。

 ニーナは二人の心中を察したのか、苦笑いで返した。

「あはー……なんかごめんね。って言っても、この辺だと森の中にある山小屋くらいしかないんだけど……」

 山小屋、という響きにケントは顔をしかめたが、光一は笑顔で賛成の意をみせた。

「おぉ、キャンプみたいで楽しそうやん! 本降りになる前にそこ行こうやー」

 ケントもそうする他ないと諦めたのか、深く息を吐くと肩にかけていたマントを頭に被った。



 三人は歩く速度を上げたが、間もなく天候は悪化してきた。落ちてくる雨は大粒になり、空を覆う雲はどんどん重みを増してきた。

 一瞬だけ視界の端で、何やら鋭い光が見えた。次の瞬間、重低音が鼓膜を揺らす。ニーナが小さく叫び声を上げた。

「わっ!? 雷なんて滅多に鳴らないのに……よりによってこんな時にー!」

 ケントが舌打ちをし、走りだそうと足を踏み出す。光一も額に流れ落ちる雫を拭い足に力を込めた。しかし、そこで前方に怪しい人影を発見する。

 全身を黒いローブに包み、頭には魔女のような鍔の広い帽子を目深に被っている。その人物はフラフラとおぼつかない足取りでこちらに向かって歩いてきたが、やがて道の脇に生えていた木に寄りかかるようにドシャリと崩れ落ちてしまった。

 ケントとニーナが迷ったようにお互いの顔を見合わせる。光一がその人物の元へ向かおうとまっすぐに歩き出したので、ケントが慌てて肩を掴んだ。

「おいバカ待て! あの服装、おそらく《魔女》だ。むやみに近付くのはやめろ」

 光一は首をかしげ、振り返ってケントの顔を見た。

「魔女だかなんだか知らんけど、怪我しとるんちゃう? 雨の中あのまま放っとくのは可哀想やろ」

 ケントは肩を掴んだ腕をわなわなと震わせ、嫌悪感全開の表情で光一を睨みつけた。

「お前は本当に、なんでそうどこにでも首を突っ込もうとするんだ! 危険だと言っている、怪我をしていようが関係ない。放っとけ」

 後ろからニーナも、心配そうな顔でおずおずと口を開いた。

「……魔女はあまりに強力な魔力のせいで、昔から色んな地域で迫害を受けていたの。普段はあまり人前に姿を現さないんだけど、実際過去に魔女たちに滅ぼされた集落がいくつもあった。たしかに少し可哀想だけど、アタシも関わらない方がいいと思う」

 光一は、二人の言葉を聞いてその場で押し黙る。強くなった雨が顔や身体に打ち付けるが、光一は気にすることなくじっと立ち尽くしていた。

 やがてぐっと意志のこもった瞳でケントとニーナを見据えると、肩にかけられた手を外した。

「お前らそれ、さっきの街にいた奴らと言ってること同じやぞ。オレは自分で見たモンしか信じられへんからな。お前らが止めようが、オレはアイツを助けるで。嫌なら先行っててや」

 そう言い捨てると、光一は倒れこんだ人物の元へ向かった。ケントが言葉を返せないでいると、ニーナは罰が悪そうに口を開いた。

「言われちゃったねー……。強いなぁ光一は」



 光一は木の下で倒れこんでしまった人物の元へ近寄り、様子を伺う。遠くからは帽子とローブに隠れてよく見えなかったが、近くで見ると紫色のウェーブがかった長い髪の毛が黒衣装から覗いていた。二人が《魔女》だと言っていたが、確かにこの人物は女性のようだ。

 女性の身体には不釣り合いなぶかぶかのローブを握りしめ、目の前の女性は静かに肩で息をしていた。見たところ外傷は見当たらないが、息が荒い。遠くから走ってきたのだろうか。

「えっと……大丈夫か?」

 相手が女性だとわかるとむやみに体を触るわけにもいかないと思った光一は、とりあえず声をかけてみた。相手はぴくりと声に反応し、少しだけ顔を上げた。帽子の下からちらりと見えた顎は華奢だった。

「……り」

 ぽつりと、声が聞こえた気がした。心なしか、女性の肩が震えているように見える。

 光一は聞き返そうとその場にしゃがみ顔を近付けたが、その瞬間女性は両手で両耳を塞ぎ、ぶんぶんと強く首を左右に振った。

「雷は……嫌ぁぁぁぁぁあッ!!」

 彼女がよく通る声でそう叫んだ途端、すぐそばでビカリと稲妻が走った。辺りは一度青白い光に包まれ、ゴロゴロと体の芯から揺らされるような大きな音が鳴り響く。

 その場にいた全員が目と耳を強く塞いだ。次に目を開いた時には、ローブの女性は意識を手放していた。



 雨が小降りになってきた。風を受けてさぁさぁと揺れる木々を、ニーナが山小屋の窓越しに眺めていた。

 レンガと木で建てられた簡素な小屋ではあるが、小さな部屋全体を暖めるには充分な暖炉と、木製のベッドに柔らかい毛布が一組。ニーナに案内された山小屋は光一の想像よりも綺麗なものだった。

 光一が暖炉の前で、雨に濡れた枝を並べる。元々あった薪だけでは一晩過ごすには心許ない量だったため、追加で拾ってきたのだ。そうしているうちに、暖炉の上で温めていたお湯が沸騰し始めた。ニーナがそれに反応し、椅子から立ち上がりポットを手に取る。彼女は手際よくマグカップを人数分用意し、お湯を注いだ。それらも元々ここにあったものなのだから本当に、山小屋と呼ぶには親切すぎる備品だ。ニーナがそのうちのひとつを光一に差し出すと、やんわりと微笑みを向けた。

「これ、森に生えてた葉っぱを煎じた紅茶なの。疲労回復に効くから、飲んでみない? 残念ながらお砂糖はなかったんだけど」

 マグカップの中を見ると、赤みのある液体が湯気をたてていた。ふわりと素朴で爽やかな香りが鼻に届き、それだけで少し緊張が緩む。光一は素直にマグカップを受け取った。

「おおきに。助かるわ」

 知らない土地で、立て続けによく分からない敵と戦ってきた。今まで気の休まる時がなかった分、一時的ではあるがこうして屋根のある場所で温かいお茶を飲むだけでも疲れがとれる気がする。ニーナの気遣いには素直に感謝していた。沸かしたてのお茶はかなり熱そうだったので、冷めるようにくるくると中身を揺らす。

 ニーナは、今度は入り口の近くでむっすりと黙ったままのケントに近寄った。同じようにマグカップを差し出すが、ケントは受け取らなかった。本当に態度の悪い奴だ、と光一は横目でその様子を見ていた。

 この部屋唯一のベッドには、現在見知らぬ少女が寝息をたてている。彼女が身にまとっていた大きくてボロボロのローブと帽子は、乾かすためにニーナが脱がせ壁に掛けてある。少女がローブの中に着ていたのが、大きな襟と赤いスカーフが特徴的な、光一が知るところの『セーラー服』だったことには驚いた。そういえばケントも、マントの下には深緑色のブレザーを着ている。自分が着ているのは学ランだが、今のところ特に服装について誰かに指摘されたこともない。案外、この世界でも学生服というのは馴染み深いものなのかもしれない。

 時折、暖炉の火が爆ぜて乾いた音を弾けさせる。それを見つめながら光一がぼーっとしていると、後ろから布の擦れる音と小さな呻き声が聞こえた。振り返ると、どうやらベッドで寝ていた少女が目を覚ましたようだ。ニーナがぱたぱたとベッドの脇に駆け寄る。

「あ、良かったー。目が覚めたんだね。痛いところとかない?」

 声をかけられた少女はもそりと上体を起こした。目の上でまっすぐに切りそろえられた淡い紫色の髪の毛が、少女に幼さと同時に不思議な雰囲気を印象づけていた。少女は今まで閉じていた瞼を重そうに持ち上げ、ぼんやりと声の方向に顔を向ける。やがてニーナと目が合った少女は、ぱちりと大きく瞬きをした。ニーナはまだ眠そうな少女の目を見つめ、人懐っこい笑顔を見せる。

「アタシはドラゴン使いのニーナだよ。アタシの仲間が、倒れたあなたをここまで運んできたの。あなた、名前は?」

 覚醒したばかりでまだ状況が掴めていないのだろう、少女は固まったままじっとニーナを見つめ返した。根気強く見守っていると、やがて少女がぽつりと力ない声で呟いた。

「……私は、セレナ」
「セレナ? 素敵な名前だね、あなたによく似合ってる! セレナはこんなところで何をしてたの? ずいぶんボロボロだったけど……」

 やっと反応が返ってきた安堵からか、ニーナは声のトーンを上げ少し早口気味に次の質問を投げかけた。セレナはそれに対し、申し訳なさそうに眉尻を下げて俯いてしまう。再び、しばしの沈黙が訪れた。ケントがちらりとセレナを見たが、すぐに不機嫌そうに顔を背け目を閉じてしまった。光一もセレナに声をかけようか迷ったが、こういう時は女の子同士の方が話しやすいだろうと思い大人しく見守ることにした。

 やがてセレナはかけられていた毛布を握りしめ、弱々しく声を震わせた。

「……わからない」

 そのあまりの小さな声に、ニーナは首をかしげる。セレナは自分の口元を手で覆い、丸くて大きな目をさらに大きく見開いた。その表情は、何かに怯えているようにも見えた。

「どうしよう……私、わからない……覚えてない……! 何をしている途中だったのか……すごく、大切なことをしていたはずなのに、私……!」
「わわっ、落ち着いてセレナ!」

 取り乱した様子のセレナに驚き、ニーナは慌ててセレナの背中をさすった。そのままベッドに腰掛け、穏やかな口調でセレナを励ます。

「きっと、雷のショックで一時的に記憶が混乱しちゃってるんだよ。大丈夫、少し時間が経てば思い出せるって! 起きたばかりなのに色々聞いちゃってごめんね、今はゆっくり休んで」
「雷……そう、雷は嫌です」

 セレナは肩を落とし、しゅんと子犬のような瞳でニーナを見た。彼女は軽くパニックを起こしているようだ。刺激しないように、ニーナは背中をさすり続けながら笑顔を見せた。

「日中はあんなに太陽サンサンだったのにね。急に天気悪くなっちゃって、びっくりしたよ」
「太陽……」

 セレナのぼんやりとした視線の中に、僅かだが生気が宿ったように見えた。水晶のように透き通った瞳が、ぱちくりと数回瞬く。

「あ、少し思い出しました。太陽を……探していたんです」
「太陽?」

 セレナの言葉の意味がわからず、ニーナはきょとんとした表情を返す。少し考えるそぶりをみせて、セレナは続けた。

「えっと、太陽みたいな人……です。探していた理由は思い出せませんけど、名前ならわかります」
「へぇ、なんて人? アタシの知ってる人かな」

 無邪気な様子で問いかけるニーナに、セレナは一瞬鋭い表情を向けた気がした。まるで、その名を呼ぶことを嫌悪しているかのように。

 少し話が進みそうだと安心した光一は、いい具合に中身が冷めたマグカップを口元へ近付けた。程よい湯気が喉を温める。

「その人の、名前は……」

 険しい表情のまま、セレナは一度きゅっと口を引き結んだ。決心がついたのか、すぅっと息を吸い込みまっすぐにニーナを見つめる。

「ーーヒヤマ、コウイチ」
「ぶふぅッ!?」

 突然名前を呼ばれた光一は、思わず口に含んだお茶を吹き出してしまった。気管に入ったようで、激しくむせ込む。ニーナはぽかんとした表情を浮かべ、セレナを見つめていた。

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