Reversi小説 | ナノ



1-3

 光一は必死に足を動かしながら、ぐるぐると思考を巡らせていた。酸素を求め呼吸をする度、鋭い冷気が肺を刺す。しかしこんなにも息が苦しいと感じるのはおそらく、走っているからというだけが理由ではないのだろう。コンクリートを踏みしめる足がもつれバランスを崩す。なんとか片足で踏みとどまるがそのはずみでマフラーを落としてしまった。彼はそれを気に留めることもなく、再び息を切らし目的地へと急いだ。

 なぜこんなにも自分が急いでいるのか、光一にも分からなかった。花見の問いに対し「友達だから」と答えたが、我ながらカッコつけすぎたなと反省する。しかし電話越しの賢斗の声が頭の中で自動リピートされていて、なんとしても行かなければならないような気になってしまう。

 この一年半、賢斗の家へ続くこの道は何度も通ってきたはずだ。それなのに今走っているこの道は、全く知らない道のような感じがした。そのせいかは分からないが、光一は自分が初めてここを通った時のことをぼんやり思い出した。初めて賢斗に会ったとき、光一は彼が嫌いだった。いや、あの頃は周りの全てを嫌い、遠ざけていた。光一が北海道に来るきっかけができたのは、ちょうど二年前の今頃だった。



 父親を早くに亡くした光一にとって、優しい母親は唯一の家族だった。しかし光一が小学生最後の冬休みを迎える頃、その母親も病により帰らぬ人となってしまったのだ。母親の葬式中、親戚達の話に上がるのは母の死を いた む言葉ではなかった。皆一様に迷惑がり、今後光一の面倒は誰が見るのかということばかり話し合っていた。無論誰一人として名乗りを上げる者はなく、いよいよ児童施設の話が出たころに祖母がそっと声をかけてくれた。祖母は自分が北海道に住んでいたため環境が変わることを心配していたのだが、光一はこんな腐った親戚たちがいる大阪に残るより見知らぬ土地へ行った方がまだマシだと思った。

 小学校卒業と共に、光一は大阪から北海道へと引っ越してきた。澄んだ空気がいくらか心を癒してくれたが、たった十二歳の少年にとって大好きな母親の死というのはあまりにショックが大きかった。心を閉ざし部屋にこもる光一を気遣い、祖母も無理に外へ連れ出そうとはしなかった。

 もちろん光一は中学校にも行くつもりはなかった。しかし北海道に来て一週間が過ぎた頃、祖母が密かに買い揃えていた制服を発見してしまった。その瞬間、なにも言わず自分を気遣ってくれている祖母に対し申し訳ない気持ちが生まれ、光一は入学式だけ出席することを決意した。祖母は無理に行くことはないと言ってくれたが、光一は「一日だけやから」と無理に笑顔を作って返した。入学式当日の朝、真新しい学ランに袖を通した光一は、早く一日が終わるよう祈りながら家を出た。

 光一は学校につくなり生徒たちの注目を集めた。金髪、両耳のピアス、鋭い目つき。その威嚇的な見た目から、関わるべきではないと判断したらしい。皆なるべく光一と目を合わせないように、離れて廊下を歩いていた。光一はこれでいいと思った。どうせ今日しか来ないのだから、下手に話しかけられても面倒だ。大股で歩き、一年二組のプレートがついた自分の教室に入る。すでに数人の生徒が教室にいたが、生徒たちは光一の姿をみるなりサッと表情を硬くした。「このクラスはハズレだ」と思ったに違いない。そんな生徒たちを見て光一は、わざと皆に聞こえるように舌打ちをした。ビクビクしながら視線をさまよわせるクラスメイトたちに、大きな声で語りかけた。

「安心せぇや、オレ今日しか来ーひんから。イラつくさかいジロジロこっち見んといてもらえる?」

 それを聞いた生徒たちは、身の危険を感じたのかそそくさと教室を出て行ってしまった。フン、と鼻を鳴らし、光一は自席に座った。そのままドカッと机に足を上げ窓を見る。開けられた窓から入ってくる風は、四月だというのに冬を思わせる冷たさだ。北海道もあまり好きになれそうにないな、と光一は思った。

 しばらくすると、静かだった廊下から楽しげな男子生徒の声が聞こえてきた。

「えーっ、 翔太 しょうた 一組かよ? クラス離れたーつまんねー」
「よく言うよ。お前ならどうせすぐに、クラス全員とオトモダチになれちゃうって」
「あっははクラス全員? いいねぇソレ、俺様がんばっちゃうよー」
「ハイハイ。じゃ、俺教室こっちだから。またあとでな、賢斗」
「おー、じゃーな!」

 会話が終わると同時に、勢いよく教室に入って来た少年。少年は一、二歩進んだところで光一に気付いたらしく、はたと足を止めた。ぽかんとした表情の少年と、光一の目が合う。光一はより一層眉間にシワを寄せ、少年を睨みつけた。どうせこいつもすぐに隣のクラスへ逃げ出すだろう、光一はそう思っていた。

 しかし、目の前の少年は光一から目を逸らさなかった。数回 まばた きをしたのち、じっと光一の姿を見つめる。そのまま数秒経っただろうか、光一がそろそろ文句を言おうと口を開きかけた瞬間、目の前の少年はなんと突然光一を指さし笑い始めた。

「アハハハやべー、俺のクラスにヤンキーがいる! すげーなにこれドラマでしか見たことねーこんないかにもなヤンキー! リアルヤンキー! アハハハッ!」

 少年は腹を抱えてその場にうずくまり、息もできないほど大笑いをかました。笑いすぎたのか、途中苦しそうにむせ返っていた。光一は予想していなかったその反応に唖然としたが、すぐに頭に血が上り自分の机を勢いよく蹴り上げた。少年は笑うのをやめ、再び光一を見る。

「ケンカ売っとんのか自分? あんまナメとったらシバき倒すぞ」

 精一杯の睨みをきかせ、光一は目の前の少年に言い放った。さすがにこれで黙るだろう、そう思っていたのだが、少年の行動はまたも光一の予想を超えていた。少年は怯えて教室から出ていくどころか、むしろ喜々として近づいてきたのだ。なにをする気かと光一は警戒したが、少年はキラキラした瞳で光一を見つめ、口を開いた。

「え、そのうえ関西弁なの? サイコーにおもしろいね君! 決めた、俺絶対君と友達になるわ!」

 何を言っているのか、少年の言葉が理解できず光一の思考はフリーズする。そんな光一を気にすることなく、彼は爽やかな笑顔で言葉を続けた。

「俺は氷森賢斗。ハイ、名前教えて!」
「あ、緋山……光一」
「オッケー光一、ちなみに俺の席光一の前だから! これからよろしく!」

 光一はマイペースな賢斗の雰囲気に呑まれ、つい名前を教えてしまった。それからというもの、その日中なにかにつけ賢斗に名指しで話しかけられた。その度に光一は冷たくあしらうのだが、彼は懲りずに何度も何度も、笑顔で後ろを振り返ってくるのだ。



 やっと下校時間になり、すっかり精神的に疲弊していた光一は足早に学校を出た。しかし向かう先は家ではなく、近くにあるらしいゲームショップだった。この日は光一が小学生の頃からやっていたゲームシリーズの発売日だったのだ。ソフト名は『ドラゴンハンターV』、オンラインで他のプレイヤーと共にドラゴンを倒すマルチプレイ形式のゲームだ。明日から学校に行かないのだから、久しぶりに家の外に出たついでに暇つぶしになるものを手に入れようと思ったのだ。ゲームをしていれば少しは気がまぎれるかもしれない、とも思っていた。

 祖母が教えてくれたゲームショップを探し歩く。コンビニを通り過ぎ、角を曲がるとそれらしき店を発見した。光一は店の扉を開き中へ入った。

 目当ての品は入ってすぐの場所に並んでいた。話題の新商品というだけあって、ものすごい量のソフトが積み上げられている。光一はその中のひとつを手に取りレジへと進む。帰りにさっき通ったコンビニでジュースとお菓子でも買いだめして行こう、とぼんやり考えていた。しかし、その思考は突如後ろから聞こえた声によって吹き飛んでしまった。

「あれ、光一?」

 光一はその声を聞き、後ろを振り返る前から呆れた表情を浮かべた。引っ越してきたばかりのこの町で自分の名前を呼ぶ者など、今の時点ではただ一人しかいないのだ。

「……なんや賢斗か」
「偶然だなー! え、てか光一もドラハンやんの?」

 思った通り、振り返った先にははしゃいだ様子の賢斗がいた。何故そんなハイテンションを保っていられるのか、光一は不思議でたまらなかった。賢斗は光一と同じソフトを手に取ると、駆け足でレジ待ちの列へやってきた。頼んでもいないのに、またマイペースなトークが始まる。

「俺ドラハンめっちゃ好きでさー、今日なんて楽しみすぎて二時間も早起きしちゃった」
「小学生か」
「うおっ今のツッコミ? てか俺らついこないだまで小学生だったからね?」

 けらけらと笑う賢斗を見て、光一の嫌悪感は先ほどより少し薄れた。隣でペラペラと話す賢斗の言葉も、適当に相槌を打ちながら聞くことができた。ドラハン効果だろうか、と光一は思った。

 無事ソフトを購入し店を出た二人は、桜の花びらが舞い散る道を歩く。四月だというのに道の端にはまだ雪が残っている。それを見つけた光一は、北海道にきたんだなぁと今さらながら実感していた。

「なぁ光一は武器なに使ってんの?」
「大剣やけど」
「あ、やったー俺 おの ! 被ってないし、今度一緒にクエスト行こーぜ!」
「え……あー、それなんやけど……」

 無邪気にそう言う賢斗に罪悪感を感じ始めた光一は、「明日から学校にこない」ということを言い出しづらくなってしまった。だから絡まれたくなかったんだと心の中でため息をつく。そもそもなんで目の前のこいつはこんなに自分に絡んでくるのか、ふと浮かんだ疑問をそのまま口に出すことにした。

「お前、なにしにオレに絡んでくるん?」
「え、面白そうだと思ったから?」
「なんじゃそら」

 きょとんとした顔で答える賢斗を見て、光一は呆れ顔で返す。心の中のため息はいつの間にか心の中では収まらなくなっていた。

「ハァ、なんやお前と話しとったら色々どーでもよォなってきたわ」
「あはは、なんだそれ褒めてんのー?」

 大きな交差点を渡ると、賢斗は家に向かい角を右に曲がった。光一がなんとなくその後ろ姿を見ていると、賢斗はくるりと振り返り思い出したように叫んだ。

「今日一日でどこまでストーリー進められるか勝負しよーぜ! 負けた方がコーラおごりな! じゃ、また明日ー!」

 ぶんぶんと手を振り、賢斗は遠くへ消えていった。光一は「なんでコーラ確定やねん」と小さく呟き、買ったばかりのゲームソフトを眺めた。

「ったく、しゃーないやっちゃなー」
 灰桐中学校の生徒になった一日目。自宅への帰路を一人歩く光一の口元は、わずかに緩んでいた。



 その後、次の日も学校へ行くと言い出した光一を見て祖母はとても驚いていたが、同時に嬉しそうな笑顔も見せた。賢斗とは結局、次の日からゲームの話題で意気投合し気付けば毎日一緒にいるほどの仲になっていた。ゲームの話はもちろんだが賢斗はとても人当たりがよく、人と衝突しがちな光一のなだめ役でもあった。なんでもさらっとソツなくこなしてしまうので時々腹も立つが、それでも光一はそんな賢斗に色々な面で救われていたのだ。



 もしも今、賢斗の身に何か起こっているのなら。光一は、自分の出来る全てを持って助けようと思った。賢斗がいたから、今こうしていられる。もちろん普段は口に出さないが、光一は素直にそう思っていた。大きく息を吸い込み、走るスピードを上げる。歩道脇に植えられている桜の木が見えた。あの角を曲がれば、賢斗の家はすぐそこのはずだ。

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